sense of wander 宮田珠己

2023.1.31

12大鳥居から平和島(2)

●鉄塔と大鳥居

 富士塚のあった羽田神社を出て、さらに南の多摩川へ向かう。
 まだ1キロも歩いていない。おまけに海を見ながら歩くと言いつつ、海にも到達していない。まだまだ先は長い。
 少し進んでようやく多摩川の畔に出たところに、高い鉄塔が立っていた。
 赤と白に塗り分けられた鉄塔は、きっぱりとした青空に映えていた。見上げるだけで気持ちがいい。せいせいするような鉄塔だ。

鉄塔はいつも青空に映える

 とくに赤と白に塗られているのが美しい。
 色がついているのは、高さが60メートル以上ある場合はそうしなければならない決まりだからだ。つまりこの鉄塔は、とりわけ背の高いタイプだということである。

 鉄塔にはいろいろなタイプがあり、赤白以外にも、変わった形のものが立っていると、気になって見てしまう。一番多く見られるのは四角鉄塔と呼ばれるタイプで、そのほかに矩形鉄塔、門型鉄塔、烏帽子型鉄塔、ドナウ型鉄塔などの種類があるらしい。ファンの間ではさらに細かく分けて愛称などもつけられているようだから、いずれそのへんも研究する必要があるだろう。

 そういえば、さきほどの羽田神社の横にも鉄塔があった。

送電線の終点

 低い門型の鉄塔で、そこを最後に送電線は終わっていた。そこまで盛大に空を渡ってきた送電線が、いきなり終了。なかなかレアなものを見たような気がしたが、いつも気にしていないだけで、案外あちこちにあるのかもしれない。近所の住宅などへ電気が散っていく変電所なのだろう。

 赤白の鉄塔は、その終点の門型鉄塔から繫がっており、赤白の先は多摩川を渡って南の方へ送電線が続いていた。目でたどると、その先5つ6つの鉄塔が立っているのが見える。その先のどこかに発電所があるわけである。

鉄塔萩中線

 眺めていると、それぞれが何か考えているように思えてきた。鉄塔には何か人間らしいところがある。すっくと独り立ちしている姿は、二足歩行の人間と似ているし、常に隣の鉄塔と繫がらずにはおれないところも人間のようだ。

 聞くところによれば、北欧には人間や鹿の形をした鉄塔があるらしい。面白い試みとして評価されているそうだが、もともと鉄塔には生命が内包されていて、それに形が与えられただけなのではないかという気さえしてくる。鉄塔は生きている、とは言わないまでも、鉄塔は思索している。

 私はときどき夢想する。
 鉄塔が送電線を介して互いに声をかけあっているところを。

 話題は、きっと、同じ場所にじっとしていることの退屈さについてだ。「どうだ、全員で一斉に動かないか。みんなが同じ方向に動けばいけるんじゃないか」とかなんとか。本当は自由に歩き回ってみたいのだが、そんなことをしたら送電線が切れてしまうから、ストレスが溜まっているはず。

 考えれば考えるほど鉄塔に惹かれる。鉄塔にファンが多いのがよくわかる。
 今回はここまでにしておくけれども、鉄塔については今後も研究を続けていく必要がある。

 つい、鉄塔に気を取られてしまった。
 われわれは早く海へ向けて進まなければならない。まだやっと多摩川に到達したところである。ここからは海の方向すなわち羽田空港方面に向かって川を下っていくことにする。

 私は今も多摩川のずっと上流のほうに住んでいて、多摩川には十分に親しんでいるつもりだった。だが、それは思い違いだったかもしれない。考えてみたら、多摩川の河口を見たことがなく、いまだ多摩川がどんなふうに終わるか知らないのである。それなのに多摩川のことならよく知っていると思っていたのは、自惚れもいいところだ。

 では、いったい多摩川の河口はどんな場所だろうか。
 一般に、それなりに大きな川の河口付近というのは、どんな川でもちょっと寂しい感じになっているもので、都市部を流れてきた川ならなおさらそうである。少し上流までは川辺に人の姿も多く、人と川の間には親密な関係(川べりを散歩して休日を過ごすとか、子どもを遊ばせるなど)があったのに、河口に来ると、建物も減って人の姿がまばらになり、めっきり場末感が漂いはじめるのだ。

 多摩川の河口もまさにそうであった。
 人の気配が少ない。
 東京と神奈川の間を流れる天下の多摩川の終わりがこれ? というような打ち捨てられた感。あんなに大人気だったのに今ではすっかり落ちぶれてしまったロック歌手のような雰囲気。下流左手に羽田空港の建物が見える以外は、三途の川のようだった。

砂浜があるとなお寂しい

 西山くんは、川に沿ってれんがの壁が続いていることに興味津々のようすだったが、私は川の寂しさに気を取られ、それどころではなかった。
 たしかにそこにはれんがの堤防が続いていて、由緒のある歴史的建造物のようだ。西山くんは、後日以下のようなメールを送ってきた。

