七十歳の自己流「方丈記」 太田和彦

2020.9.14

17いつか再び、地方の居酒屋遠征へ

 

 

地方の居酒屋旅

 

 地元に行きつけができ、居酒屋に自信がついたら、次はいよいよ地方遠征「居酒屋に行く旅」だ。中高年が一人でするにはポイントがある。
 まず安全なホテルの確保が第一で、信用あるビジネスホテルを予約する。歳をとったら安宿は避けよ。日程は最低二泊三日。着いて飲んで翌日帰るのはあわただしく交通費がもったいない。その地で目覚め、ゆっくり町を歩いて風土を知り、昼はうまい蕎麦でも食べ、三時ころいったんホテルに戻って少し眠り、おもむろにご出勤。したたか飲んだら歩いて帰ってバタンキュー。これだ。そうすると二晩あるから何軒も入れる。
 次は店選び。これがいちばん難しい。めざすのは土地の酒料理はもちろん、地元で古くから続いて人情や気質を感じられる、その地らしい店だが、いきなり繁華街を歩いても見当がつかないし、ネットのグルメ記事はまったくあてにならない。ホテルで聞いても知らない。
 これは身も蓋もないが、私の本『太田和彦の居酒屋味酒覧』(新潮社)に載る全国二〇四軒がもっとも安全確実だ。何十年もかけて日本中をまわり、身銭も山ほど使っての結論には自信がある。
 良い居酒屋に当たる打率は二割五分、つまり四軒入れば一軒は当たる、それは「もう一度来てもよい」というランク。さらにその二割五分に「常連になりたい」ランクがあり、この本はそれを載せている。さらにその二割五分に「近所に引っ越す」というランクがあるがまた別の話。せっかく遠くまで来たのだから一軒目は絶対にはずしたくない。そのあと浮気心でもう一軒入ってはずれてもそれは笑い話になる。格別に気に入ったら翌日同じ店にまた顔を出すと「オ、まだ居たんですか!」と大歓迎され、昨日とちがうものを奨めてくれ、そうなれば常連気分だ。
 四方を海に囲まれた日本は、北と南、太平洋と日本海、瀬戸内や島々、海べりと山国、関東と関西、都と辺境、城下町と港町、都会と田舎町。これほどさまざまな文化と顔を持つ国は珍しく、当然産物も気質も変わり、さらに四季が加わる。その土地をもっとも反映するのが居酒屋だ。私は何十年も続けてきたが、まだまだ発見の連続だ。
 リタイアしたご夫婦で居酒屋旅を続けている話もよく聞く。さあ、まだ元気なうちにこの旅に出ない手はないでしょう。健闘を祈ります。

 

 

 

各地の特色

 

 日本の居酒屋の地方色をダイジェストしておこう。
 北海道は炉端焼が特色で、炭火の大きな網で魚も野菜もなんでも焼いて食べるのは開拓期の記憶だ。魚は刺身より干物中心。ソウルフード〈じゃがバター〉は必ず。酒はヤカンで常時温まり茶碗に注いですぐ出る。日本のビールの歴史は北海道にあり、日本で一番うまい。
 東北は日本酒王国で地酒名品はいくらでもあり、塩分の強い漬物が酒をすすませる。青森・岩手・宮城は三陸沖の魚貝にすぐれ、福島は乾物料理に技をもち、会津坂下の馬刺しは日本一。秋田は小鍋立、山形は庄内の岩ガキやハタハタが魅力。八戸、仙台、盛岡には魅力的な飲み屋小路が多く、酒を飲む旅に東北は最適だ。
 北陸は日本海の魚。焼魚の最高峰ノドグロや春のホタルイカ、冬のブリに淡麗な酒が合い、富山は昆布〆がすばらしい。加賀百万石の金沢は治部煮など別格の料理文化をもつ。
 東京の居酒屋の特色は、長い歴史の老舗が下町にたくさんあること。また反対に、最先端トレンドの居酒屋があること。そして各地の地酒を並べた銘酒居酒屋が多いこと。それはうんちくとブランド好きゆえで、東京の客は酒にうるさい。小粋な肴をよろこび、せっかちですぐ出てこないと機嫌がわるく、かけつけ三杯を「粋」に飲むいなせ好き。
 年じゅう気候温暖な東海は、目の前に黒潮が流れ、野菜も果物もお茶も鰻も本場。静岡の酒は殿様型に派手で、年中のん気な宴会の絶えないお土地柄。静岡おでんも欠かせない。
 関西は酒よりも料理中心で、割烹修業が当たり前ゆえ水準はきわめて高く、食い倒れに恥じない。酒は灘一辺倒だったのが、「中山酒の店」の指導のもとに酒も料理も格段に水準高い店が続々と誕生、大阪居酒屋にルネサンスがおきた。
 山陰は重めの酒が多く、肴は冬のカニやカレイ一夜干し。山陽の瀬戸内は小魚にすぐれ、新鮮なイワシの素裂き(手開き)、明石の鯛とタコは日本一。高知はカツオ叩きなどの酒飲み天国、愛媛はじゃこ天。
 九州は福岡・佐賀あたりは日本酒が〈ごま鯖〉に合うが、以南は焼酎になって〈テンプラ=さつまあげ〉など揚物が多くなる。沖縄は泡盛に、魚よりもテビチ、ラフテーなどの医食同源沖縄料理がぴったりだ。

