戦争と移民とバスタオル 安田浩一・金井真紀

2020.9.15

08韓国篇2・アカスリと男女タオル格差

 

 

▽金井真紀

 

 

汗蒸幕とシッケ

「安田さんが初めて韓国に来たのは何年前ですか?」
 ソウル、真夜中1時のチムジルバン。汗蒸幕(ハンジュンマク)と呼ばれるドーム状のサウナの床にドテーッと寝転びながら、わたしは尋ねた。
「1985年……かなあ」
 安田さんもドテーッの姿勢のまま、顔だけこちらに向けて答えた。35年前、20歳そこそこの安田さんは、ひとりで韓国をぐるぐる巡ったらしい。
「バス停で女子大生に道を聞いたんだ。そしたら話が弾んで、彼女、結局丸1日観光に付き合ってくれたんだよね。もう名前も顔も忘れてしまったけど」
 あぁ旅先の出会い、甘酸っぱい。
 それを聞いて突如思い出した。わたしも20代のはじめ、ひとり旅のウィーンで韓国人の男の子とデートしたことがある。彼はまだ16歳で、音楽の勉強をするためウィーンに留学中の身だった。ふたりでオペラを観にいったら、小柄な少年のくせに丁寧にエスコートしてくれて「おぉ」と思ったんだった。帰国後もしばらく文通していた(文通! 便箋に手書き! メールもSNSもない時代)。苗字はキムくんだったけど、下の名前は思い出せない。
「どうしてるかなぁ、立派な指揮者になったかなぁ」
 わたしがそう言うと、安田さんがいかにも残念そうに、
「うーん、キムくんかぁ。それじゃあ探せないねぇ」
 と応じたのがおかしかった。日本でいちばん多い苗字「佐藤さん」はせいぜい4パーセントらしいが、韓国の「キムさん」は20パーセントを占める。5人にひとりがキムさん……そりゃあ無理だ。なんて話しているうちに、全身から汗が噴き出してきた。うう、そろそろ限界。
「出ますか」
「よーし、シッケ飲もう!」
 汗蒸幕を出ると、薄暗い床のそこここに寝ている人がいた。フェリーの二等船室みたいな感じ。眠りを妨害せぬよう、わたしたちは足音を忍ばせて売店へ行き、シッケというお米のジュースをごくごく飲んだ。冷たくて、甘くて、おいしー。

 

 

 

「チムジルバン」のサウナ作法

 チムジルバンは近年、韓国で人気のサウナ施設だ。
 汗蒸幕の原型は「汗蒸」と呼ばれる野外の蒸し風呂で、朝鮮王朝時代からあったものらしい。直径3、4メートルの円形に石を積んで土で隙間をふさいだ壁に、藁(わら)で屋根をふいたドーム型。中で松の枝を燃やし、火が消えたら灰の上に濡れむしろを被せて蒸気を充満させる。そこに10人ほどが入って汗をかき、我慢できなくなったら外に飛び出してお湯やお茶を飲みながら休憩するシステム。
 もともと病気治療用だったが、20世紀初頭には朝鮮半島各地で汗蒸屋さんが開業し、サウナ愛好者が集っていたという。男性専用の店も、「昼は男性、夜は女性」などと時間で男女を分ける店もあったようだ。
 この伝統を都会のビルの中に持ち込んで、24時間営業の健康ランド風に仕立てたのがチムジルバン。大浴場や休憩スペースも充実していて、宿泊することもできる。お風呂とサウナが好きな安田さんは、ソウルに来るとときどき利用しているらしい。
「ホテルより安いしね。さすがにチムジルバンで原稿は書けないけど」
 多くはビルの2、3フロアを使って営業していて、お風呂や更衣室がある階は男女別だが、サウナの階は男女共用スペースになっている。
 安田さんとわたしはその日、それぞれ韓国で取材することがあり、ヘトヘトになって夜のソウルにたどり着いたのだった。チムジルバンを訪ねるころには、すっかり夜も更けていた。
 時間帯のせいだろうか、館内はどこまでもまったりしていた。男女とも受付で渡されたおそろいのサウナ着を身につけて、汗まみれになったり、床に伸びてダラダラしたり、思い思いに過ごしている。中国語で話し込んでいる女の子ふたり組がいたが、あとは人の声もほとんど聞こえない。
 高温と超高温の汗蒸幕が並んでいて、交互に試しては冷凍庫みたいにひんやりしたクールダウンの部屋に駆け込んで「ホヘー」と息をつく。そうやって1時間くらいウロウロゴロゴロしていると、すっかり心身が整った。
「はー、堪能しました」
「じゃあ、そろそろ引き上げますか」
 わたしと安田さんはお風呂があるフロアへ戻り、男湯と女湯に分かれた。

 

