sense of wander 宮田珠己

2023.1.16

11大鳥居から平和島(1)

●交通公園と富士塚は似ている

 4回目の散歩に向け、西山くんと集合したのは京浜急行の大鳥居駅である。
 羽田空港へ向かう京急空港線の途中駅だが、地元民でない私にとって、京急空港線というのは、ごくたまに羽田に向かう際に利用するだけの馴染みの薄い路線ながら、駅名が妙にそそられて気になっていた路線でもある。
 とくに気になる駅名が大鳥居と天空橋だ。大鳥居というからには、尋常でなくデカい鳥居があるのだろうか。天空橋はなんともロマンチックな名前の橋だ。空へと翔け上がるようなかっこいい橋なのだろうか。
 ま、実際のところは、名前がかっこいいだけで普通の橋なんじゃないかと思うけれども、何か羽田空港とからめたユニークな橋だったりするのかもしれないという一縷の望みも捨てていない。

 これまで歩いてきた町はたいてい高低差に恵まれ、道が迷路状だったり、いい感じの坂や階段があったりした。しかし、今回歩くゾーンはほぼぺったんこだ。ところによっては埋立地だったりするんじゃないかと思われる。なので、高低差の恩恵は受けられない。
 そのかわり、海が見えるのは大きなポイントである。
 海が見えれば、散歩はその時点でもう楽しいことが約束されたようなものではないか。
 そんなわけで西山くんと大鳥居から海を目指して歩きはじめた。まずは南下して多摩川へ向かう。すると歩き出してすぐ、交通公園に出くわした。

交通公園

 交通公園は、車道を模した公園で、二車線の道路に横断歩道や信号機、道路標識、踏切などが配置され、子どもが自転車で走ることで交通ルールをうっすら学ぶことができる仕組みだ。うちの近所にもあり、珍しいものでもないが、なんとなく出会うとうれしい存在だ。
 なぜうれしいかというと、空想を育んでくれる公園だからだ。交差点も踏切も全部偽物であり、その偽物をまるで本物のように交通ルールを守って走ることで、今この空間が、どこか架空の都市に思えてくる。そうでなくても子どもは、遊具を家に見立てたり、石ころを肉に見立てたり、なんでも空想して遊ぶものだ。
 なので私も昔交通公園が大好きだった。小学校のときは、少し離れた町にある交通公園まで、わざわざみんなで遠征したほどだ。
 きっとみんなもそうだろうと思ったら、西山くんは初めて見たという。

「え、交通公園知らないの?」
「知りませんでした」
 ええっ! そんな日本人がいるのか。
「見たことありません」
 信じられない。
「近所にはなくても、少し遠くに行けばあったでしょ」
「小学生の頃は、校区外なんてほぼ行きませんでした。隣町の公園なんて行ったら、その町の小学生が金属バット持って集まってきますから。よその校区は行ったらやばいです」
 北斗の拳か!
「ちなみに地元どこ?」
「奈良です」
 奈良県おそるべし。

 西山くんは後にスマホで検索し、全国の交通公園分布図を探し出して、私に見せてくれた。
 それを見るとたしかに奈良県に交通公園はひとつもないようだった。そうなのか。交通公園なんて全国どこにでもあるものだと思っていた。しかし実際は首都圏や京阪神、東海のほか山陽道沿いに集中してあるばかりで、まったくない空白地帯も結構あるのだった。
 となるとこれを読んでいる人のなかにも交通公園を見たことがない人がいるかもしれない。そこはぜひ検索してほしいが、衛星画像で見れば、あたかもそこにミニチュアの町が潜んでいるかのような公園が見られると思う。

 それは上から見ると自動車教習所によく似ている。
 自動車教習所の迷路っぷりも個人的に好きなので、交通公園は私の琴線に触れまくるスポットなのであった。
 今回出くわした荻中公園は、そんな魅惑の交通公園のなかでも、とりわけいい感じであった。うちの近所の交通公園だと、縦横の道路以外はS字クランクっぽい短い道路が1、2か所あるだけだが、ここにはまるで山か草原の中を走るような曲がりくねった道路があって、都市だけでなく田舎の道路も妄想できるようになっている。こんな交通公園は初めて見た。

