「お洒落」考 江弘毅

2020.3.18

07ジーンズという奇怪な服について。

 

 わたしが京都・大阪・神戸の都市情報誌『ミーツ・リージョナル』を立ち上げたのが198912月。
 その頃、大阪発の「ヴィンテージ・ジーンズ」を専門とするブランドが全国的に注目を集めようとしていた。

  ジーンズといえばLevi’s501XX。端的にいうとこのLevi’sこそが「Gパンの元祖」である。
 5ポケット、フライボタン、赤ミミ……とまあ、ディテールの特徴はいろいろある。去年の春夏で大流行したGジャンについてもどのメーカの製品も、Levi’sのファースト(506)、セカンド(507)、サード(557)と呼ばれるモデルのディテールがベースになっている。
 という話から始まるから、今回はちょっと長くなります。



 とくに1950年代から60年代後半あたりまで製造されたモデルが「ヴィンテージ・ジーンズ」と呼ばれ出したのは、その時代のデニムの微妙な色落ち(「縦落ち」と呼ばれる)や太ももにつく色落ちによる「ヒゲ」、脇縫いの縫い代にあるミミ(セルビッジ)による「アタリ」、裾を縫う綿糸チェーンステッチによる収縮によるジグザグの擦り減り具合(パッカリング)など、穿き込むことによる「ダメージ」の具合が「カッコいい」とされたことだ。

裾の部分の「パッカリング」に注目。上から1回洗っただけの状態、約3年穿いたもの、10年以上穿いたもの。上2つはいずれもリソルト、下はドゥニーム京都モデル


「抜群に着古した服が良い」という美意識というかモード感覚は、ジーンズの世界しかないものだ。

「何が本物のヴィンテージで」というのはコレクターに任せておくが(その蘊蓄が独特でまたおもろいのだが)、今では「製品の仕上げ」に軽石やサンドペーパーやおろし金や鋏を使って、擦り減らしたり穴を空けたり破ったりのダメージをつけて売るようになっている。
 サラの生地や縫い目にあらかじめ使い古した加工をし、それが付加価値になるデニムの世界はおもしろい。

  わたしはダメージ加工をしているジーンズは、「もったいない」という理由と、サラから穿き込んでじぶんの身体に馴染んでくる経年変化みたいなものが面白いとおもっているから買うことがないが、それもこれも今から30年以上前に大阪では、「スタジオ・ダ・ルチザン」「ドゥニーム」「エヴィス」といった、新しいGパンのメーカーがLevi’sのヴィンテージを「普通に普段に穿けるように」つくっていたのを長年何本も、その通りに穿いていて、今も「ジーンズはおもろいなあ」と思っているからだ。






 京阪神の雑誌を編集していたので、大阪のジーンズクリエイターとは懇意にしていた。
 そこで感じたのは、まったく「アパレル業界」という手触りとはまったく違う職人的な「ジーンズのクリエーター」が、「じぶんで納得のいく製品をつくり」「じぶんで流行らせていた」という動きだ。

  編集部に自らが「これ見てや。ええやろ」と出来たてのGパンを持ってきたり、広告原稿もかれら自身や店員が、色落ちし馴染んだ自身のGパンを穿いてモデルになって、「どや」とばかりに映った写真だったりした。
 とにかく、製品を作るにしろ広告を制作するにしろ人間臭いというか手作りの味がしたわなあ。

 かれらによるそれらのGパンは、強いて言えば「501XXの復刻版」、つまりレプリカである。ただその頃には、本家本元だったLevi’sはアパレルの技術革新を経て、以前のGパンつまり501とはまったく違った501をつくっていた。
 エヴィスジーンズの総帥・山根英彦氏は当時のLevi’sについて「何が原因なのかわからんかった。でも、色落ちとかパーツとか、なんかヘンやなあ。前と違てきてるなーゆう感じ」と99年発行の『エヴィスヤ・スタイル・ブック』で言っている。

ミーツ・リージョナル誌93年9〜11月号。連続で掲載されたエヴィスジーンズの広告。山根氏自身がモデルで出ている


「ジーンズ=大手専業メーカーのマス・プロダクツ」という常識と生産をずっと引っ張っていたのが当のLevi’sだったが、穿いていくにつれて「縦落ち」「セルビッジのアタリ」「裾のパッカリング」等々が出てくる501XXははるか過去の製品であり、その源となる旧いタイプの生地すらもうアメリカ本国にはない(生地供給元のコーンミルズ社は、83年に29インチ幅のデニム生産を終え、コスト低減のため61インチ幅になって、それ以降赤ミミのセルビッジはなくなった)。
 また状態の良いヴィンテージのLevi’s501XX1本数十万していて、デッドストックともなれば百万円以上に高騰していた。

