戦争と移民とバスタオル 安田浩一・金井真紀

2020.10.8

09韓国篇3・東莱温泉とピンクおばば

 

 

▼安田浩一

 

 

金井さんの磁力

 釜山市内の南北を結ぶ地下鉄1号線は、教大(キョデ)駅を過ぎると地上の高架線を走る。暗闇を抜けると視界が一気に開けた。車窓に住宅街の風景が流れる。このあたりが東莱(トンネ)と呼ばれる地区だ。
 住宅街のその先に、盆を伏せたように緩やかな曲線を描く山が見えた。金井山(クムジョンサン)。標高800メートル、釜山の最高峰だ。東莱の街は、その金井山に抱きかかえられるような形で広がっていた。
 当然ながら、金井さんが喜んでいる。「ほれ、きましたよ。また金井ですよ」
 タイの温泉取材(本連載「タイ篇3」)ではワット・カナイなる寺に遭遇し、今度は釜山郊外で “金井” 山と出合う。そういえば沖縄で銭湯を取材した際も、何の脈絡もなく「ニライカナイ(沖縄で伝わる理想郷の伝説)が導いてくれた」と誇らしげに話していた。
 行く先々で「カナイ」が待ち受ける。
 狙ったわけではない。この人は、何かを引き寄せる力を持っている。寺も山も伝説も。そして人も。これこそが  “絵ッセイスト” の磁力。その類まれな能力は金井山麓の温泉街でも発揮されることになるのだが、後に詳述しよう。

 

東莱温泉に乗り込んだ日本人

 さて、釜山といえば海や市場のイメージが強く、繁華街の南浦洞(ナンポドン)や西面(ソミョン)、リゾート地の海雲台(ヘウンデ)ばかりが「見どころ」として紹介されるが、かつては東莱こそが地域の中心地だった。朝鮮王朝時代に行政庁としての東莱府がこの地に置かれ、内政のみならず、地理的に近い日本との外交の舞台ともなっていた。
 20世紀に入ると釜山港を中心とする一帯が急速に発展し、地域は徐々に港湾都市としての風貌を整えていく。行政の中心も海側に移っていくことになるのだが、それでも東莱の一角には、存在感を維持させるだけの “名所” があった。温泉だ。
「東莱温泉」は古くから韓国を代表する温泉地として知られている。
 開湯の時期は明らかでないが、高麗時代に編まれた『三国遺事』には、7世紀ごろに新羅の王族が同地で温浴したことを伝えている。日本でいえば「飛鳥」の時代だ。少なくとも1400年以上の歴史を持つ “古湯” なのだ。
 また15世紀の地理書『東国與地勝覧』でも、東莱温泉について次のような記述がみられる。
「その熱は鶏子を熟すべし。帯病者はこれに浴し、すなわち愈ゆ」
湯温は高く、ゆで卵をつくることができるほどで、病気の人も湯に浸かればたちまち治る)
 効能も古くから認められていたのだ。
 こうした「東莱温泉」の来歴について書かれた日本語の文献としては、前回でも触れた『韓国温泉物語』(竹国友康著・岩波書店)が群を抜いて詳しい。
 同書によると、東莱温泉は日本との関わりも深い。
 たとえば歴史書『朝鮮王朝実録』には、15世紀半ば、公務で東莱を訪ねた「倭人」が、温泉に入浴するために決められた通行ルートを外れ、近隣住民が困っている、といった記述がある。湯治ついでに寄り道をして、どうやら勝手に人や馬を「使役」していたらしい。
 すみません。うちの役人、昔から迷惑かけてます。
 こうして室町時代の日本人にも好まれた東莱温泉だが、それでも19世紀半ばまでは数十戸の民家と公衆浴場が並ぶだけの小さな村落に過ぎなかった。ひなびた湯治場が、一気に「保養地」として発展する過程には、これまた日本が大きく関わっている。
 1898年、釜山の日本人居留民会(在韓日本人の集まり)が、公衆浴場の賃貸権利を得た。これがきっかけで日本人利用者がさらに増加し、日本人相手の旅館が相次いで開業する。朝鮮半島における日本の影響力、いや、支配力が高まっていた時期だった。
 日韓併合は1910年だ。日本の植民地支配がはじまった。資本力を持った日本人が、「日本人のため」に、東莱温泉の開発を進める。
 市中心部と東莱温泉を結ぶ軽便鉄道が開通し、日本人観光客を当て込んだ浴場施設、旅館、さらには料理屋などが軒を連ねた。
 1920年代に入ると満鉄(南満州鉄道)が資本投下し、温泉地経営に乗り出す。開発に拍車がかかる。朝鮮総督府も各種の割引切符や浴場の優待券などを用いた宣伝・広報に力を入れ、東莱温泉への観光客誘致を積極的に進めた。植民地下の「Go Toトラベルキャンペーン」である。
 こうして温泉街の整備は進み、在韓日本人に箱根や有馬、別府を連想させる一大温泉地として認知されるようになったのだ。同時期、韓国人経営による旅館もつくられたが、街の開発主体はあくまでも日本人だった。
 これを他のインフラ同様、発展は「日本のおかげ」と言わんばかりの論調を示す向きもあるが、よく考えていただきたい。
 温泉は古くから湧いていた。そこに目をつけた支配者が、支配者の愉楽を目的に開発したのである。