フェミニズムとタオル問題

 女湯にはほとんど人がいなかった。わたしは汗を洗い流しながら、おぼろに聞きかじった韓国現代史の断片を考えていた。安田さんが初めて韓国に来た85年といえば、全斗煥大統領の時代。多くの大学生が命がけで民主化運動に身を投じていた。あぁ、映画『1987、ある闘いの真実』はズシンと重く、つらかった……。
 民主化運動のあと、フェミニズム運動も高揚した。大ヒット小説『82年生まれ、キム・ジヨン』には、産院で男の子が生まれた家族は大喜びし、女の子が生まれた家族は落胆を隠さないシーンがある。かつては、せっかく妊娠しても胎児が女の子とわかると中絶しちゃうことが珍しくなかったと聞く。おかげで男女の人口比がいびつになり、韓国の未婚化、少子化の一因となったとか。子どもにかける教育費も男子と女子では差があった。
 90年代になると男女差別撤廃を求める声が大きくなり、窮屈さを強いられてきた韓国の女性たちは、少しずつ少しずつ手足を伸ばしていった。2000年代半ば以降、大学進学率は男子より女子のほうが高い。国会議員や閣僚の女性の割合も日本なんかよりよっぽど多い。近年の #Me Too運動だって、とても活発だった。第一、この国ではアメリカ合衆国より先に女性大統領が誕生したんだから、たいしたもんだ……。
 そんなことを考えながらお風呂を出て、フロント脇のベンチで安田さんを待った。すでに午前2時を回っていたが、大都会ソウルは眠らない。この時間からチムジルバンを利用する人も結構いるのだ。水商売のおかみさん風、テンション高めのカップル、茶髪のにいちゃん……。受付にやってくる客を見るともなく見ていて、ふと、気づいたことがあった。
 受付でお金を払うと、女性客にはタオル2枚とサウナ着、それにロッカーの鍵が貸し出される。わたしも最初にその3点セットを受け取った。でも男性客に渡されるのはサウナ着と鍵だけだ。なんでだろ? 
「お待たせー」
 ピカピカの顔で安田さんが戻ってきた。確認すると、やっぱり入館時の受付でタオルは渡されなかったという。
「男湯の更衣室にはタオルが山のように積み上げられたよ。みんなそこから勝手に取ってじゃんじゃん使ってた。枚数制限なんてないよ、男は」
「ふーん。なんで、男女で違うんでしょうね?」
「女の人のほうが髪が長かったりして、タオルたくさん使いそうなのにね」
 この時点ではまだ、安田さんもわたしもタオル問題の本質に気づいていなかった。これこそ韓国の公衆浴場シーンに厳然と横たわるジェンダーギャップ、「男女のタオル格差問題」だったのである。

 

韓国版銭湯「沐浴湯」の盛衰

 翌朝、安田さんとわたしは眠い目をこすりながらソウル市南西部の永登浦(ヨンドゥンポ)に向かった。町工場や個人商店が並び、下町の雰囲気が漂っている。交差点でタクシーを降りてキョロキョロしていると、
「安田さーん」
 と呼び声がかかった。長髪を後ろでキュッと縛って、ジャケットを羽織った男性が笑顔で近づいてくる。
「おー、監督! 今日はありがとね」
 友人である映画監督のイ・イルハさんの登場に安田さんの顔もほころぶ。監督は、今日の取材の通訳を買って出てくれたのだ。ご挨拶を済ませて、さっそく目的地へ向かう。
「住所からすると、このあたりなんだけど」
 イルハ監督が雑居ビルの案内プレートを覗き込むので、わたしも後ろから一緒になって覗き込む。ハングルは読めないが……。
「ここで間違いない!」
「ですね!」
 そこには温泉マークを模したエンブレムが輝いていた。3人でニコニコうなずき合い、エレベーターに乗り込む。

 

 

