sense of wander 宮田珠己

2022.8.31

02目白から哲学堂公園(1)

●緊急対策会議と、無言板

 JR目白駅の改札内にあるコンビニで、ジャム&マーガリンのコッペパンを買って、改札手前で立ったまま食べていると、
「宮田さん」
 と声をかけられた。編集の西山くんであった。
 私はこれから長く歩くにあたり腹ごしらえをしていたのだった。まだ待ち合わせ時間まで20分近くあったから、まさか食べている途中に現れまいと思っていたが、予定よりずっと早く西山くんが出現した。

 人間には待ち合わせに余裕をもって来るタイプと、きっちりやってくるタイプと、多少の遅刻には無頓着なタイプがいる。これはもうDNAに刻まれた本性であって、早く来るタイプは毎回早く来るし、遅れるタイプは毎回必ず遅れてくる。例外はほぼないのである。このたびの予期せぬ出現で、西山くんは第一のタイプであることが判明した。実は私もそうであり、その点はウマが合いそうであった。
 西山くんとは今回はじめて仕事をするのでどんな人物か把握しておかなければならない。早急に理解したうえで、なめらかに打ち解けたい。

 コッペパンはすぐに食べ終わり、とりあえず今日の打ち合わせをということで、駅を出てすぐのサンマルクに入る。カフェに入るならコッペパンなど食べなくてもよかったが、実は私もここにきて急きょ打ち合わせの必要性を感じていたのである。このときほど打ち合わせの大切さを痛感したことはないほどであった。
 というのも、
 ——外、めっちゃ暑い。

 例年にない早さで梅雨明けした東京は、この日最高気温が37℃だったそうで、まさにわれわれが待ち合わせた午後2時が、その最高気温のときだった。われわれには死が迫っていると言っても過言ではないのだった。すみやかな対策が必要であった。

「哲学堂まで行くのは無理かも」
 オレンジジュースを飲みながら私は言った。
 この日のわれわれの計画は、ここ目白駅から哲学堂公園まで歩き、さらにそこからJRの中野駅もしくは西武新宿線の中井駅まで踏破するというものだ。前々から一度哲学堂に行ってみたかったのである。それほど長い距離でもなく、事前段階では楽勝と思われたが、今は実現可能な気がしない。
「暑いですね」
 西山くんが困った顔で応じた。

 困った顔ではあるが、それはどこか時候の挨拶のように聞こえなくもなかった。つまり暑いからただ暑いと言っただけであり、今日の予定を切り上げ、来るべき日に出直すなどという考えは浮かんでいない、ただの相槌の「暑いですね」のようだった。
 そうなのだ。編集者というのは大抵そうだ。否、編集者だけでなくプロデューサーであれカメラマンであれ、あるいは営業マンであれ何であれ、仕事をする人間のほとんどは、どんな災害が起ころうとも、それこそ大震災が起ころうとも一度決めたことは必ず実行しようとする。状況に臨機応変に対処しないのである。電車が動かなければ線路上を歩いてでも会社に行く、それが職業人というものなのだ。

 一方私は、置かれた状況を正しく認識し的確に対応する常識人である。震災や台風のなか出勤するなどもってのほか。それどころか何ら災害が起きていなくても、仕事場と反対向きの電車に乗ろうとするぐらい柔軟だ。なので、37℃の非常事態に野外に出ることがどれほどやってはいけないことか、瞬時に判断できた。
 どう冷静に考えても、今この状況にもっとも適しているのは散歩じゃなくて冷房の効いたカフェとか水族館のようなどこかだろう。それでもどうしてもというなら、いっそ海水浴にでも行くべきである。
 しかし西山くんはまだ若いため、いっそ海水浴に、というような大きな判断はできず、どのルートで行きましょうか、という災害時でも線路上を歩いて会社に行く側の立場で打ち合わせを希望してきたのであった。

「目白崖線を歩いた人のブログを見たんですが、この近くに血洗いの池という池があるようです」
 西山くんは海水浴ではなく、血の池地獄を提案した。
 いや、血の池地獄じゃなくて血洗いの池だが、どっちでも同じようなものだ。
 西山くんはその血洗いの池へ寄ってみようと考えているらしい。だが、すぐにそれが学習院大学の構内で部外者は入れないとわかり、その案は却下された。私としても、どうしても決行となれば、なるべく余計な場所には寄りたくない。
 私はしぶしぶ口を開いた。
「地図を見ると、このへんにオバケ坂というのがあるから、それに行ってみたい」

