大胆仮説! ケンミン食のなぜ 阿古真理

2022.5.12

19カステラはなぜ、江戸時代の日本に根づいた。

 

長崎が誇る銘菓カステラは、外国由来だが立派な和菓子である。なぜか。その歴史を紐解いてみよう。


 2016
年末、長崎へ旅行した。長崎は中学の修学旅行で行った後は、取材でハウステンボスへ行っただけなので、ほぼ33年ぶりの再訪だ。福岡の記事でも書いたように、九州は関西からも遠く東京からはさらに遠く仕事の機会が少ないうえ、交通費が高いので旅行でもなかなか行かない。しかし、長崎は修学旅行時、眼鏡橋が前年の台風で壊れて修復中、自由行動時も思うように歩けなかったことから、ずっと心残りがあった。
 食文化の歴史を研究するようになると、南蛮文化の入り口として、江戸時代に重要な役割を果たした土地に対する興味が高まる。夫にくり返し「長崎へ行きたい」と言い続け、ついに叶ったのがこのときだった。
 長崎市内を歩くと、あちこちにカステラ店があってのぼりを掲げている。抹茶やチョコなどの味のバリエーションを売りにする店も、五三焼きと言って卵の黄身と白身の割合を五対三にした濃厚な味を売りにする店もある。残った二個分の白身は何に使うのだろう。「どんだけカステラ好きやねん!」とツッコんでいるうちに、食べ比べを思いつく。
 1624(寛永元)年創業の「元祖」を名乗る福砂屋と、やはり「元祖」を名乗る1681(天和元)年創業の松翁軒、皇室や宮家にも献上する長崎菓寮匠寛堂、それから名前を忘れたが手作りを掲げる個人店と、買ったカステラを朝食替わりにホテルの部屋で食べまくった。標準体重を維持できなくなったのはその頃からなので、もしかすると長崎のカステラが引き金だったかもしれない。
 修学旅行のときに名前を覚えた福砂屋のものは、印象的な派手な味わい。個人店のものは、素朴な家庭的な味。松翁軒は六年以上経った今となっては記憶が残っていない。一番おいしかったのは、無添加を売りにする長崎菓寮匠寛堂のもので、甘さが上品でキレがよかった。同じように見えるカステラでも、味は違うのだなあとしみじみ思った。
 カステラには、いくつも思い出がある。修学旅行時は、あるホテルで同室の子が一人夜出かけたままなかなか帰らず、先生に見つからず無事に帰ってくるか心配で、皆で寝ずに待っていたことがある。そのとき、誰かが「カステラでも食べていよう」と、買ったばかりの福砂屋のカステラを出してきた。お茶も入れずにちぎりながら食べるなんて、何だか贅沢な気がしたのを覚えている。
 小学生の頃は、家に来るお客さんがカステラを持ってくることが多かったが、そのたびにカステラは和菓子なのか洋菓子なのか疑問が湧いた。スポンジ生地はケーキっぽいのに、売っている店は和菓子屋が多いからだった。
 長年の謎が解けてきたのは、食文化を研究し始めたおかげだった。カステラはよく知られているように、南蛮貿易の時代にポルトガルから入ってきた。ポルトガルで「パン・デ・ロー」、スペインで「ビスコチョ」と呼ばれるお菓子が元になっていると言われている。
 現代のカステラは、大きな箱型にたねを流し込みオーブンで焼く。しかし、オーブンを使う文化が入ってきたのは、幕末・明治の開港期。長崎に行ったときは、江戸時代のオランダ人がオーブン料理をどのようにしていたか知りたかったが、出島にも、グラバー園にもオーブンの展示は見当たらなかった。しかし、福砂屋で当時のカステラ焼き型の写真を発見。ダッチオーブンみたいな丸い鋳鉄製のふたつき鍋で、ひっくり返しながら炭火で両側から焼いたらしい。もしかすると、こうした焼き型がその後、回転焼きやたい焼きの型に発展したのか? 
 型が小さいだけでなく、材料の砂糖も国産化されたのは吉宗の時代で高価だった。卵も量産時代に入るのは明治以降。カステラの歴史を紹介した朝日新聞2017329日の記事によると、庶民がこの貴重なお菓子を口にできるようになったのは、文化文政期(18041830)年以降だった。
 カステラは、スポンジケーキなど一般的な洋菓子と風味が異なり、しっとりしているところに特徴がある。一番の違いはバターを使っていないところだ。スポンジ生地の主な原料は、小麦粉・卵・砂糖・バター。一方、カステラの主材料は小麦粉・砂糖・卵。バターを使っていないからこそ、1617世紀の日本でも定着できた。卵は南蛮人たちが好んで食べているのにつられ、日本人も食べるようになった食材である。
 バターは、酪農文化が衰退していた日本にはなかった。輸入していたらおそらくとても高くついたことだろう。そして、洋菓子独特の風味をもたらす。明治の初め、日本人は洋菓子のバターの香りを「くさい」、と言って敬遠したのだ。つまり、バターがなかったからこそカステラは作ることができ、そして広がっていく土壌ができたのだと言える。「やはり江戸時代に定着したスポンジ生地の一六タルトは?」、と愛媛の一六本舗のサイトを確認すると、やはりバターや油は使っていないとある。バターなしだからこそ、江戸時代に洋菓子は日本化できたのだ。
 和菓子屋で作られているのも、このお菓子が江戸時代に定着したことが影響したのだろう。その意味で言えば、カステラは和菓子である。やはり長崎の老舗、文明堂も条件付きで和菓子という見解を同社ウェブサイトで書いている。文明堂は出島の近くに、黒塗りのしっくい壁の堂々たる和風建築で総本店を構えている。創業は1900(明治33)年、と比較的新しい。
 きめが細かく、途中でオーブンから取り出し泡切りをするなど、手間のかかる製造スタイルは日本で独自に進化したもの。あの大きな型で四角く焼くのも日本オリジナル。現在の味と形になったのは明治時代に水あめを入れるようになってから、と2011618日の朝日新聞beの福砂屋紹介記事にある。日本人好みにカスタマイズされ発展したという意味でも、これは和菓子と言える。
 長崎の人たちは、カステラを広めた土地として誇りを持っているのだろう。だからこそ、町のあちこちにのぼりを立ててカステラを販売している。東京でも、カステラに「長崎」とつくとブランド感が出る、という販売スタイルが目立つ。長崎と言えば、やっぱりカステラなのである。

 

(第19回・了)

 

本連載は、隔月で更新します。
次回、2022年7月に更新予定