 

「辛ラーメン」の会社が建てた大型スパ付ホテル

 釜山駅から地下鉄に乗った私たちが下車したのは、その名も「温泉場」と名づけられた駅である。文字どおり、東莱温泉の中心部だ。
 駅に隣接して大規模ショッピングセンターが建ち、その横を全6車線の幹線道路が走る。
 駅前で周囲を見渡せば、郊外の小都市といった風景が広がるだけで、いわゆる日本的な意味における “湯治場” の雰囲気には遠い。
 朝鮮戦争時、このあたりには多くの避難民が押し寄せたという。そうしたことから住宅も急増し、温泉街も宅地の波に呑み込まれた。その後、60年代から徐々に再整備がはじまり、宅地造成は抑制され、現在は乱開発ともいうべき状況は収まっている。洗練された街並みを実現したのは良いものの、それがかえって駅前から “温泉臭” を遠ざけてしまったことになるのかもしれない。
 しかし、駅から離れ、温泉川と名づけられた小川に沿った道を進んでいくと、旅館やホテルが立ち並ぶ温泉街らしい雰囲気の漂う一角が現れた。
 真っ先に目に飛び込んできたのは「ホテル農心」と、同ホテルに併設する大型スパ施設だ。「農心」とは「辛ラーメン」のブランドで知られる韓国有数の食品メーカーである。
 ここには数年前、仕事で釜山を訪ねた際に泊まったことがある。
 もちろんスパも利用した。3000人を同時に収容できる「東洋最大級」が売りの温泉施設だ。露天風呂をはじめ、さまざまな風呂が並ぶ大浴場ゾーンはさすがに圧巻で、十分に楽しませてもらった。

 

葛ジュースの屋台にロックオン

 とはいえ、今回の取材ではもう少し庶民的な風呂を味わいたい。
 そう考えながら温泉街の奥に進み、路地に迷い込み、さらに元来た道を戻り、といった散策を繰り返しているうちに──ふと気がつくと、先ほどまで真横に並んで歩いていた金井さんがいない。
 振り返ると、少しばかり離れた場所で立ち止まっていた。何かを凝視し、私のことなど眼中になく、呼びかけても微動だにしない。まるで根の生えた樹木のように動かない。
 これまでの温泉取材から得た経験で、それが何を意味するのか、私は理解している。
 金井さんは「発見」したのだ。何かを。
 おそらく、ネタになるのかどうか、といった判断ではない。“絵ッセイスト” のアンテナは、当たり前でないものを見つけると反応する。麻薬犬か金属探知機のようなものである。ただし金井さんが見つけるのは麻薬でも凶器でも金銀財宝の類でもない。ただただ「当たり前でない」「おかしな」ものなのだ。
 金井さんの視線のその先には、小さな屋台があった。そこで年配の男性が一人で “作業” に打ち込んでいた。金井アンテナは、その一挙手一投足をとらえて離さない。
 てこでも動かない金井さんであるから、私が近づくしかない。いや、彼女自身が発する磁力というか霊力は、早足で歩く私を引き戻す。
 屋台の上には何かの “根っこ” が置かれていた。男性はそれを包丁で細かく刻み、鍋のような器に放り込む。上からふたをすると、万力にも似た道具でそれをぎりぎりと締め付ける。圧縮機だ。
 上から圧を加えられた木くずは、器の下部から黒い液体を吐き出す。
「なんですか、これは」
 金井さんがようやく口を開いた。通訳のYさんを通して、男性に問いかける。アンテナは疑問をけっして放置しない。
 はたして黒い液体の正体は──葛のエキスだった。
「女性の更年期障害や疲労回復に効果があるんだよ」
 男性がそう教えてくれる。骨粗しょう症や高血圧に悩む人にも効くという天然の健康ドリンクだ。
 ソ・キヨンさん(80歳)。この場所で20年間、葛ジュースの屋台を出しているという。コップ1杯で2000ウォン(約200円)である。煮詰めたコーヒーのような色をしたこのジュースを、私たちもおそるおそる飲んでみた。
 苦い。というか、完膚なきまでに不味い。漢方薬を水に溶かして飲むようなものだ。私たちが渋い表情をしながら飲み干すさまを、ソさんがいたずらっ子のような笑みを浮かべて眺めている。
「おいしくありません。でも、それだけに何かとても良い薬を飲んだような気持ちになります」
 私がそう伝えると、ソさんは「そうでしょ」と深くうなずいた。ソさんは毎日、これを2杯飲むことで健康を維持しているという。確かに年齢の割には若く見えるし、動きも俊敏だ。テーブルの上に並べた葛の根をひょいとつかみ、包丁で細かく刻んで圧縮するまでの動作には、独特のリズムがある。
 ひょい、とんとんとん。そしてぎりぎりぎり。
 素早くて、なめらかで、どこか優雅だ。

