おじさん酒場 山田真由美・文 なかむらるみ・絵

2015.5.29

06再出発なおじさん

 とんちゃんとホッピー[牛太郎・武蔵小山]

 

 

 平日の午後2時前。暖簾はまだ上がっていない。白髪の老人が当然の面持ちで入り、カウンター席に腰を下ろした。片側が寸足らずの変形コの字カウンターには、すでに酒を呑んでいるひとり客が何人もいる。
 ゆったりと広めの厨房では、白い上っ張りに調えられた白髪、すらりと長身の店主ジョーさんが常連たちに酒を出しながら、葱を刻んだり、串に肉を打ったり、仕込みの手を休めない。
 老人は、注文をせずに黙っている。茶色の皮のカバンからイヤホンと小型のラジオのようなものを取り出すと、チューニングを合わせ何かを聴き始めた。
 ジョーさんは老人に目礼すると、アサヒビールのロゴの入ったコップに焼酎をなみなみ注ぎ、ロンググラスに移し替え、ホッピーの瓶といっしょに彼の手元に置いた。氷は入っていない。

 老人はホッピーを静かに注ぎ切り、ひと呼吸。それから、喉をしめらすように口をつけた。黙って空を見つめるその先には、年月の流れが染みついた高い天井に裸電球のあたたかい光。ところどころはげ落ちた塗り壁に、伏見の酒「招徳」の文字がかろうじて読み取れるあめ色の看板。グラスを置いたテーブルは、積年の客たちの肘で角が消えるほどすり減り、手沢(しゅたく)によって艶やかだ。日々、丁寧に磨かれてきた清潔さは、客を安心させる。
「お待たせしました、何にしましょう」
 ジョーさんが声をかけてくれるまで、思い思いの酒を呑んで待つ。それが、牛太郎びいきの客の過ごし方だった。
 14時半、暖簾がかかった。紺地に白抜き、「牛太郎」の相撲字。20人以上は座れるカウンター席があっという間に埋まった。

 おおらかな酒場。数回通ってそう思った。開店前から呑むことを許してくれるのだ。客の側も、またおおらかだ。初めての客が、席につくなり勢い勇んで注文をしようとしたとき、「ちょっと待ってな。ちゃんと注文をとりにきてくれるから」とお隣りがやさしくいなしていた。
 私もあるとき、ホッピーの追加をお願いしたいが、忙しそうで注文し損なっていたら、「グラスを上に上げておくといいよ。おかわりの合図だから」と教えてもらったことがある。
 客に寛容な店は、客同士にも余裕や配慮が生まれるのかもしれない。待っている人が増えてくると、誰ともなく「ごちそうさん」と言って切り上げる客が出てくるし、帰りしな、ほとんどの客が、自分が飲み食いしたグラスや瓶、皿を上に片付けてテーブルをサッと拭いてゆく。ここの客にとっては当たり前なのかもしれないが、そんなやりとりがごく自然となされている酒場は貴重であろう。

 氷なしでホッピーを呑んでいる老人の前に、キュウリのお新香に刻んだショウガが乗っかっている皿が置かれた。相当、年季の入ったご常連なんだな、酒もアテも注文せずに出てくるのだから。同行のるみ画伯と目配せし、ふたりで感心していたら、ジョーさんに、
「何にしますか?」と声をかけられた。
 私たちも暖簾がかかる前から、先輩諸氏に混ぜてもらってホッピーを呑んでいたのだ。
「煮込みととんちゃん、お願いします」
 初めてだという彼女に、まずは食べていただきたい牛太郎のゴールデンコンビをお願いした。
「煮込みととんちゃんね」ジョーさんは右耳に挟んだ鉛筆を取ると、伝票に書きつけ半分に折り、風で飛ばされないように小さな木製クリップで留め、私たちの席の上に置いた。そして、正面カウンターの前にある大鍋をひと混ぜし、手早く小鉢によそった。
「はい、煮込み」
 プンと味噌の香り。120円の煮込みを、2皿に分けてくれている。しかも、刻んだ白葱は別皿だ。お好みでご自由にどうぞ、ということなのだろう。ささやかだが、こだわりやが多い酒呑みにはニクイ配慮だ。やわらかく煮込まれたさまざまな部位をつつく。すべての具が渾然一体となったまろやかな味わいは、ジョーさんの穏やかさを物語っているような気がした。
「とんちゃんて、なんですかね?」
 るみ画伯が聞く。
「まぁ、食べてみてよ。初代の、ジョーさんのお父さんが九州の炭鉱労働者だった客から教えてもらった味をヒントにしたそうだよ」
 以前、ジョーさんに教えてもらった話を受け売りしていると、「はい、とんちゃん」と実物がやってきた。
 ガツとハツの脂身の蒸し焼きに、ニンニク、ショウガ、ニラを刻んだゴマ入りの醤油ダレをかけたもの。「おいしい」と目を見張る同行者に、私も嬉しくなった。

