戦争と移民とバスタオル 安田浩一・金井真紀

2020.6.26

03タイ・連合軍共同墓地と寺に湧いた温泉

 

 

▼安田浩一

 

土地の古老に遭遇

 ジャングルの秘湯をたっぷり堪能した私たちは、来た道を戻った。
 バス停まで続く緩やかな坂道を歩く。
 午後の日盛りで、火照ったからだがさらに熱を増していく。汗で肌に張り付いたシャツを団扇のようにパタパタさせながら、風の中にわずかに含まれる冷気を取り込んだ。
 電柱のように素っ気ないバス停に近づいたとき、道路脇に面した民家の庭先に人影が見えた。
 高齢の女性だった。
 一瞬、目が合い、軽く会釈した。そのまま通りすぎようと思ったが、足元で磁力のようなものが働いたのか、私たちはまるで申し合わせていたかのように、そこで立ち止まった。
──ここに住んでいらっしゃるのですか?
 おそるおそる訊ねた。
 ぶしつけな問いに、女性はこくりとうなずいた。
 83歳。この場所に35年間住み続けているという。
 温泉を楽しんだ帰りだと私たちが告げると、女性は静かにほほ笑んだ。
 そうだ。どうしても気になることがあったのだっけ。私たちはジャングルの風景に気持ちが高揚し、風呂でのぼせ、南国の陽射しに思考を奪われ、大事なことを忘れていた。いまこそ、目の前にいる地域の古老に、温泉の来歴を聞かねばなるまい。
──ヒンダット温泉は、いつ、誰によってつくられたのか知っていますか?
 女性は即答した。「昔から。大昔から」
 ええ、そうなんでしょう。そうですよね。頷きながら話の接ぎ穂を探しあぐねている私たちを気の毒に思ったのだろうか、女性は「伝え聞いた話だけど」と前置きしたうえで次のように続けた。
「もともとは小さな泉のように、河原の穴ぼこから湯が湧き出ていたんですよ」
 ぼこっ、ぼこっ。石と石の間から、泡を立てて湯が噴き出している光景が目に浮かんだ。
 そんな「小さな泉」を「温泉地」として整備したのは、やはり、進駐してきた日本軍だったという。
「戦争中はここにも大勢の日本兵が来たんです。リュックを背負ってね、このあたりを大勢で歩いていたらしい。そして川沿いに湧き出る温泉を見つけたんですよ。小さな穴ぼこが、わずか3日で大きな浴槽に生まれ変わった」
 あくまでも伝聞だ。「小さな穴ぼこ」がそんな短期間で「浴場」として整備されるものなのかと疑問に思えなくもない。だが、「リュックを背負った日本兵」の記憶が、しっかり語り継がれていることだけは確かだ。
 女性が温泉の来歴について知っている話は、それですべてだった。
 私たちは謝意を告げ、再びバス停に向けて歩き出した。
 急に現実の世界に引き戻されたような気持ちになったのは、「日本兵」の話を聞いたせいかもしれない。風呂で浮かれていた私の頭の中に「戦争」の二文字が刻印された。

 

連合軍共同墓地に連なる数字

 カンチャナブリーの街に戻り、通訳のSさんと別れた私と金井さんは、その足で「連合軍共同墓地」に向かった。
 整備された芝生の上に、鉄道建設で命を落とした6982人の墓石が並んでいる。それぞれの墓石には、名前と出身地、死亡時の年齢が刻まれた鉄製のプレートが埋め込まれていた。

 

 

 20代の若者が多かった。「AGE28」「AGE26」「AGE24」。刻まれた数字が、ただの数字の羅列が、残照を浴びてふわっと浮き上がり、網膜に突き刺さる。ドンと胸を突かれたような衝撃が走る。気持ちが粟立つ。若くして一方的に生を断ち切られた者たちの怨嗟にからだを包まれたような気がした。
 私たちは刻まれた数字を声にしながら墓地を歩いた。「28」「26」「24」……。歌うように。祈るように。それぞれの生と、それぞれの死と、それぞれの無念を想像しながら。「死の鉄道」が残したものを、せめてその場では、ていねいに拾い上げたかった。
 夕空が広がっていた。いつの間にか陽射しも柔らかい赤みを増していた。夜の入り口を感じながら、私はこの場所にはない、もうひとつの風景を想像した。
 80年近く前のヒンダットだ。

 

