●電線動脈瘤
山谷堀公園で驚いたのは、堀の幅が思った以上に狭かったことだ。助走すれば棹をさして跳び越えられそうな幅だ。たった今、江戸は思いの外デカかったんじゃないかと想像した途端に狭いクリーク。江戸のサイズ感が混乱する。
その狭さからますます「カリブの海賊」を連想した。
川の両側は今はビルが建ち並んでいるが、当時は何もなかったはず。そうだとすると、まさにここを曲がった瞬間に、吉原の遊郭がそびえているのが遠望できたかもしれない。
その光景を空想しようとするが、現代を歩く私は、空想が目の前の風景に飲み込まれてしまいがちで、当時の光景などさっぱり浮かんでこない。
歴史散歩はやはり私には無理なのかと思いつつ、有名な見返り柳のところにやってきた。
「見返り柳ってあれかな?」
最初はどこにも見当たらず、地図でたしかにこの場所と確認して、よくよく探すと、ひょろい柳が一本、道路の歩道に立っていた。
そのぐらい見返り柳の存在感は薄かった。幹も細く、となりの電柱のほうが高いし、歴史を背負うオーラの欠片もない。
看板を読むと、もともとの場所からこの地に植え替えられ、木も当時のものではなく、何代目かであるらしかった。もはやそれは見返り柳ではないのではないか。
見返り柳
何を思ってこれを眺めればいいかもわからないので、とにかくそこで道を折れ、少し曲がった道を歩いて、かつて遊郭があったゾーンに突入する。
モノの本によれば、山谷堀の堤から少し高くなっていたそうなのだが、そんな高低差は感じられなかった。
さらに残念なのは吉原跡地の道路がまっすぐだったことで、この一帯は碁盤の目状になっていて、迷路的面白みの欠片もないのだった。異界なら迷路的であってほしかった。
といっても、もともと江戸時代からこうだったらしい。吉原は直角な路地で構成され、地図的には何の面白味もない街だったようだ。河鍋暁斎の描いた吉原は、まるでそこに迷宮があるかのようなカフカの「城」を思わせなくもない姿だったが、あの絵は盛られていたのだろうか。河鍋暁斎ならありそうなことというか、たぶん盛ったのだろう。
現代の吉原は、歓楽街の要素は残っているものの、「カリブの海賊」っぽさはとくになく、そんなものがあるはずがないとわかっていつつも
多少異界への通路を期待していた私は拍子抜けした。
まあ、こんなもんか。とあきらめかけたそのとき、まったく想定外の異形のものを発見した。
それはわれわれの頭上にわだかまっていた。
電線である。
電線が電柱の上のほうで、情念の塊のようになっている。
吉原の電線
電線がこんがらがってこんがらがって卵塊のようになり、そこから何か生まれそうですらあった。香港の九龍城やインドの路地裏を思い出す。
ここまで異形に育った電線を見るのは久しぶりであった。
ちょうど石山蓮華さんの『電線の恋人』という本を読んだばかりで、タイムリーな発見である。読んだばかりだったから、すぐに目についたのかもしれない。
石山さんは電線愛好家を名乗り、本のなかでも過剰な電線愛を吐露している。
電線の魅力はわからないでもない。先だっても高圧電線の鉄塔に惹かれたばかりだ。何であれ線的なものには魅力があって、電線も、線路も、線であれば、目でたどっていきたい欲求にかられる。
石山さんも本のなかで、「道を歩いているとき、巨大な指でつーっつと電線を撫でていったら楽しいだろうと想像する」と書いていて、線を追うことは、人間の本能に近いのではないかと思われる。
でも今回見つけた塊は、とても線を追える状態ではないのでは? という声が聞こえてきそうだ。
たしかにもうごちゃごちゃだから実際には追いきれない。でもそれでいいのだ。その追えない線を追いたいのだ。どこがどう繫がってあんな形になっているのか、解きほぐしたい。このまま迷路としても楽しめそうに思える。実際この原稿を書きながらも、写真を見ながら線を目でなぞっている自分がいたぐらいだ。
それに対し、むしろ簡単になぞることのできる電柱と電柱の間は、私には退屈だ。そしてそのことが、私が電柱にどっぷりハマらない原因な気がする。
私は個人的に、線的なものが好きだが、線ならなんでもいいわけではなくて、電線はやや微妙だ。そこらじゅうにあるせいか、やや散漫で間延びしている気がする。もっとこんがらがって密集してほしい。
石山さんは、電線は街の血管と表現していて、それにならうなら、今回見つけたこれは動脈瘤だ。電柱に動脈瘤ができている。動脈瘤が好きだ。
電線動脈瘤
私に言わせれば、電線はカオスの象徴である。地中に埋めたほうがいいという人も多いが、そういう人は整然とした街が好きなのだろう。私はむしろ整然としていないほうが好きだから、何度も言うが、電線動脈瘤が好きだ。
石山さんの電柱愛も同じだろうかと思いながら本を読み進めると、石山さんの場合は、盲目といってぐらい電柱ならなんでもいい感じであった。
