七十歳の自己流「方丈記」 太田和彦

2020.7.27

10家で、外で、仕事場で飲むコーヒー

 

 

街に出よう

 

 定年退職した夫が朝から晩まで家に居るため、奥さんがノイローゼになったという話をよく聞く。コロナ騒動で自宅待機となった夫に嫌気がさし「コロナ離婚」という新聞見出しもあった。
 なぜそうなるか。「お茶いれて」「飯まだあ」「オレのパジャマどこ」「電話鳴ってるよ」。自分では何もせず言うだけ。これがいらいらさせる。三食昼寝風呂テレビ付き。「自分でしてよ」と言いたくなるが、やっても何もできないからかえってイライラする。気晴らしに出かけようとすると「どこ行くの」と行き先を聞き、あまつさえ「オレも」とついてくる濡れ落ち葉。「何時に帰る?」も聞かれたくないし、夕飯は自分でお弁当買って食べてください。「お茶どこにあるの?」「知るもんですか!」
 はからずも一緒にいる時間ばかりになって何もできない男とわかり、一生面倒みるくらいなら今のうちに離婚しよう。夫の親の介護なんかするもんですか。私の人生は私が作る。離縁金はたっぷりいただきます。
 よーくわかります、大賛成です。残された哀れな男は身から出た錆、一人で生きてゆくんですな。
 こうされないためにはどうするか。外に自分の部屋をもつ「方丈生活」をすすめたが、それもままならぬのなら、ともかく外出して家にいないことに尽きる。スタバでパソコンを見ている人は、家とは別の場所を求めて来ているのだ。
 しかしもっと長く一日中出ていよう。電車に乗って例えば東京・深大寺、昼は門前蕎麦にするか。鎌倉もいいな、鶴岡八幡宮はまだ行ってないし、由比ヶ浜で久しぶりに海を見るか。ちょっと遠出だが成田山に詣でてみよう。ここの門前町は風情があるらしく、昼は名物の鰻とおごるか。そうだ神保町がある。古本探索、いや神保町シアターで往年の日本映画もいいな、今は女優特集だ。帰りはせっかくだから「みますや」で一杯やっていこう。家内に「今夜、飯いらないよ」と電話だ。
 交通費と飯代だけ、あまり金もかからないし、健康にもよいにちがいない。毎日これを続けていたら、ある日「たまには家にいたら」と言われたとさ。

 

 

 

一人だけの家

 

 とはいえ家にじっとしていたい人もいる。毎日の通勤がなくなってせっかく家に居られるようになったのに、それを嫌がられるとは。
 こうすればよい。朝から晩まで一緒にいるのが気詰まりなのだから、片方がいなければ解決だ。ならばどんどん奥さんに外に出かけていただこう。
 友達とのお茶、ショッピング、美術館めぐり、コンサート。おおいに羽根を伸ばしてもらおうではないか。留守は心配するな、昼飯は朝の残りでどうにでもなる。宅配便も受け取っておく。はじめは「ガスは気をつけてね、お風呂のお湯は、出るときは戸締まりね、冷蔵庫に昨日のかまぼこあるわよ」といろいろ言っていたが、そんなのはわかってる。「ああ、行ってこい、遅くなってもいいよ」
 これはいいものですぞ。自分一人だけの家とはこんなにも広いものだったか。やかましいのがいないから何をするのも自由。リビングを独占して座り込み、新聞紙をひろげてコレクションの手入れ。汚さないでねと口うるさいのもいない。コーヒーでも淹れるか。昼飯も作るか、即席ラーメンでいいや。食べた丼は洗っとかないとな。
 日が暮れたら楽しみは晩酌。女房は友達と食事とか言ってたから帰りは遅い。さっきスーパーでうまそうな生ハムとまぐろ刺身を買ってきた。醤油の在り場所は知っている。刺身も皿に盛り替えると雰囲気が出る。後はお湯沸かして焼酎お湯割りだ。いそいそしている自分がカワイイ。先に風呂入ってパジャマに着替えちゃおう。万端整って、さあテレビ見るぞ、「新・居酒屋百選」だ。
 一人で気兼ねなくのびのびと家に居るのって、こんなに良いものだったか。ここはオレの家なんだと初めて自覚した。二人でいると何もする気がおきないが、一人だといろいろやるのが面白い。話もしなくてすむ。女房は毎日こうしていたのか、いいはずだ。こんどはオレの番。留守番役に徹しよう。
「ただいまー、すみません遅くなって」。いやいや、アレ、あいつ少し顔赤いな。かつてのオレがそうだった。攻守交代だ。一泊旅行? 行ってこい行ってこい。
 ん? それもできない。どうしようもない人ですな。

 

 

 

コーヒーの目覚め

 