 これから訪ねるのは社団法人韓国沐浴業中央会。韓国にも日本の銭湯(お風呂屋さん)に相当する公衆浴場は広く普及していて、名を「沐浴湯(モギョッタン)」という。わたしたちは韓国の沐浴湯事情を調査すべく、組合本部を取材するところなのであった。
 扉をノックすると、「ようこそようこそ」と3人のおじさんが出迎えてくれた。前もってイルハ監督がアポを取りつけておいてくれたので話はスムーズだ。会議室に通され、名刺交換をする。
 開口一番、事務総長のキム・スチョルさんが、
「ぼくたちは日本の銭湯組合とも交流しているんですよ」
 という話をしてくれた。近年、街のお風呂屋さんの廃業が相次いでいるのは日本も韓国も共通の課題。両国の組合で連携をはかりながら、対策を練っているのだとか。
「韓国には昔から入浴文化がありましたが、現代の沐浴湯の形態は日本統治時代にもたらされたものですからね。もともと日本の銭湯とはゆかりが深い」
 事務総長は穏やかな表情で、そんな言い方をした。記録によれば、朝鮮半島で最初の沐浴湯は1920年代初頭に平壌(ピョンヤン)で開業した。
「ソウルにも割と早い時期に沐浴湯ができました」
「日本人がつくったんでしょうか?」
「そうねぇ、日帝時代は多くの商権を日本人が独占していたから、沐浴湯も日本人の経営が多かったでしょうねぇ」
 1945年に日本の統治は終わったが、その後もお風呂屋さん文化は残った。
「昔の家はお風呂がなかったから、沐浴湯の数も今よりずっと多かった。高度経済成長の時代は市民の必需品でした」
 というのは日本と同じだ。日本の銭湯の最盛期は1968年の約2万軒、現在は3500ほどまで減ってしまっている。韓国では90年代後半まで隆盛が続き、約1万軒をキープしていたという。
「韓国では朝湯に入る人が多くてね、だいたい朝6時にオープンして、夜は7時か8時で終わりという営業形態です」
 70年代生まれのイルハ監督もうなずく。
「ぼくも子どものころ、週末になると父と一緒に朝いちばんで沐浴湯に行きましたよ。まずお風呂に入って、そこから1日が始まるって感じでした」
 自宅に風呂を持つ人が増えるにしたがって、利用者は減っていった。
「そこに追い打ちをかけたのがチムジルバンの登場です。99年2月に制度が変わって、ああいう24時間営業で男女別なくサウナが楽しめる浴場施設の営業が許可されることになった。それで沐浴湯は衰退していきました」
 そうだったのか。昨夜お世話になったチムジルバンは、たしかにのびのびとリラックスできる空間だった。日本でも街なかの古いお風呂屋さんは次々と廃業していくのに、スーパー銭湯や規模の大きなスパは賑わっているのだから、状況は似ているのかもしれない。
「いまうちの組合に登録している公衆浴場は7000軒くらいあります。そのうち2000軒はチムジルバンだから、昔ながらの沐浴湯として営業しているのは5000軒くらい」
 ちなみにチムジルバンは沐浴業組合に加盟する義務はなく、非加盟の店も入れたら実際には2000軒よりずっと多いだろうとのこと。
 沐浴湯の経営者たちも必死の抵抗を見せている。10回通ったら1回分がタダになるキャンペーンをしたり、年間パスを売り出したり。少し前には沐浴湯を舞台にしたテレビドラマが作られ、人気を博したとか。
「そうそう、ソン・へというコメディアンを知っていますか?」
 事務総長がうれしそうに言った。
「あの人は毎朝、沐浴湯に入るので有名なんですよ」
 国民的人気番組「KBS全国のど自慢」の司会を長くやっているソン・へさん、なんと93歳の今も現役。長寿の秘訣は朝4時に起きてお風呂に入りにいくことなのだとか。お風呂好きの大先輩だ。

 

日韓お風呂屋さん考と「イテリ」

 日本の銭湯と韓国の沐浴湯は、形態も置かれた状況もよく似ている。だけど、ところどころに微妙な違いがあって、それがなんともおもしろい。事務総長はおおらかな口調で日韓の差を語ってくれた。
 沐浴湯にはペンキ絵はない。
「日本の銭湯の富士山は見事ですねぇ。ああいうのはこちらにはないんです。ときどき古い沐浴湯に行くとタイル絵がありますけどね」
 沐浴湯に入れ墨の人が入ることは法律で禁じられており、本人に10万ウォン未満の罰金が課せられる。
「だから、かならず沐浴湯の入り口に<入れ墨お断り>って書いてあります。ま、誰も守っていませんけどね。全身に彫り物を入れた人も普通にお風呂に入ってますよ、ワッハッハ」
 沐浴湯にサウナが付いている場合、別料金ではない。
「日本の銭湯の多くはサウナ別料金ですよね。韓国ではお風呂でも食堂でも別料金なんてありえないです。私、日本に行ったとき、食堂でみそ汁をおかわりしたら追加料金を取られてびっくりしましたよ」
 たしかに韓国の食堂では、メインの料理を頼んだだけで小鉢のおかずやスープがいろいろ付いてきて、しかもおかわり自由。それに慣れた韓国の人が日本に来たら、頼んでもいないお通しが出てテーブルチャージを取られたり、大盛りもおかわりも追加料金が発生することに面食らうだろう。もちろん日本にだってキャベツおかわり無料のとんかつ屋さんもあるが、お好み焼き屋さんでマヨネーズを頼むと別途30円取られることもある……。
 さて、日韓のお風呂屋さんのいちばんの違いは、なんと言っても「アカスリ」の有無だろう。沐浴湯の片隅にはかならずと言っていいほどアカスリ用の寝台が置かれていて、男湯には男性の、女湯には女性のアカスリ師が待機している。
 わたしが「アカスリをまだ体験したことがない」と言うと、沐浴業組合のおじさんたちは口々に「それはいかん」「ぜひやってみなさい」「気持ちいいから」と勧めてくれた。
「これから釜山に行くから、釜山のお風呂でチャレンジしてみます」
 と告げると、おじさんたちは一斉にうなずいた。
「それがいい! アカスリ用のタオルは釜山発祥だからね」
「釜山の人が、イタリアの布をアカスリに使ったのが最初なんだよ」
「だからあのタオルをイテリって呼ぶわけ」
 イテリとは、国名「イタリア」の韓国風の呼び方だという。なにそれ、おもしろい。わたしと安田さんは、慌ててノートに「イテリ」と書きつけた。釜山に行ったら、アカスリとイタリアの関係を調査しなければなるまい。