 心にもないとはこのことである。本当はさっさと帰って出直したいんだけど、世の中は線路を歩く人優先で回っており、ここで帰っては職業人としてどうかと言われる可能性がある。ならば一切脇道にそれずに目的地までさっさと行ってしまったほうがいい。オバケ坂は哲学堂公園へ向かう途上にあった。
 計画の立案段階では、途中立ち寄りたいスポットもいくつかピックアップしてあり、オバケ坂という興味深い名前の坂もそのひとつだった。ぜひどんな坂か行ってみたい。
 だが、それは今日ではなかった。
 もっと涼しい良き日に行ってみたい。
 けれど動きはじめた業務上の流れは、灼熱の太陽ぐらいで押しとどめることはできないのだった。私もそれは重々わかっている。業務上の流れが冷静な判断に優先するのが世の常なのである。なので覚悟を決め、カフェを出て、照りつける太陽の下へ足を踏み出したのだった。

 ところで、西山くんの口から目白崖線などという専門用語が出てきたが、目白駅の南に、妙正寺川によって削られてできたとおぼしい東西に走る段差があり、西の新井薬師あたりまで続いている。この崖の連なりをそう呼ぶのだそうだ。そんな崖が続いていたとは西山くんに指摘されるまで知らなかった。今回私が提案したルートは案外、地理好きや地形好きには知られた場所であるらしい。

 目白駅の改札前に戻ると、線路の先に白いタワーが見えた。後に調べてみると豊島区の清掃工場の煙突のようだ。煙突にしてはべらぼうに高く、かつ清潔感もあって、きっと有名な煙突なのだと思うが、私は全く知らなかった。もう30年以上都内に住んでいながら、私は東京についてちっとも詳しくない。

白い巨塔

 改札を出て左すぐのところに下り階段があり、それを下った。
 実はこの階段、これも後で知ったのだが、『東京の階段』(松本泰生著)という本のなかで、美しい階段として紹介されている。途中の踊り場がちょっとした舞台のようだという。

目白駅西側の階段

 なるほど言われてみればそんな気がしなくもない。
 階段の標高差は4.5mだそうで、たいしたことはないが、『東京の階段』では、華やいだ気分がある階段と評されていた。
 私には残念ながらそこまでの魅力は感じられなかったけれども、階段を見慣れてくればだんだんそのように見えてくるのかもしれない。一見何の変哲もない風景からどんな味わいを引き出せるかが、このたびの散歩のテーマであるから、こういう階段もじっくり見ておく必要がある。ただこのときはそんな重大な階段とは知らなかったから、スルーしてしまった。
 坂を下りると線路の脇にトマソンのようなものがあった。トマソンとは赤瀬川原平が提唱した街に残る無用の長物のことだが、われわれが見つけたのはトマソン界で言うところの無用階段のようでそうではなかった。1922年に竣工した目白駅の階段の一部を保存したものらしい。ちょうど100年前につくられた階段をあえて記念に残してあるのだった。

目白駅の階段の一部

 トマソンといえば、西山くんは、自分は今回《無言板》を探してみたいという決意を表明している。腐食したり色褪せたりして何が描いてあるのかわからなくなった看板のことらしい。雑誌『散歩の達人』の「ご近所さんぽを楽しむ15の方法」特集をかばんから取り出して、そこに掲載された《無言板》の写真を見せてくれた。
 言われてみればそんな看板が街にたくさんある。あることは知っていたがそれをわざわざ探し出して写真を撮り集める人がいたのは知らなかった。今や街の中にあって誰も着目していないモノを見つけるほうが難しいかもしれない。こうしてまとめて写真を見せられると、なるほど面白いかもしれないな、という気持ちが自然に湧いてくる。
 と思ったら、その先でさっそく発見した。
 広めの駐車場の入口に、かつては屋敷の玄関だったのだろうブロック塀の残滓があり、そこに郵便受けと住居表示とともに表札を剝がした跡が残っていたのだ。これは《無言板》と言ってもいいのではないか。

《無言板》

 裏に回ると郵便受けの中にチラシが数枚入っていた。横から郵便受けの断面が残って見えるのが、味わいであった。
「いいですねえ」
 西山くんもさっそくの発見にご満悦である。

横から見たところ

 新型コロナのパンデミックが来る前から、世の中は散歩ブームだが、赤瀬川原平のトマソンという発見がなかったら、ここまでのブームは来てなかったんじゃないだろうか。そのぐらいトマソンにはインパクトがあった。
 街で出くわす変なモノ、無用のモノ、役に立たないモノの存在感に光を当て、それを愛おしむ態度は、意味とか存在意義にからめとられてキュウキュウになっていた若い自分の心の壁も打ち崩してくれたように思う。たとえ役に立たなくても、くだらなくても、堂々としていていいんだと、無能な自分自身にひきつけて、勇気づけられたものである。
 この郵便受けも、今や何の役にも立っていないのに無駄に壁より厚く大きな顔をしているところや、なぜか周囲の塀と色がちがって浮いているなど、自分を見るようであり、哀憐の情を禁じ得ない。いいトマソンを見つけたものであった。

窓はないが、窓飾りはある

PLAYBOY?

 

この連載は月2回の更新です。
次回は2022年9月15日に掲載予定です。