山と獣と肉と皮 繁延あづさ

2020.1.8

13謎のケモノ使い

 

 近所のおじさんのほかに、もうひとり狩猟同行している猟師さんがいる。いや、ふたりと言うべきか。彼らとの出会いは、私を思わぬ方向へと向かわせた。

 

 

 2017年10月7日。長崎人にとって特別な《長崎くんち》の日。
 長崎市では毎年10月の7日、8日、9日と諏訪神社の秋の例大祭・長崎くんちが催される。多くの教会が建ち並び、小ローマと呼ばれるほどキリスト教が盛んだった戦国末期の長崎。その後キリシタン禁制の時代になり、教会は壊され、多くの寺社が置かれることに。なかでも強力な神を呼ぶという目的で諏訪神社が設置されたという。そうした経緯から、長崎くんちはキリシタン弾圧と関わっているとも言われている。なにせ長崎の町人全員が氏子となり、奉納の演し物をして練り歩くのだから、ただそれをやっているだけで “ 我々はキリシタンじゃない ” というポーズを示していることになる。心の内がそうである人も、そうでない人も、非キリシタン一色に見えるというのが巧妙。まるで踏み絵だ。ただ、踏み絵より断然楽しい。オランダ船だの、龍踊りだの、太鼓山だの各地から人が集まっていることを感じる賑やかな祭り。長崎人の熱狂を見ると、当初の目的や役割が消え去っても、楽しいからこそ現代まで続いているのだと実感する。
 この《おくんち》を毎年見ているだけだった私が、ひょんなきっかけで一緒に練り歩くことになった。

 

 

《おくんち》の一週間前、半農半カフェを営む友人の剛くんから電話がかかってきた。彼の飼っている対州馬(たいしゅうば)サトコが神馬として練り歩くことになり、その様子を撮影してほしいとのこと。サトコを愛してやまない剛くんの頼みとあって、私は姪っ子の七五三でも撮るような気持ちで引き受けた。
“ 対州馬 ” とは長崎県の対馬で飼育されてきた日本在来種の馬のこと。日本では明治期から、国策として馬を大きくするため徹底的に洋種馬と交配させてきた歴史がある。そうした大規模な改良の結果、北海道の道産子(どさんこ)に代表されるように、本土から離れた離島などにだけ在来馬が残った。対州馬もそのひとつ。

 

 

 当日、人混みをかきわけて諏訪神社に駆け込むと、ちょうど神事がはじまるところだった。いた! サトコはきらびやかな馬具に身を包み、剛くんは烏帽子を被って狩装束の人と話していた。ふだんの農夫&農耕馬風な姿をよく知っているせいか、あまりの見違えっぷりに吹き出しそうになった。笑いを堪えながら近づくと、サトコの隣に見慣れない馬廻風の男性が立っていた。

「こちら中村さん。動物の扱いに慣れているから一日サポートしてもらうんですよ」

 剛くんはハレの舞台にご機嫌な様子で、中村さんを紹介してくれた。神事を控えていたこともあり、私たちは軽く会釈だけ交わした。衣装のせいもあったろうか、長い髪と髭をたくわえた風貌は、本当に現代人ではないような、どこか異質な空気を漂わせていた。私と同世代だろうか。正直ちょっと怖かった。

 

 

 この日の私のミッションは、剛くんの愛馬サトコを撮ること。だから中村さんのことは当初 “ サトコの隣にいる人 ” というぐらいにしか認識していなかった。ただ、サトコを見ているとおのずと中村さんの存在が感じられた。慣れない場所でストレスがあったのか、サトコは鼻息を荒々しく吹き出す仕草を何度もしていた。それでも中村さんの隣ではおとなしく、時折彼に鼻を寄せている。彼と馬のたたずまいはどこか懐かしく、一方で、こうした風景があることを初めて知った気もした。

 

 

