sense of wander 宮田珠己

2022.11.15

07二子玉川から等々力渓谷(3)

●坂の鑑賞と、今とは反対の古墳

 今回の散歩のもっとも重要な目的だった等々力渓谷の見物は済んだが、実はこのあとも気になるスポットが待っている。ここからさらに東、東横線の多摩川駅に向かう途中の住宅街がすごいらしいのだ。
 何がすごいかというと、傾斜である。住宅街の中を走る道路が急坂ばかりなのだ。その名も「急坂」という名の坂があるぐらいで、なかでも一番急な坂は傾斜が26%もあるという。
 26%といえば、100mの水平距離に対して26mの高低差があるという意味だから、角度にするとだいたい15度になろうか。
 15度というとそれほどでもなさそうに思うけれど、実際には相当な急勾配で、自転車のプロ選手でも傾斜20%つまり12度あたりを超えるとまっすぐ上ることができないと言われる。一般人ならまず押して上る傾斜だ。
 われわれは坂だらけの住宅街を歩きまわり、問題の26%の坂を見つけ、上ったり下りたりしてみた。とてもじゃないが自転車で上れる角度ではなかった。

 それどころか車でも路肩に駐車するのが怖いぐらいで、いくらサイドブレーキを引いていても安心できない気がする。そんな坂があっちにもこっちにもあって、歩いていて面白くなってきた。

 坂にはファンが多い。タモリも本を出しており、調べてみると坂の本を出している人は他にも何人もいた。

 坂の魅力は、私が思うに異界感があるところだ。
 とくに下から見上げたとき、てっぺんを越えた向こうに何か新しい景色、ちょっと大袈裟にいうと、別天地が待っているかのような期待を抱かせるのがいい。別天地じゃなくて恐ろしい地獄が待っているのかもしれないが、とにかく今こことは違う世界がありそうな予感がする。
 それこそは、われらが《センス・オブ・ワンダー》の重要なファクターのひとつだと私は考える。
 タモリは著書『タモリのTOKYO坂道美学入門』のなかで、東京の坂道の鑑賞ポイントとして

 ①勾配の具合
 ②湾曲のしかた
 ③まわりに江戸の風情をかもしだすものがある
 ④名前に由来、由緒がある

 の4点を挙げている。
 多くの人が坂に魅了される要素をよく表していると思うが、私個人に限って言えば、③と④は余計である。歴史のない町の坂道にもいいものはたくさんあるし、思えばそのふたつは事情、もしくは歴史的背景であって、坂そのものの物理的な要素ではないからである。

 私はもっと純粋に坂や高低差というものの味わいを抽出してみたい。それはたとえば日本の歴史を知らない外国人が見てもわかる何かであり、誰もがその場所に立っただけで感じ取れる何かである。
 その意味で、私なりの鑑賞ポイントを列挙するなら、①と②に加えて、

 ③まわりの風景にたくさんの要素がある
 ④てっぺんに見える景色から受ける期待感

 を挙げたい。
 まわりの風景にたくさんの要素があるというのは、たとえば坂の両側が全部住宅や全部森というのではなく、正体不明の建物がそびえていたり、公園の樹が異様な存在感を醸し出していたり、神社の鳥居があるとか、変な看板が目立っているとか、何かしら単調さを破るものが見えて、風景がごちゃごちゃしているということである。風景が多くの要素でできていると、どこかに何かが隠れているような、近づいてみるともっと面白いものが見つかるような、そんな気がするものだ。

 次のてっぺんに見える景色から受ける期待感というのは、てっぺんにわずかに見える壁や標識や何かによって、そのむこうにある空想上の異界のイメージが増幅されるかどうかが重要という意味だ。たとえばぽっかりとした青空に尖塔のようなものが突き出ていたら、ちょっとエキゾチックな感じがしないだろうか。あるいはただただ青空しか見えないとき、その向こうに広大な平原が広がっていてもふしぎじゃない気がする。さらにもし、うさぎの耳をした人間の姿がちらっと見えて向こう側に消えたりしたら、俄然盛り上がるのではないか。