 

タオル格差の謎

 さて、いろいろな話をお聞きして、そろそろ取材は終わりというムードが漂ってきた。最後に聞いておきたいことがふたつあった。
「北朝鮮にも沐浴湯はありますか?」
「ありますよ」
 朝鮮半島で最初に沐浴湯が誕生した地は平壌だった。やはりあちらにもお風呂屋さん文化は根づいているのだ。とはいえ、ここではそれ以上の情報は持っていないらしかった。いつかぜひ行ってみたいものだ。
 もうひとつ、最後の最後に聞いた。
「昨日チムジルバンに行ったら、女性は受付でタオルを2枚渡されるシステムで、でも男性はタオル使い放題だったんです。これって、よくあることですか?」
 すると、キム事務総長はあっさりと言った。
「どこでもそうです。女性はタオル2枚だけ」
「えっ、それはどういう理由で……?」
「そりゃもちろん、女性はタオルを家に持って帰っちゃうからです」
「!?」
 事務総長も、あとのふたりのおじさんも、通訳のイルハ監督までもが「当たり前じゃん」という表情をしている。どうやら冗談を言っているわけではなさそうだ。わたしは舌をもつれさせながら聞いた。
「えっと、あのあの、つまり女性はタオルを盗むと? そんな、だって、男性は盗まないんですか?」
「はい、男性は盗みません。盗むのは女の人だけです」
 わたしが憤然としているのを見て取った安田さんが横から、
「男性が盗まないってどうして言えるんですか?」
 と質問を投げかけてくれたが、
「男性客は沐浴湯に手ぶらで来るでしょう。女の人はバッグを持ってきますからね」
 と事務総長。あきらかに「女はタオルを万引きするためにバッグを持っている」と言っているわけで、ことばだけ聞くとずいぶん失礼な気がする。女はタオル泥棒だと決めてかかっているんだもん。でも事務総長は終始おだやかで、悪意はまったく感じられない。うーん、どういうことなんだろう? 安田さんとわたしは顔を見合わせた。
 やや解せない思いも残しつつ、わたしたちはお礼を言って中央会を辞した。ビルの外に出ると、日差しが強くなっていた。イルハ監督に見送られながらソウル駅に向かい、そこから釜山行きの列車に乗った。
 で、「男女タオル格差問題」。
 結局この旅のあいだじゅう、本件はついてまわった。温泉施設でも沐浴湯でも、かならず入り口で女性のわたしだけがタオルを2枚渡されるのだ。そして安田さんはつねに男子更衣室に山積みにされたタオルを使い放題使うのだった。
「はー、どこに行っても女はタオル泥棒と思われるんですねー。物のない時代ならともかく、いまどきお風呂屋さんで使い回してるヨレヨレのタオルなんか盗む人いるのかなー?」
 わたしが口を尖らせて言うたびに安田さんも、
「男女で差をつけるなんて、ひどいよねぇ」
 と同調してくれた。
 だが、沐浴湯関係者から「実際に女湯では年間200〜300枚のタオルがなくなる」との証言も得て、どうやら完全な冤罪というわけではないらしいこともわかってきた。
「つまり、女はタオル2枚まで持って帰っていい、ということなんですかね?」
 さらに踏み込んで尋ねると、
「ふふふ……」
 曖昧な笑み。実際になくなっているのだからそういうことなのだろう。さらには自らの前科を告白するかのように、
「沐浴湯のタオルは洗車に使うのにちょうどいい」
 なんてうそぶく人もいた。車を買う金があるならタオルくらい買えよ、と思わないでもないが、そういう問題じゃあないのか。なんとも奇妙なルールで頭をひねるばかりだ。
 しばらくすると安田さんが、
「このタオル問題はたしかに男女差別だと思う。だけど同時に、男のダメさを示すエピソードなのかもしれない」
 なんて言い出した。
 安田さん曰く、男は自分の家にタオルが何枚あるのかなんて気にもかけずに暮らしている。手ぶらでお風呂に行って、手ぶらで帰るだけ。いい気なもんだ。それにひきかえ家を預かるお母さんは、毎日タオルを洗濯し、雨の日が続けば乾かないとやきもきし、古くなったら雑巾にして使い、つねにタオルを気にかけて暮らしている。その差が出ているのではないか、と。
 そういえばうちの母もタオルを大事に思っていて、「地震がきたら絶対にタオルを持って逃げる」なんて言っていた。タオルに執着するのが世の母ちゃんの性(さが)なのだろうか。
 でも。だからって。いくらなんでも。男女でこんなあからさまに差をつけるって、どうなんだ。あぁ、かつてフェミニズム運動に立ち上がった韓国の先輩たちに、ご意見を聞いてみたい。

