おじさん酒場 山田真由美・文 なかむらるみ・絵

2016.8.4

18注文の多いアシカおじさん

満州焼きと赤星[一徳・藤沢]

 

 

 わが家はしつけに厳しかった。箸の上げ下ろしから口の動かし方まで細かく注意され、小皿に醤油を残すとひどく叱られた。「お刺身にそんなに醤油をつけて食べないでしょう? 無駄にしないの」。母の言うことはごもっともなのだが、10歳かそこらの子どもには、なかなかその加減がわからなかった。
 ものを大切にせよ。残すのは、自分というものがわかっていない証拠で恥ずかしいこと――。
 母の教えは、いま酒場で生きている。やたらに頼まないし、小皿に醤油を残すこともない。自分の作法について、ある程度の信頼があった。注文の多い焼き鳥屋の暖簾をくぐるまでは。

 酒を呑まない友人と平塚で餃子を食べ、早々に「じゃあまたね」と別れたあとだった。瓶ビール1本では足りず藤沢の焼き鳥屋「一徳」に入った。二度目の訪問。曇りガラスの引き戸を開けると、ギロリ。蛍光灯に照らされて光る坊主頭の大将と目があった。「どうぞ」。促され、カウンター席の手前に腰掛ける。瓶ビールを頼むと、シュポッ! 見事な音で栓を抜き、サッポロクラシックラガーが差し出された。赤い星印がデザインされた通称「赤星」だ。コップにビールを注ぎながら、前回、連れの赤い顔を見て、「本来、酒の入った客はお断りだよ」とぴしゃり注意されたことを思い出した。また叱られたくはない。餃子とビールを摂取してきたことがバレぬよう、串ものを数本まとめて注文すると、
「そんなに頼んだら、焼き物が冷めるだろう?」
 たしなめられた。半袖の白い上っ張りに細い銀縁眼鏡。上を向いた鼻と黒目がちな瞳、ツルピカの頭が“アシカ”を思わせる。あの愛くるしい海の生き物は、こんなうるさいこと言わないが。

 

「おねーさん、2回目だよね」。前回からもう1年近くなるのに、すごい記憶力。「まず、品書きをよく見てよ」と表情を変えずに言う。 そうだった。壁の品書き札には左端から、かしら、たまご、すなぎも、かわ、たん、ぴーまん、てばさき、ししとう、ねぎ、なんこつ、えび、かき、ぎんなん、しいたけ、ねぎにく、あすぱら、れば、こぶくろ、ちょりそ、にんにく、しろと書かれている。値段の表記はない。ガラスケースの奥のほうは確認できなかったが、仕込んだ串がその順に並んでいるのだろう。
 さらに品書き札の上に注目。
《品名ごとに必ず本数を続けてください (品名・本数とも、お連れさんの分まとめてください)。カシラの味噌焼きが名物満州焼きです。その他は、素材に合った味付けをします。(タレと塩の味付けしか知らない方が多いので)》
《ねぎまはありません! 魚のマグロと根深ねぎのブツ切りを合わせ煮た鍋がねぎま。当店はやきとり屋ですので鍋屋のメニューは置いてません》
 との断り書きが手書きでびっしり書かれている。そうそう思い出した。初めてのときも、地元の連れに「偏屈なおやじがやってるんだけど、味はうまいから」と言われて連れてきてもらったのだった。でも、こんなに注文の多い店だっけ。入ったのを後悔しかけたが、ひとりの先客がうまそうに囓っている手羽先に食欲をそそられ、気を取り直した。

「ちょっと。七味は串にかけるものだよ。なんでわざわざ皿によけるの」
 え?
「そんなふうにしたら、皿に七味が残ってもったいないだろう。だいたい食べる前からかけるっていうのはどうかね」
“バカ”がつくほど辛いもの好きの私は、焼き鳥にしてもモツ焼きにしても煮込みにしても何にでも七味(もしくは一味)唐辛子をかけるし、おでんには辛子たっぷり。勤め人だった時代は、会社の冷蔵庫にマイタバスコをキープしていた。
 いま、目の前の皿には吟味して選んだ、この店名物だという満州焼き(カシラの味噌焼き)、砂肝、鶏皮が1本ずつ。皿の端に七味をふり、ちょんちょんと串をつけて食べはじめていたところだった。
 またしても挫かれた。しかも、我が悪食を指摘され、おまけに食事の作法を注意されるなんて。どう食べようが、勝手じゃないか。ケンカっ早い父親の血を引いた私は、そう言いそうになって、ビールでかろうじてムカつきを留めた。

