ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ニホン、ワカモノ 神里雄大

2019.10.15

24ボリビア(9) 飲み会にて

 古い建物に入ると、すぐに集会所のようなスペースになっていて、正面には年季の入ったスピーカーが置かれ、右側には卓球台があり、その上には飲みかけのコーラとか空のビール缶などが乱雑に置かれていた。周りは家もなく、メインストリートからも外れ奥まったところにあるので、よくここで、オキナワ第一の青年会のみんなが集まって飲み会を開いているという。この日もわざわざ集まってくれることになっていた。そのスペースの奥にはカウンターがあって、ビールがいくらとかソーダがいくらとかスペイン語で書かれていて、お祭りかなにかのときにはここでそういう飲み物の販売もされているようだったが、場所の散らかり具合から、最近はこうやって仲間内で集まって飲む以外の利用をしていないのだろうと推測された。ふだんは卓球台をテーブルがわりにしているということで、直也さんは卓上をきれいにした。

 そんなふうに会場を観察していると、沖縄らしい名字を持つ若者たちがバラバラと集まってきた。今日はぼくと直也さんを入れて総勢12人ということで、自分がなぜオキナワ移住地にやってきたのかを手短に説明した。みんな口々に「汚いでしょ」とか「いつもここで飲んでるんだ。ここなら夜遅くまで騒いでも大丈夫だから」とか言っていた。ぼくよりは一回りくらい若い人たちだった。

 

 

 いつも通りに飲んでねと言いながら、おもむろにレコーダーを取り出すと、「えーなにしゃべっていいかわかんないな」とか「緊張するな」とか、そりゃそうだよねという反応が返ってきて、レコーダーをいったん止めて、飲むことに徹することにした。かといって隠れて録音するわけにもいかないので、卓球台のうえになんとなく置いて、徐々にその存在を気にしなくなってくれればいいと思った。それぞれが飲み物や食べ物を持ち寄っての飲み会。ぼくは、直也さんと近くの売店で赤ワインを買ってきた。チリワインだったと思うが、ボリビアで買うチリワインは日本で買うよりも割高だったのが意外だった。ほかにはビール、それからチキンとバターライス、ポテトチップスなど。よくある若者の飲み会という感じ。大半のみんなは農業をしているという。東京ドーム何個くらいの畑なの? と冗談交じりに聞いてみると、大きい人は100個じゃ済まないかなと言っていた。要するに途方もない大きさの畑をやっている。

 そういう大きな畑を所有して手広くやっている、みたいな話を聞くと気になることがあって、でもぼくは彼らに聞くことができなかったのだが、それはなにかというと、彼らが、オキナワに住む非オキナワ系のボリビア人たちのことをどう考えているのかということだった。彼ら沖縄系住民とボリビア系住民とのあいだには大きな隔たりがあると、ぼくは感じたから。

 直也さんの畑を見せてもらった日の帰り、雇っているボリビア人の男性をふたり乗せ、ピックアップトラックでぼくたちは町に戻った。

 ほかの日系移住地と同じように、現在オキナワの人口の9割は沖縄にルーツを持たないボリビア人である。彼らは仕事を求めて、この町に集まってきて、そのままオキナワに住んでいる。直也さんによると、彼らは車を持っていないので、毎日直也さんがこうして送り迎えをしているのだと言う。オキナワ第一には一本だけ舗装された道路が通っていて、そこがいわゆるメインストリートになっているわけだが、この道を挟んで、直也さんの家やほかの移住者の家があるエリアとは反対側に、そういう労働者たちの家があった。そこにピックアップトラックは入っていく。反対側と比べるまでもなく、密集する家々が小さく、どれもくたびれているようだった。彼らの宗教に関するものなのかよくわからないが、それぞれの家のまえには旗のようなものが立ててあり、道は狭い気がした。もし散歩している途中でこのエリアに入ったら、治安が悪いところに来たと思うような雰囲気を感じたのだった。思えば、いくつかの移住地でぼくが知り合ったのは、移住者の方々ばかりで、そこに住む「非日系人」の人たちと関わることはなかった。だから、このオキナワ第一での道を挟んではっきりと横たわる格差が、ここ特有のものかどうかはわからない。ぼくが感じた隔たりというのは、そのまま、訪問者であるぼくが持つ隔たりのことでもあった。

