七十歳の自己流「方丈記」 太田和彦

2020.5.25

01六十代から七十代へ

 

 

六十歳からの引き算

 

 自分をつくってゆく若いときは、どん欲に知識も鍛練も挑戦も、経験を足し算してゆく。
 四十代となれば、一直線だけで考えず、あの手をこれに使ってみよう、正攻法があるなら逆手もあるはずという、経験を掛け算する知恵がついてくる。それが仕事に(あるいは人生に)応用できるとおもしろくなり、やっぱり使ってこその経験だと実感してくる。
 そうして迎えた六十代。足し算を重ねた蓄積も、掛け算で得た知恵も、それを使って何かを成した達成感も得ると自信がわいてくる。ここが要注意だ。
 若い人が悩んだり、方法が見つけられないでいたりすると、つい「そういうときはこうすればよいんだよ」と、経験から得た答えを言いたくなる。親切のつもりでもこれがいけない。誰にも相談できず悩んで体得したから今の自分ができたことを忘れてしまっている。他人に言われて成した解決は真の経験にならないことはよく知っているはずだが、ついお節介する。
 六十代からは引き算と心得て第一線をリタイアしよう。業績を積み、それなりに地位も得て自信満々。「まだ若い者には負けんぞ」どころか「危なっかしくて見てられない」とばかり、頼まれもしないのに口を出し、現場に顔を出す。若手も、元上司であれば無視もできず、腹の中で(邪魔な年寄りは引っ込んでろ)ならまだしも、「今はそんなやり方では通用しません」とは言えない。日進月歩の現代に年寄りの出る幕はない。もし相談されれば「オレのときはこうしていたけど」くらいでやめておく。
 そうではなく「心の問題」に答えを用意してあげたい。心の問題こそが大切と知ったはずだ。おおらかに鍛えてもらえた自分の時代と今はちがう。組織は人を育てず、若い人は神経をすり減らし、精神力や度胸では解決がつかない時代だ。
 しかしこれも出しゃばってアドバイスなどしてはいけない。それでは同じこと。
 大切なのは「この人になら相談したい」という人徳、修羅場を経験してきた器量を感じさせているかどうかだ。それがあれば向こうから頼ってくる。
 六十代は、そういう人になっているかが問われる年代だ。それこそが真の蓄積で、雑多な経験を引き算した結晶として得られたものが人徳だ。

 

 

 

七十代で得たもの

 

 六十歳を迎えたときは「気がついたら還暦」だった。家族の祝いも何もなく「これからは無茶しないでよ」の小言だけだった。でもまだ若いし、そんなものだと何も考えなかった。大学の教え子たちがおもしろがって「太田先生の還暦を祝う会」名目で居酒屋で飲み会を開いてくれ、ちゃんちゃんこならぬ、真っ赤なダウンベストをもらい、「オレが還暦だから笑っちゃうよな」と上機嫌だった。
 しかし七十歳のときは、はしゃぐ気持ちはゼロ。他人に「もう七十だよ」と苦笑する気にもなれず、目前に広がるのは「老後」の二文字。健康、資金、家族と現実ばかりが横たわり、酒も苦く、無口になる。突きつけられたのは「オレの最盛期は終わった、あとは落ち目、死を待つばかり」だ。
 それから四年、七十四歳になった。
 たいへん良い日々だ。横たわる現実は何も変わらないが、気持ちが変わった。まず「何ごとか成さねばならない」という人生の使命感のようなものがまったく消えた気楽さがいい。したがって好きなことだけしていればいい。しなければならないことが消えると時間はたっぷりある。資金は足りないが、贅沢しなければいいし、贅沢をしようとも思わなくなったし、負け惜しみかもしれないが身に付かぬ贅沢をするカッコ悪さも知った。いやむしろ、たっぷりある時間を好きなことだけに使えるほどの贅沢があろうか。
 還暦のとき自分で自分にご褒美と、宝の持ち腐れになっていたレコードを聴くため、壊れたステレオを処分してオーディオシステムを新調した。これが大いに七十代を変える。知り合った専門家が予算二十万で揃えてくれたのは真空管アンプの実力派だった。それを仕事場の机にセットして以来、聴くこと聴くこと。一日を終えた夜にレコードをかけるのは習慣になった。若いとき乏しい小遣いで買ったレコードが今また生きる。いやもっと深く聴くようになった。一時間を越えるブルックナーの長大な交響曲もじっくり味わえる。
 人生の使命感が消えた日々は、「音楽を聴く」という至高の時間をたっぷり与えてくれたのだ。

