愛と誠の宗教社会学 岡本亮輔

2015.12.25

02新選組幻想始末記

3.新選組の史学と神学――浅葱(あさぎ)色の三位一体(トリニティ)
 筆者が考えたいのは、新選組の人気の秘密である。やはり、子母澤以来のコンテンツの豊富さが大きい。私たちが知っているのは、史実の新選組ではなく、それを題材とした幻想の新選組だ。コンテンツが一定以上蓄積された後は、フィクションが作り出した新選組イメージが自立して消費されるようになった。
 新選組の観光コンテンツとしての便利さも特筆に価する。たとえば、新選組に関わる場所をめぐる歴史観光を考えてみよう。まずは地理的な広がりがある。新選組が一番活躍したのは京都であるが、近藤や土方の出身地がある東京、近藤が捕縛された千葉県、五稜郭のある函館など、さまざまな場所が観光対象となる。赤穂浪士、白虎隊、彰義隊なども、大きく見れば新選組と同じような悲運の集団だ。しかし、それぞれを歴史観光の対象にしようにも、地理的に限定されている。

 また、新選組のメンバーの多様性とキャラ立ちも重要だ。白虎隊と彰義隊は、正直、誰が誰だか分からない。忠臣蔵も、人形浄瑠璃や歌舞伎などで繰り返し演出されてきた人気コンテンツだが、リーダーの大石内蔵助と堀部安兵衛くらいしか、はっきりとは分からない。赤穂浪士たちが元々一つの藩に属していたこともひっかかる。解釈しようによっては、潰れた会社の上司と部下が再就職できないので暴発した物語ともとれる。また、メンバーには親子が多く、男子校的世界に読み替えるのも容易ではない。
 それに対して、新選組には梁山泊的な華やかさがある。試衛館出身者が中核メンバーだが、芹沢鴨や伊東甲子太郎などさまざまなメンツが加わった。その動機も会社再興や再就職ではなく、一応は同じ思想の下に集ったということになっている。そして、建前かもしれないが、隊士たちは近藤と主従関係にあるのではなく、同志という平等な関係として語られる。
 新選組人気を考える上で最も重要なのは、その神学が発展していることだ。新選組の受容のされ方は、史的新選組と神学的新選組に分けて考えると分かりやすい。これは、キリスト教における史的イエスにならったものだ。
 史的イエスとは、信仰や教義ではなく、歴史学・考古学など学術的方法によって明らかにされる実際のイエスのことだ。史的イエスについての史料は少なく、生没年も含め、不明なことが多い。
 一方、キリスト教徒が信じるのは、聖書に描かれたイエスである。史的イエスの没後、さまざまなエピソードが蓄積・編集され、長い時間をかけて信仰対象として神学的に作り込まれてきたイエス像だ。事実としてのイエスではなく、信仰が生み出したイメージとしてのイエスである。
 同じように、史的新選組とは史実としての新選組のことだ。維新以降、長く逆賊とされたため、新選組については学術的研究がそれほど進められてこなかった。前述の通り、子母澤の始末記が嚆矢であった。しかし、だからこそ、戦後になっても新選組関連の新史料が発見され、新選組の実態が少しずつ明らかになる面白さがある。
 たとえば2000年代だけでも、土方愛用の横笛、流山で武運祈願のために奉納された木札、土方が屯所の環境改善を訴えた記録、斉藤が維新後に警官になったことを示す名簿などが発見されている。
 イエスと異なり、新選組が活動したのはおよそ150年前だ。たかだか3世代前の出来事である。たとえば隊士の池田七三郎(本名・稗田利八)は1938年まで存命で、子母澤の取材も受けた。新選組の時間的な近さは、歴史観光の対象としての強みとなる。現場に行っても比較的多くの物が残されている。たとえ真贋が怪しい物でも、時代的な近さから、臨場感を持って迫ってくる。弘法大師が掘った井戸だとか、源義経が休んだとされる日本中にある謎の岩などと比べれば、新選組が持つリアリティは圧倒的だ。
 そして、史的新選組と相互に補い合うのが、さまざまなコンテンツを通じて作られてきた神学上の新選組だ。史的新選組は美しいことや格好良いことばかりではない。局内での粛清と内部抗争が激しく、倒幕派志士よりも、規律違反や派閥争いで殺された隊士の方が多かったとも言われる。滅びゆく幕府に誠を捧げただけでもないようだ。資金が潤沢になってからは、幹部を中心に遊里へ通い、愛妾を囲って贅沢な暮らしをしたとも伝えられる。
 しかし、後続フィクションが先行フィクションを参照しながらイメージが膨らむにつれて、異様に純粋な集団としての新選組イメージが作られていった。生まれついての武士ではない近藤や土方が、幕末動乱に乗じて階級上昇を果たし、それなりの恩恵に浴して生きたことは隠される。つまり、新選組の人間的な部分は封印され、終わりゆく幕府への一途な愛と誠だけを捧げた集団としてのイメージが作られたのだ。
 函館山の山麓に、碧血碑(へきけつひ)という慰霊碑がある。碧血とは、忠義のために自死した死者の血が碧玉という石になったという中国の故事に由来する。この碑は箱館戦争での旧幕軍の戦死者を追悼するために、1875年に建立された。箱館戦争終結後、旧幕軍の遺体は埋葬を許されず、放置された。だが、見かねた地元の侠客が遺体を回収して埋葬し、改葬を経て現在の場所に移ってきた。ひょっとすると土方の遺体も埋葬された可能性のある場所なのである。