 牛太郎は昭和28年、ジョーさんのお父さまが浅草で始めた店だ。30年に武蔵小山に移り、看板に記されているとおり、「働く人の酒場」として、汗を流す労働者たちに重宝されてきた。酒で一日の疲れを癒やし、モツで明日の鋭気を養ったのだろう。
「昔は40〜50人入れる店で、従業員も8人ぐらいいたんですよ。みんな2階で寝泊まりしていた。ええ、この店の上で。私は子どもの頃から、親父やおふくろが働く姿を見ていて、自分はこういう商売はやるまいと思っていました。大変な仕事ですからね、長時間立ちっぱなしだし。でも、親父が体を壊し、お袋ひとりで店をやらなければいけなくなったとき、自分も店に立とう、いずれ牛太郎を引き継ごうと決めました」
 いつかの、最後の客が名残惜しそうに残りの酒を呑んでいる時間。暖簾をおろし、夜風に吹かれてひと息ついていたジョーさんが客席後ろの待ち椅子に腰掛け、昔話をしてくれた。
「おいくつのとき、店に立ったんですか?」
 私の質問に、ジョーさんは耳に挟んだ鉛筆そのままにこう答えた。
「私が店に立って、“いらっしゃいませ”の心でお客さまをお迎えできるようになったのは最近です。……本当を言えば、そろそろ店を閉めようと考えていたんですよ」
 え。何歳から店を手伝っていたかはどうでもよくなった。こんなに客に愛され、行列ができるほどの繁盛酒場なのに。聞けば、3月末に焼き場を務めていた若手が辞めたことがきっかけだったという。
 ジョーさんは悩み抜いた末、引退をほぼ決めていた。
「でも、もう少し頑張ってみようかと思いまして」
 いつも柔和な表情のジョーさんが、はにかみながら心中を打ち明けてくれた。
「高橋さんに背中を押されたんですよ」
 “高橋さん”とは、私の若い呑み友だちで、ひとりで牛太郎の暖簾をくぐる強者だ。「20、30代の女性で、古い居酒屋が好きで通っているようなお友だち、いませんか?」ある番組から協力を依頼されたとき、こう聞かれて、まっさきに彼女のことを思い出した。紹介すると、すぐ話はまとまり、彼女のいきつけの牛太郎で番組の撮影をすることになった。
「もう店を閉めるつもりだから、テレビで紹介されてもなくなってしまいますよ。そう申し上げたんですが、私は牛太郎が大好きなので、どうしてもここで撮らせてください。熱心にそうお願いされたんです。胸打たれました。そこまでこの店を想ってくれるお客さんがいるのに、やめていいのか。若い店主のようにはいかないけれど、連れとふたり、自分世代に合った、のんびりゆったり酒場でいいじゃないか。そう思えるようになったんです」
 毎日、決まった時間にやってくる40年来の客。牛太郎に通うために、通勤の定期を余分に買っているというサラリーマン。初めての客に親切に指南してくれる常連たち……。みな、ここで出会った「牛太郎でないと」な人たちだ。彼らの存在も、ジョーさんの後押しになったに違いない。
 ときに、混雑で客への対応が遅れがちになり、怒って帰ってしまう人もいる。ジョーさんは、せっかく来ていただいたのに申し訳ない、もっとお客さまが心地よく過ごせるようにできないものかと腐心するが、自分たちがやれることのキャパシティと、こうありたいという理想と。そのギャップに悩む。「続ける」と決めたが、現実は思うようにはいかないのである。
 でも、とジョーさんは背筋を伸ばす。

 最近増えた女性客への配慮から、牛太郎はトイレを新しくした。
 きれいになりましたね、伝えると、ジョーさんは晴れ晴れと言った。
「まだまだ店は続けますよ」

牛太郎

東京都品川区小山4-3-13
電話:03(3781)2532 
営業:14:30〜20:00(土曜・祝12:00〜19:30) 日休

都心でありながら、下町感ただよう武蔵小山駅から徒歩数分。「働く人の酒場 牛太郎」の看板あり。注文はジョーさんこと、新井城介さんが声をかけてくれるので、焦らずに少々お待ちを。煮込120円、とんちゃん120円、モツ焼き各種100円、ホッピー390円、ビール(大)500円。筆者はどんなに食べて呑んでも、1400円を超えたことがない。初めてだという20代の女の子が「衝撃価格!」と驚いていたとおりで、お勘定を済ませると、いつもなんだか申し訳ないような気持ちに。