「お洒落」考 江弘毅

2020.9.18

16ストリート・ファッションと革ジャンというジャンルについて

 

連載13回目のアロハシャツにも登場してもらった吉田幸司さん。「ミリタリー」と「ライダーズ」。「この2種類しか革ジャンはないと思ってる」と吉田さん。50代だが現役のサーファーでありバイク乗りである。


 革ジャンを書くことになって、自分も通ってきた70年代後半からのストリート・ファッションのことを回想している。
 今回のミリタリーものやライダーズの革ジャンはとくにアメリカ由来のものが多いが、同じアメリカのヒップホップやナイキのエア・ジョーダン的なものあたりの80年代は、20代後半から30代になった頃だった。
 どちらかというと、ラップやスパイク・リーよりもグラウンド・ビートでソウルⅡソウルだった。ロンドン経由のアシッド・ジャズやワールド・ミュージックに入りこんでいたので、NYについてはラテン音楽だった。

 ストリート・ファッションはダンスフロアの音楽と密接だ。
 ファッション誌系の男性誌をめくっていると、スケボー絡みのスラッシャー系のストリート・ファッションをやっているページを発見したのだが、「違うなあ」というか、「そんな奴おれへんやろ」状態になった。
 スケボーが音的でないのはしょうがないとしても、ピントがずれていてトンガってない。なんかヌルいのである。

 

何でもござれのブランド・カタログと、上から下までカーハートで、昭和なカツサンドのパッケージを小物に入れている写真。モデル以外、なんかオッサンぽいぞ。

 

 自分は70年代から80年代初頭にかけて波乗りをやっていた。
 先輩友人たちは、和歌山の磯ノ浦に波があると店を閉めてサーフィンをしに行く近所のサーフショップの店員や、出来たばっかりのアメリカ村の古着屋たちだった。

 かれらは店が扱うサーフボードのロゴが入ったTシャツにLevi’s 646にレインボーサンダル。
 テイスト的には湘南のサーファーとはだいぶん違っていて、ダンガリーやネルシャツはかなり「きたない」ヒッピー的なテイストだったと思う(後の「MADE IN USAカタログ」や「POPEYE」誌が引っ張ったアメカジブームが来て、その違いがわかった)。
「ロコ」と言われていた昭和20年代生まれの先輩は、すでに腕にタトゥーを入れていて、ハワイで買ってきた中古のアロハがすごかった。かれはハワイで植木職人を経験して大阪に帰ってきて、伊勢や四国で波乗りをはじめた「伝説の男」だ。

 ほとんど23年間は、憧れの先輩の「下積み」みたいな入り方で、年中真っ黒のサーファーばかりを「海で見ていた」のだが、かれらはそのまま電車に乗って大阪や阪神間の大学に行ったり、ミナミのアメリカ村に出かけてカフェバーなどで男ばかりでたむろったりもする。
 その「潮焼け長髪姿(ロン毛なんてコトバはない)」ははっきり言って街の真ん中では浮き気味で、一般のファッション・ピープルからすると「あいつら目立ち過ぎやなあ」だった。

 けれどもさすがに格好が板に付いているというか、しっかりサマになっている。しょっちゅう街場に出ているとその時々のモードが分かるように、海にしばしば行くとその時代の風のようなものを感じることが出来たのはやはり西海岸由来の風俗だったのだろう。
 サーフボードを載せてワーゲンに乗りさえすればオッケーだと思っていた「陸(おか)サーファー」とは、「ウエット焼け」「ストッパー焼け」がないのを見分ける以前に一発で見分けが付いた。かれらは大学のサークルに入っていて、テニスをやったり冬にはスキーに行ったりする感じで、カタログ誌的にAdidasのカントリーを履いてUCLAとかのTシャツを着てそうだった。
 そうではない大阪のリアルなサーファーたちのそのさまは、まさにストリート・ファッションだったに違いない。

 ストリート・ファッションは、ファッションやアパレル業界のデザイナーやMDが企画したモードではない。街場のストリートで始まって、あるリアルなスタイルが生み出された一つのモードであり、基本的にはコーディネイトつまり「着方」であるから、ブランドや作者作品性は本来否定されるべきだ(ヴィヴィアン・ウエストウッドのファンよ、聞いてるかい?)。


