「お洒落」考 江弘毅

2021.11.8

18「頭のてっぺんから足のつま先まで」の、そのてっぺんが難しい。

 

 帽子、これはなかなか難しい。
 実際にかぶってみないとわからないからだ。「良かれ」と思いかぶってみたもの「これはアカン」となる。その感覚(いや感受性か)こそが必要だ。

「これがイケる」というのがなかなかない。だから「これ!」というのがあれば買ったほうがいい。いちばんブランドを忘れて買うべきアイテムが帽子だと思う。
 30年来の友人に「帽子の鬼」がいて、今回「着帽」の怒濤の登場をお願いしたが、これが多分、結論である。

 鬼とは井上バルさんである。
「帽子? ん、数で言うたら50以上はあるんちゃう」というバルさんによると、ブランドものブティック、品揃え店、帽子屋さん……問わず「うろうろしていて、何か目について“おもろいな”と思ったら買う」とのことだ。
 帽子売り場が帽子屋よりも充実しているデパートもあって、これは要注目、とのことだ。

 まずはニューエラがブレイク中のキャップ、ベレーあたりから。バルさんのコメント入りで。

ベースボールキャップで有名なNEW ERAもPARISの刺繍文字が入るとパリジャンか(んな訳ない)。キャップオングラスは定番

モータースポーツやバイクをモチーフにしているDEUSのロゴワッペンのキャップはアメリカン。TシャツとオーバーオールでOILが似合う

イタリア空軍の真っ赤なオフィシャルキャップにラルフ ローレンのヴィンテージ物フーティッドパーカーに短パン。初秋の海コーデ

カンゴールのウールキャップ。旧ドイツ軍の戦闘帽がモチーフだがパープルカラーでピースになる。リプレイのノーカラーウールジャケットによく似合う

米軍もの。珍しい色のベレーはバルケッタに乗るのに重宝する。やはり機能性と耐久性とシャレ!

イタリア空軍のベレー帽は色といい被り心地といい俺をその気にさせてくれる。フランス製ゴアテックス素材の自転車用パーカーとお似合いや!

黒いベレー帽は米軍物。これなら墓場にも遠慮なく被っていけるかも? 軍物の革のトリミングは気分を引き締める効果がある。

年に一回の祭りの鉢巻は気合を入れてくれる。玄関でお清めの塩をかけてもらい、いざ出陣の儀式。帽子のルーツはここにある

日本のブランドnivernoisのコットンハットは洗いをかけてあり新品から馴染む。少しアシンメトリーに作ってあり自分の頭に馴染ませていくのが楽しみ

コットン・ポリ素材のnivernoisの紺色の変形ハット。これをかぶりこなすのには勇気と諦めが必要! いつも自信を持ってないと


 得てして、おっさん、おばはんに多いのだが、「服を、変に着こなす人」がきっと周りにいると思う。「頭のてっぺんから足のつま先まで」が過剰というか、主張しすぎで、とくに帽子と靴をデコラティブにしてしまう悲劇=見ていて「うゎ〜」状態はよく起こる。
「うゎ〜」は「それちょっと変ですよ」なのであり、大いなる勘違いの結果なのだが、帽子は自分の頭の形や出っ張り具合やボリュームや顔の耳や目や鼻や口といったもろもろの位置や形の具合がもろに反映する。
 そういう意味から、帽子はいちばん厳しいアイテムではないだろうか。

 若いうちは「帽子が必殺の個性的自己主張」なんて思ってるから、いろいろかぶったりする。そのうち何かに気づいたように、「どうもこれは似合わんな」と、かぶらなくなる(サングラスもその傾向あり)。こういう経験のない人はツラい。
「顔が帽子に喧嘩を売っている」状態。これがイカンのである。強いて書くなら、帽子と顔頭の相互陥入をどううまく実現するのか、みたいなかんじか。

