ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ニホン、ワカモノ 神里雄大

2019.1.31

16ボリビア(1) ボリビアに油断して入る

 サンパウロ最後の夜、お世話になったエドゥやその同居人たちに梅干しパスタを振る舞った。梅干しはパラグアイのイグアス移住地で買ったものだった。梅干しとパスタの組み合わせに、皆かなり警戒していたが、実際に食べてもらうと好評で、用意した分のパスタはすぐになくなり、追加でもう二人分くらい茹でた。こういうのを食の越境と呼ぶのだろうか。とにかく気に入ってくれてうれしかった。梅干しは1リットルくらいの瓶に入っていたが、だいぶ少なくなったので別の瓶をもらい詰め替えた。少しだけ、荷物が軽くなった。

 翌日は早朝の出発だったので、ぼくはいつも通り寝ないことに決めた。朝起きるのがつらいので、あと寝坊が怖いので、移動の前はたいてい徹夜する。どっちみちつらいんだけど。エドゥと秋に京都でやる新作の話をしばらくしていると、もう眠いと言ってエドゥは寝床に入った。3時くらいだった。ぼくは次に行くボリビアのサンタクルス・デ・ラ・シエラという街のことを少しネットで調べ、空港からホテルまでの行き方を頭に入れようとしていたらすぐに朝が来た。空港でSIMカードを買う予定だったが、すぐに使えないこともよくある。ネット環境がなくてもいいようにしておいた。

 5時過ぎ、静かに出て行こうとすると、エドゥが起きてきてくれた。コーヒーを入れてもらって、ちょっと今後のスケジュールについてしゃべっていると、ビアトリスも起きてきて、家の前で挨拶をしてUberタクシーに乗った。またいつでも来てくれとエドゥは言った。出発のときはいつも切ない気持ちになるので苦手だ。言いたいことがあったはずなのに、照れ隠しのほうを優先してしまうのがぼくの悪い癖だ。空港までUberドライバーと会話をした気もするが、使い慣れないポルトガル語と眠気の関係であまり意思疎通はできなかった。

 もう少しブラジルの各都市を回ってみたかったが、予算と日程の関係でこれ以上留まることはできなかった。次にブラジルに来るのはいつになるだろうかと思っているうちに夜明けが来て、サンパウロの高速道路を走る車を照らし始めた。早朝なので渋滞はなく、すぐに着いたと思う。サンパウロの空港がどんな様子だったのか、どういうわけかまるで記憶がない。この旅で初めての空路での移動だったのだが、飛行機が苦手なせいなのか、あるいはバス移動が染み付いてしまったせいなのか、グアルーリョス国際空港は記憶から完全に抜け落ちている。通常、こうして書いていると断片的にでも思い出すものだが、なにも思い出せない。

 サンタクルス・デ・ラ・シエラには2時間で着いた。と、Eチケットの記録がそう言っているのでそうなんだろう。機内ではずっと寝ていたはずで、GOL航空という、ブラジルのLCCがどんなものだったのかは説明できないが、ぼくが飛行機に期待するのは墜落しないということしかないので、問題はない。到着した、サンタクルス・デ・ラ・シエラ近郊にある「ビルビル国際空港」というかわいい名前の空港のことは覚えている。小さい空港だった。この空港建設には、日本政府の開発援助資金が入っているらしい。そんな情報をインターネットで仕入れていたので、なんだか自分がこの空港を使う正当性みたいな感覚を持ってしまいそうになるから、というか持ってしまうから本当に情けないと思う。日本政府とぼくとは関係はないはずなのに。

 ぼくにとってボリビアは初めて来る国だった。最低限の両替を済まし、到着ロビーの誰もいなくなった売店でSIMカードと水を買った。さっそくスマートフォンに入れてみるが、いまいち設定がわからない。前日に調べるべきだった。売店の店員に聞いてみると、ボリビアのスペイン語はわかりやすい気がする。ブラジルから来たからスペイン語が懐かしいような気すらする。でもすごく愛想がない。それからSIMの設定は自分でなんとかしろとのことだった。ここでも、日本政府がお金を援助して作ったこの空港で働くくせに、おれに愛想悪いとは何事だ、みたいなくだらない気持ちが横切るので、すぐに打ち消してしまいたい。こういう馬鹿げたことを思うということは、初めての土地に油断している証拠だ。

 実際にぼくは、日系移住地を回ってきたこと、サンパウロでなにも危ない目に遭わなかったこと、ブエノスアイレスに半年以上住んだことなどから、見知らぬ土地に対する警戒心が、どんどんなくなってしまっていることを実感していた。それはおもに治安に関する警戒心だったが、この土地はこんなもんだろう、みたいな思いも少なからずあって、そういうのはその土地に対する敬意みたいなものも削っていってしまう。

 事前に調べていた通りに、乗り合いバスに乗った。人数が揃うまでしばらくバスは待機していた。もちろん時刻表などなかった。徐々に人が乗ってきて、ぎゅうぎゅう詰めになった。こういうの、ちょっと懐かしいな、などと思った。バスの定員という考えが存在しないような乗客の乗せ方。車内アナウンスなどないが、運転手に行き先を告げればちゃんと教えてくれるというコミュニケーションが重視されるバス。ペルーとかパラグアイで乗ったことがあるバスの混み方だ。大都会であるサンパウロのラッシュ時の地下鉄とは違う。乗ってくる人たちも、ビジネスマンや都会の若者というより、もう少し、生活に疲れて皺の多くなったような人たち、あるいは大荷物のおばさんという感じの人や、ポマードか何かで髪をぴたっとさせた学生、という感じだった。嫌でもブラジルとの国力の違いを見てしまう。

