おじさん酒場 山田真由美・文 なかむらるみ・絵

2016.11.30

21コマネチおっちゃん

QBチーズとコップ酒[稲田酒店・大阪天満]

 

 

 日が傾きかけた時分。ランニングの格好でコンビニに立ち寄り、仕事の書類を宅配便に出すと、そのまま走り出した。冬のはじまりを思わせる冷たい空気が首元を通り抜けていく。鎌倉の自宅から七里ヶ浜までの海岸線を往復する7キロほどのコース。折り返しの七里ヶ浜駐車場で、サッカー部の高校生たちとすれ違う。「よせよ」「いてっ」ボールを蹴りながら男の子たちはまるで子犬のようにじゃれ合っている。青春の眩しさに目を細め、走りながら、あれ、となった。同じような光景をどこかで見たような……。視界の先に浮かび上がる江ノ島を眺めながら記憶をたぐりよせると、大阪で出会ったふたりのおじさんのことがすぐに思い出された。

 大阪駅から環状線外回りでひと駅の天満(てんま)駅。改札を出ると、いきなり昭和が匂い立つ路地に放り込まれた。「ここ、日本一長い商店街なんやて」石垣島出身だけど天満生まれの夫を持つ5つ年下の友人は、大阪に来ると関西弁になるらしい。私たちはどこまでもアーケードが続く天神橋筋商店街を歩きはじめた。
 私は、2日後に開催される大阪マラソンに出場する彼女の夫を応援するという名目で、大阪に飲みにきたのだ。生粋の天満人にその深部を案内してもらえる! 勇み足で向かうと、待っていたのは、ギンガムチェックのボタンダウンにポシェットを斜めがけしたガーリーな彼女ひとり。なんでも、「あそこは男が混ざらんほうが絶対楽しいから」と遠慮したのだとか。天満男の助言、きっと何かあるのだろう。

「特売!!」の文字が躍る雑然としたドラッグストア、「生ビール1杯目100円!」の看板に驚愕の串カツ屋、不気味な柄on柄のセットアップやブラウスが並ぶ婦人服店、芳ばしいソースの香りを漂わせ店頭でジュウジュウやっているたこ焼き屋……。
 チェーン店ばかりのつまらない街並みになってしまった東京とは違い、大阪はひと駅ごとにまったく違う表情があって、全身がアンテナのようになる。まちが放つ強烈なエネルギーにゾクゾクしながらたどりついたのは、店頭に酒の自販機が並び、瓶ビールや一升瓶のケースが積まれている「稲田酒店」。藍暖簾の掛かる店内は開け放たれており、紳士諸君の足が何本ものぞいている。「酒屋さんがやってる角打ちで、西の日本酒が豊富なの」ガーリッシュなファッションと裏腹に、呑み屋ではグラスを握っていないと落ち着かない彼女(ひそかに私は、小さいおじさんと呼んでいる)が説明する。
 天満は夜の7時。暖簾をくぐると、芋洗い状態の銭湯さながらの熱気。実際、人々が発するのか、店のおでんの湯気なのかわからないが視界が曇っている。右側に十人以上は立てる年季の入った木製のカウンター。その内側では、えもん掛けをした姐さん3人が大鉢からお総菜をよそったり酒を注いだり、忙しそうに立ち働いている。入口の左手には日本酒の1升瓶がずらり貯蔵された冷蔵庫があり、酒屋の前掛けをした体格のいい兄貴が客に酒の説明をしている。客たちは姐さん前のカウンターと左スペースのテーブルに鈴なり状態だ。

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 入れるすき間を探して首を伸ばして見ていると、奥のおじさんが「こっち、こっち」とばかりに手招きする。かろうじてふたり立てるテーブルを確保できた。
 おじさんにお礼を言いつつ、ふと考えた。やっぱり大阪人に“おじさん”は似合わない、と。大阪の“おばちゃん”同様に、出会ったその瞬間から半径30センチまで物理的・心理的距離を縮めてくるノリのよさと、切れ味鋭い笑いのセンスは、“おじさん”などというかしこまった呼称ではなく、“おっちゃん”がぴったり。相手との距離を感じる“さん”より、半径30センチの関係は、やっぱり“ちゃん”なのだと、大阪ならではの人の間合いに、ひとり納得。
「なに、呑む〜?」
 えもん掛けで手を拭きながら訊くおばちゃん、失敬、姐さんに瓶ビールを所望すると、「キリン、アサヒ、サッポロ、サントリー、ひととおりあるわよ」。さすが酒屋。サッポロでというと、「黒? 赤?」。ふたたび尋ねられる。黒ラベルとラガーの赤星のことだ。赤星を選ぶと、さらに「あとで日本酒、呑む?」と顔を覗き込んでくる。うなずくと、満足そうに微笑み、ビールを取りにいった。