 

 

 

そしてドラマは動き出す

 そんな工程を繰り返すソさんに金井さんが質問を重ねた。
「このあたりに良いお風呂はありますか?」
 するとソさんは、くるっと向きを変えて指をさした。屋台のすぐうしろ。そこには8階建てのこぎれいなホテルが建っていた。「鹿泉(ノクチョン)ホテル」と看板には記されている。
「このホテルのお風呂は最高ですよ。日帰りだったら、併設の公衆浴場を利用すればいい。たぶん、ここの湯は東莱でいちばん」
 そう言いながら胸を張る。まるでホテルの宣伝マンのようだった。実際、ソさんもほぼ毎日、ここの風呂を利用しているのだとか。
 葛ジュースと東莱一の温泉で健康を保つソさんの顔艶には、説得力がある。おそらく間違いない。
 ほう、なるほど。となれば、まずはここの風呂に入ってみますか。
 そんなことを金井さんと話していたとき、ソさんが「おっ」と小さくつぶやき、今度はホテル入口のほうを指さした。
 ひとりの女性がホテルに向かって歩いている。観光客、という感じではない。なんとなく「ビジネス」然とした雰囲気が伝わってくる。
「誰ですか? あの人」
 金井さんが訊ねた。
 はい、やっぱり金井さんは引き寄せました。
 彼女が道端で立ち止まったときから、ドラマははじまっていたのだ。
 私はこの後、ダッシュで女性を追いかけることになるのであった。

 

 

 

 

▽金井真紀

 

 

突撃取材を敢行

「ほれ、あの人がここの社長さんだよ」
 路上で葛の根っこジュースを売るソさんが言った。
「えっ?」
 あわてて振り返ると、カツカツカツ……とヒールの音を響かせて遠ざかっていく女性の背中。彼女はこの鹿泉ホテルの経営者だという。
「ちょっと声かけてみようか」
 と安田さん。正確に描写すると、「ちょっと」と言いながら距離を目測し、「声かけて」で体の向きを変え、「みようか」で走り出していた。わはは、元週刊誌記者の瞬発力。取材したいと思ったら、体が勝手に動いてしまうのだ。わたしと通訳のYさんは、あわてて後を追った。
「アンニョンハシムニカ」(丁寧な「こんにちは」)
 