碧血碑は、函館八幡宮からさらに山の中に分け入った場所にある。今でも毎年5月に慰霊祭が行われているが、簡素な案内板があるだけで、一般の観光者が立ち寄ることはなかなかないだろう。しかし、碑の前には東屋が作られており、訪問者が記入するためのノートが備えつけられている。

新選組を好きになって、まだ3年目…。それでもこの3年間で、多くの“新選組”を知ることができました。私が新選組を好きになったきっかけは、アニメ「薄桜鬼」です。最初は隊士たちの外見だけで見て、「きゃ~、カッコイイ!!」などと騒いでいただけでしたが、だんだんとみていくうちに、自分の信念、貫きたい想い、誠の道…。それらがどういうものか、隊士たちの抱えるそれぞれの葛藤に心打たれ、溢れる涙を止められませんでした。(中略)多くの新選組隊士が幕末の世を駆け抜け、自身の“誠”を貫いた事実は、私の心の中でずっと輝き続けます。

東京からきました。
土方さんにお会いしたくて。
今の日本を作ってくれたのはあなたたちのおかげです。
ありがとう!

今年もやって来ました。
この場所に今年も来れたことに感謝します。
いつまでも安らかにお眠り頂けますように。

新選組について学びはじめたのはゲームがきっかけでしたが、生き様に感動しました。やっとここまで辿り着けました。土方さん最高です。どうか仲間達と安らかに。

ここは私の心の支えです。ずっと訪れたかった場所でした。
今日来ることが出来て感動しました。
これからの人生頑張っていこうと思います。

 ノートに綴られるこれらの言葉は、新選組神学に基づく信仰告白だ。碧血碑の前で自死した子息について書かれた文章もある。毎年欠かさず、息子に会いに碧血碑を訪れているという。
 新選組は、神学的洗練を経るうちに、超越的な存在へと高められた。とりわけ、近藤、土方、沖田の3人がそうだ。底なしの器量を持つ近藤、組織のためにあらゆる犠牲を払う土方、まったく掴みどころのない沖田。神話的なレベルにまで、その人格は洗練された。
 再びキリスト教にたとえるならば、この3人は一体にして不可分だ。天の高みに据えられた近藤、自在に動き回る聖霊としての沖田、そして両者の間であらゆる苦難を飲み込み、最後まで戦って死んだ土方だ。この三位一体を通して愛と誠が説かれる。
 異様なまでの純粋さ、盲目的と言っても良いほどの愛と誠。新選組神学では、過激な純粋さにこそ価値が与えられる。過激さは多様化した世界の中で、自らの足場を固定する作法だ。新選組の根強い人気の理由は、そのあたりにあるように思われる。

 

(第2回・了)

 

 

この連載は不定期更新でお届けします。