 

 

 

 

▼安田浩一

 

 

アカスリ用タオル「イテリ」を探して

 釜山に着いた私たちが真っ先に足を運んだのは「国際市場」だ。雑貨、コスメ、衣料品、食品など、ありとあらゆる商品が並ぶ釜山随一の常設市場。昨今では韓国の国民的大スター、ファン・ジョンミン主演の映画『国際市場で逢いましょう』(邦題)の舞台としても知られ、日本人をはじめ海外からの観光客の姿も目立つ。
 市場ができたのは朝鮮戦争の休戦直後、50年代半ばだった。米軍放出品や釜山港に密輸入された物品をあつかう闇市が形成され、それがのちに一大ショッピングゾーンへと発展した。
 私たちが「国際市場」を訪ねたのは、ソウルで話を聞いたアカスリ用タオル「イテリ」を探すためである。
 ソウルの韓国沐浴業中央会によれば、イテリは釜山発祥とのこと。ならば “本場” で見てみようじゃないかと市場の迷路に突入したわけである。
 はたしてイテリは──「探す」なんて意気込む必要はなく、市場じゅうの商店で当たり前のように売られていたのであった。さすが釜山名物。
 ある店で「イテリ イッソヨ?(イテリはありますか?)」と片言の韓国語で話しかければ、店のアジュンマ(おばさん)は、「ほら、そこ」とばかりに店頭に積みあがったイテリの山を指さす。
 あらあら、なんということ。イテリといっても種類はさまざま。赤、青、黄、緑など色とりどり。形状もハンカチ型からミトン型まで、タオル地の硬さもソフトからスーパーハードまで各種そろっている。
 それにしても、本当に「イタリアの布をアカスリに使った」ことがその名称の由来なのか。念のために複数の商店で聞いて回ったが、返ってくる言葉は同じだった。「その通りです」
 そのうえで「日本人もたくさん買っていく」のだと付け加える。
 もちろん私たちも購入した。10枚入りで約900円の手のひらサイズ。
 いま、私はそれを自宅の浴室に置いて、ときおりひとりでアカスリをしている。イテリのザラザラした感触に触れるたび、国際市場の喧騒と活気を思い出す。

 

 

 

釜山・沐浴湯界の重鎮

 その国際市場から数ブロック離れた場所に、韓国沐浴業中央会釜山支部が入居する雑居ビルがあった。
 釜山の「お風呂事情」を聞くために訪ねた私たちを迎えてくれたのは、支部長のチョン・ソンテさん(59歳)。自身も市内で3軒の沐浴湯を経営する業界の重鎮である。
 チョンさんは沐浴湯の経営者というよりも、ファッション関係のビジネスでも手掛けていそうな洒脱な雰囲気を漂わせていた。この日は薄いブルーのサマージャケットを着こなし、胸元からさりげなくポケットチーフが覗く。

 

 

