メメントモリ・ジャーニー メレ山メレ子

2015.9.3

02生者と死者の島

 「浦野墓地群 与那国島の死生観を感じられる場所です」

 自転車を借りたレンタカーショップでもらった地図にそう書いてあるのを見て、夕食までの時間で行ってみることにした。ガイドブックには載っていなかったが、地元の人の墓地だから観光客にあまり立ち入られたくはないのかもしれない。

 

 

 墓地は祖納集落の東の外れ、海沿いの丘陵地にあるらしい。とにかく起伏の多い土地だ。地図にならって進んでいくと、道路沿いにいきなり巨大すぎる亀甲墓(かめこうばか)が現れた。沖縄によく見られる、墓室の屋根が亀の甲羅のような形をした墓だ。昔は墓室で遺体を風葬し、数年後に家族で清める洗骨という風習が行われていたという。今は火葬したあとの骨壷を納めるので、これよりずっと小型の亀甲墓もある。
 よく見ると、お墓の後ろにヤギが繋がれているではないか。お墓の裏側も見たかったので近づいていくとヤギは怯えて、後ずさりしながらベヘェェ、と鳴いた。
 海に近づくにつれ、どうやら墓地が尋常でなく広いことがわかってくる。丘陵の東側の高台に登って見回してみると、下手をすると祖納の集落よりも広大なのでは、と思われるほどのエリアが墓地に割かれているようだ。亀甲墓ばかりではなく、内地で見慣れた塔式墓に似たものもある。

 

 

 墓地を横切る車道を走っていると、犬を散歩させている住民が不審の目を向ける。思いきって墓地の砂利道に入り、自転車を停めるとそこは死者の街だった。

 

 

 なだらかな丘陵が不規則に連続して、その斜面を背にして立ち並ぶ、圧倒的な数のお墓たち。上の写真の奥に写っているレンガの門と三角の屋根は、なんと凱旋門とピラミッドをかたどったもので、インターネットの珍スポットサイトでも有名らしい(帰ってきてから知り、もっとよく見ておけばよかったと歯噛みした)。島のお金持ちが建てたものだという。他の墓は新旧の形式差こそあれ、奇抜さで競ってはいないようだ。
 墓地の中をうろうろと歩く。白い塗料もまぶしい新しい墓、面倒を見る人がいなくなったのかほとんど崩れかけた墓、コンクリートのもの、立派な石組みのもの。海浜性の植物がびっしりと小さな花を咲かせる岩の向こうに、荒波が打ち寄せている。

 

 

 いつの間にか、お気に入りの墓を探していた。特に古そうな、岩の斜面と珊瑚石の石組みが同化した墓。草花に囲まれ、岩のわずかな隙間に根を張る黄色い花を飾りにまとっていてかっこいい。さいはての島の終点にふさわしい気がした。ここ数日感じていた焦りや苛立ち、寂しさが、消えるのではなく居場所を得たように思え、気持ちが平らかになっていく。
 祖納の集落に貼られていた葬儀のお知らせに、数十名を超える親族の名前が書き連ねてあったことを思い出す。こういう立派なお墓に入るのは、一生をかけて地縁血縁と向き合ってきた人たちだろう。実家のお墓への墓参りなど、もう何年もしていない。わたしはどこで、どんなお墓に入るのだろうか。
 賑やかさも寂しさも、自分の感じ方次第だ。西表島でだって、シオマネキの舞に囲まれてあんなにたくさんの命を身近に感じた一方で、島では死ななくてもよかった人たちがたくさん死んでいるとも教えてもらった。第二次大戦中、西表島の南にある波照間島の住人たちはアメリカ軍の上陸が迫っているとして牛馬も鶏も取り上げられ、西表島のマラリア有病地域にむりやり疎開させられた。劣悪な衛生環境では、マラリアの流行を防ぎようもない。八重山諸島では、銃撃などの直接の戦争被害よりも戦争マラリアで死んだ人が多かったという。
 いつの間にか、ずいぶん日が暮れてきたのに気づく。ざっと総毛立って、あわてて自転車に飛び乗った。こんな場所で死について考えていると、お化けや幽霊が出てくるかもしれない。お化けに殺されるのが怖いのではない。ひとたびお化けに会ってしまえば、それは死後の意識の証明になってしまう。生きていることの最大の面倒臭さの源である自意識が、死ねばぷっつりと終わると思えるから、死んだらそれまでだと思うから安心して生きていられるのだ。

 民宿でテレビをつけっ放しにしたまま、帰ったあとのことを考える。東京に帰ったら、だれかと会って何かきれいでおいしいものを食べたいな。東京に帰りたいけど、あの狭い部屋には帰りたくないな。もっと帰りたいと思えるような部屋にしたい……。
 放送終了の無機質なアナウンスは怖いので流れる前に消し、布団に潜りこむ。お化けのことを考えてしまわないように、旅の楽しかった記憶をフル稼働で取り出す。
 西表島で、民家の塀からのぞく月桃の花に近寄ると、男の人が二人がかりで庭で大きな黒いプードルを洗っていたこと。プードルは木机の上におとなしく四つ足を突っ張り、大事に洗われる特別な存在であることに満足の意を示していた。縁側にはラジオが置かれていて、庭先におさまるくらいの音量でユニコーンの「すばらしい日々」が流れていた。

 

 

 アヤミハビル館の前の芝生で放し飼いにされていた、2匹の子ヤギのこと。ヤギの顔は、子供でも怖い。横に細長い瞳孔は虚無を映しているが、そんな彼らが延々と興じていたのは、マンホールのふたか何かによじ登り、ツルツルとひづめが滑るのを楽しむ遊びだった。写真を撮っていると、遠くで親ヤギが心配してベェベェと鳴いた。
 さらに、まだ見たことのない海草・ウミショウブの花の旅のことを考える。金城旅館のときわさんが言っていた。梅雨明けの大潮の日、ウミショウブの雄花は本体から離れて浮上してくる。雄花は反り返った花弁を使って器用に海面に立ち、その姿はまるでポップコーン、あるいは人間の抜けた歯みたいだ。少しの風を受けてすばらしい速さで走り、海面すれすれで待ち受ける雌花に出会う。花の婚礼で、海面が真っ白になる。
 人も動物もなく、生者と死者の大勢の気配がやがてひとつになる。他の何者にもなれず、自分だけで世界との対峙を続けなければならない、生きている限りは続く面倒臭さ、心細さがしばしの間薄れていく。花や虫は、何をすべきかよく知っている。遺伝子を残すために平気で数をたのむ姿はすごい。心がない奴らは強い、勝てない……そう思いながら、わたしはすこし安心して眠りに落ちていった。

 

 

(第2回・了)

 

この連載は隔週でお届けします。
次回2015年9月17日(木)掲載