巨大植物をたずねて ~のほほん二人歩き~ 村田あやこ(文) 藤田泰実(絵)

2025.7.31

01鶯谷・町工場の巨大サボテンに会いに行く


 40を超えた大人として、日々働き、家事をして、税金や光熱費などを支払う日々を送っている。スーパーの重い袋を持ったら急に肩を痛めたりするなど、体に少しずつガタが出てきている。仕事も、30代までのような踏ん張りがきかない。ご近所のじいさんばあさんたちと病院の待合室で肩を並べるのは、もはやルーティン。

 そんな現実というシャワーを強制的に浴びせられる日々を、少しだけ忘れさせてくれるのが「散歩」だ。
「散歩」と聞くと、どこかのどかなイメージがある。しかし語源をたどると、漢方の劇薬(今でいうドラッグ)を飲んだあと薬が体内にこもって中毒死しないよう歩き回ることだったと、何かで読んだことがある。
最初は驚いたが、今ではそれにすんなりと納得できる。

 地図を持たずに歩き、童心に帰ったように街角のあちこちに目を向け、道端の落とし物から持ち主を想像したり、「この街に住んでみたら」とシミュレーションしたり。誰にも気を使うことのない自分だけの脳内世界が、「散歩」の先には広がっている。人生の悩みを一掃!とまではいかないけれど、ちょっと大きめの角栓がにゅるっと取れたようなすっきり感は残る。まさに日々の鬱憤が体内にこもらないよう、発散させる行為ではないかと思う。

 中でも見つけるとテンションが上がるのが、植物だ。街には時折「どうしてこうなっちゃったの?」という姿形をした植物たちが潜む。
 植物は、一度根付いた場所からは基本的に動けない。各種の人工物に囲まれ無理な体勢を強いられながらも、あらゆる隙間を居場所にしてしぶとく力強く生きる植物たちには、勇気をもらえる。
 いや、「しぶとく」とか「力強く」とかは、人間側の勝手な捉え方だろう。彼らはただそこにいるだけなのだから。
「え? 根っこなんて、はみだしてませんけど」と言わんばかりに涼しげな顔をした、巨大街角植物たちを見かけると、とにかく無性に心躍るのだ。

 ああ、散歩しながら巨大植物を見て、その生命力にあやかりたい!
 鼻息を荒くして降り立ったのは、JR鶯谷駅。待ち合わせたのは、「よっちゃん」こと藤田泰実さんと、編集の西山大悟さんだ。

 よっちゃんと私は、かれこれ10年近く前、共通の友人を介して知り合った。よっちゃんはデザイナーとして活躍する傍ら、道端に落ちているものを撮影し、そこから妄想したストーリーを添えて発表する「落ちもん写真収集家」でもある。かたや私は、道端に置かれた誰かの鉢植えや、隙間から顔を出す植物を好き勝手に観察する「路上園芸鑑賞家」を自称する。
 それぞれ落ちてるものと生えてるものを人知れず愛でつづけ、誰に見せることもない写真でスマホのフォルダいっぱいにしてきた二人は、偶然にも同い年。
 たちまち意気投合して「SABOTENS」というユニット名を名乗り始めた。月一くらいのペースでどこかの街を散歩するほか、互いが路上で発見したものを題材に展示やグッズ制作などを行っている。
「ユニット」なんていうとかっこいい感じだが、会うと話題のメインは日々仕事で荒波に揉まれている話や、それぞれの健康に、家庭。神社を見つけたら参拝し、おみくじで運勢を確認せずにはいられない。人生の行く末が気になりまくる二人なのである。

 そんな私たちが本日なぜ鶯谷に降り立ったかというと、7〜8年ほど前にこの街で、むちゃくちゃ大きなサボテンを見かけたからだ。あのサボテンに会うべく、久しぶりに鶯谷にやってきたというわけだ。

 改札を出るといきなり、ラブホテルや風俗店などが立ち並ぶ。猥雑な繁華街の中に、神社を発見。聖と俗が隣り合わせだ。

 今日の「散歩」の成功を祈り、お参りを済ませる。駅前の繁華街を抜けると、静かな住宅地が広がる。その一角で、鍼灸院の看板の下にぎっしりと詰め込まれたペットボトルに、ふと目が留まる。猫よけのペットボトル、通称「猫ペ」だ。