 朝、仕事場に来て最初にするのはコーヒーを淹れること。
 ポットの湯でカップを温めておき、ドリッパーに紙フィルターを敷き、挽いたコーヒー粉を入れてポットからゆっくり湯を注ぐ。沈まるともう一度。次は箸の頭でフィルター縁の粉を真ん中に集めて注ぐ(まんべんなく粉が生きる気がする)。次はカップの向きを変え別角度から注ぐ(まんべんなく湯がまわる気がする)。いっぱいになったらカップを手に仕事机に向かうが、必ず途中で最初の一口をすする。ああうまい。午後も過ぎ、仕事が行き詰まるとまたコーヒー。無言でする作業が頭を鎮める。
 粉は近所にできた専門店で買う。詳しくないので「酸味のあるの」と言うと適当に選んでくれる。ポイントカードもためている。若い主人は店を閉めた夜一人、一〇時ころまで暗い明かりの中で豆を一粒ずつ選別していて、熱心さに感心する。コーヒーってそんなに打ち込めるものなのか。
 本格コーヒーを初めて飲んだのは、今から五〇年以上も前、信州松本の田舎の高校一年生のときだ。友達と不良をきどって喫茶店に入り「コーヒー」と注文した。「通は砂糖は入れないんだぞ」と聞いていたので、まずそのままで。半分飲んでから添えられたミルクを入れ、最後に砂糖ポットから一さじ入れ、コーヒーは三回楽しむんだと知った。
 そのころ流行していた歌が西田佐知子の「コーヒー・ルンバ」。

  ♫ 昔アラブの偉いお坊さんが  
    恋を忘れたあわれな男に……

 苦いコーヒーを飲んで恋を知る歌。私は恋は知らなかったが。
 デザインを学ぶため上京して下北沢に下宿し、さあいよいよ一人生活が始まる、生活道具を揃えねばと、裏に「SAKURA CHINA」とある厚手の真っ白なコーヒーカップを買った。飲むのはそのころ出回りはじめた、ネスカフェとかマックスウエルなどのインスタントコーヒーだ。あまり学校に行く気になれないまま寝坊した朝、コーヒーを沸かし、唯一の財産のFMラジオでクラシック音楽を聞いた。コーヒーの味は苦かった。苦味を知って大人になってゆく。

 

 

 

いつもコーヒーがあった 

 

 就職した資生堂のデザイン制作室は自由な雰囲気があり、朝タイムカードを押すと、そのまま喫茶店に行くのが当たり前だった。銀座にはモーニングサービスの喫茶店はたくさんあり、それぞれお気に入りがある。よく行った「銀座ウエスト」は、ウエイトレスは白ブラウスに紺のスカート、机は白いテーブルクロスに花一輪と品がよく、コーヒーもうまかった。静かに流れるクラシックは一週ごとのプログラムが置かれていた。
 静岡新聞社二階のガラスに囲まれたカウンターだけの店「パンケーキハウス」は新聞雑誌が充実し、「少年マガジン」連載中の「あしたのジョー」はほとんどここで読んだ。
 昼休みは数人で食事を終えると、たまに三島由紀夫も来ると聞いた並木通り角の「ジュリアン・ソレル」へ。先端女性モードのマネキンの立つらせん階段を上った二階が喫茶室で、広いガラス窓から見下ろすみゆき通りは、当時創刊した週刊誌「平凡パンチ」の表紙画と同じ、「VAN」の紙袋を手にした「みゆき族」がたむろしていた。
 新開店した「グレイス」は、美女お姉さんウエイトレス目あてに毎日のように通った。サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」がいつもかかっていた。
 課単位で週一回ひらく「課会」も喫茶店でコーヒー代は課長もち。一人ずつ何か話をすることになり、ある先輩は通勤のマイカー「ミニクーパー」について熱く語り、自分は「浮遊するレイアウト」なるデザイン論を開陳したっけ。会社に行ってもコーヒーばかり飲んでいた気がする。
 作家・椎名誠さんを隊長とする「あやしい探検隊」の野外キャンプにまぜてもらうようになり、カヌー川下りや無人島などあちこちに男ばかりで出かけた。メインは夜の大焚火を囲んでの酒宴だが、片づける習慣がまったくない団体の翌朝は、燃え尽きた焚火の周りに汚れたカップや食べ残し、空のウイスキーボトルが散乱する凄惨な眺めだ。
 早起きした料理人のリンさんが「カズさん、コーヒー飲む?」と、ポットに粉をそのまま入れて沸かし、火から下ろしてしばらく置き、粉の沈殿を見計らって上澄みをそっとシェラカップに注ぐ。ぬるかったらカップを熾火にかざすと温まる。
 朝もやに白い湯気を上げるコーヒーはうまかった。

 

(第10回・了)

 

 

本連載は週1回更新でお届けします。
次回:2020年8月3日(月)掲載予定