大胆仮説! ケンミン食のなぜ 阿古真理

2022.3.16

18博多ラーメンの出汁はなぜ、豚骨なのか?

 

福岡でラーメンといえば豚骨ラーメン。豚骨ラーメンは久留米が発祥とのことだが、そもそもなぜ、クセの強いあれをスープにして食べようと考えたのだろう。その謎を、風土の面から考えてみた。

 

 福岡県には、これまで数回行ったことがある。最初は中学校の修学旅行で九州を回った折。博多で鯛めし、柳川でウナギのせいろ蒸し、雲仙観光ホテルでハーフポーションのフルコース、長崎でカステラ、とおいしいものだらけのグルメ旅だった。何しろ私が通っていたのは、地元で名高い「お嬢さん学校」私立女子校。私自身は『花より男子』(神尾葉子、集英社)のビンボー主人公、牧野つくしみたいなポジションだったから、親の懐は相当痛んだことだろう……。
 「九州はおいしいところ」というイメージを私が抱いているのは、そのときの体験が大きい。しかし、九州は私の地元、関西からはもちろん、東京からはさらに遠い。出張で行く機会は少なく、旅行でも交通費を確認した時点で、「それなら沖縄のほうが安い」「いっそ台湾へ」などと気がそれて、ほとんど行ったことがない。そして、数少ない福岡出張では、土地勘がないこともあり料理がおいしかった体験がほぼない。
 福岡はもしかして、他の地域より肉食文化の蓄積があるのでは? と気づいたのは、『日本外食全史』を書いた折、豚骨ラーメンや水炊きの話で福岡に触れたからだった。くわしくは同書を読んで欲しいが、豚骨ラーメンは久留米市で一九三七年に、水炊きは福岡市で一九〇五年に誕生している。豚骨ラーメンで豚骨が出汁に使われたのは、鶏ガラより安かったことが理由だが、その分クセが強くなる。肉食に慣れていなければ受け入れにくい味にもかかわらず、戦後にますます発展し「博多ラーメン」と呼ばれる名物料理になったことがポイントである。
 いつものように農文協の聞き書きシリーズに頼ろうと、『伝承写真館 日本の食文化⑪九州1』を読んだが、それらしき記述はない。仕方がないので、今回は傍証をかき集めて推測してみたい。
『秘密のケンミンSHOW』(日テレ系)を観ていると、福岡と言えばやきとりが人気でなぜか豚バラ肉で野菜などを巻いたアレンジもバリエーションが豊富なこと、豚足を焼いて食べる、もつ鍋文化もあるなど、豚骨ラーメン以外の豚料理も豊富なことがわかる。豚骨、豚足、もつは、肉を使いつくす文化がなければ使わないのではないか。
 肉文化といえば、肉食の歴史が長い朝鮮半島の近さが気になる。福岡みやげの定番、明太子は植民地時代の韓国に住んでいた人が持ち込んだ。もしかして焼き豚足も……とソウルでめちゃおいしい焼き豚足を食べたことから連想してみたが、『食卓の上の韓国史』(周永河著、丁田隆訳、慶應義塾大学出版会)によると、韓国で豚肉料理が好まれるようになったのは半世紀ほど前からに過ぎない。しかし、その前に北朝鮮の人が韓国で豚足料理を売ろうとしており、北朝鮮には豚肉食文化があったらしい。朝鮮半島経由はあるかもしれないが、違うかもしれない。
 もつ鍋については、朝鮮半島から来た可能性が高い。もつ鍋店「こうづき」のウェブサイトや福岡市のウェブサイト「特集 福岡の食」で、第二次世界大戦後、炭鉱夫として働く朝鮮半島出身の人が食べていたものが元になっていると書かれている。
 豚バラの食文化は福岡情報サイト『フクリパ』(二〇二〇年二月二二日)に、満州から引き揚げた人が持ち込んだ説があることが触れられていた。そういえば、中国は豚肉食大国だが、満州からの引揚者は全国で足跡を残している。焼き豚足については、いくつかのサイトが「ルーツは不明」としている。
 鶏肉も人気が高い。『フクリパ』二〇二〇年九月六日配信の、「福岡市民の“鶏料理好き”は、江戸時代にまでさかのぼる!?」という記事がある。総務省統計局の家計調査で、二〇一七~二〇一九年の鶏肉支出額がナンバーワンだったことを伝え、やきとり、水炊き、かしわ飯、がめ煮(筑前煮)など、郷土料理も含む福岡市民が好きな鶏料理を列挙する。専福岡の鶏肉食文化にくわしい日本経済大学竹川克幸教授によると、享保の飢饉による財政立て直しのため、福岡藩が鶏卵生産に力を入れ、廃鶏処分のため鶏肉食が広まった。
 水炊きについては、水月のウェブサイトに誕生物語が記されている。明治時代に香港へ渡った創業者が、現地に入っていた西洋料理と中国料理を組み合わせ、日本人に合いそうな料理として考案したという。
 鶏肉は江戸時代で豚肉名物料理は戦後。それだけでは、福岡で肉食が特別盛んとは言えない。鶏肉食は江戸時代後半に全国で広がっているし、戦後はやはり全国的に肉料理が手軽な選択肢になっていくからだ。しかし、豚足は今でも全国どこでも買えるわけではないし、豚骨ラーメンが全国区になったのは、1980年代のブーム以降だろう。距離の問題は独自性に関係があると思う。北九州エリアの東アジアへの近さ。日本の中心地からの遠さ。
 東アジアの文化流入口が北九州だったことは、歴史が証明している。福岡はうどんとまんじゅうの発祥の地でもある。その碑が建つ承天寺は、宋で禅宗を学んで帰国した聖一国師が開いた。小麦粉食の文化は、聖一国師が石うすとその挽き方も伝えて福岡から広まった。磁器の歴史も、朝鮮戦争で秀吉が連れ帰った陶工が指導した、佐賀県の有田焼から始まる。長崎は、江戸時代に唯一の対外窓口だった。縄文時代の終わりにコメ作が広まったのも、北九州かららしいことが、佐賀県や福岡県の遺跡が発掘され知られている。邪馬台国の場所は、北九州説もある。福岡は、高速船で釜山までわずか三時間弱で行ける。
 もう一つは、国の中心地から遠いこと。南九州の島津藩では養豚が行われていたが、それは江戸から遠かったこと、肉食文化圏だった沖縄を侵略していたことが影響している。もしかすると、福岡の豚肉食は南九州の影響を受けたのかもしれない。中国から入った豚の角煮を卓袱料理に組み入れた、長崎からの影響もあるだろう。肉食の禁忌は北九州エリアでも、あまり強くなかったのではないか。関西でも東京に比べると異質な文化なのに、さらに遠い九州で、江戸の影響が色濃かったとは考えられない。
 肉食文化が育ちやすい土壌が江戸時代からすでにあったからこそ、近代以降に独自の肉食文化が発達したのではないか。うーむ、福岡県、奥が深そうだ。一度じっくり付き合ってみたくなった。

 

(第18回・了)

 

本連載は、隔月で更新します。
次回、2022年5月に更新予定