sense of wander 宮田珠己

2022.11.30

08赤塚から高島平(1)

●暗渠の魅力は暗渠でなくたって魅力

 地下鉄の赤塚駅に来たのは初めてだった。
 人生初である。
 人生初の駅というのは、ちょっとわくわくする。もしこの町に生まれていたらなんて、無意識にシミュレーションしていたりする。
 隣に東武東上線の下赤塚駅があり、そちらの駅前に回ってみると商店街の統一看板(入口に門のように立つ「赤塚壱番街」と表示された看板)に仏像がいて、いい感じであった。何の仏像だろうと地図を見てみたが、有名な寺院の参道になっているわけでもなく、商店街の中にも寺はなく、正体不明である。この世に正体不明の仏像ほど見て楽しいものはないので、のっけからいいものを見られて、気分は上々であった。

仏像があるだけでユーモラスになる

 後に調べたところ、はるか遠くにあって商店街と繫がっているわけでもない東京大仏にあやかっているのだそうだ。東京大仏はまさに今日これから寄って行こうと思っていた大仏である。他人事のように正体不明とか言ったが、実は自分にも関係のある仏像だったようだ。
 今回はここからその東京大仏を経由して高島平まで歩こうという計画である。東京大仏と高島平をめぐることに一貫したテーマはなく、大仏はどちらかというとオマケなのだが、そこに大仏がある以上は寄らなければならない。大仏とはそういうものだからである。

 西山くんとマクドナルドで合流し、さっそく歩き出した。
 西山くんの顔を見ると暑苦しい。これまでいつも暑かったせいで、条件反射で汗が流れ出てきそうな気がする。しかし今回の散歩は暑くなかった。季節はすでに秋になっていた。
 歩き出してすぐ、駅前の辻に庚申塔があったので眺めた。
 この散歩は何かあるととりあえず眺めることになっている。
 とくに庚申塔は眺めるのにうってつけだ。
 地蔵などと違って、板状であることが多く、そこに庚申塔と文字が彫られていたり、半肉彫りで青面金剛像が彫られていたりする。実は私はこの青面金剛という仏が好きで、普段でも庚申塔があるととりあえず覗き見ることにしている。青面金剛がいいのは、地蔵と違い、どんぐりみたいなとんがり帽子を被っていたり、腕がたくさん生えていたり、足元に三猿が彫られていたりして、造形がユーモラスだからだ。こまめに見ていくと、たまに抜群にいい感じの庚申塔が見つかることがあるから侮れない。ただ半分ぐらいは文字だけだったりするから、そういうのはスルーである。

 今回の庚申塔は青面金剛が彫られていたが、顔面が欠けていたのが残念。それより西山くんが、
「あ、無言板」
 と声をあげ、見ると隣の黒い掲示板に存在感があった。

無言の黒

「いいですね、これ。ハードボイルドで無口な男って感じで。チラシも貼らず、媚びてない」
 無言板好きの西山くんは、チラシを受け入れない掲示板に不屈の精神を感じたようだ。たしかにチラシを貼るのは役割行動に過ぎず、仮にチラシがなく誰の役に立っていなくても、板は板として、ただ生きてるだけで価値がある(生きてないけど)。という理屈はわからないでもないが、たまたまこの日チラシがなかっただけかもしれなかった。

 住宅街の中へ入っていくと、奇妙な祠を発見した。屋根が緑色で珍しい。全体がコンクリートでできていて、扉には南京錠がかかっている。

秘仏?の祠

 何の説明書きもないので、いったいどんな神さまがおわすのか全然わからない。神さまなのかどうなのかも不明だ。「私有地につきゴミを捨てないで下さい」の表示があるから、不法投棄防止のためのなんちゃって鳥居と同じようなものだろうか。それにしては作るのに手間がかかってそうだ。
 できれば誰か由来を知っている人に話を聞いてみたかったが、周囲には誰もおらず、背後の家の呼び鈴を鳴らすのもためらわれた。突然男が二人やってきて、これは何ですか? と聞かれても相手も怖いだろうし、こっちも怖い。何を調べているのか、地上げ屋か興信所か、それとも迷惑系ユーチューバーか、などと勘ぐられても厄介である。そこまで詳しく調べたいわけではなく、単なる好奇心なのだ。

 仕方ないので、これは秘仏ということで納得することにした。鍵がかかっていて容易に見られるものでなく、地元の人でさえその御姿を知る者は少ない。実は60年に一度、総本山から阿闍梨を招いて大法要が行なわれることになっており、そのときまで本尊の御姿を拝むことは禁じられている。これはそういう仏なのだ。知らんけど。