 

 

 

あきらめると楽に

 

 高年齢になったら、いろいろをあきらめれば生きやすくなるとよく言われる。
 なるほど。もう出世はあきらめた(まだ考えてたのかい)。裕福な暮らしはあきらめた(できると思ってたんか)。モテるのはあきらめた(あっそ)……そんなことではなく。
 物欲はなくなる。これは確か。ブランド品などまったく興味がなくなった。服なんかいらない。高級外車? バカじゃないか。物よりも心の安定だ。したがって買物をしなくなったから節約になる。歳をとったら頼りはお金だ。
 良い人に囲まれて暮らす。これはあきらめたくないが、であれば自分が良い人になるように努力せねば。他力本願ではだめ。良い人になれば良い人が集まる。
 何かを達成する。楽器をマスターする、バイクで日本一周する、百名山をめざす、もう一度入学して生涯学習する。向学心、体を動かす意欲、目標を持つ。いずれもとても大切なことだが、すでに七十四歳。金も体力も必要なことはもう無理しないほうがよい。
 いろいろあきらめたらすごく肩の荷がおりた。高望みどころか望みはなし。もう一人でいい。夜一杯飲めればじゅうぶん。これは楽だ。
 目標のない生き方、人生はあるのだろうか。
 ある。隠居だ。
 社会に参画しようなどと思うな。外に出て四季を愛でる、落語を聞いて笑う、パソコンでネット探索、草花を育てる、家庭菜園を借りる。そう、「隠居」こそ理想ではないか。
 以前、更新を機に運転免許証返納のため、最寄りの警察署に行った。手続きはすぐ終わり、身分証明に使える「運転経歴証明書」を手にした年配の制服係官は、私の顔を見て「いつもテレビ見てます。これで飲酒運転のおそれはなくなりましたね、わはははは」と笑った。はい、番組やってますがよけいなお世話じゃわい! しかしその日以来、運転事故をおこす可能性はゼロになり、つくづくほっとした。高齢なのに「オレの生き甲斐」と免許証にしがみつく親に手を焼く話をよく聞く。運転が生き甲斐とは情けなくないか。一刻もはやく実行すれば、ホント気が楽になりますよ。

 

 

 

なりたかった人になる

 

 リタイアして家でごろごろ。まわりからは「終わった人」と見られ、社会に居場所がないが、家だけで過ごすのもつらい。働こうと思ってもそう簡単ではないし、一業種しか知らなかった身にできることは限られる。高い給料などもちろん望めず、下働きしかないのは覚悟だが、邪魔扱いされるのもなあ。根本的には、これだけ働いたのだからもう好きにさせてほしい気持ちはあるのだが贅沢は言えない。老後とはこういうことだったか。忙しかったころが懐かしい。オレはどうなるんだろうな。

〈しかしここからが大切だ。それを、よい歳になって、一度自分をゼロにして再出発するチャンスと考えたらよいのではないか。過去を捨てるのは痛快ではないか。生活に不安があってはそう簡単ではないが、ここは一番「本当になりたかった自分」になってみるのはどうだろう。それは「しゃれた紳士」であり、「男らしさを通す男」であり、女性に親切な素敵な人」であり、「まわりを明るくする人」であり、「気前のいい奴」であり、「居酒屋の常連」であり。
 成功も失敗も、陽の当たらない苦労も、そこからの立ち直りも、酸いも甘いも知った長い人生経験の知恵の使いどころだ。相手の話をじっくり聞いて本質を見抜き、意見を期待されたら奥深い答えを用意し、いつしか尊敬されてゆく真の大人。肝心なのは思慮と知性とユーモアだ。〉

 ――六十代も終わるころに書いた一節だが、自分はそうなれたか。だがそれはまわりの決めること。
 しゃれた紳士に見られたくて、だらしなくならないように心がけています。男らしく、ぐじゃぐじゃ言わず行動は明快に「よし、行こう」「お先」「オレがやっておく」と。女性にはとても親切にしています(だってモテたいし)。まわりを明るくするようつまらないことは言わず聞き役。相づちは「はははは、大変だな、オーイもう一本」。静かに愉快そうに飲んでいる老人男はカッコいいぞ。若い奴には気前よく、先輩にそうされてきたから今度は自分の番だ。そうして居酒屋の常連になりました。

 

 

 

(第1回・了)

 

 

 

 

本連載は基本的に週1回更新でお届けします。
次回:2020年6月1日(月)掲載予定