大胆仮説! ケンミン食のなぜ 阿古真理

2021.3.12

11『日本外食全史』試し読み——ラーメン、「和食」に舵を切る

 


 本連載「大胆仮説! ケンミン食のなぜ」の著者・阿古真理さんの新刊が
3月10日(水)に発売になります! タイトルは『日本外食全史』です。

阿古真理『日本外食全史』(本体価格 2,800円)
3月10日(水)発売

 江戸の昔から、日本人の胃袋と心を満たし、人と人のつながりを生み出してきた外食。高級フレンチから寿司、天ぷらからファミレス、カレー、中華、ラーメン、B級グルメにアジア飯……。

 高級から庶民派まで、より良いものを提供しようと切磋琢磨した料理人たちのドラマがあった。温かさと幸福を求めて美味しいものに並ぶ人も、何があっても絶えたことはなかった。

 個々のジャンル史をつぶさに見ていくと、一つの大きな共通する流れが見えてくる——コロナ禍によって変容を強いられる外食産業の希望のありかを、歴史にさぐる。


 そこで、この度『日本外食全史』の発売に先駆け、試し読みを全3回に渡って公開します! 試し読み第3回目は「ラーメン、「和食」
に舵を切る」。『ミシュラン』にも評価される一大国民食・ラーメン。隆盛のきっかけは1990年代後半に起きた「和食化」にあった……!?

 

「ラーメン、「和食」に舵を切る

 世間がエスニック料理だ、カフェだとグルメブームに踊っていた一九九〇年代後半、ラーメン界でも新しい潮流が生まれる。それは、のちに「九六年組」と呼ばれた「中華そば青葉」「麺屋武蔵」「らーめんくじら軒」が、斬新なラーメン店を打ち出して、一九九六年に開業したことがきっかけだ。
 環七ラーメン戦争の頃は、車社会を前提に幹線道路沿いのラーメン店が注目された。関西に住んでいた私の周りでも、幹線道路の「四三(号線)」沿いの店がうまい、といった噂を男性たちからよく聞いた。映画『タンポポ』の店も商用車が走る幹線道路沿いに設定されていたこともあり、地方でも、幹線道路沿いのラーメン店が熱かった。それは恐らく、長距離トラックの運転手たちが育てたラーメン文化を、若者たちが発見したということだったのだろう。
 男子大学生が、就職を前提にローンを組んで車を購入した時代。車がないと、彼女ができない恐れがあった、というバブル時代が背景にある。
 ところが、『ラーメン超進化論』によると、九六年組は駅から歩いて行ける場所に店を構えた。青葉はJR中央線中野駅から徒歩五分の飲食店街の中、麺屋武蔵は営団地下鉄(現東京メトロ)青山一丁目駅から徒歩二分という都心ど真ん中。くじら軒は横浜市営地下鉄センター北駅徒歩一〇分弱。一人で訪れる男性客が中心の幹線道路沿いの店は、内装に凝る必要はなかった。そのそっけなさも、ブームに踊る若者には穴場に見えたかもしれない。しかし、電車で動く会社員は、数人で来店することも、女性の場合もある。
 若者が車を持つとは限らなくなった時代や、女性が一人で好きな店に行く時代にいち早く対応した九六年組。その特徴を『ラーメン超進化論』をもとに紹介する。
 青葉は、今は定番となったWスープを広めた店。香りが魅力の鰹節などの魚介出汁と、コクのある豚骨・鶏ガラの出汁を別々につくり、器で合わせて提供する。
 麺屋武蔵は、中華料理店でも、うま味調味料を使わない「無化調」が売りの店。出汁は魚介から取る。『ミシュラン』時代を予感させる創作ラーメンも売りだった。
 くじら軒は、鶏ガラや煮干し、昆布などを合わせた透明な出汁の創作ラーメンが特徴。こうした「淡麗系」の出汁は、その後も登場する創作ラーメンの店で定番となっている。
 『ラーメンと愛国』は、麺屋武蔵のスタイルに注目する。創業者の山田雄は、もともとアパレル系の会社経営者で、四〇歳を過ぎてラーメン業界に入った。ラーメンはバブル崩壊後からの独学。山田が複雑なWスープを生み出したことにより「ラーメン屋のオヤジは、ラーメン職人に昇華した」。組み合わせ次第で多彩な味のバリエーションができるからである。
 店員のユニフォームを、和装を意識した赤のシャツにし、店の前を歩く人がラーメン屋と気づかなかったほど、和風のしつらえにした。
 同書が、ラーメン屋に和風の装いを流行させたとして、もう一店挙げるのが、一九九五年に東京へ進出した豚骨ラーメンの「博多一風堂」である。一風堂はラーメン店で初めてBGMにジャズを流し、作務衣をユニフォームとして導入。店のブランディングは外部のデザイン会社に依頼した。看板やメニューに、手書きの文章「ラーメンポエム」を書くスタイルは、この店がルーツの一つである。
 二〇一五年五月二三日、朝日新聞土曜版beに、創業者の河原のインタビューが掲載されている。一九五二年、福岡県生まれで四人兄弟の末っ子。父は美術教師。高校はデザイン科に進学し、卒業後に上京して美術専門学校と劇団養成所に一年半通う。しかし、挫折して九州産業大学に入り直す。コックの見習いをしながら地元の劇団で役者をしていたが、二六歳だった一九七九年、博多駅前でつぶれたままだった五坪のレストランバーの経営を引き継いだことから、飲食店経営の道に入る。店を舞台と見なして接客する楽しみを見出したのだ。
 しかし「夜のマスターより昼の職人で商売したいと思い始めた」ため、一年近く長浜ラーメンの有名店で修業させてもらい、一九八五年に福岡市大名で、博多一風堂を開く。翌年、運営会社を立ち上げる。多店舗展開の経営に行き詰まっていた一九九四年、新横浜ラーメン博物館に出店し、二〇〇一年まで一日千杯を売り上げ伝説を築く。一九九五年に東京・広尾に出店。
 博多一風堂はおしゃれな和風デザインで、女性客や外国人客が気軽に入れるラーメン店のひな型をつくり、二〇〇八年にニューヨークに進出し、大行列ができた。その後も海外進出を続けている。
 次々と店舗を広げた博多一風堂も、出汁こそ豚骨だが、店のスタイルからラーメン=和のイメージをつくり、日本式のラーメンを、外国人にも人気の日本食代表に育てた立役者と言える。
 和風トレンドへのシフトを、『AERA』二〇〇二年六月一〇日号の「魚だしの逆襲」も注目する。豚骨ラーメンから魚介出汁へ人気が移った背景に、「ラーメン屋さんの乱立もあって、質のいい豚骨を手に入れることが難しくなっている」ことを挙げる。また、『ラーメン王選手権』(テレビ東京系)で六代目チャンピオンになった佐々木晶が「最近の和風ラーメン店は研究熱心で、豚骨系のだしに魚のだしを入れて、こってり感を和らげたり、野菜を入れて雑味を消したりしています」と説明する。
 この記事からも、この頃、ラーメンの和食化が進んだことがわかる。同時に、Wスープやおしゃれなスタイルの店は、『ミシュラン』に評価されるようなグルメ化への道も開いた。布石は、一九九〇年代に打たれていたのである。