《背丈が随分と低く可愛い感じですが、こんな高さでも役に立つんだなあと意外に思ったり、今は堤防の内側にあり、特に役に立っていなそうですが、ちょっと丸みを帯びつつ、地元の人に愛されて残されているのかなと思いました。空襲の際は防火壁になったとのことで実は有能すぎる堤のようです。》

 さすが編集者である。なにごともよく観察している。一方、私はといえば、写真も撮り忘れたほどである。
 川べりに玉川弁財天の小さなお堂があったので覗いてみた。いい感じの龍の彫り物があって、しばし見とれる。

玉川弁財天のお堂の龍と蛍光灯

人間くさい龍がいた

 さらに境内の隅にあったお地蔵さんを見ると、布団を被っていた。一見ふざけてるみたいで面白いが、見た目に反して不安な気持ちをかきたてられた。このお地蔵さんは、なぜ布団を被っているのか。地震に備えているからではないのか。あるいは空襲に。そんな思いが胸をよぎる。

布団を被ったお地蔵さん

 そしてそれが当ったのか関係ないのかわからないけれども、この周辺には関東大震災や第二次世界大戦で多くの遺体が流れ着いていたことをこの直後に知った。

 北から小さな川が流れ込む突端部分に、水中につきだしたお堂があり、五十間鼻無縁仏堂とあったのである。この突端は五十間鼻と呼ばれているらしい。そこに震災や戦争時、多くの水難者が流れ着いたため、無縁仏堂を建てたと説明書きにあった。
 ここは悲劇のスポットなのだ。

五十間鼻無縁仏堂

 そんな過去を知らずとも、この地に三途の川っぽさを感じずにはいられないのは、河口というのものが本来そんなふうに遺体が流れ着きやすいトポスだからだと思う。
 川幅が広がり、砂洲や砂浜ができると、そこに川から流れてきたものが堆積する。今のような文明が発達する前には、きっと動物や人の死骸が溜まる場所だったのではないか。震災や戦争があると、それがはっきり目に見えるようになるということも、ありそうな気がする。

 この五十間鼻に流れ込んでいる川は海老取川というらしい。これは羽田空港と本土を隔てる、川というより細い海だった。その細い海を渡った対岸に鳥居が見えている。

 鳥居は、戦後進駐軍に接収されるまで羽田空港内にあった穴守稲荷の鳥居が移設されたものらしい。撤去しようとすると、怪我人が出たり、関係者に病人が出るなどして、長い間撤去できなかったという都市伝説がある。それが平成の時代になってこの地に移されたわけだが、なぜ穴守稲荷とは別のこの場所に移されたのだろうか。そもそも動かそうとしたらヤバいことが起こると言いながら、あっさり動かして大丈夫だったのか。いろいろとわからないことだらけだ。

 そして何より一番わからないのは、大鳥居駅の駅名の由来になった大鳥居はこれではないという事実である。実際、大鳥居というほど大きくもない。私はてっきりこれが大鳥居なのかと思っていた。道理で大鳥居駅からずいぶん遠いと思ったのである。むしろ駅でいえば天空橋がすぐそばだ。

 では大鳥居駅の由来になった大鳥居はどこにあるのか。というと、そっちは今はもうないとのことである。ややこしい。
 今回は巨大な鳥居が見られるかと期待していたが、あてが外れたのである。

 対岸の鳥居のそばまで見に行ってみると、動かすと祟りがあるとまで言われた鳥居にしては、ごくありふれた感じで、拍子抜けしたのである。

動かせなかったけど動かした鳥居

 由来を書いたパネルがあり、それによれば、羽田空港ができる前は、このあたりは穴守稲荷あり、鉱泉あり、海水浴場ありの一大レジャーランドだったらしい。まるで想像ができない。とくに海水浴場だったというところ。今はとても泳ぐ気がしない。

 そういえば先に見た砂浜の砂がずいぶん白くてきれいだった。今はほとんどコンクリートの護岸に覆われてしまったが、往時はなかなか素敵な海だったのかもしれない。

 そんなわけでずっとその名前にそそられていた大鳥居駅への期待は裏切られた。どこかに大鳥居が存在していてほしかったのである。空港線の駅でもうひとつ期待していた天空橋はどうだろう。
 こっちは実在した。

天空橋

 行ってみると、鉄錆色の武骨な歩道橋で、空へ翔け上がるようなロマンチックな橋どころか、地に足の着いた堅実な橋であった。これに天空橋という名前をつけた人の感性を疑う。
 それよりも隣の穴守橋に飛行機のオブジェがあって、そっちのほうが天空橋の名にふさわしい気がした。

 

この連載は月2回の更新です。
次回は2023年2月15日(水)に掲載予定です。