おじさん酒場 山田真由美・文 なかむらるみ・絵

2015.1.20

03高級なおじさん

 秋刀魚の燻製とせりひたし[泰明庵・銀座]

 

 

 小学校に上がるか上がらないかの年端もいかない頃、祖父はわたしを連れて、ときおり外で酒を呑んでいた。
 記憶の奥底に、徳利を傾ける祖父の姿がぼんやり残っている。幼児のわたしが許される店が限られていたからなのか、単にそういう場を好んでいたからなのかはわからないが、行く店は寿司屋か蕎麦屋と決まっていた。
 蕎麦屋といっても丼ものや定食、ラーメン、カレーなども置いている、まちの食堂に毛が生えたようなものだ。わたしがオレンジジュースに、カレーや親子丼を食べている向かいで、板わさ、焼き海苔、蕎麦味噌と蕎麦屋の定番つまみ三点セットに徳利が並んでいた。その絵面がこっけいで、「まゆみ、何か食べにいくか」と誘われると、わくわくしながらついていったものだ。
 祖父は1合徳利できっちり2合。それ以上は呑まなかった。おかわりを頼むときの、店のおばちゃんに徳利の首をつまんで軽く振ってみせるしぐさをジュースの小瓶でよく真似していたっけ。
 いつかあんなふうに、「蕎麦屋で一杯」やれる大人になりたい。おぼろげな記憶に残る祖父の酒の呑み方がいつしかわたしのお手本となっていた。

 しゅっと呑んで、サッと帰る。そんな粋な酒呑みに憧れるが、なかなかどうして。とくに片端から頼みたくなる酒肴がそろう蕎麦屋などに入ってしまったら、ねえ。
 平貝刺身、皮はぎ刺身肝あえ、白子天ぷら、メゴチ天ぷら、桜海老かき揚げ、長芋の千切り、菊花ひたしポンズ、生しらすポンズ、うるめ、生タラ子、かしわとじ……。
 突然の冷たい雨に、本連載の画伯なかむらるみさんとあわてて駆け込んだ銀座「泰明庵」で、壁にずらり並ぶ短冊に目を泳がせながら、思う。
「せりのひたし、舞茸天、秋刀魚の燻製。それと熱燗2本、熱々でね」
 奥の角席から声がかかる。
 銀髪に、頭頂部が輝かんばかりの3人の紳士。ひとりはツイードのジャケットにサイドコアブーツがのぞいている。もうひとりは、棒タイにキャスケット。背中しか見えないおじさんは、ハリのある生地の仕立てのよさそうなスーツを着ている。
「高級なおじさんたちですね」
 おじさん観察歴10年のるみさんが言う。
 ツイードの高級おじさんは常連らしく、背中に桔梗の家紋が入った半纏が鯔背なおばさん店員と談笑している。初めて入った店では、ご常連の注文にならうべし。
 秋刀魚の燻製が気になる。おじさんと談笑していたおばさんに尋ねると、「お酒を呑まれるんだったらおすすめよ。うちの店の裏で秋刀魚を桜チップで燻してつくるの。厨房まで煙だらけで大変なんだけどね」と歯切れよく説明してくれる。
 蕎麦屋で燻製か。珍しい取り合わせ。
「じゃあ、ぬる燗1本と、その秋刀魚の燻製とせりのおひたしください」

 席についてから10分も経っていないが、ひっきりなしに客が入ってくる。蕎麦だけかきこんで帰る客もいるから、回転は速い。ビール、白子天、生たらこをひとりでやっつけているおじさんに、背中の家紋が褪せて見えなくなるほど年期の入った店員さんが「相席、いいですか?」と声をかけた。「どうぞどうぞ」。おじさん、テーブルの酒やつまみを自分のほうに寄せている。「すみません、ありがとうございます」。若いカップルが向かいに並んだ。おじさんはにっこり笑顔になった。
 ひとり呑みのおじさんには2タイプあるように思う。
 周囲に目もくれず、独り己が世界に入って粛々と呑み重ねるおじさん。反対に、開放的で、店のひとや客とのコミュニケーションを好むおじさんもいる。
 魚卵好きのおじさんはどちらかというと、後者のタイプなのだろう。
 
