ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ニホン、ワカモノ 神里雄大

2019.6.2

21ボリビア(6) パラレルワールド

 

 食事が終わったころ、Aさんが比嘉悟さんを呼んでくれた。このお店の息子さんである。「日本から来てて、若い人の話聞きたいんだって」とAさんが悟さんに説明すると、なにもわからず呼び出された格好の彼は、「えー」ともじもじしていた。おもむろにボイスレコーダーを取り出すと、よけい緊張したようだったが、あんまり気にしないで話を聞くことにした。

 この日は寒波が来ていて、標高が低く年中温暖なボリビア東部もかなり冷え込んでいて、彼はセーターを着ていた。でも店のなかだから腕まくりをしていた。彼はぼくがオキナワ移住地で初めて会った若者だったが、さすが沖縄という彫りの深い顔立ちでヒゲも濃く、さっそく親近感をぼくは覚えた。

 

 

 いま、このとき録った音声を聞いてみると、ぼくはまるで近所に住む小さいときから知っている親戚の子に話を聞いている、あるいは、自分が日本の「沖縄」を背負っているというような、傲慢な印象を受ける。なにしろ自分ばかりしゃべりすぎている。悟さんは沖縄に行ったことがないらしく、だから「知っている自分」が若い彼に沖縄を教えてあげる、みたいな感じになっていて鼻につく。インタビューを聞き返すのがけっこうしんどい。若い人をつかまえて、えらそうに自分語りをして、おれは沖縄のことならなんでも知ってるから、なんでも聞いてよとでも言い出しそうなうざいおっさん(本人は兄貴分的気分でいる)感がかなしい。この男は沖縄に住んだことなどないのだ。

 悟さんは22歳で、一家は祖父母の代からこのレストランをやっているそうである。移住地では農家が大多数を占めるなかで、悟さんの一家は農業はやっていない。「こっちでは、長男は農家になるための勉強をするものなんですけどね。うちの場合は(父親は)長男ですけど、(祖父母のやっていた)畑を継がなかったんです。父の弟の叔父が継いだので」

 悟さんも父親と同じく長男である。2歳違いの姉がいて、8歳くらい下に弟がいる3人兄弟だ。彼にこのお店を継ぐつもりがあるのかを聞くと、いまのところその気はないと言う。

 「去年までシステムエンジニアをやってたんですがつまずいてしまったので、サンタクルスの短大で元々好きだったパティシエの勉強をいまはしています。パティシエになったら、沖縄のお菓子を勉強して、それでこっちの、オキナワ移住地かサンタクルスかでお店を持って、そういうのを広めるっていうことをしてみたいと思っています」

 やはり住み慣れた土地でお店を開きたいらしい。これまで南米各地の移住地で何人かにインタビューしてきて、何度かこの連載でも触れたが、移住地の若者たちはその土地に愛着を持っていることから、土地を離れてどこか別の場所に拠点を持とうというふうに考えるケースは少ないようだ。ぼくは、「(お菓子の勉強をしに行って)沖縄に住む可能性だってあるよね、彼女ができてそのまま住み続けるみたいなさ」と言ったような誘導尋問的な質問をいくつか重ねることで、悟さんから「ほかの場所に住むっていうことも可能性としてあると思う」という発言を引き出して満足げである。「とにかく寒くなければどこでもいいです」とも言わせている。でも、彼はやっぱり、この住み慣れた土地に住み続けたいと思っているだろう。そんな感じがする、というかぼくがしゃべりすぎてそれに合わせて、「ほかの場所でも……」と言ってくれたようにしか感じないのだけど、同時に本当にそういう思いも彼の中にはあるかもしれないので、あくまでぼくがこれはインタビュー音声を聞き返して抱いた印象である。

 

「ぼくの場合、家業を継ぐ話はそこまでないから、日本に行って住んでもいいし違う国に行ってっていうのも一応考える」

──どこでもいい感じ?

「どこでもいいですね、仕事に困らなければ」

──お酒は飲む?

「まぁまぁ飲みますね」

──お酒を飲めない国は?

「飲めないなら飲めないで別に問題ないです。飲めたらいいなぐらい。だからどこでも住める気がする」

──寒くても?

「寒いところはイヤ、それはダメだ。寒いところ以外だったら大丈夫」

──沖縄も一応冬はあるけど?

「冬は10℃以下にならなければ大丈夫。それ以下になったら外出たくないです」

──沖縄はよく台風が来るけど?

