紙の旅 矢萩多聞

2017.1.18

02フィンランドの紙工房を訪ねて(1)

はじめての北欧旅行

 二〇一五年夏、妻と娘と三人で一ケ月間、北欧に行くことになった。
 十代のときからインドで暮らし、海外といえばアジアばかり行っていたぼくにとって、ヨーロッパはまったく新しい土地だ。友人たちはみな「北欧に行くの? イメージと合わない!」と口をそろえて言った。
 そもそもこの夏、北欧へ行く予定はなかった。取材と休暇を兼ねて、ひと月インドに滞在するはずが、取材先のドタキャンで日程が延期。ぽっかり予定が空いてしまったのだ。
「ほっておいても毎年インドに行くんだから、こういうときぐらい別の国を旅したい」
という妻の提案に押され、フィンランド、エストニア、スウェーデンに暮らす友人を訪ねながら旅をすることになった。
 だが突然、「北欧」と言われても、ぼくの頭の中にはトナカイと雪、森、妖精などの漠然としたイメージしか思い浮かばない。とくに行きたい場所もない。まあ、避暑のつもりでのんびりできたらいいか、とぼんやり構えていたが、ふと思いついた。めったに行かない国なのだから、紙に関係している場所をひとつぐらい訪れてみよう。
 さっそく北欧に詳しい友人に紙づくりについて尋ねてみたが、雑貨や家具に夢中になる人はいても、あえて紙を探す人は少ないようで、これという情報は得られなかった。一応、フィンランドのフィスカルスという村には紙工房があるらしい、という噂は耳にしたが、一体どんな人がどんなものを作っているのか、詳細はまったくわからない。
 インドならば、たとえ情報ゼロでも現地に行けばどうにかなってしまうものだが、まさか高度にシステム化されたフィンランドで、そんな行き当たりばったりのやり方は通用しないだろう。
 ところが出発の一週間前、思わぬところから道がひらけた。
 普段はあまり見ないテレビを何気なくつけたら、ぱっと北欧の街並みが映った。テロップにはフィンランドのフィスカルス村とある。しかも、村をぶらぶら歩く日本の女優が、「ここは何のお店かしら……」と偶然入ったのが紙工房。ぼくは思わず前のめりになって、食い入るように画面をみつめた。
 工房の主は、エリヤ・フーロヴィアさん。四〇代の女性で、紙漉きと製本の仕事をしている。こじんまりとした工房兼ギャラリーには一点ものの本やノートが美しく並んでいる。和紙の勉強で日本に来たこともあるという。質問に、ヨー、ヨー、と穏やかに答えている姿をみると、気難しい人ではなさそうだ。
 番組では店の名前も連絡先も紹介されなかったが、ぼくは画面の端にチラッと映った工房の看板を見逃さなかった。すぐその名前を書きとめ、ネットで調べると、連絡先がみつかった。ダメ元で取材依頼のメッセージを送る。
 関空から九時間のフライトで、フィンランドのヘルシンキ空港に到着。入国審査をすませ、スマホの電源をオンにすると、メールの着信音が軽やかに鳴った。彼女からの返事だ。
「ぜひ、フィスカルス村にいらしてください。取材はいくらでも受けますよ」

FINLAND01A

 

 

 

芸術の村フィスカルス

 ヘルシンキ中央駅からぴかぴかの特急電車で一時間。カルヤー駅で降り、バスに乗り換え、のんびりとした田舎道を行くこと三〇分で、フィスカルス村にたどりつく。
 バスの乗客はぼくらのほかには二、三人ほど。案内所も売店も閉まっているし、あたりには人っ子ひとりいない。ほんとうにこのバス停でよかったのだろうか。不安になって、エリヤさんに電話をかけると、
「え? 取材は明日では?」
と驚いている。どうやらヘルシンキに着いてから送ったメールがちゃんと届いていなかったようだ。
「いま街へ買い物に来ているけれど、すぐ車で引き返します。どこかで少し時間を潰してから、工房に来てください」
 いきなり予定を変更してもらって申し訳ないなあ、と思いながらロータリー横の公園で娘を遊ばせる。近くに掲げられた看板に村の案内地図があった。さして大きくない村のようだが、何十というちいさなギャラリー、工房、ショップがマークされている……

