●石像の寺と地底の川
古墳を過ぎ、そこから第3京浜と環状8号線が合流するインターチェンジへと向かった。というのも、西山くんが
「これ、面白くないですか?」
とグーグルアースの写真を私に見せてきたのである。
そこにはインターチェンジのカーブした道路に囲まれるようにして建つマンションが写っていた。
残され島のマンション
インターチェンジにはどこも大抵ぐるっと回る道路があって、その内側は草地になっている。あの囲まれた土地は、普通なら道路を横切らないとアクセスできないから、建物があるのは珍しい。しかもそれがマンションというから、たしかに気になる。写真で見ると、そこにはマンションのほかにいくつかの建物があった。いったいここはどうなっているのか。
お隣の中国では、高速道路の建設にあたって立ち退きを断固拒否した家が、取り壊されずに、高速道路に挟まれたまま建っている場所があるそうで、そのことを思い出した。
汗をふきふきたどりついてみると、中国の取り残された家とちがって、第3京浜が地面を掘って低いところを通っているため、マンションほかの建物が周囲から孤立している印象はなかった。ここならふつうに暮らして違和感なさそうである。
それより擁壁と防音壁の上に建つ瀟洒な戸建て住宅が気になった。そこには何か惹きつけられるものがあるのだった。
残され島を囲む戸建住宅
すすけたような第三京浜とオシャレな住宅の対比がアンバランスで、目が離せない。
いわば美術用語で言うところのデペイズマンというやつだろうか。その場にそぐわないものを敢えてそこに置くことでその違和感をもって見る者に衝撃を与える手法。戸建て住宅は美術じゃないので、そんな意図はないと思うけれども、結果的にそうなってしまって、見ているわれわれが反応してしまったのである。
そんな風景が気になるのも、おそらくわれらが《センス・オブ・ワンダー》のなせる技だろう。《センス・オブ・ワンダー》は違和感のある風景に発動しやすいのである。
第三京浜を後にし、玉川野毛町公園(ここにもまた古墳がある)の脇を多摩川に向かって下っていくと、善養密寺という寺に出た。散歩中、神社仏閣に出会えばなるべく立ち寄るようにしているので、ふらふら境内に入っていくと、またも思いもよらぬ光景に出会った。
境内のあちこちに巨大な石像がニョキニョキ生えていたのである。
いい!
あまりの良さに、今回の散歩はこれに出会うために来たのだという感に打たれた。
仏像や神官だけでなく巨大な亀や、ガネーシャの像、らしくない狛犬、目が金色に光る象など、どれもこれも大きくどっしりとして、かつユーモラス。造形がざっくりしているのが素晴らしい。手元にある金色の持ち物はいったいなんだろうか。ウルトラマンがプリンになったような像はさらに正体不明だ。
巨大な亀
狛犬?
金色の目をした象。駐車場を見すえている
ウルトラマンのようなプリンのようなもの
境内のところどころに京都の地名が入った道標が置かれ、境内全体が写しの京都として巡回できるようになっているのも面白かった。
道標。右金閣寺、左嵐山。ということはここは太秦らへんであろうか
まさに箱庭だ。
人は箱庭的なものに惹かれやすい。箱庭的なものを見たり、箱庭的な場所に来ると、人はなぜか心が捕らわれるのである。現実から離れてその世界の中に没入し、優雅な気分に浸れるからだろうか。
善養密寺は本堂前に大日如来坐像が鎮座する真言宗の寺で、もとは深沢村にあったものが江戸時代の初期、慶安年間にこの場所に移ってきたと看板に書いてあった。玉川八十八箇所三十二番及び玉川二十一箇所十四番の札所だそうだが、そんな巡礼があることも知らなかった。石段の両脇にひかえる海駝の像が珍しいらしく、そういうことならじっくり観察してくればよかったが、看板の文字を読んだのは家に帰って写真を見てからのことで、このときその像がそんな重要なものだとは知らなかった。
海駝
さらに文献を調べてみると、海駝はヘテと読み、朝鮮半島での呼び名だそうで、中国では獬豸(カイチ)。牛に似ていて、角が一本生えているという。善養密寺のそれは角が生えてなかったように思うが、善悪を見分けることができ、まちがっているほうをその角で突くので別名「裁判獣」とも呼ばれている。
あまりの楽しさに暑さも忘れるほどで、散歩のノルマがなければここはじっくり滞在したいほどだった。こんな寺が隠れていたとは、東京も侮りがたい。
しかし時間がないので、後ろ髪をひかれる思いで歩みを進め、われわれはついに今回の目的地である等々力渓谷にたどりついた。
地図で見る等々力渓谷は、ちょっと信じられないぐらい住宅街の真っただ中にあるが、渓谷というからにはそれなりに急流だろうから、住宅をそんな急なところに建てて大丈夫なのか気になる。気になるが、グーグルマップで見ると実際に周囲は住宅で埋め尽くされているのであって、そのことから逆算的に考えると、渓谷といってもたいしたことはないのでは、という推測が成り立つ。
われわれは渓谷の下流、多摩川側から接近した。はじまりはちょっと樹の生い茂った用水路のようなものがあるな、という程度の認識であった。川幅も狭く、この程度の川ならどこにでもありそうに思える。やはりたいしたことはないのではあるまいか。
どこにでもある用水路に見えた下流