 あちこち練り歩いて皆で一息ついたとき、「中村さんも狩猟してるんですよ」と剛くんが教えてくれた。

「いやあ、まだ最近はじめたばかりで。犬つかって単独猟してます」

 ふと、人と犬が山に入っていく姿が目に浮かんだ。ゾクゾクッとした。知らない猟。狩猟をする同世代に会ったことがなかった私は興味をひかれた。どんな人なのだろう。はじめたばかりということは、おそらく他に自由度のある仕事をしているのだろう。

「お仕事は何をされているんですか?」
「猿回ししてます」

 え!  猿回し⁉︎  あの大道芸の?  
 異なる空気と感じたのは、そういうわけだったか。犬や猫じゃない。ペットでもない。家畜でもない。猿で、しかも芸能なのだ。今度は猿と人というシルエットが浮かび上がった。なんとも魅惑的だ。馬と中村さん(剛くんの馬だけど)、犬と中村さん、猿と中村さん。一気に物語の主人公のような映像が浮かんできて、(なんだかぞわぞわっとしてきた……)と思ったとき、サトコがちょっとしたトラブルに遭ってこの日は急遽強制終了。私は中村さんとの別れ際に「今度、おうちにうかがわせてください!」と約束を取りつけるのが精一杯だった。

 

 

 家族連れで中村さんに会いにいったのは、年が明けてすぐのこと。佐賀県嬉野(うれしの)市といえば、嬉野温泉とお茶が有名。温泉側は観光地らしく賑やかだけれど、茶畑のある中村さんの家のほうは隠れ里のような場所だった。
 車を降りると、複数の犬が激しく吠えているのが聞こえた。家屋のあるほうを見上げると、ヤギがこちらをのぞき込んでいる。雄ヤギのようだった。娘と手をつなぎ「 “ がらがらどん ” みたいだねえ(絵本『三びきのやぎのがらがらどん』は娘のお気に入り)」と言いながらヤギに近づいていくと、奥から茶髪の女性が「こっちでーす」と手招いてくれた。てっきり奥さんだと思って挨拶すると「いや、スタッフです。よく間違われます」と言う。

「みゆき丸って呼ばれてます。中村と一緒に猿回ししてます」

 彼女も狩猟免許を持っており、狩猟にも同行しているのだという。

 

 家の前では中村さんが犬の赤ちゃんを抱いていた。生まれたばかりで、まだ目も開いてない。めちゃくちゃに可愛い。小動物が好きな次男が手を伸ばすと、同時にベージュの犬が近づいてきた。警戒しているようだった。

「この子が母親で、メイ。猟犬です」
「え、猟犬ってオスじゃないんですか?」
「この子ぐらいがちょうどよかったりもしますね。吠えても猪に油断されるから、その隙を狙って撃てます。紀州犬と四国犬のミックスなんですよ」

 

 

 そもそも、なぜ狩猟は日本犬なんだろう。初歩的な質問なんだろうと思いつつも、尋ねてみた。

「洋犬は、さまざまな目的に合わせて人間に役立つように品種改良されてきた背景があって、だから従順すぎるんです。大げさに言えば、主人に命じられたら死ぬまでイノシシとやり合ってしまうこともある。狩猟では、その時々に合わせて、マズイと思ったら引いて自分の命を守ったり、そういう加減が必要なんですよ。そういうことができるのが、日本犬なんです」

 人間に服従しきってしまうのではなく、自ら考えて共に行動するパートナー。中村さんの話す猟犬は魅力的だった。ただ、正直なところよくわからないという感覚も拭えなかった。実際に犬を飼ったことのない私には、その言葉を感覚的に理解することは難しい。私にとって中村さんの話は、本やマンガやアニメで描かれいるイメージの域を出なかった。だからだろうか。見てみたい、と思った。

 

 

