大胆仮説! ケンミン食のなぜ 阿古真理

2020.11.16

07浦和はなぜウナギが名物なのか?

 

いまではサッカー浦和レッズのホームタウンとして知られる浦和には、思いがけず老舗の鰻屋さんが数多くある。それはなぜか。

 

 京浜東北線の浦和駅に降りたったのは、20年ほど前のことだった。埼玉県の京浜東北線沿線にはあの頃縁があって、何度か利用するうちに、住宅街が広がるここは東京のベッドタウンなのだと認識した。
 ところが浦和駅前は他と違う。県庁のある街が繁華なのは当然としても、官庁街の無機質さよりも情緒を感じるたたずまいなのが意外で、歴史ある雰囲気に打たれた。そういえば浦和は中山道の宿場町。のぼりまで立てているウナギ屋が多い。名物なら食べるべし、とちょうどお昼時だったこともあり、1 軒の店に入る。まだウナギの価格は今ほど高くなく、2000円ほど出せばウナ重を食べられた。
 浦和の独自性は、浦和在住の人たちと縁があったことで、ますます気になるようになった。2001年に大宮市・与野市と合併してさいたま市になった折は、「大宮と一緒になりたくない」「私はこれからも浦和在住と言うわ!」と息巻く人たちがいた。その後も「浦和なんです」と、鼻を高くして自己紹介する人にもくり返し会う。浦和レッズがあるからかと思ったけれど、私が出会った人は必ずしもサッカーに関心があるわけではない。
 ローカルな文化圏でのちょっとしたランク付けは、どこでもある。埼玉県では浦和の地位が高いのなら、その根拠はどこにあるのだろうと思い続けてきた。その後浦和近辺に行くことはたまにあったが、何しろこの地域には8つも「浦和」がつく駅がある。浦和駅のほか、南浦和・北浦和・中浦和・東浦和・西浦和・武蔵浦和・浦和美園。そのため、浦和駅へはその後行ってじっくり研究する機会は訪れていない。
 そこで書籍で浦和とウナギの関係を調べてみたら、名物として有名なだけでなく、なんとかば焼き発祥地説まである。「浦和うなこちゃん」というゆるキャラもいる。
 かば焼きの歴史を『すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ』(飯野亮一、ちくま学芸文庫)で調べると、室町時代からあるらしい。京都で1680年に出版された『噺物語』にウナギのかば焼き売りが登場するところを見ると、江戸時代初期には全国区になっていたようだ。徳川綱吉も1687年に出した生類憐みの令で魚を禁令の対象にし、1700年にはウナギを名指ししている。発祥の地は残念ながら、浦和ではなさそうだ。しかし、発祥説が出るからには何か根拠はあるはず。
『日本の食生活全集11聞き書 埼玉の食事』(農文協)によると、浦和付近はかつて海だったらしい。ウェブサイトの「さいたま観光国際協会」 の「旧浦和市の歴史」では、西部は荒川流域、中央部と東部台地の中間は芝川流域、東端は綾瀬川流域のそれぞれ低地となっている。川が多い土地柄で、中でも「上谷沼は田んぼと沼地が混在し、川魚あまた生息する水郷で、風光絶佳な行楽地」だったと『聞き書 埼玉の食事』にある。ウナギの産地だったのだ。
 続いて、この沼畔にある老舗ウナギ屋の「小島屋」が、行楽に来る人たちに乞われてウナギのかば焼きを出したことが広く知られるきっかけだったとある。1992年に出た同書に200年来の店とあるから、今は230年ぐらいかと思ったが、インターネットで検索すると近年の記事で200年説と150年説があり、店の公式サイトには創業が明記されていない。150年前は明治初期なので、おそらく江戸時代末期の200年説に信ぴょう性がある。中山道の街道筋だったので、一度広まると、ウナギ屋が林立して名物になって定着したのだろう。
 同書の「中山道筋<浦和>の自転車店の暮らしと食」という項に、昭和初期の浦和の暮らしが描かれている。「親方は、川でふな、どじょう、なまずをよく釣ってくる。ときにはうなぎを釣ってくるので、おかみさんがさいてかば焼きにしてみんなに食べさせる。商店街にはうなぎ屋があるが、藤倉家では、そんなところへ食べに行ったり、買ってきたりするようなぜいたくはけっしてしない」。庶民に専門店のかば焼きは高値の花だったが、自前で調達できるから食べる機会はある。そんな位置づけに浦和のウナギはあった。
 しかしこの頃にウナギを地元で釣るのは、たやすくなかったかもしれない。何しろ、同書には大正時代半ば頃から耕地整理が行われ、川魚が次第に姿を消し、ウナギは別の産地から移入されるようになったとも書かれているからだ。
 大正時代は、東京に流入者が増えて郊外化が始まった時代である。関東大震災後はその流れが加速する。現在の浦和はもはや産地だからではなく、東京や大阪と同じくかば焼きを焼く技術の伝統があるからウナギが名物になっているのだ。ウナギという資源自体が貴重になって、それらの店も、やがて減ってしまうのだろうか。
 ところで、今回読んだ『聞き書 埼玉の食事』では、同シリーズからうかがえる昭和初期の暮らしぶりとしては豊かな土地柄という印象を得た。さすがにコメの白飯を日常的に食べていた地域は少ないが、サツマイモの大産地として知られ、各地でうどんを手打ちする文化がある。そして東京に住む私は、埼玉県産の野菜を日常的に食べている。こうした産地を近くに擁することで、東京の発展も成り立ってきたのではないだろうか。

(第7回・了)

 

本連載は、隔月で更新します。
次回、2021年1月15日(金)ごろ更新予定