「おしゃれですね」と伝えると、「いやあ、家の中ではジャージで過ごしてます」と返ってきた。
「それに仕事だって地味なものです。早朝から夜遅くまで、風呂のことしか考えていません。お湯はちゃんと出ているか、トラブルはないか、そんなことばかり。でも、それが生きがいなんです」
 チョンさんによれば、釜山もまた沐浴湯の経営は「厳しい状態」だという。燃料費などのコストがかかる。建物や設備の維持管理も大変だ。社会が豊かになるにつれ、風呂やシャワーを持たない家などなくなった。客足は当然、減っている。支部が管轄する釜山や近隣地域でも、今世紀に入ってから500軒もの沐浴湯が廃業したという。
 それでもチョンさんは悲観しない。
「沐浴湯の数が減っても、風呂に入る習慣そのものが消えたわけじゃないですからね」
 もともと釜山の人は風呂好きだ。海雲台や東莱(トンネ)などの温泉地を抱え、公衆浴場はつねに身近な存在だった。港町という環境も、かつては沐浴湯の発展に手を貸した。
「船員や港湾労働者など、潮風を浴びて暮らしている人たちには “風呂好き” が多いのです」
 チョンさんの父親がそうだった。
「船乗りだった父も風呂が大好きで、気がついたら船を降りて沐浴湯を経営していました」
 いまから約60年前のことである。
 朝鮮戦争がひとまず休戦し、釜山の人々もようやく日常を取り戻した時期だ。
「そのころの沐浴湯といえば、大きな浴槽の真ん中を板で仕切って男女を分けるといったつくりでしたね。」
 簡素な沐浴湯は、それでも人々の社交場として発展した。戦争の緊張感から抜け出し、人々の顔に屈託ない笑顔が戻った。チョンさんにとって混雑する浴槽は「平和の風景」だった。
 そんなチョンさんも、沐浴湯経営だけで生きてきたわけではない。
 20代になって父親の仕事を引き継いではみたものの、若さゆえの野望もあった。そのころすでに沐浴湯は成長産業のカテゴリーには入っていない。飲料品の流通やスーパーマーケットの経営も手がけ、事業家としての道を歩んでいく。
 しかし15年ほど前から、事業を沐浴湯一本に絞った。流通やスーパーで失敗したわけではない。ではなぜ、よりによって斜陽産業の沐浴湯だけを残したのか。
「文化の継承という大事な使命感を覚えたんです。若いころは私にとって沐浴湯はビジネスのひとつに過ぎなかった。でも、いまは違う。こんなに喜ばれる仕事って他にないですよ。風呂に入って落ち込む人なんていませんからね。みんなが必要としてきたんです。必要とされるものは残る。いつまでも残るものこそ文化です。ビジネスとしては大変だけれど、それでも韓国人の生活と健康を支えているんだという自負はあります。だから片手間でやってはいけないような気持ちになったんですよ」
 そしてこう付け加えるのだ。
「沐浴湯に人生を賭けてます」
 使命感を燃料として、チョンさんも湯のように熱く生きているのだった。

 

アカスリが愛される理由

 実はチョンさん、日本の温泉が大のお気に入りだという。これまで何度も日本の温泉地を訪れている。自宅のある釜山から福岡まで、飛行機でわずか1時間。そこから九州各地の湯治場に足を伸ばす。
「お湯の質も、独特の情緒も気に入っています」
 ただひとつだけ、日本の温泉に「もの足りないもの」を感じているという。
「アカスリのできるところが少ないんですよね」
 ここでいう「アカスリ」とは、簡易ベッドで横になった入浴客の全身をくまなく磨き上げる “韓国式” のことだ。
 私も何度か経験がある。
 全裸のまま簡易ベッドでうつぶせになると、パンツ一丁のアジョシ(おじさん)が、ナイロンタオル「イテリ」で、まずは背中をごしごし。次に腕、足の順番にアジョシの手は移動して、さらには仰向けとなってからも胸や腹、わずかに微妙な股の付けまでも同じように磨き上げる。
 ときに消しゴムかすのような大量の垢が落ちることもあり、終わってみればまさに “一皮むけた” 爽快感。イテリのザラザラした感触はマッサージ効果も相まって、クセになる気持ちよさを与えてくれる。
 沐浴場でもチムジルパンでも、そして温泉地でも、韓国の公衆浴場で、このアカスリは欠かすことのできない存在だ。
「アカスリの技術ひとつで客足も変わってくるほどです」
 だからどこの公衆浴場でも、腕っこきのアカスリ師の確保は至上命題だ。ちなみに、このアカスリ師、かつては「アカスリおじさん(おばさん)」と呼ばれていたが、現在では「沐浴管理士」「洗身士」などと呼称されることも多く、専門の養成学校まで存在する。基本的に歩合給のフリーランスだが、腕が良ければ好条件で招かれる。公衆浴場の経営を左右するほどに大事な存在なのだ。

 

 

 日本でも大型サウナやスーパー銭湯などの都市型温浴施設では、この韓国式アカスリを売りとしているところも少なくない。しかし昔ながらの温泉地や銭湯では、確かにアカスリのできるところは稀だ。
 チョンさんが九州のある湯治場を訪ねたときのことだった。露天風呂でたっぷりと湯浴みを楽しんだ後、洗い場で自身のからだを磨いた。丹念に、時間をかけて、手指の間にもタオルを通し、「しっかりアカを落とした」。アカスリの設備がなかったので、自身で “ゴシゴシ” したのである。
 それを見ていた日本人の友人が、呆れたような表情を浮かべて言った。
「日本の温泉では、ふつう、そんなことしないんだけどな」
 なぜだろう。チョンさんは、いまでもずっと考えつづけている。
 たぶん──と、チョンさんは言葉を継いだ。
「そもそも入浴に対する考え方に違いがあるのではないか」
 以下はチョンさんの考察だ。
 日本では気持ちを落ち着かせるために風呂に入る。のんびり湯に浸かり、心の平安を得る。一方、韓国において風呂は英気を養う場所だ。からだに刺激を与え、垢を落とし、湯に入って活力を得る。
「心の平安」か「活力」か。私は自我を保つために、そのどちらをも風呂に求めているし、アカスリの有無を単純な文化の相違で紐解いてもいいのだろうか、といった思いもなくはない。
 実際、かつて日本の銭湯には、客の背中を流す「三助」と呼ばれる人たちがいた。日韓以外の国に目を向ければ、たとえば中東の伝統的な公衆浴場・ハマムでも垢すりのサービスはある。古代ローマの浴場にも垢すりを生業とする人々の存在があった。
 スタイルに差異はあれど、公衆浴場における垢すりの習慣じたいは、世界じゅう多くの地域が持っているものだろう。
 しかし、韓国のアカスリは、少なくとも日本の「三助」とは趣が違うのも確かだ。目の粗い「イテリ」で、それこそ垢を “そぎ落とす” さまには、洗身を目的とした「三助」にはない迫力が存在する。なんというか、攻めの姿勢。アグレッシブ。「イテリ」の刺激は細胞を目覚めさせる。アカスリはある種の “闘い” だ。

