大胆仮説! ケンミン食のなぜ 阿古真理

2021.3.10

10『日本外食全史』試し読み——料理博覧会・ロイヤルの挑戦

 


 本連載「大胆仮説! ケンミン食のなぜ」の著者・阿古真理さんの新刊が
3月10日(水)に発売になります! タイトルは『日本外食全史』です。

阿古真理『日本外食全史』(本体価格 2,800円)
3月10日(水)発売

 江戸の昔から、日本人の胃袋と心を満たし、人と人のつながりを生み出してきた外食。高級フレンチから寿司、天ぷらからファミレス、カレー、中華、ラーメン、B級グルメにアジア飯……。

 高級から庶民派まで、より良いものを提供しようと切磋琢磨した料理人たちのドラマがあった。温かさと幸福を求めて美味しいものに並ぶ人も、何があっても絶えたことはなかった。

 個々のジャンル史をつぶさに見ていくと、一つの大きな共通する流れが見えてくる——コロナ禍によって変容を強いられる外食産業の希望のありかを、歴史にさぐる。


 そこで、この度『日本外食全史』の発売に先駆け、試し読みを全3回に渡って公開します!
 試し読み第2回目は「料理博覧会・ロイヤルの挑戦」。1970年開催の大阪万博は、日本の飲食文化に大きな影響を与えた。世界各国の飲食店の出店により、日本の料理人たちは「初めて見る・作る・食べる料理」を経験したのだった……。

 

♦料理博覧会

 多彩なレストランが出店した大阪万博は、料理業界、外食業界にとっても、エポックとなる出来事だった。外国館の飲食店の出店が盛んだったため、「料理博覧会」の異名を取るほどで、料理人にとっては、多彩な経験を積むまたとないチャンスの場。本格的なコース料理を出したフランス館には、大阪の辻調理師専門学校の講師が出向している。
 のちに「クイーン・アリス」オーナーシェフとして有名になる石鍋裕は、フランスで修業中だったが万博時にわざわざ帰国している。『料理人の突破力』(宇田川悟、晶文社、二〇一四年)のインタビューで、「世界中からいろんな国が集まるから、僕らの知ってる情報が本当かどうか確かめられる。各国のパビリオンではそれぞれの国の料理を作るそうだから、これは絶対に見にいかなきゃいけない」、とその動機を話している。
 石鍋は「フランス館のようなビッグネームは、全然入れる余地がない」、とイタリア館に潜り込み、皿洗いから始めて一カ月半働く。厨房には、イタリア料理人、レストランオーナーたち、イタリアの料理学校で教えている先生たちなどがいた。ところが、あまりの忙しさに「給料に見合わない」とスタッフのストライキが始まる。そんな折、隣にあったブルガリア館から「サービスできるならうちに来ない?」と誘われ、効率的なサービスを計算しつつ働く。石鍋が担当したテーブルは、ランチで四回転こなしたという。いかに、大阪万博が混んでいて、いかに石鍋が経営的センスを働かせて仕事をこなしたかがわかる。
 二〇〇七年一一月九日の朝日新聞夕刊のシリーズ記事「ニッポン人・脈・記 食卓のメロディー」にも、石鍋の記事がある。「まかないに出る素朴なトマトのパスタ、初めて口にした甘くないヨーグルト。すべてに触発される。チーズを溶かしてジャガイモにつけるスイス料理のラクレット。くるくると回るロースターでつくる鶏の丸焼き。料理の見せ方もおもしろかった」。他のパビリオンのスタッフとも親しくなり、調理場を手伝ったという。
 石鍋が途中で辞めたイタリア館には、日本人のシェフもいた。それは、イタリアで修業中だった本多征昭、イタリア料理のチェーン「カプリチョーザ」の創業者だ。『カプリチョーザ 愛され続ける味』(本多惠子監修、神山典士著、プレジデント社、二〇一八年)によると、本多がシェフを務めたのは、セルフサービスコーナーの厨房だったようだ。レストランの厨房は、ローマのヒルトンホテルから来たイタリア人シェフが一〇人を率いていた。日本人の料理人は、半年間イタリアで研修を積んだ大手ホテルの料理人がいたという。本多自身は、イタリアの国立料理学校で学んだ直後だった。
 従業員がストを起こすぐらいだから、イタリア館の仕事はかなり忙しかったようだ。本多とともに厨房で働いた志賀平和は、「とにかく開店前からお客様が並んでいて、開店と同時に全部の席が埋まる。そこからずっとお客様の行列が途切れない」と語っている。
 日本人にとって、スパゲッティ=柔らかいナポリタンの時代。ゆで方は、「イタリアほどアルデンテではなかったと思います」と志賀は言う。まだ本場の材料がそろわなかった日本で、トマトとオリーブオイルだけはイタリアから輸入。生ハムのプロシュートやチーズは日本産かイタリア以外のもので、野菜や魚、肉は日本産でまかなっていたという。
 同書にはまた、後に『きょうの料理』でも活躍する、大阪の名店「ポンテベッキオ」のオーナーシェフ、山根大助も登場する。当時山根はまだ少年で、父親に連れられて行ったイタリア館の料理が印象的だった。父親からことあるごとに「イタリア料理はうまいぞ」と言われていたこともあり、この道に進んだのだ。
 多くの料理人たちの人生が交錯した大阪万博。そこは、外食が産業化しチェーン店が隆盛する時代の幕開けを告げる場でもあった。