 サンタクルスは日差しが強く、道は埃っぽく、バスは混み合っていて暑かった。ようやく暑いところに来れたと喜んで、車窓のほとんどなにもない草原を見ていた。それからぼくは居眠りをしてしまった。しばらくして起きると、車窓には街らしさが出てきていて、片側3車線くらいの幹線道路は渋滞していた。中心部に近づいてきたところを、事前にダウンロードしておいたオフラインマップを頼りにバスを降りた。埃っぽい街だなと思った。歩道はそれなりに広く、人がたくさん歩いていた。それから、大荷物を抱えたまま1キロくらいを歩いて、無事に宿にたどりつけてしまったので、「ボリビア心配ないじゃん」みたいな思いになってしまった気がする。実際はたぶん、紙一重なのだ。昼間で通りには人がいるとはいえ、荷物を抱えた外国人は目立つし、観光客と見られれば危険は高まる。でもぼくは油断していて、それを自覚しつつも止められなくて、ホテルの受付としばらく適当な会話をして、治安のことも聞いてみたが、話半分だった。そのあと、ちょっと仮眠をとった。

 

 ところで、ぼくはボリビアと言ったら、国全域が標高の高い山岳民族の住む国というイメージを勝手に持っていた。だが、このサンタクルスやほかの多くの地域は、標高はさほど高くなく、高原やアマゾン川の流域地帯だ。サンタクルスもアマゾン盆地南部に位置する海抜400m程度の高原で、気温も25度はあった。(事実上の)首都のラパスは標高が高く、空港も海抜4000mを越えるところにあるため気圧が低いので、十分な揚力を得るために飛行機の燃料を満タンにして飛ぶことができないそうだ。そのため、ボリビア第二の都市であるここサンタクルスが国の玄関口になっているとのことだった。サンタクルスからは国際バスも出ていて、パラグアイのアスンシオン行きのバスもある。前述の「ビルビル」というのは、グァラニー語で「平野」という意味らしい。ラパスやスクレ、ウユニなどの山岳地域がペルーと地理的文化的に似ている(?)のに対して、サンタクルスはパラグアイのグアラニー文化と共通性があるのだろう。

 ……みたいなことをぼくはいつ知ったのかあまり覚えていないが、とにかくボリビアの国土の半分くらいは標高が低いということに驚いていた。そして日系ボリビア人たちの多くはそういう標高が低いところに住んでいるというのも、ボリビアに行くことになって初めて知ったのだった。

 それくらいぼくはボリビアについて無知だった。その日は用事がなかったので、SIMカードの設定を済まし、宿の近くにあったレストランKENに行ってラーメンを食べた。高級レストランという感じの店で、ひとりで入るのは少し気が引けた。ラーメンとチャーハンのセットを頼んで待っていると、隣のテーブルに4人で来ていたグループが気になった。男性はフランネルシャツにデニムのオーバーオールという格好をし、女性は修道女のようなベールを被っていた。なんとなく気になったまま、ラーメンを食べ、チャーハンを平らげ、ビールを飲み干して、クレジットカードを切って外に出た。

 

 

 翌日は、宿から2キロくらいのところにあるボリビア日系協会連合会事務局のSさんと会うことになっていた。Sさんのことは、かつてボリビアでボランティアをしていたJICA隊員の方に紹介してもらった。ぼくはボリビアに2週間半滞在することになっていて、最終目的地はボリビア北部のアマゾンエリアにあるリベラルタという街だった。パラグアイでは日系移住地、サンパウロは都会を回ってきて、そのどちらでもないと思われるリベラルタに行きたいと考えていた(このときは、本当に漠然と名前が気に入っていたとかそんな程度だったような気もする)。そのまえに、サンタクルス近郊にあるふたつの日系移住地にも寄って話が聞けないかと思っていて、その相談に来たのだった。

 ふたつの移住地はそれぞれサンフアン移住地とオキナワ移住地と言った。オキナワ移住地はその名の通り、沖縄からの移住者たちが住むところだ。オキナワ移住地には第一、第二、第三移住地が存在するという。これまで、ペルーやアルゼンチンなどで、沖縄系の人と知り合う機会が度々あったが、彼らの多くは、現地に同化してすでに日本語を話さなくなっていた。だから、ここボリビアのオキナワ移住地でも、かつて沖縄の文化や言語を持っていた人たちが、わずかにその痕跡を残しつつ、現地に同化して暮らしているのではないか、みたいなふうにぼくは漠然と考えていた。「沖縄」が「オキナワ」にかわり、第一、第二、第三という、どこかの団地のような名前のつけられ方をし、さらには自分にとって初めての国という想像のつかなさから、自分とはまったく別の、異質な人たちが住んでいるというイメージをぼくは持ってしまっていた。

 

 Sさんと会ってさっそく言われたのは、その日、つまりぼくがサンタクルスに到着した翌日の朝、ぼくの泊まっているホテルの近くで、宝石店強盗があり、人質をとって立てこもった犯人に対して、警察が発砲し、人質が死んでしまうという事件があったということだった。この事件は警察の不祥事として、ぼくがボリビアを離れるまでずっと人々の話題に上っていた。そして、Sさん曰く、サンタクルスは治安がよくないので、旅行者は昼間でも注意したほうがいいということだった。

 

(16・了)

 

・お知らせ・
作者の神里雄大さんの新作パフォーマンス「いいかげんな訪問者の報告」が来週2月9日(土)~17日(日)まで横浜のCASACOにて上演されます。この連載のテーマでもある、日系移民の方々に話を聞いて回った南米の旅を元に製作されたパフォーマンスです。アルゼンチン風焼き肉のアサードとおにぎり付き。詳細、予約はこちらの特設ページをご覧ください。

 

 


次回:2019年2月14日(木)掲載