 

活力重視の早朝入浴

 さらにチョンさんが指摘する日韓入浴文化の違いも興味深い。
「韓国の沐浴湯は、その多くが早朝から営業しています。なぜだと思いますか?」
 えーっと。私が答えをひねり出す前に、チョンさんが “解答” を示した。
「出勤前にひと風呂浴びる人が多いからです。風呂で目を覚まし、気合を入れてから仕事に向かう習慣が一部の人にはあります。日本の銭湯は仕事を終えた人が対象ですから、夕方から営業を始めるところががほとんどですよね」
 なるほど、攻めの入浴。早朝の景気づけ。沐浴湯の早朝利用者の中には、併設されたジムで体を動かし、風呂で汗を流してから颯爽と会社に向かう人も珍しくないという。朝の二度寝、三度寝が常態化している私には別世界の風景だ。
 アカスリ同様、風呂が供するのは「活力」だと、チョンさんは強調した。聞いているこちらも弛緩する暇がないほどに刺激的な韓国の風呂習慣ではないか。
「風呂は病院と同じ。弱った人に力を与えるために機能しています」
 さすが長きにわたって風呂の世界で生きてきた人だけのことはある。話に含蓄がある。

 

アカスリ普及の立役者

 さて、公衆浴場に欠かせないアカスリの話に戻る。
 いつごろから韓国では、今のスタイルのアカスリが普及したのだろうか。チョンさんは「おそらく70年代に入ってからだと思う」と記憶の糸を手繰り寄せた。
 それまで、多くの人は軽石で自らのからだをこすっていた。それが70年代に入ってから、浴場に簡易ベッドが置かれ、専門のスタッフによるアカスリサービスが始まった。
 その動きをうながしたのが、実は釜山発祥のイテリなのである。
「60年代、釜山の織物業者がアカスリ用のタオルとしてイテリを販売し、それが大当たりしました。これを契機に人々はアカスリに目覚めます。沐浴湯が競ってそのサービスに乗り出すきっかけとなりました」
 かつて釜山に、キム・ピルゴンさんという織物業者がいた。このキムさんこそがイテリ生みの親である。
 イテリの開発秘話には諸説あるが、代表的な物語は以下の通り──。
 60年代、キムさんはイタリアから大量の布地を輸入した。ビスコールレイヨンと呼ばれるものだ。ところが布地の表面がザラザラしているため、洋服を作るには適していない。思案を重ね、たどり着いたのがタオルとして生かすことだった。これを軽石に巻きつけてからだを擦ってみたらどうだろう。試しに沐浴湯で使ってみたら、垢がぽろぽろと落ちるではないか。
 すごい! 瞬く間に評判となり、ろくな使い道のなかったイタリア製布地が、イテリとして生まれ変わり、沐浴界の必需品となったというわけである。
 ちなみにイテリで大当たりしたキムさんはその後、ホテル経営にも乗り出し釜山有数の実業家となったらしいが、今世紀初めに亡くなっている。
 他にも「単にイタリア製の織機を使っていたから、イテリと呼ばれるようになった」といった説もあるのだが、せっかくの機会だ、今後、裏取りを進めてみたい。
 いずれにせよ、釜山港は地中海とつながっている、という話だ。釜山で始まった “イテリ革命” は韓国全土に波及し、風呂文化に新しい風を吹き込んだのである。

 