「なんだよ、イチから焼き鳥の食べ方教えないとダメかね」
 大将のお叱りはなお続く。1本ずつ食べていたら、ほかの串と交互に食べないと残った串が冷めて固くなるという。しかし、これには黙っていられない。口のなかでカシラの味、砂肝の味、タンの味とくるくる変わるのはせわしない。おいしいのに、ちゃんと味わえません。そう言い返すと、
 ふん、と鼻を鳴らして「ああそうかい」と肯定も否定もせず言った。
 食べてみると、悔しいがとびきり旨いのだ。「安いものはたいてい嘘っぱちだ。そんなもんが食いたかったらよそに行っておくれ」と豪語するだけのことはある。

 甘辛い味噌味が合うカシラの満州焼きや、醤油で食べる砂肝の香ばしい新感覚。鶏皮に至っては、どうしたらこんなにぷるんぷるんに焼けるの、という衝撃。そのまま感想を述べると、まんざらでもなさそうな顔で「好きにしな」と黙った。ビールを2本干し、先客はとうに去り、ほかに客がくる気配はない。引き上げるべきか。しかしどういうわけか、叱られてばかりいたのに、不快どころか快感すら覚えていた私。もっと緊縛されたい、この偏屈おじさんに。

「店仕舞いしたら、おれも呑むからゆっくりしていけば」。そろそろ閉店の22時が近づいていた頃。焼き鳥の食べ方も心得ていない客だと呆れられたとばかり思っていたのに。ツンデレか?
 迷ってさまよう視線の先に、「このわた」の文字を見つけた。ナマコの内臓を塩辛にした珍味。懐かしい。子どもの頃、父親が自分で獲ってきたナマコを自分で捌いて酒の肴にしていたのだ。
 潜って獲ったアワビや伊勢海老を現金にしたり、釣り人を乗せる遊漁船をやっていた父親の話をすると、「おれのも自分でとってきてつくったやつだから食べてみなよ」と、瓶から黄金色の細い糸のような代物を手塩皿に盛ってくれた。ぷんと強い磯の香り。「こりゃあ、日本酒だろ」と大将。ならばと、浮きかけた腰をふたたび据えて呑むことにした。
 大将は22時きっかりに暖簾を店内に仕舞い、冷蔵庫から発泡酒の缶を取り出すと、「ちょっと接近するよ」と断って、私のとなりに背を向けて座わり、テレビ相手にコップに勢いよく注ぎ、ぐいっとひと息。接近って……。シャイなのね。可笑しくて、光る後頭部にニヤリ。「閉店後、ここで一杯やるのが日課で。これ、おれの晩酌用」。顔だけ私に向けて初めて白い歯を見せた。自分で〆たのであろう、てらてらの鯖をひと切れつまんだ。
 私たちは、それぞれの酒と肴で小一時間を過ごした。そのうち、おじさんは海難救助隊員だったという若い頃の話をしてくれた。地元藤沢を拠点とし、江ノ島や茅ヶ崎などの海域を船でパトロールし、いざというときに備えて泳力を鍛えるなど訓練を積んでいたという。(まさかの)iPadを取り出し、見せてくれた白黒写真の中には、黒いウエットスーツに身を包み、水素ボンベを背負った精悍な顔つきの青年が立っていた。まだ髪の毛がある。アシカじゃなくて、海猿だったんだ。
 帰り際、元海猿おじさんが店の外に出て見送ってくれた。そばに立たれると背が高い。
「気が向くと潜ってっからさ。次はまた別の珍味が喰えるかもしれないな」
 ニコリともせず、おじさんは言った。潮目を探るような、そんな顔つきだった。
 発光する夜の繁華街が、そのとき一瞬、海底に沈んだ街に思えた。ゆらゆらと揺れる海藻の間を、黒いウエットスーツを着た海猿おじさんがアシカのごとく泳ぐ。
 愛嬌たっぷりに見えるアシカ。だけど、じつは神経質なこだわり屋なのかもしれない。

やきとり一徳

神奈川県藤沢市南藤沢20-21
電話:0466(26)4594
営業:17:00〜22:00 日曜休み

藤沢駅南口から徒歩3分。ド渋な店構えが目印。昭和45年創業。大将曰く、藤沢で最古参の居酒屋。名物の満州焼きはかつて働いた野毛「庄兵衛」の味を継承しているとのこと。一徳にはドメスティックルールがあるので、入店したらまず壁に貼られた説明を読みましょう。決して酔っ払って行ってはいけません。喫煙もNG。酒は、ビールのほか、焼酎、日本酒、梅酒、赤ワインがそれぞれ1種類ずつ。串もの同様、こちらも値段がない。正直、安くはありません。でも、どれも上物とわかる味。特に、エビや牡蠣を実食されたし。大将は口うるさいが、単に自分が焼く串をいちばんの状態で食べさせたいだけなのだろう。客に疎まれようが偏屈だと言われようが、わが道を突き進むおじさんの頑固さには一本筋が通っている。平均点な酒場では飽き足らないあなた。ぜひ藤沢まで足を運んでみてください。刺激的、痛快美味な体験をお約束致します。

 

 

(第18回・了)

 

この連載は月1でお届けします。
次回2016年8月31日(水)掲載