安田さんのきれいな韓国語に社長が振り返る。ヒョウ柄に百合の花が描かれた、個性的だけど上品なブラウス。きちんとメイクをして、口紅はオレンジ系。おしゃれなご婦人だということがひと目でわかる。年のころ、50代。Yさんの通訳を介して、
「わたしたちは日本から来て東莱温泉の取材をしている者です。すこしお話を聞かせていただけませんか」
 とお願いすると、あっさりオッケーが出た。
「ええ、いいですよ」
 女社長は優雅にほほえみ、わたしたちはホテルの1階ロビーに通された。社長のお名前は韓愛京さん。息子の朴沖烈さんも出てきてくれた。
 まずは簡単にホテルの歴史を聞く。
「ここ東莱では1500年くらい前から温泉が出ていました。李朝の王様がお風呂に入りにきたこともあって」
 そして今から60年ほど前、というから朝鮮戦争の混乱がひと段落したころだろうか、韓社長の義父が家の敷地を掘ったら湯が湧いてきたのだとか。
「それでお風呂屋さんと温泉宿をはじめたんです。当時は今よりずっと小さな建物でした」
 東莱温泉には「白い鹿が眠っているところを掘ったら温泉が出てきた」という伝説がある。で、それぞれを「鹿泉ホテル」「鹿泉湯」と名づけた。そういえば日本でも、鹿とか熊とか鶴とか、温泉物語にはさまざまな動物が登場する。だいたいは動物が温泉で傷を癒していて、それを見つけた人間が湯に浸かってみたら名湯だった、みたいな話だ。ドイツの温泉保養地バーデンバーデンも鹿がシンボルマークになっていて、やっぱり鹿伝説があるらしい。

 

 

 義父が掘り当てた温泉は、この界隈でも「いちばん温度が高く、いちばん体にいい」と評判になった。アルカリ性の柔らかいお湯で神経痛、関節痛、皮膚病などに効果があると韓さんは胸を張る。
「人気が出たので、思い切って8階建てのホテルを建てて、お風呂屋さんは道を挟んだ向かい側に3階建てのビルでつくりなおしました」
 ホテル用に3つ、お風呂屋さん用に3つ、合計6つの源泉の取水穴を持っていて、「これほどふんだんにお湯をくみ上げている施設は、ほかにありません」とのこと。お湯の温度は55度から70度。いったん屋上まで引き上げて、そこで冷ましてから供給している。

 

3代目の息子と松の木

 しかし温泉経営が軌道に乗っていくその裏で、一家は思わぬ不幸に見舞われていた。2代目を継ぐはずだった創業者の長男、つまり韓さんの夫が若くして急死してしまったのだ。心臓麻痺だったという。
「それで私がホテルの経営を引き継いだんです。お向かいに移ったお風呂屋さんのほうは義弟がやっています。やっとこの子が一人前になってくれたんで、ホッとしているところです」
 そう言って韓さんは、隣に座る息子の肩に手を置いた。沖烈さんは現在31歳。いただいた名刺の肩書きは「室長」だが、そう遠くないうちに3代目社長を継ぐことになっているらしい。
「このあたりで3世代目に入るのはうちが最初だと思います。東莱のホテル業界では、この子がいちばん若い経営者になりますね」
 とお母さんはうれしそう。聞けば沖烈さんはアメリカの大学で美術の勉強をしたり、彫刻家の修行をしたり、そこそこ遠回りをして、1年前に家業に参加したとか。お母さんの前なので突っ込んで聞くのはためらわれたが、すんなり家業を継ぐことへの葛藤もあったんだろうなぁ。
「どうですか、温泉ホテルの仕事は?」
 と尋ねると、沖烈さんはにかみながら答えた。
「ぼくらの世代は温泉のよさを知らない人も多くて。ぼくだって子どものころは、ただ水を温めたお風呂だと思っていて、温泉のありがたみが全然わかっていなかったですから、ヘヘヘ。祖父がやっていたみたいに多くの人に開かれた場をつくっていきたいですね」
 開業当時の写真はありますかと尋ねると、母と息子は顔を見合わせて、
「それがないんだよねぇ」
「なにしろ夫が急に亡くなったもんだから、いろんなことが引き継げていないんです。どこかにあるのかもしれないけど、わからない……」
 と言った。そのまま帰すのは申し訳ないと思ったのか、
「昔を偲ばせるものは、ホテルの裏にある松の木くらいじゃない?」
「そうそう、あの木はおじいちゃんの代から変わらずあるね」
 なんて言いながら、親子は松の木を見せてくれた。ホテルの裏手に、ちょうど3階の窓の高さまで大きく伸びた松が植わっている。その向こうに、薄い雲を刷いた東莱の青空。仰々しい創業者の写真を見せられるよりもよっぽど印象に残る風景だった。

 