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「日本酒推しなんだね。酒にすりゃよかったかな」赤星で喉を潤しながら言うと、「ううん。やっぱりビールから始めたいよね」軽装な友人は、斜めがけポシェットのままおいしそうにビールを呑む。小さいおじさんはさすが酒場慣れしているわ。
 ふと視線を感じて顔を上げると、姐さんたちが働くカウンター側に据えられたビールサーバーをテーブル代わりにチューハイ(かな?)を呑んでいる50歳前後と思しきおっちゃんが、こちらをニコニコと見ていた。目が合うと、待ってましたとばかりに一歩踏み込んで、「オネーさんたち、なに、女子会?」声をかけてきた。胸元にレッドブルの闘牛2頭がプリントされた白いTシャツにゴツいネックレスとピアスに指輪。ジーンズの足元は真っ赤なプーマ。髪はツンツンに立てていて、見た目は間寛平さんをちょいとイケメンにしてひとまわり若返らせた感じ。好奇心旺盛で、やんちゃな雰囲気までカンペイちゃんだ。
 私ら年齢的には婦人会なのだけど、と思いながら、「まぁ、そんな感じです」と答えると、「なんや、相方エリンギみたいやんか」と友人に向かってツッコむ。ぱっつん前髪のマッシュルームカットをいじらずにはいられないらしい。「きのこはよく言われるけど、エリンギははじめてや〜」。まんざらでもなさそうな友人は、えへへと照れ笑い。
「見かけん顔やけど、大阪人かいな?」
「私は旦那さんが天満の人で、住まいは東京。彼女は鎌倉から」
「シュッとしてはると思うてたら、やっぱり関東のねえちゃんたちやったか」
 反応したのは、私たちを導いてくれたおっちゃん。キャップに黒いヤッケという出で立ちで、筋肉質のレッドブル氏と同じく上背がある。60代半ばかな。ヤッケのおっちゃんは私の知らない鎌倉の神社仏閣をすらすらと挙げて、「行かはった?」首を振ると、「なんや鎌倉住んどって、もったいないな」と言って、今度は「あんたら京都は行かへんの? いまやったら西本願寺の国宝、飛雲閣が一般公開されてるで」と京都にも詳しいらしく、妙心寺、大徳寺、東求堂……と京都の寺院の説明をはじめた。「いやぁ、私たち大阪マラソンの応援に来たんで」と私が口を挟んでも、お構いなし。どこそこの〇〇が拝観できるのはいまだけやで、と両手を胸の前でもみ合わせ、長い睫毛の下で瞳をキラキラさせて熱弁を振るっている。

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 舞台を奪われたレッドブル氏、じりじりと形勢逆転のタイミングを狙っていが、とうとうしびれを切らしたのか、唐突に前にしゃしゃり出て、「コマネチ!」。は? 私たちが戸惑いの薄笑いを浮かべると、ヤッケのおっちゃんも負けずに「コマネチ!」。ドヤ顔で、外股のそけい部にV字の手を当て、ふたりでポーズをとっている。な、なんでコマネチ? わけがわからずにいると、「東京いうたら、コマネチやろ〜?」……??
 呑まずについていけぬ。ビールから日本酒(友人は淡路島の「都美人」、私は島根の「東郷」)に変えた。
「そない呑んどって、なんも食べへんかったら酔うてしまうで」。ヤッケのおっちゃんに言われて、何かつまもうかと品書きを探すが見当たらない。「これ、食べや」とレッドブル氏が枝豆の皿を差し出した。さらに、どこから取ってきたのか、「剥いてやんで、喰い」とQBチーズの銀紙を半分剥いて、私たちにひとつずつ手渡してくれた。きゅん。なんということか。おっちゃんにチーズを剥いてもらった私は、うっかりトキメいていた。いいんですか、ありがとうございます。そう言おうとすると、「かまへん、かまへん。なんぼでもないさかい」とゴツいシルバーの指輪をした右手を左右に振って、食べろと促す。「じゃあ、遠慮なくいただきます!」私たちは三角形のQBチーズをかじり、冷凍ものではない茹であげの枝豆をつまみに日本酒をさらにもう1杯ずつ追加した。

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 レッドブルとヤッケの弾丸トークはその後も留まることを知らず、私たちはただただ相づちを打つのに精一杯だった。片方のボケにもう一方がツッコミを入れる無限ループ。「なんやねん」「アホか」言いながら、ふたりは肩をつかんだり、胸をたたいたりと仲が良い。「テラさん」「ツジちゃん」と呼び合っているから友だちかと思っていたが、そうではなく、時折この稲田酒店で顔を合わせる客同士なのだという。それにしても、私たちを笑わせようと競い合って、コマネチを連発してじゃれ合う姿は、七里ヶ浜で見たサッカー部の高校生たちと何ら変わらなかった。
 男たちはいくつになっても少年で愛すべきアホで、無邪気なのだなー。
「ちょっとあんたら、ええ加減にしぃや。ねーさんたちの邪魔してんやないの!」
 おっちゃんたちの悪ふざけを見かねた店の姐さんから喝が飛んだ。
「しもた」
 叱られたふたりは、一瞬にして黙り、私たちに「かんにんしてや」と片手でごめんのポーズをとると、今度は姐さんたちに向かって「えらいすんまへん」と頭を下げている。その様子は、調子に乗りすぎておかんに怒られ、バツが悪そうに縮こまっているワンパク坊主そのものだった。
 天満男子が、ふたりで行ってきぃや、と言った理由がようやくわかった。ここに彼が加わっていたら、こんなに愉快な体験、させてもらえなかったに違いない。

稲田酒店

ojisan_21_05大阪府大阪市北区浪花町6-4
電話:06(6371)0636
営業:13:00〜20:30 日曜休み

大阪からひと駅、食の都といわれる天満。駅前から延びる日本一長い商店街、天満橋筋商店街から天五中崎町商店街(地元民は“天五”と略す)に入ったところにある酒屋経営の角打ち。日本酒がとにかく豊富で、特に西日本の、東京では見かけない地酒が多い。1杯(100㎖)390円〜。手作りのお総菜も豊富で、おでん90円〜、湯豆腐150円、お造り各300円〜、だし巻き280円など。枝豆とチーズは品書きになかったけど、いくらだろう。界隈のサラリーマンや年金暮らしのおっちゃんのほか、日本酒好きの女性も多く、昼から夜から活気に満ちている。カウンターには立派な生け花が飾られ、お姐さんたちの細やかな気配りもあったかい、ほがらかな角打ち。女性のひとり呑みにもおすすめです!

 

 

(第21回・了)

 

この連載は月1でお届けします。
次回2017年1月23日(金)掲載