 猫憎しの気持ちをペットボトルに込め、ガッチリと隙間をガード。すぐそばには猫よけのためのトゲつきのシートも置かれていた。
猫好きの我々。むしろ猫の気配を感じて浮足立ってしまう。

 見覚えのある景色になってきた。今日のメインは猫ではなくサボテンである。「サボテン、まだあるといいねえ」とそわそわながら角を曲がると、件のサボテンを発見。「あったー!」と沸き立つ。

 前に見たときよりも、格段に大きくなってる。「前にせり出して、踊ってるみたい!」と、よっちゃんも興奮気味だ。

 恐る恐るインターホンを押し、サボテンの写真を撮らせていただいてよいか尋ねる。「どうぞどうぞ。自由に撮ってやってください。サボテンも喜んでます」と快く許可してくださったのは、家主のTさん。

「アタシも今、表に行きますよ」とわざわざ出てきて、写真を手にサボテンの歴史を話してくださった。
「これが初めの小さいやつ」と指さした先には、「1980」というメモとともに、今よりだいぶ背の低いサボテンが写っている。「もらってきたんだか前からあったんだか、その頃はあまり気にしていなかった」そうだが、その後すくすくと大きくなり、ふと気づいたら屋根に届くほどのサイズにまで成長した。
 ご近所でも名物だったようで、「通りすがりに『もらえますか』なんて言われて、結構あちこちに行ってるんですよ」とのこと。青森から名古屋まで、いろんな場所へ子株が里子として旅立っていったそうだ。

 その後、東日本大震災の時に水道管が破裂。残念ながら初代サボテンは根腐れして枯れてしまった。すると初代を里子に出したうちの一軒が「うちのサボテンを持っていってやるよ」と、なんとUターン。2代目として、再びベランダに届くほどのサイズにまで大きくなったのだ。

 復活を遂げたサボテンがここまで大きくなるとは、感動もの。しかし全身にトゲをまとい、ぐんぐんと大きくなる巨大サボテンと一緒の空間で暮らしていくのは、一苦労だ。

「こんなに大きくなると育てられないんでね、もう屋根を追い越しちゃうと切っちゃうんですよね。かわいそうだけどしょうがない。化けて出てこられちゃうかもしれないけど(笑)。」

「よかったら持っていきますか」とおっしゃるTさん。
 アロエもサボテンも枯らしてしまった経験のある私が引き受けていいものかと悩んだが、こんなご縁は二度とないかもしれないと思い至った。
 おずおずと「分けていただいてもいいですか……?」と申し出てみると、奥から脚立を取り出し、「あまり小さいのだと育たないから」と、わざわざ30センチほどある株を切ってくれた。持ち帰るときのことを考えて、ビニール紐で持ち手まで付けてくれるという心遣い。「気を付けて持って帰ってね。間違っても振り回さないでね。」と3回も4回も繰り返す。

 貴重なサボテンを分けていただいた御礼を言って別れを告げると、「また花が咲く頃、見に来てくださいよ」と、優しく見送ってくれた。
「間違っても振り回さないでね!」と再び念押しされた。

 御年89歳というTさん。人間は老いていくがサボテンはどんどん育っていく。自分よりも長く生きるであろうサボテンを育てたいものの、周りに迷惑はかけられないという葛藤もひしひしと感じた。

「サボテンもTさんもお元気そうでよかったね」と、よっちゃんとしみじみ反芻しながら、手の先に先程いただいたサボテンの重みを感じる。多肉植物だけに、体内に水分が満ちているのだ。生命力にあやかるどころか、命を引き受けてしまった。こいつはどこまで育つのだろうか。私は、とんでもないものを譲り受けてしまったのかもしれない……。

 ひとまずこの子には、「鶯谷サボろう」とでも名付けようか。サボろうと共に、SABOTENSの巨大植物と出合う旅はスタートした。

(つづく)

 

バナーデザイン:藤田 泰実(SABOTENS)