おじさんまで付いてきて

 突然のインタビューに応じてくれたことにお礼を言ってホテルを辞する際、お向かいのお風呂屋さん、鹿泉湯のチケットをくれた。
「いいお湯だから、ぜひ入っていってください」
 断る理由は何もない。わたしたちはありがたく鹿泉湯に入れてもらうことにした(通常の入浴料は6000ウォン〔約600円〕)
 ちなみに釜山で日本語教室の先生や通訳業をしているYさんとはその日初めてお会いしたのだけど、事前のやりとりで「もしお風呂に入る展開になったら、一緒に入ってほしいんですけど……」と無茶なお願いをしてあった。だからYさんも「いよいよお風呂ですね」とノリノリで同行してくれることに。もうひとり、ホテルの外で葛の根っこジュースを売っていたソさんまで身を乗り出してきた。
「お前さんたち鹿泉湯に入るのか? 初めてだろ? じゃあ案内してやるよ。なにしろおれは60年前からこのお湯に浸かってんだから」
 ソさんは山と積まれた葛の根っこと屋台をほったらかして、わたしたちと一緒にお風呂屋さんへ向かった。わは、なんかおもしろい展開。
 1階の受付でチケットを渡し、わたしとYさんは2階の女湯へ、安田さんとソさんは3階の男湯へと分かれた。各階の床面積は240坪、脱衣所にはロッカーがずらりと並び、お風呂場には温度違いの大きな浴槽が4つ、サウナやアカスリコーナーも充実の大型温泉施設だ。これだけの設備を銭湯価格で提供しているのだから、地元の人に愛されるのは当然だろう。
 女湯はそこそこ混んでいた。まだ外は明るい時間帯、お客の年齢層は高め。お湯は無色無臭で柔らかい。

 

ピンクおばばのことば

「はあ〜」
 わたしはぬるめの浴槽で手足を伸ばしながら、周囲をさりげなく観察した。せっかくYさんが一緒なのだから誰かに話しかけてみたい。それも「取材です」って感じじゃなくて、さりげなく雑談できる相手がいるといいんだけど。わたしは川の中から目だけ出して獲物を探すワニと化した。
 浴槽のいちばん奥に、どピンクのヘアバンドを頭に巻いた小柄なおばあさんがいて、向こうもこちらをチラッと見た気がした。ワニはあわてず騒がず、水中をすーっと移動し、ピンクおばばのほうへ近づいていく。Yさんもワニの後ろをすーっと付いてきてくれた。
 隣まで行って笑いかけると、ピンクおばばもニコッとした。酒場でも銭湯でも、見知らぬ人に話しかける定番の第一声はこれだ。
「ここへは、よくいらっしゃるんですか」
 Yさんがすかさず通訳してくれる。ピンクおばばは、
「あら、あんた韓国語できないの。日本人か」
 と少し驚いた顔をした。近所に住んでいて、鹿泉湯にはしょっちゅう来るという。そのあとおばばはYさんに向かって、何事か語り出した。Yさんは神妙にうなずきながら「ィエー」(丁寧な「はい」)を連発している。しばらくして話が止み、Yさんが会話の内容を教えてくれた。
「この方がおっしゃるには、『むかし韓国は日本にめちゃくちゃにされた。ひどいことをしたら謝るのが当たり前ではないか』と」
 あぁ。わたしは目を伏せた。ゆらりゆらりと揺れるお湯の水面。
 東莱温泉を訪ねたころ(2019年7月)、日韓関係は悪化の一途をたどっていた。徴用工訴訟をめぐる対立から、日本政府による輸出規制強化が発表され、対する韓国政府は軍事情報包括保護協定(ジーソミア)破棄をちらつかせる……。日本のメディアは連日、交流イベントが中止されただの、不買運動が起きただの、不仲を焚きつけるようなことばかり報じていた。Yさんの話では、韓国のテレビでも日本のひどさを言い募る報道があったらしい。
「それでこの方は、九州の温泉に行く計画を立てていたけど、こんなときに日本に行きたくないからやめたんですって。『あなたは日本人として、どう思うの?』と言ってます」
 わたしはおずおずと視線をピンクおばばの顔に戻し、おずおずと自分の考えを言った。
「かつて日本人がこの国でしたことは、許されないことです。朝鮮半島の人たちを無理やり連行して戦争に行かせたり、過酷な労働をさせたことに、なんの正当性もない。それをちゃんと謝らない今の日本政府に、韓国の人が腹を立てるのは当然です。わたしは、歴史をゆがめたり、忘れたふりをすることがもっとも罪深いと思います」

 