  そこでかれらはまず糸の撚り方と染色を再現し、その時代のあえて織りムラが出る旧い力織機を見つけてきて、セルビッジつきの狭い幅のデニム生地を織り、縫製に使うミシンもステッチの糸の番手もリベットまでも再現しようとした。その製造現場は岡山県と広島県に集中していた。近いので地の利があったし、元々大阪はそれらの工場とひんぱんな取引がある繊維の街だった。
 それにしてもかれらのネットワークと突破力はすごいものがあった。

  かれらの凄いところは、「本物かくあるべし」というものづくりの姿勢と気合いであり、本物よりも本物らしいレプリカのGパンを「昔のやり方で」つくりあげてしまうことだ。
 それのひとつが「シュリンク・トゥ・フィット」(はじめに洗うと縮むのを想定して合わせる)であり、その後は、「10回以上穿いても2カ月は洗わない」とか「洗ったらガスの乾燥機にかけると良いアタリが出る」とか、「ヴィンテージ・ジーンズ教」状態の蘊蓄が語られたりもした。

  その結果は、いろんな人がいろんな穿き方で着古した、まるで「作品」のようなGパンが「これペインターが2年穿いたものです」みたいな感じで、かれらの店舗でサンプルのように展示されていた。

  かれらのつくるGパンは、たとえばエルメスのバッグやベルト、グッチのロゴ入りセーターやバレンシアガのキャップなどの「コピー商品」とはまったく違う。大阪で禁忌されたり笑いのネタにされたりする「パチもん」ではなかった。

  わたしはダ・ルチザンの田垣繁晴さんに、ジーンズのみが労働者の側から社交界に浸透した逆ベクトルの唯一のモードのアイテムである、と教えられた。
 タキシードやスペンサージャケット、ネクタイのウインザーノットに至るまで、社交界〜ブルジョワジーそして労働者階級へという方向性で伝播されるのに対し、アメリカのワークウエアに端を発するジーンズこそ革命的だ。だから労働者でしかないわれわれは、オートクチュールやプレタポルテなどのコレクションで発表されるディナー・ジャケットに多額な貨幣を払って着るよりも、1本のジーンズにこそそれを行うべきだ。
 そういうパラドキシカルなメッセージの上に田垣さんのジーンズづくりがあった。

 「エヴィス」の山根英彦さん、「ドゥニーム」そして今「リゾルト」の林芳亨さんとは世代が近いこともあって、今でもしょっちゅう街で一緒に飲んだり食べたりしているが、かれらの手によるあたらしいジーンズを直接入手すると同時に、穿き古したGパンのメンテをしてもらったりしていた。
 擦り切れたGパンに当て布をして叩いてもらったり、破れたポケットの袋布を再生してもらったりで、「5か所修理で8500円か。それやったらサラ買うたほうが安いやん」と思いながら、けれども「ジーンズは侘び寂びや」などとうそぶきながら、かれらとそしてかれらのGパンたちとの30年を過ごしている。

20年ぐらい穿いた2本ドゥニーム。皮パッチにしても着古した時の表情が違う


 だからこそ、かれら個々のヴィンテージ・ジーンズのシルエットや、長年着古してきた時の色落ちなどの微妙な違いが分かっているつもりだ。

  前置きが長くなったが、今「ジーンズを履いたことがない」「持っていない」という人はいないだろう。
 そういうアイテムだからこそ、カッコよく穿くヒントについてちょっと考えてみる。

  もともとアメリカ人のワークウエアであるLevi’s501XXタイプ(1950年代の頃)のものは、日本人が穿くと尻がだぶる。逆にそれを活かして1インチ大きめのものをうまく後の部分で集めるようにしてベルトで締めると「それっぽい表情になる」。
 山根氏のエヴィスジーンズや辻田氏のフルカウントはとくにそうで、「大戦モデル」を研究し尽くしたエヴィスの#2001は、後ろポケットのペンキステッチとあいまって、ゆったりシルエットが醸す「無骨な感じ」が持ち味だ。
 サッカーイングランド元代表のベッカムはエヴィス愛用者だが、かれもそういう感じで穿いていた。

