大胆仮説! ケンミン食のなぜ 阿古真理

2022.1.18

17広島市にはなぜパン屋が多いのか?

 

広島を訪ねると、美味しいパンに出くわす率が高い。
偶然? いやいや、きっと理由があるはず。
推理してみよう。

 

 パンブームが始まって十数年。雑誌のパン特集は定番企画で、テレビの情報番組も、くり返しパンとパン屋を取り上げる。2013年に始まった高級食パンブームも続き、全国各地に次々と食パン専門店ができている。ブームの影響か、旅先で店舗デザインがおしゃれなパン屋を見かけることも多くなった。その中で、おいしそうなパン屋の選択肢がひときわ多い印象を受けたのが、広島市だ。
 私は筋金入りのパン好きである。何しろ、最初に「おいしい」と思った記憶の一つがパンだった。幼稚園生だった頃、大阪・梅田の阪神百貨店で大きなカニさんパンやカメさんパンを買ってもらったのがその思い出。脚の部分を切り取ると、ふわっと香りが立ち上る。むっちりした生地のおいしさに感動し、すっかりパン好きになった。中学高校時代は週に1度、駅前のベーカリーチェーン、カスカードで昼食を調達するのを楽しみにしていた。プチパンとショコラは必須で、ピロシキやカスクートもお気に入りだった。
 東京に住むようになってからは、出先で気になるパン屋を見つけると入る癖がついた。そのうえ2016年に『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか パンと日本人の150年』(NHK出版新書)という本を出したこともあり、もともと好きなバゲットと食パンが、パン屋の味を測る指標として必ず買うアイテムになった。旅先では、朝食用にパンを買ってホテルで食べることが多い。
 広島市に行った折、グーグルマップで検索したら、個人のパン屋が中心部にずいぶんとたくさんあることが分かった。ホテルから歩いて数分のところに本格的なドイツパンのベーカリーカフェがあったので、そこで朝食を摂ることにする。昔、ドイツに行ったときにパンのおいしさに感動したが、日本でドイツパンの店にあまり出合わないことも、朝食の場所としてそこを選んだ理由である。
 ほかの店も試してみたかったので、翌朝はシチュー入りのパンがあるという店で買ってみると、やはりパン生地自体がおいしかった。広島市は、パンが充実していておいしいのだろうか?
 わずか数日の滞在と私の主観だけでは頼りないので、総務省の家計調査も調べてみた。20182020年平均の県庁所在地別ランキングを見ると、パンの支出金額はパン、食パン、他のパンに項目が分かれている。それぞれ広島市は11位、8位、14位という結果で、結構高いのである。しかも他のパンより食パンの順位が高いということは、食事にパンを導入している家庭が多い、つまりパン文化が根づいている都市の一つと言えそうだ。
 なぜ、広島市にはパン文化が根づいているのだろうか。一つ考えられるのは、広島市が日露戦争時、大本営が敷かれた軍需都市だったこと。日露戦争と言えば有名なのが、海軍軍医の高木兼寛と陸軍軍医の森林太郎(鴎外)の対立で、この戦争の際、食べものに脚気の原因があると高木が見抜きパンを導入した海軍では患者が激減したが、白米食で通した陸軍では大勢の患者、死者を出す結果に終わったことである。軍隊へ納入するパン屋がおそらく、広島市にはあったはずだ。『アンデルセン物語』(一志治夫、新潮社)には、戦後に「アンデルセン」が広島で開業した折、先行したパン屋がいくつもあったことが記されている。
 もう一つは、そのアンデルセンの存在である。同書によると、創業は19488月。「タカキのパン」という名前で、比治山橋のたもとと街外れだった。中心部へ進出したのは195211月。イートインコーナーも設け、サンドイッチなどを提供した。被爆建物の元三井銀行広島支店を買い取り、パン屋にしたのは1967年である。パン屋には洋菓子、アイスクリーム、ハム・ソーセージなども置き、レストランやカフェも併設する商業施設にした。パンをセルフサービスとした新しい試みで、大きく売り上げを伸ばす。
 アンデルセンは、新しい試みに力を入れてきたパン屋である。創業社長の高木俊介が欧米視察で出合ったデニッシュを導入、冷凍技術を学んでベーカリーチェーン展開の基礎を作ったなど、業界の発展にも貢献した会社である。また、1970年には東京・青山に進出。1966年に開業したドンクなど、青山には当時各地のパン屋進出が相次いでおり、「青山ベーカリー戦争」と言われた。
 アンデルセンは、パン食を文化として根づかせようと試みたパン屋でもある。旗艦店にレストランなどを併設したのも、そうした取り組みの一つ。朝食にパンを、と訴えるキャンペーン広告を打つなど、パン食の啓発広告を長く出し続けた。そうした取り組みの一環なのだろう。私が中学1年生だった1981年、広島市に住む親せきのお姉さんに旗艦店にランチを食べに連れて行ってもらった折、アイスクリーム菓子のうんちくやレシピを紹介する小冊子『アイスクリームへの招待』(アンデルセン・グルメの文庫④)をもらった。ピーチメルバやの誕生物語が面白く、私が食文化史に興味を持つきっかけになった冊子である。
 こうしたアンデルセンのキャンペーンが、広島市民にパン食文化を根づかせたのではないか。育てた職人の中には、独立開業する人もいただろう。神戸にパン食文化が根づいたのは、フロインドリーブやドンクが多くの職人を育てた結果でもあった。アンデルセンも広島で、そうした貢献をしてきたと考えられる。
 さらにもう一つ、最近別の可能性に気がついた。もしかすると、広島市は原爆が投下されて町が破壊されたから、洋食文化が深く根を下ろしたのではないか。というのは、新しい町には、和菓子屋は少ないがパン屋やケーキ屋が多い傾向があるからだ。東急沿線の郊外や、できてから半世紀の港北ニュータウンにもパン屋が多い。神戸も開港から150年ほどの新しい町である。もしかすると、古いものが破壊されてしまった広島市には、戦後入ってきた洋風文化のパンが根づきやすかったのかもしれない。そうだとすれば切ない理由である。

 

(第17回・了)

 

本連載は、隔月で更新します。
次回、2022年3月に更新予定