若い日本兵の姿

 ジャングルの中をさまようひとりの日本兵がいた。「小さな穴ぼこ」から湯が湧き出ているのを発見した日本兵は、何を感じただろうか。
 水たまりのような穴に手を入れる。それが温泉であることに気がつく。きっと、故郷の風呂を、行ったことのある温泉を、ふと思い出したことだろう。
 戦場でない場所を、撃ち合うことのない場所を、殺したり、殺されたりしない場所を思ったはずだ。
 捕虜を酷使し、虐待し、殺してきた日本兵もまた、人間だった。一瞬の至福のために、風呂をつくった。
 私と同じように熱帯の木々を見つめ、せせらぎと鳥の鳴き声に耳を澄ませ、川面から吹く風を受け止めながら、熱い湯に身を任せた。
 つかの間の幸福を味わいながら、彼は思ったであろうか。望んだ戦争だったのか。望んだ虐待だったのか。彼は、人を殺したかったのか。
 わからない。わからないけれども、湯舟の中にいる間、彼は非武装だった。たぶん、解き放たれていた。
 再び銃を担ぎ、捕虜や「ロームシャ」の前に立つまでの間だけ、彼は人間だった。故郷を思い、家族を思う、当たり前の人間だった。
 見たことのない、私と交わることのもなかった若い日本兵の姿が、いつまでも頭から離れない。
 彼は生き延びたであろうか。
 風呂は残った。整備された温泉を残した。
 ヒンダット温泉は、戦争の残骸である。
 そして、兵士もまた人間であったことを示す、数少ない遺産だった。

 

 

 

 

▽金井真紀

 

ット・ワンカナイ温泉へ

 ヒンダット温泉で指をふやかした翌日、安田さんとわたしは再び首にタオルを引っ掛けてお風呂へ向かった。
 カンチャナブリーの街から南東へ20キロほど行ったところに、もうひとつ温泉があるという。お風呂と聞いたら、行かいでか。気温35度、熱風と土ぼこりの街道をバイクタクシーはブイブイ飛ばす。どんくさいわたしは振り落とされないよう必死だったが、元ラグビー部の安田さんは左右に体重移動させてうまくバランスをとりながら余裕の顔つきで往来の様子を眺めていた。
 汗まみれになってワット・ワンカナイ温泉に到着。ワットとはお寺のことなので、つまりワンカナイ寺だ。温泉がお寺の中に湧いている。「参詣とお風呂はセット」がこの辺りの仏教徒の日常なのか。
 広い中庭の奥にはお堂やお土産屋さんがあり、手前に「HOT SPRING」の看板を掲げた瓦屋根の大きな平屋が建っていた。平屋といっても玄関や壁はなくて、風がそよそよと吹き抜ける。人も犬も気ままに出入りできる構造だ。

 

 

 のんきな野良犬のようにふらふらと侵入するわたしたちに、おばちゃんが声をかけてきた。
「あんたたち、お風呂に入りたいのかい」
「はい!」
 おばちゃんは頷いて、奥に案内してくれた。だだっ広いコンクリートのたたきに植木鉢、ベンチ、謎の造花などが置かれている。ゆったりして色の統一感がなくて、いかにもタイっぽい。さらに進むと、キンキラキンの仏像がどーんと鎮座しておられた。
 この温泉、とくに入浴料は決まっていなくて幾ばくかのお金をお布施として払うのがルールらしい。黄金の仏像の前にお賽銭箱があったので、バーツ札を投入して手を合わせる。
「お風呂の神さま、仏さま、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ……」
 仏像の脇にタイルで縁取られた足湯コーナーがあり、その奥にドラム缶のような、ラーメン屋の寸胴鍋のようなステンレスの風呂桶が10個ほど並んでいた。
「おぉ、これがお風呂ですか」
「そうそう。裏で水着に着替えてね。蛇口をひねればお湯が出るから」
 ものすごく簡単に説明して、おばちゃんは行ってしまった。
 平日の昼さがり、わたしたち以外に入浴客の姿はなく、ただ金色の仏さまと壁のヤモリがじっと事態を見守っている。わたしはひとまず安田さんと別れて裏へ行き、女子更衣室と思しき仕切り板の内側で水着を身につけた。さて、と。仏さまの前を裸(水着姿)でウロウロしていいのだろうか? と一瞬迷ったが、風呂場に行くにはそこを通るしかない。寛大な仏さまに会釈しつつ風呂場に向かう。すでに男子更衣室から出て、やっぱり海パン姿でウロウロしていた安田さんと顔を見合わせて、
「男湯と女湯、分かれてないんですかね」
「どうなんだろ」
 きょろきょろしていると、地元の常連客らしきおじさんとおばさんがやってきた。おしゃべりしながら慣れた手つきで隣り合う二つの風呂桶に湯をためている。男女の別はないようだ。仏さまは寛大だ。
 わたしたちも見習って蛇口をひねると、ぬるめのお湯がじゃんじゃん出て、瞬く間に円柱状の風呂桶を満たしていく。半分くらい溜まったところで、待ちかねて身を沈める。
「あー、気持ちいい」
 お湯は無臭で透明。日陰で風が通る場所だから、ぬるめのお湯はそのうち冷めてくる。すると、隣のおじさんがわざわざ寄ってきて教えてくれた。
「お湯が冷めたら、ほれ、コックをひねって半分くらい排水して」
「え? ここ? これをひねるの?」
「そうそう。で、また温かいお湯を足せばいいんだよ」
「あー、なるほど」

