「お洒落」考 江弘毅

2020.10.9

17「差し色」とか言うから、考えるからダサい

 

 80年代後半以来の大阪の友人は、ジーンズがメインの品揃え店をやっている。この店が扱う80年代後半から一世を風靡したヴィンテージ系ジーンズはとても有名で、今なお若いファンが多い。

 その友人に、「先日あった話」を聞く。
 店に20代ぐらいの客がやってきた。初めての客だと思う。
 定番の501タイプのジーパンほか数種を見たあとに、「スキニージーンズありますか」と聞いたとのこと。
 長い間ジーパンを扱ってきたその服好き人間は、「いったい何のためにジーパンを見てきたんや、と思うわ」とぼやく。

 前をボタンフライで閉めるオーソドックスなジーパンと、それをちょっとだけ細くしたり股上を浅くしたものぐらいでずっとやってきたかれの店のジーパンは、基本的に長く穿いて「たて落ち」させるのが身上だ。
 それと「ジーンズはこのブランド」とわざわざやってきた若者が求めるのが、トレンドだから「今だけ」「大量に」の「スキニージーンズ」だという落差に、かれは悔しくて相当がっかりした表情を見せる。

 これの話をまた違う同世代のセレクト・ショップのオーナーとしたのだが、「なんじゃ、それ」と大いにおもしろがった。「“ハイテクスニーカー”(エア・マックスのこと)とか、“厚底ブーツ”に近いニュアンスがあるなあ」となかなか切り込んでくる。
 けれども80年代からのジーパン屋と男性洋服店出身の二人が声を揃えて言うのは、「あんたらメディアの人間がそういうことを書くから、コピペするんです」とのことだ。
 女の子が穿くようなピタピタのストレッチが入ったジーンズは確かに流行っているんだけど、普通のジーパンをずっと置いてるウチらの店では「ゲテモノでしょう」ということだ。「3年も経つと、買ってもらったそのスキニージーンズのことは、お互いない話でしょう」とつけ加える。
 ファッションやあるスタイルを言葉にしてメディアで流通させるということは、「大いなる勘違いを生むんですよ」となかなかキッツいことを言う。

よく行く洋服店BROWN BROWN KOBEのこの日のディスプレイ。店主・藤岡氏との会話は「このペイズリーのネクタイも大概やなあ」「ネクタイ無かったら、服知らん人でしょう」


「モード的に流行ってるから、それを買って着る」というのは、ファッションの大いなる楽しみだ。「スキニージーンズ」のどこがアカンのか。
 確かに「太ももまでキツ目のテーパードの細いジーンズ」は、人によって時代によってはアリだろう(70年代のジャズ系のIVYたちは穿いていたのを記憶している)。けれどもそれは「スキニージーンズ」みたいなワンワードでは指し示さなかった。
 ひとことで言ってインスタントすぎるのだ。

 わたしはそれを聞きながら「差し色」という3文字の言葉を思いだした。「差し色はお洒落のテクニック」とか言われるアレだ。試しに「差し色」とググッてもらえると、どういう人がなにを指して言っているのかよく分かるだろう。

 もう20年以上前の話になるが、やっていた雑誌のファッションページの撮影でスーツをコーディネイトしていた。だいたいモード系やジーンズベースのカジュアルな服ばかりを紹介する雑誌だったので、スーツそれもネクタイを締めるスタイリングはレアだった。
 今号はスーツ特集で、ということで、クライアントでもあったエヴィスヤ・テーラーやエディフィス、ポール・スミスをはじめ、スーツばかり10型ぐらいつくって撮影する。

 モデルに服を着せて撮っていくのだが、のっぺりというかいつもとは違う。スーツというのは、上下同じ生地、同じ柄と色なので、「そういうもの」だろうが、なにか物足りないなあと思っていた。

 スタイリストはそこで要らんことをする。
 紺のピンストライプのスーツにピンクのマフラーだ。レディスのパシュミナみたいな感じで、なんぼなんでも無地のピンクはないやろと思って、「ちょっとドギツ過ぎるんでは」と言ったら、「差し色なんですよ。じゃあ赤でいきましょうか?」と言った。

「差し色」とかそんなもん、どっかに飛んでいくBROWN BROWN KOBEのプリントのシャツ軍団


 わたしはその「差し色」という言い方を耳にしてぞっとした。このスタイリストとの仕事は今回限りにしようと思ったほどだ。
 わたしの周りに、人の格好を見ていつも「それどこの服?」とかを訊き、自分の服を「素材が良くて着心地がいいからスメドレーに限る」とかいうヤツがいて、一度紺のジャケットにピンクのチーフをしているのをまわりの女の子が茶化して「さすが、お洒落ですね」と言ったら、「差し色ね」と自信満々に言ったことを思い出したからだ。
 スタイリストのマフラーとそいつのチーフは同じピンクだった。そうではなかったかも知れないが同じ「差し色」だ。

「それどこの服?」はただブランド名のことであり、「着心地が良い」は5つの子どもでもわかる。
 何が言いたいかというと、ブランドに振り回されるのと同様に、「差し色」などといった「鉄則的言葉」を信用するなということだ。
「お洒落は帽子から足元まで」とかいうのもあかん。ボルサリーノのハットにジョン・ロブの靴を履いているのは、自信満々にやってしまうからダメなのだ。そこには「なんちゃって」の洒落っ気がないからダサいのだ。

「なんちゃって」「ざまあみろ」と言いながら、ネクタイを合わせる藤岡氏。

パンツを合わせる。「こーゆうのは、服屋に行って徹底的に具体的にわざわざやらんとダメなんです。頭の中ではダメ。徹底的に具体的な生活者で。内田樹先生も書いてはった」「(笑)」

「チーフもいっときましょか」(「差し色」などという考えはこれぽっちもない)

違うジャケットで「チェック・オン・チェックやってみましょか」。気が変わりそうになる


 服屋のスタッフと、あーだこーだ言いながら、ジャケットにシャツやネクタイを置いて、「よっしゃ」と着替えてフィッティングルームの鏡を一緒に見る。「スーツはおもろないんやなあ」と言いながら、自信がないけど「おもろそうや」とチェックのジャケットにチェックのシャツをやってみたら合った。
「チェック・オン・チェック」となどという定着した言葉を頭に浮かべてる限り、「こんなんありなんや」「ざまあみろ」の裏切り感はない。

 

「チェック・オン・チェック。うーん」とジャガードのシャツから始める。アリストンのジャケット、「これ良いチェックでしょ。段返り3つボタン」「チェック違うやん。でもエエな。これナンボ?」「10万円くらい」。買ってしまいそうになる

「これレジメンタルの感覚なんですわ。ルールはトラッドの人が言うてるだけです」。penroseのタイはイギリス製

「完成したコーディネイトのディスプレイはあっさりしたもんになるんですわ」


 ファッションを語る「言葉に乗っかるな」、ということを「今、言葉で書いているお前はどうなんだ」と訊かれると、「うわあ、面倒くさいこと言われたなあ」と思うが。それと似ていて、服を着ることは、確信がないけどあれこれやったうえの「ひとつの具体(5060年代の大阪〜芦屋の美術活動も参照)」でしかないと思う。
「スキーニージーンズ」も「差し色」でもそうだが、それはかっこよさをまったく指し示さない。

 

(第17回・了)

次回、2020年10月23日(金)掲載