買って「失敗した」と思ったショートブリム。アシンメトリーなハット。流石に普通に被れるまで何度鏡に向かったことか

メイドインUSAならではのブルーが綺麗だったのでダース買いした工事用ヘルメット。マスクの次はヘルメットが必需品になるかもの投資

ジャズメンがよく被っていたポークハイハット。チェックなので良いかなぁと思い、「一つくらい」と買ったがあまり好きじゃなかった。ブリムにサングラスはちょうど良い置き場になる。

見えないけど真っ赤なサテンの裏地がカッコイイので手に入れたウールチェックのハット。脱いだときにチラッと裏側を見せたいが、それはカッコ悪いので止めときます

フェルトをガシガシに固めてあり凶器にもなりうる変形ハット! 変わった形が好きなのでついこういうのが欲しくなる。電車に乗るときは要注意である……。投げたらヤバい、令和のインディー・ジョーンズ

夏場はペーパー素材のハットが好きで面白いデザインに目がいく。オレ頭頂部がデカいので顔が小さく見えるという副反応が生まれるこんなのが大好き! Tシャツでも合う

モペッドを多数飼っているのでヘルメットも帽子なみに洒落たい。映画『親愛なる日記』でナンニ・モレッティがローマ市内をヴェスパで回遊するシーンを真似たい

冬のバルケッタにはとことん派手なトラッパーでドライブしたい。横には美女なんてファッション雑誌のスタイリストみたいなことはしない。一人で山道をかっ飛ばす!

アーミーデザインも洒落たウールチェックになると様子が変わる。戦闘モードからピースフルに……。平和主義なキャップも好きだ

きれいなブラウンと素材の良さに惹かれて買ったらトスカニー地方の老舗の帽子屋のハットやった。これを被ると自分も上等になった気がする(笑)。イタリア好きには堪らない逸品


 浅草とかの旧い下町に行くと「なんでこの街は帽子の人が多いのかなあ」と思ったりするような「帽子の街」を見つけたりすることがある。自分に引きつけると京都の裏寺や神戸の新開地や岸和田(毎年のだんじり祭ではゆかた姿で中折れパナマ帽の祭礼役員が多い)などがそうだが、そこの帽子の人々からかぶり方を覚えたりする。

 麻生太郎のボルサリーノみたいに「俺だからいつでもどこでも、こんなごっつい帽子もイケてしまう」というのはないのである。麻生副総理、残念やけど、「俺」すなわち「自分」は「帽子に隠れてない」とダメなんだなあ。

 そのあたりについては、『橋本治と内田樹』(2008、筑摩書房)で、橋本治さんが「ファッション一般論」について肝心なところをものすごく語っている。
 今回のこの原稿の帽子の場合「(帽子をかぶって)自分が消えている」。これが必要なのだ。
 少し長くなるが、これは書いておきたい。

 橋本治さんは40歳の少し前になって「中年になるのやめちゃった」。
 で、やったことはヴェルサーチをワン・シーズン350万円、春夏秋冬年間1400万円、「次の年も付き合って、総入れ替えをしなきゃなんないんから、こんな馬鹿げた金の使い方あるんだろうかという。でも言ってみれば、東大入らないで東大の悪口言うと、負け惜しみみたいな気がするから、東大に入って東大の悪口言ってやるっていう、変なのってあるじゃないですか(笑)」。
 というむちゃくちゃをやって、プリンセス・ダイアナの衣装費がその額と同じということを知って、「ああ、じゃいいんだ」と思って2シーズン半でやめたという逸話を披露している。

 そのうえで、「若いときは自分がないんだから、自分を消すのはたいしたことはない。簡単に消せる。いまの若い人は皆お洒落が上手だから、その分、とても希薄なんだと思います。お洒落が自己主張と言ってるくらいだから、主張する自己もあんまりないんですよ。さりげないお洒落がみんな好きだということは、自分を消すということがいかに難しいかということが、ファッションの場では当たり前だからです」と言う。

 この「自分を消す」ということが「服を着こなす」ということの要諦であることは分かっていない人が多い。
 そこがものすごく違った種類、形状があるハットをかぶる場合に、モロあてはまる。キャップ類にしてもベースボールキャップ、ベレー、ハンチング、キャスケット、ニット、はたまた工員帽に毛沢東の人民帽……と、すさまじくデザインが違う帽子をかぶって「似合うかどうか」のポイントなのだと思う。