私のこの連載のように、無責任にああだこうだ好きなことを書いているのと違い、一時話題になった無電柱化推進キャンペーンや、原発事故のことにまで幅広く触れ、電線の製作工程まで詳細に書き込まれた沼りっぷりには、もはや好きすぎて本人もどこまでいっていいかわからなくなってる印象すらある。
「自分は電線のどんなところが特に好きなのか、よりはっきりさせる」ために、ピンときた「いい電線」を載せているというインスタグラムを見ると、電線に鳥がとまっているだけの写真や、ツタがからまっている写真、なかには電線の断面写真まで載っていてのけぞったが、それでも大半は電線がごちゃごちゃにからまったカオスな写真で、やはり石山さんも電線愛の核の部分は、電線の持つカオスにあるのではないかと勝手に想像した。
『電線の恋人』内の対談で、「電線絵画展」を企画した練馬区立美術館の加藤学芸員が、ふと漏らした言葉が心に残る。
「電柱や電線のない道って、なんとなく不安になりませんか」
わかる気がする。
電線はカオス
吉原で「カリブの海賊」的異界は見られなかったが、いいものを見た。
さて、吉原を目指してやってきた今回の散歩だが、この先もいろいろと見たい場所がある。最終的には北千住まで歩く予定だ。
吉原のすぐそばに奥州街道の旅人の安全を祈念して建てられた地蔵がある。東京六地蔵のひとつで、六つの地蔵それぞれが東海道や中山道など六つの街道の安全を担当していたそうである。
その地蔵がある東禅寺に立ち寄り、手を合わせた。
東禅寺の江戸六地蔵
今では街道からは埋もれた場所になってしまい、立ち寄る人もいなかったものの、このお地蔵さんは姿がよかった。
どんどん進む。
次に見たいのは、交通公園である。
前回、大田区で3つもの交通公園を訪ねたが、隅田川の対面にダイナミックな交通公園があるのを地図で発見し、これはぜひ見に行こうと思ったのだった。
その名は堤通公園内交通公園。
吉原や東禅寺のある台東区から、少し北上して白髭橋を渡り、墨田区に入って南へやや戻ったところにある。
私は先日、大田区の交通公園を見るまで、交通公園というものは四角い敷地に模擬道路を詰め込んだコンパクトな自動車教習所のようになっているものだと思っていた。しかし、大田区では長いサイクリングロードっぽい部分があったりして、バリエーションが豊富であると知った。
堤通公園内交通公園が気になったのも、やたら長い周回道があったからだ。
長いコースがたくさんある
行ってみると、高速道路の高架下というのもいいロケーションで、たまたま高速道路が補修工事でラッピングされていたため、風景として迫力が増していた。
ラッピング高速道路の下で
交通公園を追いかけているマニアがいるかどうか知らないが、十分、沼になる可能性を秘めた物件だと感じた。
そこからふたたび白髭橋を渡って台東区に戻る。
当初はこの先さらに西進して墨田区の奥深くへ侵入し、向島あたりの迷路っぽい街並みで迷子になる案もあったのだが、北千住にも惹かれるものがあり、最終的に北千住に決めた。
白髭橋に戻りながら、今からでも変更可能だという思いが胸をよぎったものの、川岸から台東区を眺めて、予定通りで行くべしとあらためて確認した。
というのも、白髭橋のむこうにガスタンクが見えて面白かったからである。
ガスタンクを発見するととりあえず面白い
そのガスタンクを目指して歩く。
どこであれ、ガスタンクがあって面白くならない景色はない。あんなにデカくてまん丸で飾り気のないものが、どーんと風景の中にあるのだ。見慣れてしまうと、その変さを忘れてしまうが、十分異常である。
今回は、石浜神社の境内から見物することにした。
ガスタンクという現代的な異形の風景と、神社という古式ゆかしい風景をミックスすることで、あらためてガスタンクの可笑しみを味わおうと考えたのである。
石浜神社は、聖武天皇の神亀元年に創建された古刹で、それだけ歴史ある神社の横にガスタンク。
その場にそぐわないものを敢えてそこに置くことでその違和感をもって見る者に衝撃を与えるデペイズマンの原理である。
この落差、違和感を楽しまないのはもったいない。
写真16:鳥居とガスタンク
ちょうど西を向いた鳥居があり、ガスタンクと重ねて写真を撮ると、とても映えた。すでにその前の茶屋の屋根越しに見えたときから映えており、そもそも白髭橋越しに見たときだって映えていたから、どうやっても映えるのがガスタンクなのだった。
茶店とガスタンク
その後狛犬と並べて撮っても映えた。何といっしょに撮ろうが映えるガスタンク。
そうやってガスタンクに気を取られていたら、背後にもちょっと面白いものがあった。溶岩の上に石が祀られ、イカのようになっている。溶岩は富士山信仰の証であり、なぜ富士山にイカが? と私の中で謎を呼んだが、近寄ってみるとイカではなく、石碑であった。
イカのような溶岩と石碑
この連載は月2回の更新です。
次回は2023年3月15日(水)に掲載予定です。