 これらの鑑賞ポイントはつまり、坂そのものの持つ物理的な性格であり、五感だけで感得できる性質のものだ。坂の見方に正解などないけれど、私は歴史観や伝統文化などへの愛着とは切り離した視線で、風景を眺めてみたい。そのほうがより普遍的だと思うからだ。
 等々力渓谷から東急多摩川駅にかけての住宅街には、①と②と③を満たす坂が多くみられたが、④を満足させる坂を見つけることができなかった。
 この④は結構難易度が高いポイントで、私自身それに値する坂には数えるほどしか出会ったことがない。記録もつけていないので、どこで出会ったかもうろ覚えである。なので今後①から④の全要素を満たす坂を見つけることができたら、ここでまっさきに報告したい。

 その後も坂を上ったり下ったりしながら、われわれは京急多摩川駅を目指して歩いていった。
 やがて多摩川台公園に出て、そこでまた古墳を見た。宝來山古墳というそうだ。由来を説明する東京都教育委員会の看板が立っていたが、こんもりとした緑の丘があるだけで、言われなければ古墳と気づかない。
 西山くんも、
「楽しみ方がいまいちわからないですね」
 と戸惑っていた。
 たしかにもっとはっきりと古墳の形状が露わになっていれば違う感慨もあっただろう。

「ただ、人が住まなくなって緑に覆われてしまった家なんかを見ていると、これは同じことかなとも思ったりします」
 と西山くんはフォローする。
「なるほど」
「私たちの町や都市も、高度に築いた文明も、所詮はあっという間に自然に飲み込まれていくような存在なのかもしれない、そんなことを考えていると古墳という存在もちょっと気になりますね」

 たしかに、古墳は今でこそ緑の丘のような自然に近い景色になっているが、築造当時はむしろ逆で、文明の最先端といってもいい建造物だった。当然だが、木などまったく生えておらず、全体に葺き石が敷き詰められ、場合によっては埴輪によって装飾されたりもした高度な人工物だったのである。
 それが川に沿った段丘上に並ぶ光景は、見る者にこの地の繁栄ぶりを強く印象付けたはずである。古墳は海や川からよく見える丘の上に建てられるのが通例で、来訪者を高い構造物で圧倒し、地元の首長や地元民に対する畏敬の念を起こさせたり、あるいは航行時のランドマークとして目印にしたりしていたと言われている。

 言ってみれば古墳は、今でいう高層ビルやタワーのような都会的トポスを象徴するものだったわけで、おそらく周囲の緑に対して、そこだけ白く燦然と輝いていたと想像される。
 白い住宅地のなかに緑の丘のようにある現代の古墳とはまったく反対の風景が、古代人の目には映っていたわけだ。われわれが二子玉川駅前にニョキニョキ生えていた高層マンションに圧倒されたのと同じことが、太古の昔に、この場で起こっていたのである。
 そう考えると古墳も面白い。

 多摩川台公園のなかにはもうひとつ亀甲山古墳もあって、この近辺では最大の古墳だったと看板に書いてあった。ただし葺き石は出土しておらず、古墳時代前期のものだったらしい。だとしたら、川沿いに白く輝く高層建築が並んでいたほどではなかったかもしれないが、いずれにしてもこんな場所にこれほど古墳があったとは、来てみるまでまったく知らなかったことだった。

 今回はただ等々力渓谷の真実を覗き見るために来たつもりだったが、気がつけば石像あり坂あり古墳ありで、何の変哲もなさそうに見えた町にも、われらが《センス・オブ・ワンダー》を刺激するものが満ち満ちていたことを知った。それは決して特殊な場所だけでなく、そこらじゅうで発動できるもののようである。

今回さんぽした場所



この連載は月2回の更新です。
次回は2022年11月30日(水)に掲載予定です。