●無人の住宅街と、東京タワーのかっこいい根元
さて次はどこへ行こうかと考えていると、西山くんから麻布十番に行きませんかという誘いがあった。
なんでも麻布十番は再開発で古い住宅地が失われつつあるらしく、見ておくなら今しかないという。私はべつに古き良き日本とか、昭和の遺産とか、街の歴史に興味があるわけではなく、ただただ奇妙な風物や、違和感のある風景、異次元に通じているかのような場所が好きなだけなので、とくに見ておかなくてもいいと思ったが、調べてみると東京タワーも近いし、浜松町まで歩けば、一度行ってみたいと思っていた浜離宮恩賜庭園や、さらに足を延ばせばこれまた是非行ってみたいと思っていた築地本願寺もある。そんなに行ってみたいならさっさと行けばよかったのに、東京在住30年以上にもなってまだ行ってないのだ。
そこでこの機会に全部まとめて行ってみようと、西山くんの提案を受けることにした。
麻布十番から築地本願寺まで歩こうと思う。
ところで麻布十番とは、なぜ十番なのか。周囲に麻布八番とか麻布九番もあるのかと思ったら、地図を見てもそんな地名はないのである。西麻布や東麻布、麻布台など、麻布のつく地名はたくさんあるものの番号はついてない。
港区のホームページによると、江戸時代に古川の改修工事のため「第十番目の工夫を出した地域」とか、「十番目の土置き場だったから」、「十番目の工区だったから」などの説が有力と書いてあった。つまり何かが十番目だったということだ。ならば八番や九番もあってよさそうだが、何であれ「番」という字が野暮ったくてとてもよい気がしてきた。都心にあるにもかかわらず、あまりに野暮った過ぎるため、一周まわってかえって斬新に感じられる。もしこれが八王子あたりにあると、一周回らなくてそのまま野暮ったかっただろう。
麻布十番の駅前(というか地下鉄だから駅上)は大都会だった。
上空に高速道路が覆いかぶさって、ここが六本木や三軒茶屋の仲間であることがわかる。とても「番」がついているとは思えない光景だ。
麻布十番の駅上
そこから西山くんに導かれるまま、再開発されるゾーンへ向かった。といっても一筋入ればもうそこにこじんまりした住宅街があり、そこが見ておいた方がいい区域なのだった。
手前に臭い川が流れていて閉口する。川の上に高速道路が走っており、それが補修工事でラッピングされている光景は、少しばかり豪勢な眺めではあったが、臭いのでじっくり眺める気になれない。
臭かった川
私の見立てでは、都会は40%ぐらいの確率で臭い。残りの50%は無臭で、いい匂いのする都会は10%あるかどうかだ。それもほとんど食べ物の匂いだから、いい匂いに感じるのは空腹時だけで、食べ物の匂いもいろいろ混じると結局臭い。
そんなことを考えて街の匂いの地図というものを思いついた。これはきっと役に立つ。
私の家の近所に車で通りがかるとおなら臭い交差点があるのである。周囲にはとくにおなら的匂いの元となりそうな温泉とか、公衆トイレとか、ぼっとん便所のありそうな民家などは何もなく、むしろ広い道路の周囲に公園の駐車場と新興住宅が建ち並んでいるだけなのだが、なぜかそこを通りがかると二度に一度は必ず臭い。そしてそこを通るたびに、妻に「おならした?」と聞かれるのがストレスなのだった。私は無実なのである。こういう冤罪が起こりえるから、公正を期すため、車のナビゲーションマップなどで、この一帯にグレーのモヤモヤを表示するなどして、注意喚起を促してほしいと思うのである。
臭い川を越え、問題の住宅街に入る。
住宅街は、こんな都心にあるとは思えない狭い路地で構成され、地価を知らなければ、実に地味で庶民的な風景に見えた。すでにほとんどの家が空き家になっており、なかにはまだまだ新しくてもったいないような建物もある。
再開発間近の三田一丁目
家と家の隙間からは高層ビルが見え隠れし、そのせいで日当たりや電波障害などもろもろ問題があったのではないかと想像するが、住んでいた人たちは、加速度的に変化していく環境をどう感じていたのだろうか。
ここでこの一帯の歴史を紐解きつつ、古き良き東京のありし日の姿をしのんでみよう、なんて私が考えると思ったら大間違いで、そんなことをすれば行数が稼げて、もっともらしい感じのエッセイに仕上がるので読者を欺くのに効果的であるが、私は街の歴史にほとんど興味がない。それより街が打ち捨てられたことによって図らずも変な光景が出来上がっていないか、そっちのほうが気になった。
なので己の好奇心のおもむくまま、歩き回って調査した。
