裏庭のまぼろし 石井美保

2024.2.15

18月と海鳴り(3)

 

 

 

 

 摩文仁の丘につづく階段を登りきると視界がひらけ、眼前に広がる海の方から風が吹きつけてくる。丘の頂上から少し下ると、崖の中腹に、鉄柵で入口を封鎖された洞窟が口を開いている。一九四五年六月、首里から南部に撤退してきた日本軍は、最後の司令部壕としてこの洞窟を使用していた。大叔父も、この中にいたはずだ。
 洞窟の入口の上部には大木が根を張り、鬱蒼と茂る熱帯の樹々と下草に覆われた崖の斜面がずっと海の方まで続いている。入口のそばの柵にもたれて、樹々の間を透かして海を見下ろす。遠くに寄せては返す白い波頭、絶え間なく響いてくる低い海鳴り。じいんと耳の奥に、痺れるような蟬の声。
 天井の低い、岩だらけの暗い壕の中で、激しい砲撃に曝されながら。耳を聾する爆音の止むわずかなひと時に、大叔父もこの海鳴りを聞いていたのだろうか。

 大叔父から文子さんに宛てた最後の手紙の日付は、一九四五年三月十二日。米軍による空爆と艦砲射撃を皮切りに、沖縄での戦闘が開始される十日ほど前に書かれたものだ。

 

 二月二十七日と三月二日発の便り、今日三月十二日手に入れました。殺風景な戦場で毎日毎日を忙しく送っている我輩にとって うれしい唯一の慰めです
 でも朝受けとって手にとって読んだのがたった今の十七時です。読み度(た)い読み度いと思い乍らついつい仕事に追われて了って…… 〔…〕
 ところで田舎の方でも愈々(いよいよ)決戦態勢で節米もやっている様だね 仲々大変の事だろう 栄養保持が出来るかしらね うんと肥えて居かぬと子供が生れるとペソとなるよ アハ…
 それが為にはお腹を大切にして食べた物は一〇〇パーセント吸収し得る様にして居かねばならぬ お兄チャンはお蔭でこちらへ来てからまだ一度も腹をこわさず 随(したが)って あれほどのんでいた薬も一度ものんでいませぬよ えらいでしょう……

 毎日毎日朝起(おき)ると横の方を見て 誰もいないのを発見して「ああ文子はどうしているかな」と思う 夜ねる時は努めて考えぬ様にしている
 くるしいし それに考えるといつ迄もねむれなくなる
 朝なら大丈夫だよ お兄チャンも大分考えるでしょう〔…〕
 お兄チャンはこの離島に来て 硫黄島の上陸1をきいて 愈々文子が 随ってそのお腹にある僕達の子供が如何に僕の必勝の信念を裏づけてくれるか分りません
 本当に今になって子供のあること位力強いものはありません 文子よ、僕達の愛情は 僕達の生命の総(すべて)はお腹の中にある子供にあるのだよ どうか本当に大切に自分の身体をして貰い度い
 文子が変な気がしたら僕の手紙なんか見る必要はない 僕達の愛の結晶をそっとなでればよい 
 お兄チャンにはそれが出来ない でも文子には出来るよ
 どうか一生懸命やって下さい

(裏面に)
 夕やみが逐次迫って来た そろそろと日がくれそうになって来た 日暮は誰にとってもいやに淋しくなるものだね
 広いお部屋には誰もいない 階下の方からは食事を知らせる鈴の音がチリンチリンときこえてくる
 昨夜は同期生が八人許り集って久し振りにお酒にありついたよ 仲々うまかった でもお酒は仲々手に入らぬよ 心配するな

 では今日はこれでやめる 身体をくれぐれも大切にして下さい〔…〕

 

 大阪に疎開していた文子さんから夫に宛てた最後の手紙は、それからちょうどひと月後の四月十二日に書かれている。彼女の手紙には、激戦地にいる夫のことを気遣い、自分の心情と近況を伝える言葉とともに、しだいに春めいてくる大阪の家の景色が綴られている。

 

 四月三日、あきらめていた貴方の優しいお便りを手に致しました 本当に本当に嬉しゅう御座いました
 いよいよ烈しくなりつつある沖縄、もうお手紙は……とあきらめて居た時だけに、姉様に「英夫さんからよ!」と呼ばれた時は、もう夢中で飛んで行きました
 うれしくてうれしくてたまりませんでしたの〔…〕

 めっきり春らしくなって来た野山、桜の花も少しほころび始めました つくしやたんぽぽ等も花を咲かせて来ました
 四月の声を聞き、それらの風物を見るにつけて…… なつかしい思い出となった去年の今頃の事がつぎつぎと浮びます……

 

 この手紙が書かれた頃、大叔父は首里の地下壕にいたはずだ。もしも彼がこの手紙を読んだなら、いまやあまりに遠く離れてしまった故郷の風景を伝える文子さんの懐かしい筆跡に、胸苦しいような思いを抱いただろうか。

 彼が手にすることのできなかった最後の手紙はいま、私の手元にある。黄ばんだ封筒には、「送付不能ニ付返戻ス」と書かれた紙片が、ぽつんと貼り付けられたままだ。



1 一九四五年二月十九日、米軍海兵隊が小笠原諸島の硫黄島に上陸。一ヶ月以上にわたる激戦の末、三月二十六日に栗林忠道総指揮官の死によって日本軍の組織的な抵抗は終結した。その後、米軍は太平洋地域にあった全軍の戦力を沖縄攻略に向けて結集した。防衛庁防衛研修所戦史室[一九七〇:三一九−三二四]参照。


[参照文献]
防衛庁防衛研修所戦史室 一九七〇『戦史叢書 沖縄・台湾・硫黄島方面 陸軍航空作戦』朝雲新聞社。





この連載は月2回の更新です。
次回は2024年3月1日(金)に掲載予定です。
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