  前回ご紹介したリゾルトは、「66モデル」といわれている50160年代後半から70年代のものがベースとなっている。
 特徴的にはジャストフィットでXXより細目。カウボーイや建築現場などの労働者のワークウエアだったジーンズを、ジェームス・ディーンが『理由なき反抗』で、マーロン・ブランドが『乱暴者』で黒の革ジャンととも穿いた「アウトサイダーの象徴」を経て(ちなみにかれらはほとんどサラをジャストサイズで穿いていた)、東海岸のアイビーリーガーたちに好まれて穿かれた頃のものをかすかにリファインしている。
 ただ学生たちにとってブルージーンズはまだまだブルーカラー階級の象徴で、社会に出てそれを穿くような職業には就きたくない、でも丈夫で合理的でデザインもそこそこいいじゃないか、というころからホワイトデニムを穿き、その後ブルージーンズに至り、そしてヒッピームーブメントに突入して「その象徴」に変わった。

祥伝社MOOK「ブーン・ヴィンテージ リーバイスの歴史が変わる」97年5月


 一方では、80年代後半に風靡したフランス〜イタリアのマリテ・フランソワ・ジルボーやCHIPIELIBERTO(このテイストがDIESELにつながるわけだが)の世界的なデニム・ウエアの流れのなか、ケミカルウオッシュやペダルプッシャーといった流行(ヨーロッパのアパレルのアメリカンジーンズ観がむちゃくちゃにした感がある)を経て、「シルエットがカッコよくて、味のある色落ちがする」ベーシックなジーンズに定着した(ジェーン・バーキンとかアラン・ドロンがLevi’s501を「しゅっと」穿いていたあんな感じ)。
 単純に言えばこの辺が、現在の世界の「ジーンズのスタイルとしての収斂状態」のすべてなのだが、そこには「そもそもモードの世界でジーンズとは何なのか」という理解が必要だと思う。

  いちど「あの時代のGパンを復元しよう」として始まった大阪のかれらのジーンズを穿くと(少なくとも2年は要るな)、単にトレンドだからと軽石やヤスリで擦ったり鋏で穴をあけたりするファストファッションの「加工ジーンズ」とは全然違うぞ、というのが分かってくる。



「一目でそれと、分かる人には分かる」ところがブランドやデザインなどではなく、「ちゃんと穿いたジーンズかどうかが見て分かる」から、「玄人的」というか余計に話はややこしい。
 そのあたりは前回の「流行りの中でのカッコいい丈」といった感性ではなく、「値段とブランド価値の相関」といったものでもなく、また「お金さえ出せば誰でも手に入る」ものではない。
「自分の身体の凸凹に応じてフィットして色落ちしたか」それを「どう(分かって)穿いてきたか」のジーンズは殺生なアイテムだ。

  現在はかれらが80年代の大阪と岡山や広島の生産者のネットワークを切り拓いて、染色、機織り、縫製を任せてきた工場に、LOUIS VUITTONDiorRalph Laurenはじめとする世界の高級ブランドが発注するようになっている。世界のアパレル業界では構造的に、もう旧いやり方でつくれないからだ。
 ことデニムに関しては、「世界の一流ブランド系」は「遅い」し「おもろない」。なのでこのあたりの「トレンド最先端の目的化」でつくるジーンズは「それは違うんちゃうか」である。そっちこそがパチもんでハナからあかんな、とも思う。

  とくに昨年の春夏のトレンドだったデニム・ジャケットすなわちGジャンを見るとそれがよくわかるのだが、やっぱり長年かけてサラから着古して、自分の皮膚みたいになったジャケットは、ほかのウエアでは醸せない味がある。

リゾルトの最新リーフレットには、実際に穿き込んだサンプル写真が挙げられている

 

 だからこそGパンにせよGジャンにせよ「横着」をしないでサラから長い間かけて着ないと絶対アカン。

  ジーンズデザイナーの林芳亨さんが2009年にドゥニームを終了して立ち上げたリゾルトは世界的に評価を受けているが、「サンプルが上がってきて、社長以下3040人の男子社員に穿き込んでもらって、それを展示会に持っていってやっと商売になった」とのことだ。
「これがここのGパンか」という顔は、「さすが社長で、律儀に1年間頻繁に穿いて色落ちした一本」だったと、はやっさんは回想する。

(第7回・了)

次回、2020年4月1日(水)掲載