「猿は奥にいます」 

 案内される途中、玄関前に並ぶ猪の頭蓋骨を目にした。異様な光景。心づもりのない人が見たらギョッとするだろう。隣のガレージのような建屋の奥に、子猿が2匹がいた。猿って不思議だ。子犬も可愛かったけれど、またちがう可愛さがある。末っ子が引き寄せられるように檻に近づく。その後ろ姿を見ながら、ああそうかと思った。人間の赤ちゃんに似てるから特別な感情がわくのだ。

 

 

 みゆきさんが檻に近づくと、小猿が近寄ってきて、クルッと後ろを向いた。「またナデナデしてほしいと?」と言いながらみゆきさんが背中を撫でると、どことなく満足そうにしている。私も檻に手を当ててみると、こちらにもやってきて背中を向けた。触ってほしい。触れ合っていたい。人間の子どもとなんら変わらない。親近感が込み上げてきた。その瞬間、別の場所から悲鳴のような鳴き声が聞こえた。

「この中にもう1匹いるんです」

 よく見ると、黒い布に覆われた別の檻があった。めちゃめちゃ小さな赤ちゃん猿だった。ちょっとでも布をめくると、激しく怯えてキーキー鳴いた。

「動物園で育児放棄された子なんです」

 猿は人間に近いと感じて満たされていたのが、一気に切ない気持ちになった。

 

 

 そのほかにも、中村さんとみゆきさんが次々と動物たちを紹介してくれた。爬虫類はサバンナモニターとコーンスネーク。世界一大きい犬とされるグレートデンも2頭。そのうちの1頭のケイトちゃんは、遺伝子異常で聴力ゼロ、視力も弱いのだそうだ。さらに、烏骨鶏、室内犬のモモちゃん、コタツの中にはアオダイショウまでいた。

 

 

 わが家は全員圧倒されていた。なぜこんなにたくさんの動物と暮らしているのか。まるでドリトル先生だ。しかも話を聞いていると、ただ動物好きで集めているというのではなく、行き場のない子たちを引き取ったケースも多い。ムツゴロウの動物王国的ではあるけれど、このふたりは文筆家でもなければ、動物学者でもない。猿に芸をさせ、猪を狩りながら暮らしているようだ。頭が混乱してきた。いや、たしかに一貫して動物に関わった暮らしをしている。ただ、動物を守って養う一方で、動物を殺しにもいくわけだ。

「なぜ猟をはじめたんですか?」
「最初は猿が欲しくって、猿を捕獲するために狩猟免許取ろうと思ったんですよ。結局、そこで猿は獲っちゃいけないことを知ったんですけどね」
「なぜ、こんなに飼ってるんですか?」
「動物好きだからです」

 猿が欲しい。動物といたい。そうした感情を当然のように持っているふたりに、私の “ なぜ ” という問いは無効だった。私が知りたいと思っていることは、言葉では聞けない気がした。動物への興味と、このふたりへの興味が入り混じっていく。

「今度、狩猟に同行させてください」

 

 

 中村さんの家の前は獣の匂いが充満していた。いつもなら、すぐに嫌悪感を覚えたはず。ペットと暮らしたことのない私は、動物の匂いに敏感だった。けれど、このときはなぜかその匂いに親しみのようなものがあった。中村さんがまとっている独特な空気と混じり合って、神秘的な匂いにも感じられた。中村さんがそこにいたから。魔法使いならぬ、ケモノ使い。そういう風に思えて、惹かれる気持ちのほうが勝っていたのかもしれない。

 

 

 帰り途中で嬉野の大衆食堂に立ち寄って、ちゃんぽんを食べた。
 長男が「すごいね。あんな人はじめて会った」と言い、次男は「子犬可愛かった〜」と笑っている。夫は「みゆきさん、手首にタトウーがあったね」と意味ありげな口ぶり。娘は「なかむらさんは、いいオニなの?」と真顔で訊いてきた。
 みなそれぞれに、あのふたりの不思議な空気を感じ取っていたようだ。

 

 

 

(第13回・了)

 

 

本連載は月2回更新でお届けします。
次回:2020年1月29
日(水)掲載予定