sense of wander 宮田珠己

2022.12.31

10赤塚から高島平(3)

●ガスタンクと空中団地

 今回の散歩は、まず赤塚で暗渠を見たあと、東京大仏を経て、高島平をめぐるルートを考えている。
 大仏後、赤塚諏訪神社を経て、高島平を目指した。赤塚公園に入ると、公園に沿って東西に首都高速の高架が走っていた。その向こうが高島平だが、ここまでの高低差がふんだんにあった坂の多い町と比べると、突然風景が平坦になっているのがわかる。
 あらためて地図を見ると、高低差は見てもわからないが、道路の形から、ここまでとこれからの町が全く違う姿であることが見てとれた。つまり、高低差のある区域では道が曲がったり突然分岐したりと複雑だったのに対し、平坦な高島平ではそれが碁盤の目のように整然としているのである。

 高島平はもともと湿地帯だったところを埋め立ててできた新しい町で、個人的に碁盤のような道を歩いても単調で楽しくないと思っているので、急に散歩がつまらなく感じられてきた。
 西山くんが、三つ子のガスタンクがあるというので、それだけを心のよりどころにして歩く。
 ガスタンクは丸くてでかいというだけの建造物だが、四角い建物やまっすぐな道路の中にあって、丸いものは目立つし、それがしかもでかいとなれば、町の特異点としては十分である。実際、まっすぐな道を歩いて団地の向こうにガスタンクの頂部が見えてきたときには、ガスタンクなど何度も見たことがあるのに、ちょっとした感動があり、おお、と思わず声が出た。

ひょっこりガスタンク

 なぜ感動したかといえば、団地とガスタンクという、四角いものと丸いもの、日常的なものとどちらかというと非日常的なものが、いっしょに見えたことで、風景に違和感が感じられたからだ。端的に言って妙なのである。ちょっと笑ってしまいそうな感じもある。
 さらに近づいていくと川べりに出て、ガスタンクは新河岸川の対岸に鎮座していることがわかった。
 堤防の向こうに3つ並んだガスタンク。

圧巻

 想像していた通りの意外でもない眺めだったが、それでもほのかな感動があった。あらためてガスタンクをまじまじと見てみると、思った以上にかっこいいのだ。
「前に勤めていた会社の総務の人が高校時代に授業サボって三つ子のガスタンクを見に行った、って話を聞いて馬鹿にしていたんですが、反省します」
 と西山くんが言った。
「今はわかります。授業サボって見にくるべきです」
 そうだな。よく反省したまえ。これはそれだけの価値がある。

「東京大仏より大仏感がありますね」
 と西山くんはヘンなことを言ったが、言わんとすることはわかった。大仏感というのは、つまり異物感というか、唐突感のようなものだろう。あるいは、ぬっとそこにある感。
 私が巨大仏巡りをしたときも、重視したのはその唐突感であり、ぬっとある感であり、周囲とのそぐわなさ、違和感だった。

 私は『晴れた日は巨大仏を見に』という本のなかで、風景の中に唐突に現れる巨大仏に惹かれる理由を考察し、それはつまり、この世があるということの不思議、あるいは、世界が存在していること自体の怖さのようなものが、うっすらとほの見えてくるからではないかと結論づけた。それは巨大仏だけでなく、風車のような巨大な構造物に共通して感じられる不気味さである。
 巨大なものは不気味なのだ。
 3つのガスタンクも、ふつうに見れば朗らかでちょっとユーモラスな風景だけれども、じっと見ているうちに、お前のことなんかまったく知ったことではない、とでもいうような非情さが感じられてこないだろうか。われわれ自身が世界から拒絶されていること、この宇宙にとって私の気持ちなどまったく取るに足らないものであること、巨大仏やガスタンクは、それを突きつけてくる存在のような気がする。

 検索してみると、ガスタンクにもマニアがいて、全国のガスタンクを撮影して回っているようだった。集める対象としてとても共感できるし、いい写真がたくさんあった。そこには巨大なものの不気味さに関する言及はなかったが、特異点になるほど存在感のあるものは、たいていすでにマニアがいて写真を撮り集めているのだった。