自動アカスリ機に挑戦

 しかも釜山は発祥地だけあって、市民の “イテリ愛” “アカスリ愛” は、とんでもないものまで生み出した。
 自動アカスリ機──である。
「ボタンを押せば背中のアカスリをしてくれる機械です。これまた釜山発祥の釜山名物です」
 話には聞いていたが、私も実際に目にしたことはない。ぜひ体験したいと申し出てみれば、「では、うちの沐浴湯にご案内しましょう」ということになった。
 そんなわけで、私たちが向かったのはチョンさんが経営する沐浴湯「新天地」である。
 市の中心部から車で20分ほど離れた郊外。「新天地」は5階建ての近代的なビルだった。目印は赤いネオンの温泉マークである。私の世代ともなると、この真っ赤な “逆さクラゲ” は、いわゆる “連れ込み旅館” のシンボルでもあったのだが、韓国では多くの場合、そこが沐浴湯であることを意味する印だ(一部、例外もある)。

 

 

 まずはビル1階の受付で6500ウォンの入浴料を支払う。日本円にして約600円。銭湯と比較すればやや高いのだが、サウナやジムの利用もできるとあれば、それほどの割高感はないだろう。
 ちなみにこのときも金井さんと通訳のYさんには2枚のタオルが手渡された。「備えつけタオル使い放題」の私としては、なんだか申し訳ない気持ちになる。案の定、金井さんは「ムッ」とした表情を浮かべていた。
 ビルの2階が男湯、3階が女湯だ。さらに上階には休憩室やジムがある。更衣室でロッカーに荷物や服を押し込んでから浴室へ、という流れは銭湯とまるで同じ。
 そして肝心の大浴場。これがまた、広くて清潔で、気持ちを弾ませる。大きな浴槽に浸かりながら、あらためて考えた。「活力」か「心の平安」か。
 入浴客が次々と浴槽にからだを沈める。
 みんな、タオルで前を隠すことなどせず、堂々としている。実は、これもまた韓国における公衆浴場の特徴的な風景だ。
 たまたま常連客が多かったということもあるのだろう。湯舟で瞑想しているような人は少なかった。おしゃべりを楽しみ、大声で笑い、湯船から出たら大股で歩く。
「風呂は弱った人に力を与える」。チョンさんはそう繰り返したのだっけ。その意味がわかるような気がした。
 私もそうだったのかもしれない。
 子どものころ、いじめられっ子だった私は、どれほど激しいいじめを受けても、親の前では泣かなかった。夜、風呂の中で泣いた。さんざん泣いて、頭から湯をかぶり、翌日からの地獄に備えた。
 大人になっても私は風呂場に逃げ込んだ。明日からはきっと良いことがありますように。そう祈りながら湯に浸かる。出張先で取材がうまくいけば、日帰り温泉を探して自分へのご褒美にしている。
 そのたびに私は生き返っている。いろいろなことを忘れて、捨てて、小さな希望を湯の中から拾い上げている。
 ──と考えているとき、不意に目に飛び込んできたのが、洗い場の隅に置かれた自動アカスリ機だった。そうだ、これだ。これを体験したくてここに来たのではないか。
 釜山で生まれ、釜山で愛され、しかし釜山以外ではあまり普及しなかったと言われる自動アカスリ機。なんだか時代遅れのロボットのようにも見えた。たたずまいがどこか寂しそうだ。

 

 

 少しも飾り気のない長方形の箱の中央部に、イテリをかぶせた円盤が備えつけられている。ただそれだけだ。青いスイッチを押すと、円盤が高速回転を始め、そこに背中を当てることで、セルフアカスリができるという仕組みらしい。
 大きさの割には単純すぎるくらい単純な機能だし、欲しいかと問われれば、間違いなく欲しくない。
 それでも一度は試したい。
 早速、椅子に座ってスイッチを押してみる。ぐわーん。回転音が響いたかと思うと、たちまち背中が痛痒い感覚に襲われた。うん、悪くない、感触だけでいえばまさにアカスリのそれだ。
 ただし円盤は固定されているので、まんべんなくアカスリするとなれば、背中を上下左右に動かさないとならない。そのたびに腰を浮かせ、上半身だけでゆっくり弧を描く。
 なんというのか、あれですよ、あれ。EXILEの「CHOO CHOO TRAIN」。からだをぐるぐる回すダンス。それをひとりでしているわけだ。しかも腹の出たオヤジが。
 とはいえ、円盤にかぶせたイテリの摩擦はけっこう力強く、羞恥を忘れさせるだけの快感があったことは事実だ。釜山で愛された気持ちは、わかる。そして、他の地域で流行らなかった理由も、わかる。
 やっぱり、人の手にはかなわない。体の隅々まで丁寧に、丹念に、汚れた薄皮を剥いでくれるようなおじさんの技術こそ最高だ。
 私は結局、「新天地」でアカスリおじさんの世話になり、一皮むけてから再び浴槽に体を沈めた。
 どうだろう。やっぱりからだが喜んでいる。
 きっといいことがある。
 大股で歩く。前も隠さない。力を得た私は堂々と風呂を上がった。

 

つづく

 

(第8回・了)

 

 

本連載は月2回更新でお届けします。
次回:2020年9月25日(金)更新予定