(ラーメン、「和食」に舵を切る・了)


 試し読みは今回が最終回です。この他にも、外食とメディアの関係史や和食の発展を追った項目、外食文化を牽引した料理人に注目するなど、気になるトピックスが盛りだくさん!
 阿古真理『日本外食全史』は3月10日(水)発売です。ぜひご覧ください。

阿古真理『日本外食全史』(本体価格 2,800円)
3月10日(水)発売

【目次】
■ はじめに
プロローグ 「食は関西にあり」。大阪・神戸うまいもの旅。

第一部 日本の外食文化はどう変わったか

第一章 ドラマに情報誌、メディアの力
■ 一 『包丁人味平』から『グランメゾン東京』まで。食を描く物語
■ 二 グルメ化に貢献したメディア

第二章 外食五〇年
■ 一 大阪万博とチェーン店
■ 二 バブル経済とイタ飯ブーム
■ 三 一億総グルメ時代

第三章 ローカルグルメのお楽しみ
■ 一 フードツーリズムの時代
■ 二 食の都、山形
■ 三 伊勢神宮のおひざ元で


第二部 外食はいつから始まり、どこへ向かうのか

第一章 和食と日本料理
■ 一 料亭文化の発展
■ 二 居酒屋の日本史
■ 三 食事処の発展
■ 四 江戸のファストフード

第二章 和食になった肉料理
■ 一 牛肉を受け入れるまで
■ 二 とんかつ誕生
■ 三 庶民の味になった鶏肉
■ 四 肉食のニッポン

第三章 私たちの洋食文化
■ 一 定番洋食の始まり
■ 二 ファミリーのレストラン
■ 三 西洋料理から洋食へ

第四章 シェフたちの西洋料理
■ 一 辻静雄という巨人
■ 二 グルメの要、フランス料理の世界
■ 三 浸透するイタリア料理

第五章 中国料理とアジア飯
■ 一 谷崎潤一郎の中国料理
■ 二 東京・中国料理物語
■ 三 ソウルフードになったラーメン
■ 四 ギョウザの秘密
■ 五 カレーとアジア飯

エピローグ コロナ時代の後に
■ あとがき