おじさん酒場 山田真由美・文 なかむらるみ・絵

2014.10.22

02茄子をくれるおじさん

 鯵の活き造りと鳥恵豆腐[鳥恵・大船]

 

 

 酒場のおじさんはモノをくれる。
 たまたま隣り合わせたよしみで「一杯どうぞ」「これ、うまいから食べてみな」とご馳走になった経験のあるひとは少なくないと思う。
「いいんですか。ありがとうございます」
 そう言って、相手の好意を素直に受け止められるのは、そこが高級レストランではなく、お金をあまり気にせずに楽しめる大衆酒場だから。そして、お酒を呑んで心が大きくなったおじさんの、他意のないそうしたささやかな好意の表し方を素敵だなと思う。本人はそのときの気分だったり、勢いだったりするのだろうけれど、受け取った側の心を、スッともちあげてくれることがあるのだ、ごくたまに。

 その日は、大船で呑んでいた。
 酒場百戦錬磨の先輩から、「鶏肉専門店が経営する飲み屋なんだけど、刺身がめっぽう旨くてさ。ぜったい気に入るから一度行ってみなよ」と教わり、やってきた。
 鶏と活魚。看板料理がふたつあるのは、アイドルグループのセンターがふたりいるようなもので、バランスをとるのがむずかしいのではないかとちょっと気になったが、店の立派な構えを見て、そんな不安は吹き飛んだ。
 朱色の楷書で「鶏肉専門店 鳥恵」と書かれた大きな看板の鶏屋があり、その隣に、「活魚・鶏料理 居酒屋鳥恵」
 これまた堂々たる看板。重みある店構え。のれんの向こうから、活気に満ちたさざめきが漏れている。

 入るとすぐの大きな水槽に目がいった。鯵、鯵、鯵。銀色の肌を輝かせながら優雅に泳いでいる鯵。最後の晩餐には「鯵タタキ」と決めているほどの鯵っ喰いにはたまらない光景だ。
 奥に長いカウンターには、地元民と思われる紳士淑女が憩っている。最奥にはイカリングに鯵フライ、天ぷら盛り合わせと揚げ物祭りを繰り広げているおじさんと、対照的に塩辛だけでお銚子を傾けているいぶし銀がおひとり。揚げ物おじさんはレジ前の席で、ほかの席よりカウンターの奥行きが狭く、そんな窮屈なところじゃ楽しめるものも楽しめないんじゃないかと心配してしまうくらい小さなスペースに不釣り合いな大皿を並べ、左手にはチューハイグラス。グラスの置き場所がないのだ。でも、当の本人はまんざらでもなさそうだ。むしろ、ここが我が席とでもいい出しそうなくらい満足が佇まいから漏れている。
 一方のお銚子おじさんは、となりでばりばりと音を立ててイカリングにかぶりついているご同輩に目もくれず、空を見つめて塩辛をつつき、おちょこをちびり。マイペースこのうえない。いいなあ、自分の世界を持っているおじさんて。

 酒場劇場の役者が揃った、と案内された唯一の空席に腰を下ろす。
 キリリ立ち働く板前さんの頭上に掲げられた黒板は、品書きの上からシュッと線が引かれ終わってしまったものも多い。「あじの活造り」は……、あった! いの一番に瓶ビールとともにお願いした。

 さっきまで泳いでいた鯵は熟練の板さんの手によって手早く捌かれ、まだ口をぱくぱくさせている。成仏しておくれと手をあわせて半身を4切れにしただけの大ぶりをほおばり、まちがいなく今シーズン一の鯵だと感動した。ほわんとした甘み、青魚独特の香りには気品さえ感じられ、うっすらとした脂が旨味をあたえている。
 くぅうっ、と身をよじって感動していたら、
「ねえさん、よっぽど鯵が好きなんだね」
 声をかけられ、ハッとすると、よく陽に灼けた坊主頭の男性が隣で白い歯を見せて笑っている。彫りが深く、うっすら無精ひげ。50代前半だろうか。いや、ラコステの黒いポロシャツが若々しいけれど、もう少し人生を重ねているかもしれない。
 奥のほうで盤石のおじさんっぷりを見せつけ続けるふたりの役者ばかりに目がいき、隣にまったく意識がいかなかった。
 こちらのおじさんもひとり。会話がはじまる。
 初めて来ました。そういうと、「俺も初めてなんだけど、当たりだぜ、ココ」。声が弾んでいる。初めて入った店がいい店だと嬉しいですよね、わかります。
 なぁ、と相づちを打ちながら、肩越しに後ろのおばちゃんに「酒ひとつ。大きいので」と声をかけている。「冷たいの?」「いや、常温で」と短いやりとりがあり、
「呑むだろう? そっちも同じのでいいよな」
 古くからある大衆酒場がそうであるように、酒の種類は多くない。秋田の酒造メーカーの普通酒「高清水」。なんの印も文字も入っていないのがかえって粋な背高の白徳利の口までなみなみと注いでくれる。