少年時代の記憶が甦るボンボンが付いているニット帽を見ると被りたくなる。冬のトラクター遊びにはオーバーオールとニット帽は欠かせないアイテム。羊の織り柄が雰囲気

ロゴマークが同系色で目立たないのが良い。手入れが簡単なのもニット帽を購入する条件の一つ、アクリル素材はガンガン洗えて害虫の心配も要らない

ウール素材にアクセント的に上質な牛革があしらわれた大人なハンチング。流石はイタリアンメイド、やっと似合う年齢になってきた。目指すはショーン・コネリーか(笑)

ハンチングと同時に買った同素材の大人なキャップ。部分使いの上質本革がイタリアらしいところ。自分もグレードアップした気分になれる魔法の帽子


 カッコいい服、つまり素材や色、そしてデザインが良い、メッセージ性が強い服。そういう服を着る場合、確固たる自分があるとそれに抗うようになる。
「その服に着られてしまう」というパラドクスがここにある。素直にかっこいい服に従わないとダメ。だからはじめから自分がないのがいちばん。
 そう、ファッションページの撮影で、「この服、良いデザインだなあ」などと思うのは、それを着たモデルが「すっ、と似合う」ときだ。

 それこそ橋本治さんの仰る通りで、「服を見せないといけない」ファッション・モデルは、ショーでランウェイを歩く場合「自分を消す」ことをしないと、ぶっとんでる服がああいうふうには板に付かない。
 つまり「カッコ良い服をカッコよく着こなす」には、「自分を消してなお自分がある」という、ちょっとややこしいというか、矛盾した現存在みたいなものをもってないとダメだ。
 そこのところを橋本さんは「自分がその服を着て、誇らしげでいるという部分をとっぱらわない限りどうにもならないわけで、服を着るということは、必ず常に存在している自分を引き算するということなんです」とわかりやすく言ってくれている。

 服を着倒してきてその後に「自分の個性」というのがやっと出てくるのだが、若い時分は「俺は俺だから、これしか着ない」という主張だけで、それは「主張だけはしたい」という、子供あがりのアホくさくて空虚で恥ずかしい欲望にほかならない。
 そこのところを悪辣なファッション・ビジネスの業界は、長い間ハイファッションを売るために「服は個性だ」すなわち「服で個性を主張」と煽ってきた。

 わたしがずっとかれらについて「それって、ひょっとして、極めつけの野暮じゃないか」と思ってきたのはここのところで、かれらのアタマには「ブランドでぼろ儲けするためのブランドの主張」みたいなものしかないから、肝心のかれら業界人の多くは、それを着てものすごく悲惨なことになった。

 悲惨というのは難しく考える必要がない。ものすごく似合わないのだ。そういう意味では、昔の商店街にあったようなテーラーの親父や服屋の先輩は、「服とは何か」についてよく知っているがゆえに「服を着こなしてきた」。

 橋本治さんはこの長い長い対談で、「今の人たちはお洒落なんだけれども、同じ恰好をしていますよね」「本人たちはすごく自己主張してるつもりなんだけど。そのつもりではあるんです」と言う内田樹さんと、ものすごいことをかぶせて言っている。
「お洒落によってね。自分によって自己主張しているんじゃない、お洒落によって自己主張しているから、お洒落をとっちゃうと自己主張がないんです。だから皆同じ恰好をしているくせになにが自己主張なんだ、という言い方をすると、彼や彼女らは皆怒ります」

 なんか「商売としては太い」無印良品のファッション的な貧弱さを見事に言い当てているようだが、グローバル企業のファストファッションで、「儲け倒してやろう」とめきめき働いて「ニューヨーク支社長」とかを目指している若者(いや、おっさんも)は、そこら辺を分からんとなあ。
 今回の「頭のてっぺんから〜」、眼光紙背に徹するようによく読んでおくように。

(第18回・了)

次回、2020年12月6日(月)掲載