おじさん酒場 山田真由美・文 なかむらるみ・絵

2014.8.27

01待ちわびるおじさん

 なまこ酢とつくね[天昇・鎌倉]

 

 

 地元の人は、平日も観光客で賑わう小町通りや鶴岡八幡宮のある東口を「表口」といい、反対側の御成通りがある西口のことを、比較的静かで観光色が薄いことから「裏口」と呼ぶ。以前、東京に住んでいたときに、鎌倉の酒場を案内してくれた作家の先生に教えてもらったことがあった。
 でも、“表”にもローカル酒場はある。客たちが思い思いに自由に飲っているおおらかな雰囲気が心地よく、通うようになった立ち呑みの「天昇」。東口すぐのバラック屋根に古道具店や園芸店に精肉店などが雑然と並び、時代を感じさせる丸七商店街の一角というのも風情がある。
 いつもなら通路まで人が溢れ、繁盛店の活気で賑わっているのに、今日はやけに静かだ。しかも暗い。休みかしらと思い、恐る恐る中をのぞくと、
「いらっしゃい、まいど!」
 ねじり鉢巻きにピアスがイカしている、タカさんこと、大将の山下貴大さんがいつもどおり威勢よく迎えてくれた。客は焼き場前に独り客らしき男性がふたり。若い男女が1組。そこに私も混ぜてもらう。
 この店は、炭火の焼き場を囲むL字カウンターと、壁に向かって一枚カウンター。客の増加に合わせて設置したのであろう、通路にはみ出すように置かれた簡易テーブル(立ち用)と、テーブル席(ここだけ座れる)。真っ赤なギンガムチェックのテーブルシートがレトロでかわいらしい。満杯時には外にはみ出して呑んでいる客も含めて30人は優に超えるだろう。

 酒は、ビール、日本酒、焼酎、サワー、ホッピー、ハイボール……とひと通り揃っている。私はたいてい瓶ビール(サッポロラガー・赤星)で喉を潤し、腰を据えて呑もうかなというときは日本酒を。友人と一緒で気楽に呑みたいときは、ホッピーをぐびぐびコースになるパターンだ。
 タカさんに断り、左奥の冷蔵ケースからサッポロラガー中瓶を1本とり、壁の柱にぶら下げてある栓抜きでシュポッ。何度か通ううち、常連客が自分で冷蔵ケースから酒やジョッキを取り、栓を抜いているのを見て、お店の人に負担をかけないことに加え、どんなに忙しくても待たずに呑めるという一石二鳥の合理的すぐれたシステムと感じ入り、私も先輩諸氏にならい、そうさせていただくことにしている。

「くぎ煮食べてみない?」
 なにを肴にしようか逡巡していたら、店のめぐさんが声をかけてくれた。あたしが作ったんだよという。
 小魚のいかなごを甘塩っぱく煮つけた「くぎ煮」。ちびちびつまむにはいいね。
 じゃあ、それとナマコ酢ももらおう。
 あいよっ。嬉しそうに注文票に書きつけためぐさんは小柄で、笑うとどこか少女のようだ。

 天昇は焼き鳥・焼きとん、おでんがメインの酒場だが、ほぼ毎日、近海で揚がった新鮮な刺身が並ぶ。
 タカさんは大学卒業後6年、八王子の焼き鳥居酒屋で肉の下処理、串打ち、焼きの技術をたたき込み、鮮魚の扱いも覚えた。魚は友人の漁師などからその日揚がった地元鎌倉沖や逗子・葉山沖、大船、三崎などで揚がった魚を中心に仕入れている。
 その日の水揚げで魚が変わるから、週に一度でも通っていると旬がわかって楽しい。4月初旬には「カワハギ肝和え」でにごり酒とともに至福を味わった。7月に入り、私が「最後の晩餐魚」と呼んでいる鯵が旬を迎え、「アジ刺身」を黒板に発見したときの歓喜がいかほどのものか。しかも、ひとり呑みの肴にちょうどいい量で350円、高くても500円代と良心的だ。