 ガスタンクを見送り、われわれはさらに散歩を続けた。
 新河岸川に沿って東へ進むと、少し珍しい感じの橋にたどりついた。2階建てで上が車道、下が歩道になっている。舟渡大橋というらしい。歩道が幅広く、やや持て余したような使われ方をしていた。

2階建ての舟渡大橋

やたら広い歩道層

 この橋は眺めがよかった。
 さまざまな鉄塔が見えたのである。

鉄塔は美しい

 鉄塔!
 これもまたマニア心をくすぐるアイテムだ。
 と他人事のように言ってみたが、正直に言えば私自身かなり惹かれている。鉄塔のよさは、巨大仏や風車やガスタンクと違って、風景の中に唐突にある存在感だけでなく、それらが電線によってどこまでも繫がっているところだ。
 昔『鉄塔 武蔵野線』というジュブナイル小説がファンタジーノベル大賞を受賞したことがあって、あのとき色めきたったマニアは少なくなかった。私もマニアほどではないものの、ああ、やっぱりみんな好きだったんだとひとりでうんうん頷いていたものだ。

 舟渡大橋から見える鉄塔は、とくに北側が充実していた。赤と白の縞模様の鉄塔もあれば、細く背の高いもの、三角形に頭を広げた形のもの、どっしりとした板状のものなど、それぞれの形の意味は知らないけれど、鉄塔が集まって見えると豪勢な感じがする。
 惚れ惚れするので、この散歩でもそのうち鉄塔メインにした回を企画したい。今回は時間もないので見るだけにして、詳しくはその際に語ることにする。

 舟渡大橋を渡り、都営三田線の西台駅方面へ向かった。西台駅に今回最大といってもいい見どころがあるのだ。
 それは団地である。
 団地が線路の上に建っているのだ。私はこれを大山顕さんの「東京団地ミステリー」というWEB記事で知った。
 大山さんの団地好きに対して、私は団地の魅力がよくわからない。わからないどころか画一的な住居が並ぶ構造はむしろ忌避すべきものぐらいに考えている。住むなら個性的な間取りの家に住みたいと思うタイプなのだ。

 一方で、線路の上に建つ団地と聞くと、住みたいかどうかは別として見てみたい。しかもそれが何棟もあるというのだから面白そうである。
 たどりついてもすぐには全体像がわからなかった。最初に見えたのは線路の上に建つ団地とスロープだ。建物3階分ぐらいの高さまで上がる道が線路脇にあって、そのむこうに電車が見えていた。


よく見ると下に電車が

 この団地は東京都交通局志村寮というらしい。
 団地そのものは5階建てだが、その下に長い脚がついているので8階建てぐらいの高さになっている。この2列の長い脚のおかげで、全体がやや動物ぽいというか、『スター・ウォーズ』のAT-ATスノーウォーカーのような雰囲気になっている。そしてその脚の間に線路が走っていた。

長い脚が生えた団地

ちょうど電車分の厚み

 線路の上に住むのは、電車マニアにとったらうれしいことなのだろうか。よくわからないが、真下に電車があるなら、家の中から特別なパイプとかを通って、シューッと誰よりも早く乗車したいものだ。

 この時点ですでに面白い絵なのだが、スロープを上がると、幾本もの線路上を渡る橋があり、そこからこの「世界」の全貌を見るとさらに圧巻だった。
 広大な車両基地とその北側に線路上にそびえるAT-ATスノーウォーカー団地が3棟、南側には線路上に蓋をするように人工の地盤が造られ、その上にさらに巨大な団地が4棟重たそうに建っている。こっちは都営西台アパートというらしい。
 よく線路を押しつぶさないでこんなデカいものが建っているな、というのが第一印象だった。めっちゃ重そう。

車両基地の上に重そうな団地

団地の下からはみ出す車両基地

 一般に車両基地というだけで見ごたえがあるのに、それに団地が載っているのだから、興味がそそられないわけがない。とにかく厚みのある巨大な建物が、地下に虚ろな空間(車両基地)を抱えながらそこにあった。
 団地の建っている平面はつまり車両基地の屋上と言えるわけだが、そこには駐車場あり公園ありで、樹も生えているなど、ふつうの街角になっていた。まるでこっちが本来の地面で車両基地は地下にあるとでもいうように。