まるでドライブウェイのような道

 おかげで公園全体のリアリティが増し、ここで遊ぶ子どもは一層この架空の世界に没入しやすくなることだろう。
 交通公園は、今でいうメタバースなのである。

 隣接するガラクタ広場には、蒸気機関車や路面電車などの乗り物のスクラップが置かれていて、子どもたちが中に入って遊ぶことができるようになっていた。電車の車両が置かれた公園は珍しくないが、ここがすごいのは、消防車やトラック、さらにはモーターボートまで置いてあることである。消防車までは見たことがあるが、トラックは初めて見たし、モーターボートにいたっては公園に置かれている姿を想像したことすらなかった。
 トラックは階段がついて荷台に乗れるようになっていて、子どもが乗って遊んでいた。子どもというのは一度はトラックの荷台に乗ってみたいと思っている生き物だから、絶対うれしいはずだ。

荷台で遊べるトラック

 モーターボートは半分土に埋もれた形で、高さがないから、プールサイドのジャグジーみたいになっていた。希少なわりに、こっちは使いでがなく、子どもウケはあまりよくなさそうである。モーターボートじゃなくて漁船とかプレジャーボートだったらよかった。

地面にボートがある奇妙な光景

 そのほかスペースシャトルみたいなものもあり、この公園だけで陸海空を制覇しようという意気込みが感じられたが、スペースシャトルは本物ではなく、コンクリートで作った遊具なので、そこだけチャチで、とってつけた感は拭えなかった。

スペースシャトル

「子どもの頃にあったらハマりそうです」
 初めて交通公園を見る西山くんも、この充実ぶりには納得がいったようだ。
 
 交通公園を出てさらに南下。
 少し歩いたところで羽田神社に立ち寄ると、境内の奥、本堂の脇に羽田富士塚があったので、見に行ってみる。
 富士塚というのは、富士講の巡礼者たちが富士登山の記念、もしくは、富士へお参りしたくてもできない人の礼拝用に、溶岩を積み上げて作ったミニチュアの富士山で、途中途中に石碑だの祠だのを建てて、立体曼荼羅のようになっている。高さは4メートルぐらいだろうか。

羽田富士塚

 多くは江戸時代につくられ、関東各地で見られるが、この羽田富士は、明治初年に築造されたものだそうだ。
 信仰の対象であり、大田区の文化財にもなっているので、こんなふうに言うのもなんだが、私には登って遊ぶ公園遊具の一種に見えなくもない。
 これに登ることで富士山を登った気持ちになるのは、富士塚がヴァーチャルな体験をさせるための存在だからである。人はこれに登って富士山を頭に思い描く。つまり子どもが公園の遊具を家に見立てて、ここが玄関で、ここがお風呂ね、なんて言ってるのと同じことが、富士塚でも行なわれるわけである。

『ご近所富士山の謎』(有坂蓉子)は、関東地方に散在する富士塚を見て歩いた本だ。この本によれば、富士塚はただ溶岩を山のように積んで山にするだけでなく、てっぺんに奥宮である浅間神社を祀り、中腹にぐるっと回るお中道を設け、正面右側に小御嶽神社の碑、できればここに天狗の石像と、七合五勺の左側には烏帽子岩を置き、さらに山麓右側に洞窟を作るのが正式なのだそうである。
 それだけではない。ものによっては砂走りや宝永山、大澤くずれ、金明水、役行者像など、さまざまなアイテムを組み合わせるらしく、結果として、相当込み入ったミニチュアができあがるのだった。
 ゴチャゴチャとデコレーションすればするほどそれはリアリティを増し、幻想の密度が濃くなっていく。
 公園遊具でいえば、ここが自分の部屋で、ここがトイレで、と決めごとを細かくしていくほど気分が盛り上がっていくのと同じで、要素が増えれば増えるほど富士塚も登って楽しいものになっていく。

頂上に浅間神社

 羽田神社の富士塚も、てっぺんに浅間神社の祠があり、途中ぐるりとお中道も作られていて、本格的である。どれも溶岩やコンクリートでできているため、色見は地味で、遊具感も薄いが、よくよく本質を見極めてみれば、公園遊具と同じ原理で利用すべきものであるのは明らかだ。違いがあるとすれば、公園遊具はそれを何と仮定しようが自由なのに対し、この山は富士山でなければならない点だけである。
 登ってみれば、途中五合目などの表記があって面白い。五合目から頂上までほんの数歩で登れた。

あっという間に五合目

 石碑のひとつに先達の名が刻まれ、そこには登山五十回、雪中登山十回、中道八回とあったから、その人はそれだけ登ってきたのだろう。さらっと書いてあるが、大変だったと思う。それを富士塚に登ればさくっと追体験できたことになるのだから、便利な仕組みである。
 西山くんもなんとなく登って、とくに感想もないまま、またなんとなく下りてきた。
 妄想を楽しんだかどうかは聞かなかった。

 

この連載は月2回の更新です。
次回は2023年1月31日(火)に掲載予定です。