 かつて、フィスカルスは一七世紀からつづく製鉄の村だった。村名にもなっているフィスカルス社が創業したのが一六四九年。スウェーデンから輸入した鉄鋼と、地元で採れる銅を混ぜ、ハサミやナイフなどをつくる工場には、多くの職人や鉱夫たちが働いていた。近代フィンランドで最も古い製造メーカーのひとつで、ヨーロッパの友人に「フィスカルス」というと誰もが「ハサミの?」と返すくらい有名な企業だ。
 だが村がにぎわいをみせていたのは一九七七年まで。フィスカルス社は製造工場をアメリカに移転。それを機に村の雇用も人口も減少し、急激に過疎化した。一八世紀から二〇世紀初頭につくられた歴史ある建物は打ち捨てられ、人の寄りつかないゴーストタウンのようになった。
 ふたたび光が当てられたのは一九八〇年代のおわり。フィスカルスを訪れた工業デザイナー、アンティ・シルタヴォリとバルブロ・クルヴィク夫妻が村の素朴な美しさに惹かれ移住すると、その友人をはじめ、一人また一人とフィンランド中から物好きなアーティストたちが集まってきた。彼らは村に点在する古い家や倉庫、納屋などを自分たちの手で直して住居やアトリエにし、夏にはクラフト市や展示会をひらいた。
 長期滞在する有名デザイナーや、村のギャラリーで脚光を浴び成功したアーティストも多く、二〇〇〇年以降、フィスカルスは「芸術の村」としてその名を広く知られるようになる。
 フィスカルス社の協力もあり、いまでは五百人ほどの村民の五人に一人がアーティスト。独創的なクラフトやアートを求め、ひと夏に十万人を超える観光客がおしかける、フィンランド屈指の人気アートスポットとなった。
 ぼくがフィスカルスを訪れたのは九月。ほとんどのギャラリーや店が閉まり、村が閑散としていたのは、夏のハイシーズンが終わった後だったからだ。活気あふれるクラフト市も見たかったが、こうしていつも通りの村を歩けたのはラッキーだった。

 地図で見つけた紙工房を目指して歩く。背の高い木立の間を通り抜ける風が気持ちいい。通りにそって流れる小川にはまだ青々とした藻がゆらめき、秋のやさしい光がきらりとひかる。ヘルシンキより空気に湿り気があって、澄んでいる気がする。こんなところで鳥の声と森の風につつまれながら過ごす夏休みは最高だろうなぁ、と想像する。
 途中、大きな時計台が見える。中はアーティストの組合が運営するセレクトショップとカフェ。もともと学校だった建物を改装したそうだ。陶器やフェルト、カバンや靴、北欧らしいハイセンスなものが並んでいる。フィスカルス社製のハサミや刃物、かつての村の暮らしを物語るジオラマ模型もある。
 通りには、重厚な赤レンガ造りの倉庫、村と港を結んでいた軽便鉄道の遺構、丁寧にリノベーションされた民家、美味しそうなカフェやレストランがぽつぽつと建っている。土産物屋や作り物の見どころが仲見世のように軒を連ねる下品な観光地とは違う。道端にアーティストがつくったオブジェが転がっていたりして、このまま道に迷って村を散策したくなる。
 バス停からゆっくり歩いて十五分ほど、通りから小道を少し入ったあたりに紙工房はあった。こじんまりとしたレンガ色の家だ。玄関のウッドポーチに立って声をかけると、「ヘイ!」とエリヤさんが笑顔で出迎えてくれた。

FINLAND01B

 

 

(第2回・了)

 

この連載は月3回更新でお届けします。
次回2017年1月27日(金)掲載