 

 

 ちなみにこの日、通訳さんはいない。だからここまでのおばちゃんとの会話、おじさんとの会話はすべてタイ語で話しかけられて日本語で答える方式である。こういうとき若い頃のわたしは外国語ができなくてモジモジしていたが、今はもう日本語でどんどんしゃべっちゃう。それでもなんとなく通じるのがふしぎだ。安田さんはそこまで図々しくないので、ちゃんとタイ語でお礼を言っている。

 

願い事を託す入れ墨「サクヤン」

 ややや! おじさんの背中に彫り物がある。わたしはぬかりなく注視した。この「戦争と移民とバスタオル」企画では世界各地のお風呂に入りにいく予定だが、わたしは心の片隅で入れ墨・タトゥー問題に関心を寄せていた。日本の温泉や銭湯では「入れ墨・タトゥーお断り」を掲げているところも多く、今なおタブー視されている文化と言っていいだろう。だが、よその国ではどうなんだろう。体に墨を入れる意味合いは、地域や文化によってずいぶん違うはずだ。世界のお風呂を巡るからにはそのあたりをフィールドワークしてみたい、と密かに目論んでいたのである。
 おじさんの背中に彫られているのは、文字と図形のようだ。怖い系のもんもんでもないし、おしゃれタトゥーでもない。なんだろう、あれ。なんて書いてあるんだろう。おじさんがお風呂から上がるタイミングを捉えて、わたしは思い切って声をかけた。
「その背中の、いいですね」
「おう、これな」
「なにが彫ってあるんですか」
「●△※◎……」
 笑顔で説明してくれるが、うーむ、さっぱり。「双方が自分の言語でしゃべる会話術」はあっけなく限界を迎えた。
 日本に戻ってから調べてわかったのだけど、おじさんの背に彫られていたのはタイの伝統的なタトゥー「サクヤン」だった。文字はお祈りのことばで、図形ひとつひとつに宗教的な意味がある。お寺のお坊さんやアチャーンと呼ばれる専門の彫り師に頼んで彫ってもらうのが一般的だとか。
 古くは数百年前、戦地に赴く兵士が敵の矢を避けるお守りとしてサクヤンを体に彫っていた。だから今もタイでは軍人が弾よけのサクヤンを彫ると聞いて「ほほう」と思った。日本の自衛隊は入れ墨があったら入隊できないし、アメリカ海兵隊でも腕や首のタトゥーを禁じている。韓国では兵役逃れのために入れ墨を彫る人がいるくらいだ。軍隊と入れ墨は相容れないものというイメージがあるが、タイのサクヤンは違うのかもしれない。
 現在サクヤンは、さまざまな願い事を託すタトゥーとして多くのタイ人に支持されている。貧困から脱したい、出会いに恵まれたい、仕事で成功したいなど願いに応じて彫る図柄や文字が変わる。欧米でもサクヤンの神秘的なデザインは人気があるらしい。漢字のタトゥーがクール、というのに似ているのかも。

 


 入浴を終えたおじさんとおばさんは更衣室へ消え、さっぱりしたシャツとズボン姿になって戻ってきた。濡れた髪にはきっちり櫛の跡が付いている。
「じゃ、おれたち帰るよ」
「お気をつけて。さようなら」
 わたしたちは最後までタイ語と日本語でなんとなく嚙み合うような嚙み合わないような挨拶をして、手を振り合った。おじさんの背中のサクヤンには、一体どんな願いが込められていたんだろう。

 

 

(第3回・了)

 

 

 

連載は月2回更新でお届けします。
次回:2020年7月10日(金)掲載予定