 ところで、さっきからあちこち寄り道しているが、ただ闇雲に歩いているわけではない。今回赤塚にやってきたのには、理由があった。
 暗渠を見にきたのである。
 暗渠というのは、もともと川や水路だったところに蓋をしたり上を舗装したりして地下に潜らせた結果、地上から見えなくなった水の流れのことだ。散歩好き界隈ではこのところ暗渠が人気なのである。これまで暗渠に注目して散歩したことはなかったけれど、そんなに人気があるなら、その魅力をちゃんと味わってみようと考えたのだった。

 そこで暗渠マニアックスというユニット名で活動している髙山英男さんと吉村生さんの著書『暗渠パラダイス!』を事前に読み、板橋区の前谷津川に狙いを定めてやってきたのである。
 本書のなかで髙山さんは前谷津川を板橋三大暗渠のひとつに選んでいて、地図で調べてみると、これが結構狭い路地になっていたりして、面白そうだった。これまでまるで意識していなかったので、今回はちゃんと見定めて歩こうと思う。
そうして『暗渠パラダイス!』の表記を頼りに、住宅街の中に残る暗渠とおぼしい小径を探り当てることができた。

さりげない暗渠の入口

『暗渠パラダイス!』では、そこが暗渠であるサインとして、橋跡、欄干、水門、車止め、マンホールの列などを挙げている。
 見つけたのは、車止めから始まる細い小径で、いかにも秘密の通路といった感じが好感度大。さっそく踏み込んでみると、マンホールは列になっているし、両側の家が小径に背を向けていて、玄関がまったくない。この両側の家が背を向けている点も暗渠の重要なサインなのだそうだ。

暗渠には門があまりない

 こんな道を歩いたら誰だって暗渠のファンになるだろう。しかもその道が曲がりくねったりしていればなおさらのこと、そこが暗渠であるかどうかなどと考える前に、わくわくしているはずだ。

 今回見つけた暗渠も、ときどき折れ曲がっていて先が見通せない。先が見通せないのは私にとって重要なポイントで、いったいどこへ連れて行かれるのだろうと好奇心が刺激される。それこそわれらが《センス・オブ・ワンダー》そのものといっていい。
 前谷津川の暗渠は、ここから隅田川の支流である新河岸川に向かって曲がりくねりながら続いていく。途中から、中央に植栽のある前谷津川緑道と呼ばれる長い遊歩道が整備されていて、これは歩きやすくていい道だが、個人的には住宅街のなかに紛れ込んだ、先が予測できない細い細い小径のほうが好きだ。

先が見えないことが大事だと思う

『暗渠パラダイス!』に面白い考察がある。
「暗渠鑑賞七つの視点」としてまとめられたそれには、暗渠の見方がわかりやすく紹介されている。
 それによれば、暗渠には

・始まりの地点の「顔」を見る
・正面から奥を見る
・周囲の地形を見る
・表面の状態を見る
・経年劣化を見る
・生えている植物を見る
・付帯物を見る

 といった鑑賞方法があるという。これを書いた髙山さんは、盆栽の鑑賞法を参考にしたと説明しているが、風景を盆栽的に見るというのが面白い。
 七つの視点のなかでも私が気になったのは、正面から奥を見る、という視点だ。髙山さんは、その眺めは「直」「湾」「消」「遮」の4つに大別されるという。「直」はまっすぐ奥まで見通せるもので、「湾」は曲がりくねっているもの、「消」は曲がりすぎて先が見えないもの、「遮」は何かが視界をふさいでいるもの、だそうだ。それらに優劣はないと書かれているが、私に言わせれば「直」はつまらない。「湾」でも「消」でも「遮」でもいいが、やはり先が見えないことが望ましい。
 先が見えなければ、人はそれを想像で補おうとする。そのとき、心の中にこの世とは違うありえない場所を空想することも可能性としては開かれている。つまり異界へ連れて行ってくれそうな感じを味わうことができるというわけだ。

この先は異界

 坂を見るときの見方もそうだったように、私の《センス・オブ・ワンダー》はどうやら、その一点がとくに重要なようだ。異界を想像させる力。果たしてそれが誰にでもある普遍的な感性かどうかはわからない。同じように風景を眺めても違う喜びを感じている人もいるだろう。ただどんな人でも、散歩において、その先がどうなっているかわからない道に出会うのは、魅力ある出来事ではないかと思う。
 住宅街の中の前谷津川暗渠は、しばらくは住宅の背後をくねるように続いていたが、少し下ると小学校の敷地内へと埋没していった。こうしたくねくね道がもっと長く続いてくれたらと思わずにいられなかった。

 

この連載は月2回の更新です。
次回は2022年12月15日(木)に掲載予定です。