♦ロイヤルの挑戦

 大阪万博で「とりわけ人目を引いたのはアメリカン・パークに店を構えた米国の外食店である。米国屈指のコーヒーショップ・チェーンであるハワード・ジョンソンが日本のロイヤルと組んで出店したほか、カフェテリア、ステーキハウス、それに今で言うエスニック料理店までが並んでいた。三月一四日から半年間、これらの店に群がる入場者たちを目のあたりにした日本の飲食業界に、万博は途方もないカルチャーショックを残した」(『食と農の戦後史』岸康彦、日本経済新聞社、一九九六年)。その一角は、日本人が担っていた。ロイヤルがそれで、ファミリーレストラン(ファミレス)チェーン、ロイヤルホストの経営母体である。
『ファミリーレストラン』(今柊二、光文社新書、二〇一三年)によれば、ロイヤルの創業者、江頭匡一はもともと、アメリカの外食王ハワード・ジョンソンに憧れていた。一九二三年に創業した同名の会社、ハワード・ジョンソンは、三〇年後には、「米国、カナダなどに1300あまりのレストランやホテルを持つ大企業となっていた」。
 一九六八年に渡米し、ジョンソンに面会を果たした江頭は、大阪万博に出店する計画を聞く。万博でスタッフの教育訓練を約束してもらった江頭は翌年、ハワード・ジョンソン側から採算が合わなさそう、と出店取りやめの連絡をもらう。そこで、「江頭はロイヤルでやらせてほしい、ただし、店舗マネージャーの派遣や米国からの食材調達については応援してほしいと申し入れた」。その申し出が受け入れられ、ロイヤルが運営するハワード・ジョンソンの出店が実現する。
 出店時の詳細が、『まぼろし万国博覧会』にある。「厨房と内装は会場の食堂の中でもこれほどお金をかけたものはなかったといい、「こんなに重装備された完全な厨房はない」と保健所の御墨つきももらった」。ロイヤルの本拠地、福岡から二週間分の製品を京都のストックポイントまで運び、二日分を会場内の男子寮に設けられたストックポイントに運ぶ。コロラドからの輸入肉は直接会場に運び入れる。カフェテリアは四〇〇坪に三一四席で、「ピーク時の六千人を待たせることなく客席を十七回転させることに全力をつくした」とある。
 ある日のメニューは、「サラダ」「焼鳥」「ローストターキー」「スタフドポーク」「スタフドチキン」「ハンバーグステーキ」「クリームチキン」「焼飯」「米飯」「パン」と、飲みもの、果物、ケーキ。ステーキハウスでは、「ぶ厚く切ったステーキを、入口左手の炭火で焼く」。「ロイヤル&ハワードジョンソン」の店では、アメリカから輸入したホットドッグやハンバーガーなどが売られた。

「三百軒近い場内の食堂の中でロイヤルの売り上げが第一位、二位はソ連館であったが、ソ連館レストランの従業員が二百七十人だったのに対して、ロイヤルは百四十四名で運営されていた。このことは、完璧な厨房と、セントラルキッチン、そして両者を結ぶ長距離の冷凍食品輸送のシステムがうまく嚙み合っていたからだと、江頭社長は当時の社内報で述べている」

 江頭は四〇〇〇万円の赤字を覚悟して出店したが、何しろ大混雑の大阪万博だ。最終的には一億五〇〇〇万円を超える黒字となったことが、『外食産業を創った人びと』(「外食産業を創った人びと」編集委員会編、商業界、二〇〇五年)の江頭へのインタビューにある。そして、ロイヤルの知名度は一気に全国区になった。
 また、このアメリカン・パークのケンタッキーフライドチキン(KFC)も、ロイヤルが運営した。初めて出合ったファストフードのチェーン店が、大阪万博でのKFCだったという人は、多いのではないだろうか。

(料理博覧会・ロイヤルの挑戦 了)

次回の試し読みは「「和食」に舵を切る」。
更新は3月12日(金)です。お楽しみに!

 


 本連載「大胆仮説! ケンミン食のなぜ」の著者・阿古真理さんの新刊が
3月10日(水)に発売! タイトルは『日本外食全史』です。

阿古真理『日本外食全史』(本体価格 2,800円)
3月10日(水)発売

【目次】
■ はじめに
プロローグ 「食は関西にあり」。大阪・神戸うまいもの旅。

第一部 日本の外食文化はどう変わったか

第一章 ドラマに情報誌、メディアの力
■ 一 『包丁人味平』から『グランメゾン東京』まで。食を描く物語
■ 二 グルメ化に貢献したメディア

第二章 外食五〇年
■ 一 大阪万博とチェーン店
■ 二 バブル経済とイタ飯ブーム
■ 三 一億総グルメ時代

第三章 ローカルグルメのお楽しみ
■ 一 フードツーリズムの時代
■ 二 食の都、山形
■ 三 伊勢神宮のおひざ元で


第二部 外食はいつから始まり、どこへ向かうのか

第一章 和食と日本料理
■ 一 料亭文化の発展
■ 二 居酒屋の日本史
■ 三 食事処の発展
■ 四 江戸のファストフード

第二章 和食になった肉料理
■ 一 牛肉を受け入れるまで
■ 二 とんかつ誕生
■ 三 庶民の味になった鶏肉
■ 四 肉食のニッポン

第三章 私たちの洋食文化
■ 一 定番洋食の始まり
■ 二 ファミリーのレストラン
■ 三 西洋料理から洋食へ

第四章 シェフたちの西洋料理
■ 一 辻静雄という巨人
■ 二 グルメの要、フランス料理の世界
■ 三 浸透するイタリア料理

第五章 中国料理とアジア飯
■ 一 谷崎潤一郎の中国料理
■ 二 東京・中国料理物語
■ 三 ソウルフードになったラーメン
■ 四 ギョウザの秘密
■ 五 カレーとアジア飯

エピローグ コロナ時代の後に
■ あとがき