揺れる心

 軽い気持ちでお風呂取材に同行してくれたYさんは、いきなりこのデリケートな問題の通訳を任されて、さぞ大変だったと思う。しかも全裸だし。ピンクおばばは、Yさんが訳したわたしのコメントをふんふんと聞いたあと、
「それで、あんた結婚してるの?」
 不意に質問の方向を変えてきた。わたしは同居人はいるが結婚はしていない。だからこの手の質問に対しては「はい」と答えても、「いいえ」と答えても、「まあ」と濁しても、どれも噓じゃないので便利である。このときはシンプルに「結婚してないです」と答えた。おばばは大きくうなずき、
「結婚なんてしなくたっていいんだよね。自分でお金を貯めればいいんだから。そのほうが苦労しなくて済むし」
 と明るい口調で言った。日ごろわたしは人に対して「結婚しているか」と尋ねないたちだが、このときばかりはこの話題にすがった。
「あなたは結婚していますか」
「うん、27歳で結婚したよ。相手は公務員。あたしはいま75だから、結婚生活は50年近いね。お見合い結婚だったけど、夫のことは誰より大事に思ってるよ。子どもがふたりできてね。まあでも、夫はいま病気なのよ」
 話を聞きながら、このおばばの人生はわたしの母と重なるなぁと思った。うちの母も20代後半でお見合い結婚をして、ふたりの子を育て、70歳を過ぎた現在は病気になった父の面倒を見ている。にわかに親しい気持ちが湧いて、
「これまでで一番うれしかったことはなんですか?」
 なんて質問をしてみた。おばばは即答した。
「子育てが最高におもしろかったわね。そのころのことを思い出すと、なんか涙が出てくるのよ。本当におもしろかったから」
 いい答えを聞いた、と思った。おもしろかった時代を思い出すと涙が出る。心はそういう仕組みになっている。
 お湯の中で長話をして、だいぶのぼせてきた。わたしはそろそろお湯から上がろうと思い、さりげなく確認した。
「お会いしたことを本に書いてもいいですか」
「いいよ」
「よかったら、お名前を教えてもらえませんか」
 おばばはチラリとYさんのほうを見て、またわたしのほうを見て、早口で言った。
「日本人には名前を教えたくないの。ごめんね」
 そうか、日本人には教えたくない、か。気を遣って「ごめんね」と付け足してくれたことを含めて胸に迫るものがあった。この人のことを忘れないでおこう。わたしは頭の中のスケッチブックにおばばの顔を記憶させ、お風呂から上がると脱衣所の隅で急いでペンを走らせた。

 

 

 

鹿のお風呂の神様

 着替えて1階に降りると、安田さんが汗を拭きながら待っていた。
「お待たせしましたー」
「ね、あそこでパッピンス食べない?」
 安田さんは、お風呂屋さんに併設された小さなカフェスペースを指さした。パッピンスとは韓国のかき氷。いまどきはマンゴーとかチョコレートとかハイカラなパッピンスが多いが、ここには昔ながらの小豆と練乳のパッピンスが売られていた。3000ウォン(約300円)でドカンと大盛りだ。わたしたちは一つ頼んでスプーンを3本もらい、3人で氷の山をつつきあった。
 安田さんと一緒に男湯に入った葛の根っこのジュース屋のソさんは、すでに屋台に戻ったらしかった。
「あの人、すごいんだよ。タオルを使って足の指のあいだから、体毛の一本一本まで、ものすごく丁寧に洗うの。お風呂の達人だよ、ソさんは」
「こっちはYさんに通訳してもらって、75歳のおばあさんと話しました」
 ざっと概略を話すと、安田さんはパッピンスをザクザクと崩しながら言った。
「お風呂の中だからこそ、聞けた話かもしれないねぇ」
 言われてみれば、そうかもしれない。ピンクおばばは明らかに日本人を厭わしく思い、警戒していた。もし街で日本人に会っても接触を避けるだろうし、本音で話すことはないだろう。
 だが、わたしたちは最初から最後まで素っ裸だった。お湯の中には逃げ場もない。おかげでことばを交わし、心をやりとりすることになった。あれは鹿のお風呂の神様がアレンジしてくれた会話だったのか。 パッピンスの冷たさが、キーンと側頭部を駆け上がる。

 

 

 

(第9回・了)

 

 

※本連載は、取材のための時間を取るため少々お休みをいただきます
次回:2020年12月ごろ更新再開(予定)