 震災直後、東京の酒場で東北の日本酒を積極的に呑んで復興を応援しようという取り組みが行われていたが、今日は天昇も、東北の銘酒をとりそろえ、「東北復興支援酒」と銘打っている。
 宮城の「日高見」をまずいただこう。
 ほっそりとしたグラスになみなみと受け皿までみっちりこぼしてくれる。太っ腹。
 きっちり酢をきかせたナマコ酢のコリコリとした歯ごたえに、日高見の上品な芳香が寄り添い、いっそう酒がすすむ。
 大事ですよね、忘れないって。タカさんに再び話しかける。
「そうなんですよね。鎌倉は『追悼・復興祈願祭』といって、神道とか仏教とかキリスト教とかの宗派を越えて、鶴岡八幡宮で毎年合同祈願を行ってるんっすよ。震災が起きた14時46分には市内の寺院、教会の鐘が鳴って、黙祷を捧げる。自分も毎年参加してて、3月11日は電気を消してキャンドル営業させてもらってるんす」
 実家のある伊豆下田の両親と電話がつながらなくて心配だった、と私がいうと、ホッピーを呑んでいた右隣りのおじさんが反応した。うすいグレーの綿パンツに、同じ色合いのジャケット。おじさんファッションにありがちなワントーン・コーディネイト。年の頃は70歳前後にみえる。来るたびに同じ顔に出くわすことの多い、常連率の高いこの店ではあまり見かけない方だ。

 それまで会話に交わらず黙って呑んでいた彼は、私をまじまじと見て、「電話は年寄りにとっては命綱なんだ」という。「家に電話はあるの?」と聞かれ、固定電話は解約して携帯電話だけですと答えると、「いまのひとたちはみんなそうだよね」と静かにうなずき、こんな話をしてくれた。

 鎌倉で自営業を営んでいることもあって、自宅にプライベート用と営業用と2本の電話回線を引いている。ここ数年は営業用の電話にはほとんどかかってこないからもう廃止してしまおうかとも考えたが、何十年来の古客がもしかしたら電話をかけてくるかもしれないと思い直し、そのままにしてあるのだと。
 実際、営業電話に電話がかかってくることはあるんですか?
 浮かんだ疑問を投げかけると、「いや、ここ数年あの電話が鳴ったことはないね」
 そういって、「タカちゃん、ナカちょうだい」と溶けた氷のジョッキを掲げた。

 あ、私にはお酒を。つぎは「国権」にしようかな。それと、つくね塩とささみわさび、お願いします。
 天昇のつくねは、軟骨に加え黒ごまがたっぷり練り込んであって、しっかりの塩気とごまのプチプチとした歯ごたえが小気味いい。人気の逸品で、早くに売り切れてしまうこともある。
「こっちもつくね、2本焼いて。塩でね」
 同じ注文を聞き、なんとなくおじさんの前をみると、くぎ煮に切り干し大根煮。くぎ煮はきっとめぐさんに勧められたのだろう。渋い2品。

 焼きものを待つあいだ、「鳴らない電話」のことを考えた。どんなご商売なのか聞かなかったが、鎌倉の山側に住んでいるというおじさんの住まいは、緑が鬱蒼と茂り、ほとんど陽が入らない。「湿気とたくさんの虫たちとの闘いだよ、鎌倉暮らしは」といっていた。湿気を含んだ薄暗い部屋の片隅に、ひっそりと置かれた一台の鳴らない電話。

 あれから、あのおじさんには天昇で会っていない。
 でも、つくねを頼むと、2本瞬く間に食べてしまったあのおじさんと鳴らない電話のことを思い出す。

天昇

神奈川県鎌倉市小町1-3-4 
電話:0467(22)6099
営業:15時〜22時 月曜休

鎌倉駅東口から徒歩1分。レトロな丸七商店街の一角に構えるひときわ賑やかな立ち飲み店。Tシャツ、短パン、ビーチサンダルで気軽に立ち寄れる鎌倉では貴重な存在。店主タカさんの「いらっしゃい!」「あいよっ!」の元気なかけ声と、歩ける隙間もないほど満員御礼の店内を「ちょっとごめんよ〜」と縫うように駆け回る小柄なめぐちゃんはもはや名物。近海の地魚と丁寧に仕込まれた串ものを肴に、鎌倉ローカルたちが陽気に呑む熱気は酒場の醍醐味。ビール中瓶500円、生中450円、日本酒グラス500円、ホッピーセット400円、焼き鳥130円〜、おでん各100円。旬の刺身・魚350円〜。