 せりの強い香り。燻した秋刀魚のひなびた味わい。
「真似して正解でしたね」とるみさん。

 うん。加えてわたしは、「たらこ、ちょい焼きで」とお願いしていた魚卵おじさんも気になるよ。
「そばコロッケ、3つちょうだい」
 奥の高級おじさんから新規注文だ。そばコロッケ? 蕎麦入りってこと?
 すかさず「こっちもそばコロッケ、ください。あと、たらこちょい焼きとお酒1本も」
 そばコロッケは、鴨と鶏のひき肉に蕎麦と玉ネギをしっかり練って、半量になるまで炒めた種をつかっているそうだ。こんがり揚がった熱々をほおばると、クリーミィーななかに香ばしさが顔を出し、ビールより燗酒が似合う。

 ずず、ずずずーーーっ。
 いつのまにか、高級おじさんたちはシメに入っていた。3人とも同じ角度で背中をまるめ、一心不乱に湯気のたつ蕎麦を啜っている。
 おじさんたちと話してみたかったわたしたちは、「帰っちゃうよ、どうしよう」と会話のきっかけをつかめないまま、好奇心をしまうべきか、勇気をふるうべきか迷っていた。
 食べ終わったツイードのおじさんがスッと席を立ち、勝手知ったるしぐさで冷蔵庫上のティッシュを箱ごと持っていき、額と耳の後ろの汗を拭き取ると、お仲間にも「ほら」と渡した。

 会計を済ませ、ほんのり上気した頬のおじさんたちが帰り際、わたしたちに声をかけてくれた。「お先に失礼するよ」。
 すかさず、るみさんが聞く。
「みなさん、なんの集まりですか?」
「おれたちかい? 老人会さ」
 え?
 ワッハッハ!! 豪快におやじギャグをかましていただいてから、
「いやいや。商店街組合の古い仲間でね。さっきまで会合があったんだ」
「よくいらっしゃるんですか?」
「こちらの先輩が常連で、おれたちは連れてきてもらってんだよ」
 言われたのは、先ほどティッシュを取りに行っていたおじさんだった。
「この人はオーダーメイドの紳士服屋をやっていてね。こっちのおじさんは、靴屋。ふたりとも銀座で長いよな、ずいぶん」
 先輩と呼ばれたおじさんが教えてくれる。
「先輩は商社で、ヨーロッパから輸入した商品をおれたちの店に卸してくれていてね」
 どうりで3人とも高級な香りがしたわけだ。
「お蕎麦はなにを召し上がったんですか?」
「かき南。天とじ。舞茸天カレー」
 三者三様。しかもがっつり系だ。
「ここの蕎麦はどれも大盛りで、腹一杯になるからいいんだよな。ざるなんか、2、3回たぐったらもうおしまいの上品な蕎麦屋、ありゃダメだね」

 腹にたまらない酒肴でちびちびと酒を呑み、上品な盛りの蕎麦で締めくくる。
 粋な呑み方とはそういうもの。勝手に思い込んでいたけど、酒はもっと自由でいいのだな。
 そう改めて考えていると、ふいに祖父が酒を〆たあとは、鴨南かカレー南をつゆも残さずぺろりとたいらげていたことを思い出した。

泰明庵

東京都中央区銀座6-3-14 
電話:03(3571)0840
営業:月〜金11:30〜21:00 土11:30〜15:00
日祝休

泰明小学校近く、庶民的な構えに「そば、軽食」の看板。1階、2階あわせて50席以上あり、時間にかかわらず賑わう。前身は戦後料亭などを相手に商売をしていた鮮魚店だったこともあり、魚介メニュー(刺身、焼き物、煮物、揚げ物、珍味)の豊富さと質のよさは常連も納得。瓶ビール中580円、日本酒は京都・元酒880円、滋賀・七本槍、金沢・黒帯750円など。つまみは壁を埋め尽くす短冊から選ぶのがたいへんだ。せりひたし(値段なし)、白子天ぷら980円、生タラ子480円、そばコロッケ2個480円など。蕎麦はもり・かけ600円から舞茸カレー1000円、にらカレー1100円など。全部大盛り!