数十メートル遡ると川の両側の樹木帯が急に幅広くなり、そこに樹林の中への入口があった。進入すると、昼間だというのにずいぶん薄暗い。その薄暗い中に川が流れ、対岸に渡る橋がかかっている。川幅はさほどではなく、助走をつければ跳び越えられそうだ。対岸には稲荷大明神の祠と滝行の行場があり、そこから崖にそって登る階段が続いていた。上に不動尊があるらしい。
不動尊への階段
なにやら急に本格的なものがいろいろ出てきて、今までの住宅地との落差に驚く。とはいえ本格的なのは宗教上のものであり、渓谷としてはむしろ、川幅の狭さが、それほどのものではないことを証明しているように思われた。
ひとまずは不動尊を見に行こうと階段を上るが、その階段が結構長く、いつの間にこんな高低差が生まれていたのかふしぎである。
急な崖を登りきったところは等々力不動尊の境内であった。境内の一角には、多摩川方向に向かってせり出したテラスが設けられている。清水の舞台のようなものと言えばいいだろうか。
驚いたのは、テラスに上ってみても多摩川が見えなかったことだ。
渓谷に沿って繁茂した森が視界を遮り、まるで森を見るために作られたような塩梅になっている。ずいぶん高いところまで登った印象があるのに、全然向こうが見通せない。
テラスからの眺め
結構な高低差があったのに、その眺めを無効にするほど樹々が高いのだ。想定外の森の深さに、この等々力不動尊が好きになりそうだった。
だが、本題はここではない。私は等々力渓谷が果たしてどのぐらい渓谷なのか確かめなければならない。
今きた道をまた下り、川べりに戻ると、われわれはさらに川に沿って上流へ歩き出した。その先は深い谷になっていた。両岸が垂直に立ち上がり、上空は高い梢に陽が遮られ、どんよりと暗い。
ふつう渓谷といってイメージするのは、山と山の間に挟まれながらも、もう少し明るく空も開けて、大きな岩の間を清冽な水が流れているというものだが、ここはそれよりずっと深くえぐれた地面の下の川といった様相であった。山の斜面に挟まれているのではなく、垂直な崖に挟まれていて地底感がすごいのである。暗さのおかげで水がきれいなのかどうかもよくわからない。
たしかにこれも渓谷ではあるけれど、思っていたのと全然違う。
渓谷の道
少し進むと、上に環八道路の大きな橋がかかっていて、景色はいっそう重たくなった。橋の下をくぐるときは、巨大洞窟の入口かと思うほどだった。橋の裏から鍾乳石が垂れ下がっていてもおかしくない気がする。町のなかで出会う自然はほっとするものだと先に書いたが、ほっとするには地の底すぎるようであった。
その意味ではたしかに本格的な谷である。まさか住宅街のまんなかにこれほどの谷があるとは、あらかじめ予告されていたとはいえ、想像以上だった。
しばらく行くと上にまた赤い橋がかかっていて、川沿いに歩けるのはそこまで。そこから地上に出る階段を上る。
地上に出ると思わず書いたが、谷だって地上であるから、この表現はおかしい。おかしいけれど、ついそういう表現が出てしまうほど、洞窟から出てきたような錯覚を覚えたのだった。
階段を上りきったところが、いきなりふつうの町だったのもふしぎだ。ローソンや成城石井があったりして、このすぐ下に、こんなにも深い谷が潜んでいようとは。地面というものは陰で何を考えているかわかったもんじゃないのであった。
等々力渓谷の成り立ちはちょっと複雑だ。崖に湧いた水が多摩川に直角に流れ込んで形成された川が、上流側に地面を浸食しながら延びていった結果、もともと多摩川の河岸段丘の上を多摩川とほぼ平行に、西から東へ流れていた谷沢川にぶつかり、川の水を奪ってできたそうである。もろもろの資料やネットにそう書いてあった。おかげで、それまでおだやかに東進していた谷沢川の水は一気に多摩川へ流れ込むことになって、ますます谷の浸食が進み今のような深い谷を形成したのだ。つまり川が別の川の流れを奪ったわけで、これを河川争奪というそうである。
理屈はわかる。わかるけれども、人や動物の手が加わったわけでもないのに、川が別の川の流れを奪うとは、まるで川が生きもののように感じられて、妙な味わいがある。
地形が面白いのは、そうやって生きものでもないものが勝手に動いて形を変えていく、人間のスケールでは実感できないスペクタクルを夢想できるからで、その谷が川に到達する瞬間、流れが一気に変わる歴史的瞬間をこの目で見てみたいと思った。これほど深い谷をえぐるとは、よほどの水流であったにちがいない。
気になるのは水流を奪われたもとの谷沢川(現在は九品仏川と呼ばれている)の下流がどうなったかだが、下流側も逆に流れて等々力渓谷に水が注ぎ込んだそうで、上流に向かって流れたからこれを逆川と呼んだそうである。これは今は暗渠になっているらしい。そっちも追ってみたいところだが、そろそろ猛暑の影響で命の危険を感じはじめる頃であり、西山くんが事前に調べておいてくれたスイーツの店も近いので、ここらでいったん休憩することにした。
今回の散歩は古墳があったり、巨大な石像の寺があったり、河川が争奪されたりと見どころ満載で、出発前は予想していなかった面白さである。
ちなみに食べたスイーツはこんな形だった。
この連載は月2回の更新です。
次回は2022年11月15日(火)に掲載予定です。