 

 湘南生まれ湘南育ちだというおじさんは、この夏映画化されて話題になったマンガ『ホットロード』(紡木たく著)の主人公ハルヤマ(暴走族のメンバー)のような青春時代を送り、「人に言えないようなこともいっぱいやったけどな」とサラッと口にする。断片的な話をまとめると、たぶん暴走族の頭だったのだろう。
 紳士的にお酒をついでくれるソフトな印象からは想像できない。

「鳥恵豆腐って、なんだろな」
 メニューを見ながら首をかしげる。この店の名前を冠した一品。きっと自慢の肴なのだろう。興味あります。食べませんか? 
「むろん。合点だ」
 江戸ッ子口調が粋で鯔背な色男とたまたま隣り合わせた縁に、浮いた気持ちになっていると、
「いい夜になったな」
 私の心の声が聞こえたかのようにいう。
 熱々の透明なあんをまとった豆腐は、鶏の出汁が濃厚に香り、塩味だけのシンプルな味わいが締めくくりの品にふさわしかった。

 会計を済ませ、お互い席を立とうとすると、ポーターの分厚いバッグを肩にかけながら、「茄子は好きかい?」と聞いてきた。
 え? 
「仕事場でとれた茄子、あんだよ。持ってかない?」
 あまりに唐突な申し出に、一瞬ポカンとしてしまった。聞けば、元暴走族の頭のおじさんは、横浜で有名な名門男子校の社会科教師。不登校になりかけた生徒たちを誘い、彼らと一緒に校庭の一角で野菜を栽培しているのだという。
「おれも農業なんてやったことないから必死で勉強したよ。でも生徒たちには一切こうしろ、ああしろとは言わないんだ。自分たちで調べて四苦八苦して育てた野菜が実ったら、嬉しいだろ」
 太陽のもと、彼が高校生たちと一緒に土を耕し、汗を流している姿を想像した。スポーツが盛んな高校で、校長は校庭に畑なんてと最初は渋ったが、「挫折した生徒たちを放っておいていいのか。彼らに自分の手でものをつくる達成感を味わわせたい」と迫ったそうだ。

 授業で芥川龍之介の『羅生門』の話をし、そういや記憶がおぼろげだと駅ナカの書店で求め、ここで読んでしまったという文庫、そして茄子を2つ渡された。
 さっき何を読んでたんですか? と興味を示し、芥川は短編の名手ですよね、などと知ったふうなことを口にしたせいだ。中学生に戻った気分でありがたく受け取り、手をふって別れた。
 翌日、茄子を網で炙りながら、台所で『羅生門』を読んだ。

 

鳥恵

神奈川県鎌倉市大船1-19-13 
電話:0467(44)9914
営業:17:00〜22:30 日祝休

「新鮮でおいしい刺身、湘南一をめざし頑張ります。」本日のおすすめ黒板にさりげなく添えられたひと言に、この店の矜持が表れている、大船で人気の大衆酒場。隣の鶏肉専門店が経営するため、焼き鳥などの鶏料理は鮮度抜群。また、相模湾を中心とする近海で獲れたピッチピチの刺身もはずせない。カウンター席の奥にはテーブル席と座敷があり、2階には宴席も。キリンラガー瓶大500円、生ビール(中)450円、酎ハイ380円、日本酒は高清水450円、開運550円、浦霞550円など。焼き鳥120円~、あじ活造り680円など刺身各種あり。どれも安くて大盛り!