「台風は体験したことないから。体験してやっと、それがどうか言えると思うから、体験したことがないのは嫌だなって思います」

──なるほど。

 

 彼にとって、海のある沖縄は、あくまでも一時的に製菓なりなんなりの勉強をしに行ってみたい憧れの土地、というのがぼくの印象である。そして、憧れの土地と住む土地は同じでなくてもかまわないのだ。

 沖縄に行ったことがない悟さんの、沖縄に対する印象は、かなり漠然としていて、「海がきれいそうだから見てみたい」という感じ。ここオキナワ移住地のあるボリビアには海はなく、彼は海を見たことがない(正確には彼は3歳から5歳まで親の出稼ぎのために神奈川に住んでいたことがあるので、そのときに海を見た記憶がわずかながらあるらしい)。

 沖縄に対する印象を語るとき、たとえば沖縄はきっと「のんびり」しているに違いないと彼は言う。同時に、ここ、ボリビアのオキナワも同様にのんびりしていると認めている。でも、と彼は言う。

 「さすがに(オキナワ移住地でも)どっかにモノを置きっぱなしにしておくようなことはもうダメですね。いまはもう人が増えたので、前だったらドアも開けっぱでも大丈夫だった。鍵閉めなくても。塀も前はほとんどなかったです。ちっちゃいやつくらい。もうちょっと安心できるような、もうちょっとリラックスして生きていける世の中になってほしい。そんなに気を張って生きていきたくないから」

 

 それでも、ボリビアのほかの地域に比べれば、オキナワ移住地はリラックスできる土地なんだろう。それは実際にぼくもそう思うし、そこで育った彼にとってはもっとそうなんだと思う。

 ぼくは、オキナワ移住地で、悟さんのあとにも何人かの若者に会って話をすることができたのだが、「沖縄人(ウチナーンチュ)」であることはどういうことなのかと、ずっと考えていた。とても不思議な気持ちだった。

 というのも、これまで訪ねてきたパラグアイ・ボリビアの各日系移住地は、本州・四国・九州・北海道と、全国各地から移住してきた人たちが暮らしていて、「日本性」が集約されていた場所だった。サンパウロの東洋人街もそうだと思う。もともとは日本各地のそれぞれの、生活習慣や気候が違って、言葉遣いも異なるという場所で暮らしていた人たちが、「日本」という名前の元で、ひとつの集団を作っている。

 でも、このオキナワ移住地は、その成立の歴史から、住民は沖縄本島という限定された土地の出身者で構成されている。つまり上の「日本」という概念よりはっきりした出自の人たちが住んでいる、ということもできる。だから、言葉のイントネーションも先祖たちが紡いできた歴史も、生活習慣も移住が始まった1950年代時点では、沖縄本島のそれそのものだったと想像できる(もちろん沖縄本島であっても地域によってちがいはあると思うが)。同じ根っこを持つ習慣や価値観や歴史が、南米移住というポイントで枝分かれして、この海のない土地で受け継がれている。パラレルワールド的沖縄と言ってもいいかもしれないとぼくは思う。沖縄ではないオキナワが故郷のウチナーンチュが、ここには住んでいる。

 

 最後に悟さんの対人関係の話に行き着いた。

 「これは興味本位の質問なんですが、悟さんにとって、仲良くなる友だちと仲良くならない友だちの差というのはなんですか?」

 「気安くしゃべれる人、ぼくからもタメ口でものを言えるしあっちもタメ口、みたいな歳の差関係なく冗談も言い合えて、っていうのは仲良くなれるんですけど、相手が最初から『おれには敬語使えよ』というような上から目線な人は苦手です。それからずっと自分のことしかしゃべらないような人は苦手ですね。グイグイ近寄ってきて、パーソナルスペースの中まで入ってくるような人も苦手」

 「でも、ボリビアではそういう(パーソナルスペースの中に入ってくるような)人も多いのでは?」と聞くと、やはり多いそうである。パーソナルスペースというのは言語や文化圏で伸び縮みするはずで、実際ぼくもアルゼンチン人の友だちといるときのほうがスキンシップも多く、物理的に話すときの距離も近くなる。

 「たぶん、日系人とか日本人は、場をわきまえるというか、あんまり強く押さずに会話をしようとするんですけど、ボリビア人たちはグイグイくる感じで、会話っていうより自分の言葉を投げかけてくるんですよ。そういう人は苦手。ふつうに会話が成り立てば仲良くなれます」

 悟さんの言うところのパーソナルスペースは日本のそれをベースにしているのだろうということがわかる。ぼくも外国にいて、現地の人とハグをしたりキスをしたりしていても、同じ場所にいる日本人/日系人とはそれをしなかったり、なんだかできないような空気感を(互いに)作ってしまったりした経験がある。ボリビアに住んで、ボリビア人の友だちもいるはずの悟さんとそういう感覚を共有できるのはおもしろいことだった。

 

 

 悟さんをぼくに紹介したあと、どこかに行っていたAさんが店に戻ってきて、インタビューは終わった。「泊まるところはあるんですか?」と聞かれたので、まだ決めていないのです、と答えた。ぼくは沖縄系の人間として、きっとオキナワ移住地では誰かしらが世話してくれるものと期待していたので、Aさんがホテルかゲストハウスかなら1軒ずつあるから、と言ったのを聞いて、あれーアテが外れたかもな、などと思った。思い返すとずいぶんと図々しくなっているものである。これまでほとんどホテルに泊まらず人の懇意に甘えて泊めてもらっていたことが当たり前みたいになっていたのだった。

 

 

(21・了)

 

次回:2019年6月20日(木)掲載