 また、このことは直也さんやこの夜集まってくれた若者たちを非難する意図があるものではないことも、念のため触れておきたいと思う。移住者たちは、これまでも何度か触れたように、過酷な環境を生き抜き、その結果として成功を収めた人たちである。それは誇りに思うべきだし、立派な家々に住むことも当然の権利なのである。いっぽう労働者たちは「自主的に」集まってきたのだとすれば、彼らの生活ぶりをほんの少し見ただけで、それを「格差」としてしまうのもぼくの傲慢さに過ぎない気もする。

 

 ところで、直也さんは移住地にある学校にも連れて行ってくれた。そこは午前にいわゆる普通の授業をやり、午後に日本語を勉強するのだという。そしていまや日本語を勉強する子どもたちの多くは、非日系のボリビア人の子どもたちなのだという。オキナワ移住地に住むうえで、親たちは子どもには日本語を学ばせる必要を感じているらしい。これは仮に、日系人と非日系ボリビア人とのあいだに「隔たり」があったと仮定した話だが、それを崩していくのは子どもたちというケースは多いと思う。職業の違いではっきりと二分されていた町が、子どもたちを介してコミュニケーションを始めた、ということは日本でも聞いたことがあるし、文字通り言語を学ぶことはコミュニケーションを学ぶことである。と、そこまで考えてから、そもそもあるかもわからない隔たりを外野が規定することは余計なお世話なんじゃないかと感じ始めた。

 なんだか軽はずみにそんな内容のことは聞けないなと思いながら、若者の飲み会の片隅でワインを飲んでいると、青年会の会長だという男の子がけっこう飲んだのか顔をやや赤らめながら、ぼくに聞いた。

 「たまに日本人のバックパッカーが(オキナワに)来るんだけど、なんで来るの?」

 その口調からして、彼はあまりその訪問をよく思っていないんだなということがわかったので、質問には答えずに彼の話をさらに聞いた。

 「なんかヒゲも伸びっぱなしの旅行者が無言で立ってるんだよ。警戒するでしょ。こっちから話しかけるのを待ってる。でも、なんでそんなことしないといけないの? おれらはふつうに生活してるだけで、観光地でもないし、見るものなんてないし、そんなとこに勝手に来て、なんでおれらから話しかけてくるのを待ってるのか理解できない。そしてなんでここに来れば、家に泊めてもらえると思ってるの?」

 おっしゃる通りである。耳が痛い。ぼくはヒゲを伸びっぱなしにしたバックパッカーではないが、それ以外はほとんど当てはまっている。日本に住むものからすると、彼らの存在や生活のことは興味深いと思う。けれど、彼が言うように、彼らはふつうに生活をしており、それが見世物のようにされてしまうのが嫌だというのももっともなことだと思う。

 まわりの仲間たちは、すこし興奮した様子の彼をなだめながら、いろいろな意見を聞かせてくれた。来たいなら来ればいい、という意見もあったし、興味を持ってくれるのはうれしいと言う人もいた。直也さんは「親父がしょっちゅう旅行者拾ってくるからなあ。おれは気にしてない」と言っていた。

 それから「若い女の旅行者はたくさん来てほしい」と笑いながら言う人もいて、何人かがそれに同調していた。そして、それはどうも冗談ではないらしい。というのも、オキナワ移住地は第一、第二、第三とあるものの、やはり沖縄系の若者の数は限られている。男たちは畑をやっていることが多いから、そこに嫁いでくれる女性と知り合う機会が増えることを切望しているのだった。逆に女性たちは移住地内で結婚しなければ、外に出て行くケースも多いらしい。この飲み会に参加していた唯一の女性は沖縄県の出身で、ここに日本語学校の教師として来ていたときに、こちらの男性と知り合い結婚して移住したらしい。

 この日は2時くらいまで飲んで帰った。

 

 

(24・了)

 

次回:2019年10月31日(木)掲載