多く着ているカーキグリーンのフード付きパーカーは、50年代初期、朝鮮戦争時に米軍に採用されたM-51。どんな経緯でロンドンのモッズに「軍モノ」を取り入れたのだろう。

 

 ストリート・ファッションは、集団的であって地域性、風俗文化性が見られる。だからVOGUE的な広告媒体を通じて一気に全世界に広まったりはしない。
 またサーファーにしてもパンクにしても、70年代よく言われた「ライフスタイル」、つまり見かけのファッションじゃない。そういう着る人のカウンター・カルチャー的な社会的属性と価値観の上にあって着られるから、かれらはその頃しきりにファッション誌を賑わせていたDCブランドのハウスマヌカンではなかったし、誌面をつくるスタイリストやフォトグラファーとは完全に違う空気を吸っていた。

 ナイキ? ヒルフィガー? Supreme? そうじゃない。それらはアパレルであり、大ブランドやないか。

 ネタをストリートのキッズや野郎たちの着こなしから引っ張ってきて、その際にスナップ撮りまくりで、メーカーはそれを参照に服をデザインしたり、そのメーカーのサンプルをモデルに着させてファッション写真に仕立て上げるというのが最もストリートから遠いんではないか。

 今回は革ジャンについて書こうとして、そういうことを思いだしたのは軍モノ、ミリタリー系はストリート・ファッションと親和性が高いからだ。
 ジーパン(デニムとかジーンズとかのとらえ方じゃない)もそうだが、軍モノやモーターサイクル由来の革ジャンは一般のブティックやトレンドやモードでセレクトしたショップより、「アメリカ衣料」「サープラス・ショップ」や「ジーンズ・ショップ」で扱われてきた。

 

高校生の時にSCHOTTから入って、ずっと革ジャンを着ている吉田さんだが、ここ10年ぐらい着ているのがこのバックラッシュの「イタリアンショルダー・ダブルライダーズ」。ジーパンに白Tシャツ似合わせることが多い。ジーパンは股上が浅く細いレディースものを新品から穿き込んできた。シューズはワラビー。これだけ新品。

革ジャンは「育つ」。背中の「縮みシワ」。「これですよ」の育ち方。

同じバックラッシュでフード付き。ホースハイド(馬革)でエイジングすると「グレーに色落ちしてくる」。

 

 わたしも例にもれず革ジャンを着た時期があった。
 最後に買ったのは80年代半ばで、「日本より安い」と友人に聞いたロスのダウンタウンのやはり「ジーパン屋」で買ったG-1である。その時に教えてもらったのは、軍モノの革ジャンは複数のメーカーが納品するから、「SCHOTT」とか「AVIREX」といったメーカー名は関係ない。「自分の目で本物の品を見分けること」が必要だということだ。

 そのG-1は高価だったこともあってまさに着回しの効く「一張羅」だったが、1995年の阪神淡路大震災の時に、家が全壊して着の身着のまま逃げてきた友人にあげた。
 革ジャンはスエードのブルゾンを数着持っていたが、本物の軍モノを着出すとほかのものでは頼りないというか物足りなくなる。

 

初期のリアル・マッコイズのD-1。「まだ若い」状態だそう。

 

「ボアが全然違う」−20℃の極寒仕様のB-3。同じくリアル・マッコイズ。ほとんど2〜3月の波乗りに行くときしか着ない。


 

 もっと言うと革のトレンチ・コートとかブルゾンとかは「それ、なあに」であり、革ジャンとは「違うジャンル」「違うアイテム」だというふうになってくる。
 その感覚は一体何だろう、と思ったりするのだが.やはり「革ジャンは革ジャンでしかない」もので、「独自の理解と着こなし」が必要かと。

 革ジャンもやはり、このところの服の共通ポイントである「素材」と「サイズ感」であるが、吉田さんによると、「むしろ革ジャンを着たいがためにカラダの目安を持っていく」という言い方に「さすが」と思った。着込んできた服がどれだけフイットしているかの体型維持の重要性だが、現実にはなかなかハードなのだ。

 

(第16回・了)

次回、2020年10月2日(金)掲載