紙の旅 矢萩多聞

2017.2.9

04都会から離れて:フィンランドの紙工房を訪ねて(3)

ここがわたしの場所

 三〇代の頃、念願叶って美大の仕事に就いたエリヤさんは、住み慣れた故郷を離れ、以来ずっと大都会ヘルシンキで暮らしてきた。朝七時から夜八時まで大学であくせく働いて、休日には疲れて何もする気が起きない、そんな都市型生活を何年も続けていた。
 ある日、彼女は大学から家に帰るバスの中ではっとする。
「家と大学の往復の生活で、仕事をしている時間以外は疲れて、うつむいて、バスの床しか見ていない自分に気がついた。顔をあげて周りをみたら、他の乗客も暗くひどく疲れた顔で下を向いている。このままじゃいけない、私がやりたかったのはこんなことじゃない、と思った」
 そんな時、フィスカルス村に出会った。偶然、あるアーティストの工房を訪れたのがきっかけで、自分もここに工房を持ちたい、村に住んでみたい、と思った。でも、それには資金が必要で、ヘルシンキでしっかり働き、貯金をためなくてはならなかった。
「日本に長期滞在する前のことよ。まだ私にはいろいろな恐れがあって、ずっと踏み出せないでいた」
 ある日、村からヘルシンキへ行くバスのなかで一人の女性に会った。
「あら、エリヤじゃない。調子はどう?」
 彼女とは以前アーティストの工房かどこかで会っていたが、ゆっくり話すのはこれがはじめだった。ヘルシンキからフィスカルスに移ってきたいと思っている、と何気なく打ち明けると、彼女は喜んだ。
「それはいいアイデアね。そうそう、私の家の隣が空いているからそこに越してきなさいよ。そうしたら私たちお隣さん同士になるわ。それって素敵じゃない」
 まったく偶然の出会いだったが、この言葉がずっと踏み出せなかったエリヤさんの背中を押した。
「人生はいつだって、アクシデントの連続よ。偶然の積み重ねで転がりだす」
 翌年、貯金をつぎこんで、本当に彼女の家の隣の家を買った。その家は古い建物ばかりのフィスカルスでも特に状態が悪く、あちこち修繕が必要だった。購入から実際に住みはじめるまで二年がかかり、すっかり貯金はなくなってしまった。二〇〇八年のことだった。
FINLAND04A
 いまもフィスカルスには空き家があるのだろうか。
「昔はたくさんあったけれど、近頃は空き家ではなく、リノベーション済み物件が多い。若いアーティストたちは、ボロボロの古い家を買って、時間をかけて直し、すばらしい家にして高額で売っています」
 空き家のほとんどはフィスカルス社所有のものだが、お金があれば誰でも購入できるわけではない。アーティストであるということは大前提だが、ヘルシンキに住んで、お店だけ開けたいというような人には売らない。一年を通してこの村に住み、家を直し、創作活動に励み、ともに芸術村を盛り上げていく、というのが条件なのだ。
 実際に生活をしてみると、いいことばかりではない。雪に閉ざされる冬は、外出も大変で日用品の買い物をするにも一苦労する。 その厳しさに耐えられず、数年と保たず他の町へ移っていた人たちもいるそうだ。
 夏の間は雪はないがもうひとつ別の問題がある。世界中から観光客が押しかけてきて、仕事にまったく集中できない。
 彼女の作品をみて、「ただのノートなのにこんなに高いの!?」と驚く人もいるという。紙をつくるだけで二日はかかる。それに印刷や製本の手間を考えると、どれだけの時間と労力がかかっていることか。
「こんな素晴らしい作品をここだけで売るなんてもったいない、ヘルシンキや他の都市でも売ったらいいのに」という客もいる。しかし、フィンランドの消費税は二五%、都会のギャラリーならば、売上の四割はお店に支払わなくてはならない。
「マージンが悪い、お店が悪どいとは思いません。お店も大変。常に在庫を抱えているし、光熱費や賃料、宣伝費、人件費など売るために必要なコストは、私の作品が売れても売れなくてもかかってくる。でも、それに巻き込まれてしまったら、さらに高い定価をつけるしかない。そこまでしてヘルシンキで売る意味ってあるのでしょうか」
 日本でも数年前から、ちいさな働き方、暮らし方が若い人たちを中心に関心を集めている。それは欲をなくして、節約して生きる、ということではなく、仕事も暮らしも、自分の身の丈に合わせていくというやり方だ。
 例えば、一昔前まではカフェや本屋をはじめるとなると、初期投資がそれなりにかかった。だが、この頃は別の仕事をもちながら、週末だけどこかの店の軒先やイベントで、カフェや本屋を営む人がいる。インターネットの恩恵で、住む場所や働く時間にとらわれず仕事をすることもできる。たくさん仕入れてたくさん売る、お客を増やし店を大きくする、というベクトルではない商売のやり方があるのではないか。そんな話をすると、彼女はキラリと目を輝かせて、そのとおり、と大きく頷いた。
「その問いこそが、私たちの生活の根っこにあるものでしょう。この社会の中で自分はどう生きるか、何を選び大切にするのか。
 この家もちいさい割に安くない買い物でした。でも、私はこの家を愛している。この家を守るためならば、いくらお金をかけたっていいと思っている。他人には理解できないことかもしれないけど、それってかけがえのないものよ」
 夏の朝にはすぐ近くの湖で泳ぐ。やわらかな水面に浮かんで、ぼんやり空を見るのが好きだ。秋の森にはたくさんのキノコやブルーベリーが実る。一日中歩いて、自然の恵みを持ち帰る。
 冬の日、家のドアを開け放しておくと、一面の銀世界からいろいろな音が聞こえてくる。やわらかな太陽のもと、森から野生の鹿がそっとやってきて、雪の合間に草の芽を探しはんでいる。
 そんな美しい世界を仕事場の窓から見ながら、心穏やかに紙を漉く。その瞬間がなによりも好きだという。
 仕事や旅で二週間でも家を離れると、家が恋しくなる。そんなときはフィスカルスに帰ってくると心底ほっとする。疲れた身体をのばしながら、澄み切った夜空にまたたく美しい星々をみていると、
「ああ、こここそ私の場所だ」
とつぶやいてしまう。
 そういう場所を見つけることができて、住むことを許され、働き、暮らせることはとても幸せなことだ。

FINLAND04B

 

 

 

(第4回・了)

 

この連載は月3回更新でお届けします。
次回2017年2月19日(日)掲載