上層部がつる植物に覆われた家や、途中でちぎれた電気メーターの配線、家の壁を横に這う配管類、電線動脈瘤、家と家の隙間に挟まれた超狭い階段など、心くすぐる物件が少なからず見つかる。
植物に覆われた家
歴史紐解き派の人が見れば、そんな造形物を見て何が面白いのかと呆れられそうではあるが、たとえ何と言われようとも、配管の交差する中に蛍光灯が屹立する壁には、オブジェとしての妙味を感じる。ああ、歴史なんかどうでもいいのだ、この見た目だけがすべてなのだと感慨を新たにした。
もっともぐっときた蛍光灯と配管とせり出した壁の構図
同時に、誰も住んでいないことで、じろじろと家の細部を覗き込んだりできることが、こんなにもノンストレスであったかと、うれしくなった。きっとどこの住宅地でも、こうやって家の隙間に勝手に首を突っ込んだり、窓から中を覗いたりすれば、面白い光景が無尽蔵に見つかるのだろう。自分は今まで、いろんな街を散歩しながら、仕方のないこととはいえ、ものすごく気を使っていたらしい。
そんなに不躾に中を覗きたいなら、廃墟を見て回ればいいのでは、という意見は当然あると思う。たしかに私もかつては廃墟が好きだった。しかし、いくつも見ているうちになんだか気が滅入ってきて、陰気過ぎるのもよくないと思い直したのだった。だから廃墟ほど死の影に覆われていないこのような街は、歩いていて楽しかった。
勝手口のとても狭い階段
西山くんは、
「何の変哲もない街でも、再開発された後にできた何の変哲もない街と、こんなふうになんとなくみんなが家を建てたりして形成された何の変哲のない街には、大きな違いがある気がします」
と言い、私もまさにその通りだと思ったのだった。地図を見て、道路が碁盤の目のように整然とした街は歩いてもあまり面白みがなく、逆に道が入り組んで迷路のようになっている街ほど面白いのは、そういうことだろう。
「その土地の暮らしならではのクセのようなものが感じられると、何の変哲のない街も歩きがいがありますね」
こうして誰も住んでいない街をしばし堪能した後、われわれは次なる目的地東京タワーに向かって歩き出した。
小さなビルやマンションが密生するアスファルト道を歩いていく。さきほどの街と違い、このあたりは全然面白くない。もしこれが全部無人だったら、きっと遠慮なく隙間に入り込んだり中をじろじろ覗き込んだりして、面白い発見もあるのだろう。そう思うと、こうして人が住み、何かの役に立っているようなビルやマンションは、無駄に建っている気がしてならなかった。
それでもそんなビルの隙間から東京タワーが姿を現したときには、その異様なデカさに興奮した。富士山なんかもそうだが、写真では見飽きるぐらい何度も見ている景色でも、実際にそのデカさを生で見上げると、ええっ、そんな上の方まで!? と言いたくなるような、写真ではわからない感動がある。
実物を見るとやはり感動的な東京タワー
ゆるやかな坂をあがり、東京タワーの真下に出ると、私はさらに想定外の景色に遭遇した。
か、かっこいい!
東京タワーの根元ってこんなにかっこよかったのか。
四つの脚の中に建つ小紫色の建物の壁にダクトが何本も這っており、その幾何学的な配置が絶妙である。太いダクトと細いダクトともっと細い配管が、とくに法則性も感じられないままに壁を伝い、一部独特なカーブを描いていたりする。
かっこよかった東京タワーの根元
とくに感じのいい配管の曲線
他の三面はどうなっているのか確認してみると、隣の面も5本ある太いダクトが壁から空へ瀧を登るようにかかっていて、なかなかいい味があった。
そして、見上げる東京タワーの威容。スカイツリーの登場で今や昭和レトロとして軽んじられている感がなくもないが、足もとに建って見上げれば今でも十分に見物するに値するランドマークであることがわかる。
西山くんは、
「かっこよさで言えばクールな佇まいをしているスカイツリーのほうが上だと思っているのですが、東京タワーには労働者たちみんなでつくったみんなの塔だぞ、という親しみを感じます」
と言う。私はそういう労働者云々ではなく、配管があることで東京タワーが美的に圧勝だろうと思った。
以前いつ来たのかも、さっぱり覚えていないが、わざわざ来てよかった。
ついでに言えば、今回来てみて知ったことのひとつに、東京タワーのすぐ横に渓谷があったことがある。もみじ谷というらしい。そこから増上寺や芝公園へと都心ど真ん中にありながらも緑が広がる一帯は、アスファルト道を歩いてきた身には、心和らぐものがあった。
この連載は月2回の更新です。
次回は2023年5月31日(水)に掲載予定です。
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