こう見えて屋根の上

 西台駅方面へ下るスロープからは、この巨大団地の下の車両基地を覗くことができた。この車両基地にはいったい何本の線路があるんだろう。20本以上はあると思う。

柱の強度は十分なのか心配になる

 上があまりに重そうなので、その下に空洞があるのがいかにも不安な印象を与える。支える重量に比べて柱が細すぎるように感じる。いったい何本の柱でこれだけの重量を支えているのか知らないが、コンクリートの偉大さがわかるというものだ。

 ふと、長崎の軍艦島を思い出した。
 住民の方々には申し訳ないのだが、まるで廃墟になる寸前のように思えたのだ。巨大な文明の行きついた先、高度経済成長の残滓という印象。
 廃墟にはあんぐりと空いた黒い闇がつきもので、ここはまさに土台があんぐり空いているから軍艦島を連想したのかもしれない。住んでいる人、ほんとすみません。

 思えば団地というものに私はうっすらと拒否感がある。思春期を大阪の千里ニュータウンで過ごし、団地とマンションに囲まれて育ったせいかもしれない。私が住んでいたのはマンションだったが、5階建て以下はエレベーターがついていない団地を見て、あれには絶対住みたくないと思っていた。それにどの部屋も同じ間取りというのも嫌だった。マンションも似たようなものだが、胸の中に戸建て幻想があったのかもしれない。

 なので昨今、団地が好きという若い人が増えているのを知って、彼らの気持ちが理解できないでいる。家賃の安さが魅力というならわかるが、そうではなく、彼らは団地そのものに惹かれているようなのだ。
 これはわずかな好みの差のようでいて、実は大きな違いのような気がする。深層心理からして違っているのではないだろうか。
 お金がないから安い団地に住むというのではなく、団地にこそ住みたい、団地こそ至高という意識の底には、いったい何があるのだろうか。

車両基地の上とは思えない都営西台アパート

 この連載《センス・オブ・ワンダー》は、私自身の趣味嗜好だけで散歩するのではなく、自分以外の人が散歩しながらつい鑑賞してしまうものを、先入観にとらわれずに鑑賞してみるのも大きな目的のひとつだが、暗渠や大仏やガスタンクや鉄塔といった自分の琴線にも触れるもののなかで、団地という自分にとっての異物を見てみると、そのことで逆に自分の《センス・オブ・ワンダー》の輪郭が浮彫りになってくる気がする。
 対象物の選択から、なんとなくその人の過去の経験や人となりが類推できそうな気がしてくるのだ。
 一方で、大山顕さんが言っていたように、何を対象に選ぶかにたいした理由はなく、なりゆきや人真似に過ぎないという考察もあるから、ややこしい。
 おそらくそれは白黒決着がつくような問題ではなく、グラデーションがあるのだろう。私には、何かが鑑賞の対象として選ばれたとき、それには何らかの魅力があったからだと考えて、その対象の持つ魅力素とでもいうべきものを抽出してみたい衝動がある。仮に共感できなかったとしても、理解したい。
 なので今回の散歩では最終的に、団地の魅力素は何なのかという謎が私の中に残った。歩いているうちに、いつか解明できればと思う。

 われわれは、西台駅を後にして、さらに東へ進み、ストリートビューで目をつけてあった児童公園を見に行った。
 公園にはヘビの巨大な遊具がのたくっていて、実物を見てみたかったからだ。

ヘビは二匹が向かい合っていた

 ヘビは途中ぐるっと円を描いて伸びていて、子ども時代の自分だったらこの上を地面に落ちないように端から端まで歩けるか挑戦するだろうと思った。ただ跨るだけの公園遊具よりずっと面白い。
 そして最後は、西山くんが事前にリサーチして見つけたおだんごを食べに行ったのだが、すでにおだんごは売り切れており、かわりにずんだ餅を食べたのだった。
 途中、歩道橋が改装工事で積み木みたいに囲われているのも見た。これはこれで深掘りしたい面白い風景のような気がしたが、今日はもうだいぶ歩いたので、写真だけ撮って撤収した。

補強工事中の歩道橋

 

今回さんぽした場所

 

この連載は月2回の更新です。
次回は2023年1月15日(日)に掲載予定です。