 

 

 

日本一の居酒屋

 

 長いあいだ各地の居酒屋を訪ねた結論、日本一の居酒屋は名古屋の「大甚本店」だ。
 広小路伏見目抜きの大きな交差点角に午後三時半ころから人が並びはじめ、四時開店の暖簾が出ると店内が明るくなり次々に入店。中は広く八人掛け大机がいくつも置かれ、奥は小上がり席で小机、その奥は大勢さん用の大座敷。
 ここは注文はとらず、客は大机にぎっしり並ぶ小鉢から好きなものを自分で選んで自席に置く。その小鉢は、かしわ旨煮、いわし生姜煮、鶏胆、タラコ、浅蜊ぬた、丸いか煮、ポテサラ、きんぴら、納豆などなど、およそ考えつくあらゆる季節の肴が並び、人気は穴子や鯛の子などの煮物。なくなると湯気をあげて次々に追加され、それらが二〇〇円から三〇〇円。さらに隣は鮮魚コーナーでガラスケースに並ぶ鰺やマグロ、鮎などを指さし、刺身、焼魚、煮魚、天ぷらを決めて注文すればやがて調理されて届く。
 酒は大甚専用に仕込んだ広島の「賀茂鶴」が毎日大樽で運ばれ、玄関脇の「日本一の燗付場」に青竹タガもきりりと鎮座する。赤レンガ二連大竃の湯にはつねに盃が温まり、徳利が浸かって、注文すれば湯から上げて十秒で届く。樽香をたたえた酒の味は比類がなく、ゆるやかに何杯も何杯も飲めるのはこれぞ晩酌の酒。
 明治四〇年開店、早世した山田徳五郎の妹ミツが店を継ぎ、その才覚と人柄は多くの人に敬愛され、五十五歳に働きづめで亡くなる。今は息子の弘さんが主人として、八十歳を超えながら毎朝仕入れにいき、調理を指揮してまことにお元気だ。
 混む店内を差配する弘さんはシャネルの太縁眼鏡、胸ポケットに栓抜きがトレードマーク、勘定は机の徳利小鉢を見て、しゃっと算盤を入れる。燗付場に立つ奥さんはつねに客を見わたして適温燗を用意する。店は大きく、息子さん二人が一階二階を担当し、昭和二九年の建物は欅や檜を贅沢に使いまったくガタがない。
 毎日来る人は大勢いる。出張帰りに一時間だけ寄って新幹線最終に飛び乗る人も。カウンターで主人相手にちびちびではなく、上座も下座もなく、祭の寄合酒のように好きずきに酒を飲んでいるのは感動的だ。これぞ日本一の居酒屋。 

 

 

 

好きな町 

 

 ながく東京に住み、ここで一生を終えそうだが、住んでみたいよその町はある。
 千年の古都、京都。伝統建築の町は美しく、着物の女性が歩くのは普通のこと。もてなし文化のある料理屋、居酒屋もいくらでもある。町に品があり、住む人もまた。畏友・角野卓造さんは京都好きで、年間六十日近く滞在するという。「何してるんですか?」と聞くと「友達に会ったり、一人で酒飲んだり、太田さんと同じ」と言われた。私も六十日は無理だが、何かと理由をつけて年に三回くらいは行く。泊まりはポイントもためているビジネスホテルのいちばん安い部屋。もう昼間は出かけずパソコンで仕事。夕方からいそいそと「おこしやす」を聞きに居酒屋へ。
 神戸も住みたい最有力候補。毎朝、波止場を散歩して海を見る。昼は日本でいちばん充実した町中華。夜はなじみの居酒屋、たまにジャズライブを聴いてバーで仕上げ。しゃれた神戸ライフはあこがれだ。神戸新聞を読む朝の喫茶店も決まっている。
 盛岡もいい。宮澤賢治を生んだ町は文学的気分がわいてくる。料理や居酒屋は東北の風土に根づいた奥深い世界観があり、じっくりと腰を据えて囲炉裏端の酒のように夜を楽しむ。ぽつりぽつりと文化を語る質朴な人柄も好きだ。
 加賀百万石の金沢は華やかさが町にも表れ、「夜に外出する文化」があるのがうれしい。金沢おでんなどの庶民性も、学生を大切にする気風もいい。金沢を愛する作家はたいへん多く、それは表日本ではない裏日本(誉め言葉)文化への憧れではないか。
 私の故郷・松本も国際音楽祭や市民演劇などで文化度が上がり、欧米人客がたいへん増えた。アルプスに囲まれた城下町に白壁蔵の続く町並みは美しく、蕎麦はもちろん、名物山賊焼など居酒屋も充実。信州の酒は今すばらしく、また本格バーも。
 どこの町も歩いてまわれる規模がいい。京都、盛岡、金沢、松本に共通するのは大きな川が市内を貫流すること。川のある町は良い町だ。
 ああ住みたい。無理だから旅に出よう。昔は日本中を歩いていたが、今は好きな町に繰り返し行くようになった。裏通りも顔なじみの店も自由自在。主人や女将のにっこり迎える顔を見にいく。

 

(第17回・了)

 

本連載は週1回更新でお届けします。
次回:2020年9月21日(月)掲載予定