七十歳の自己流「方丈記」 太田和彦

2020.10.12

21 最終回・大事なもの

 

 

心の支え

 

 人は何を支えに生きてゆくか。
 ある人は「ツキ」だと言う。うまくゆくと「ツイてる」、ゆかないと「ツキがなかった」と結論づけ、「ツキを呼ぶにはどうするか」を考える。だから博打で練習する。
 世の中を渡る肝心は「度胸」と言う人もいる。「いざとなれば度胸で勝負」これがあればだいたい解決つく。ヘタに考えても始まらんぞ。
 いや「根性」だ。根性のない奴は何をやってもダメ。人を選ぶのにそこを見ていれば間違いない。ついでに体力もな。
 ちがう、大切なのは「努力」だ。まじめに努力していればいつかは花ひらく。それを見てくれている人もいるはずだ。先生もそう教えた。
 人生に大切なものは「愛」でしょう。愛がなくて何のために生きているのか。世の中は人と人でできている。愛あってこその人生、生きる意味ではないか。
「信念」を挙げる人もいる。自分は何者かになりたい、それには信念がなければならない。生きてゆく根本に確固たる信念をもてば、何が起きようとも、たじろぐことも迷うこともない。偉人といわれる人は皆そうだった。
 いいえ、生きるうえでもっとも大切なものは「信仰」です。「神」という目に見えないものを信じることほど人を強くするものはない、心の平和に迷いはない。めざすのは聖人か。
「ツキ」「度胸」「根性」「努力」「愛」「信念」「信仰」。いずれももっともだが、結局われわれ凡人が頼るのは「努力」だろう。これだけは他力本願ではなく自分でできる。努力して得たものには自信をもてる。「ツキ」も「信仰」も要は神だのみ。「愛」で飯は食えない。
 そうだよなあ。哲学の知識は何もないが、人生で大事なものは何かなあと考えてしまうなあ。
 ツイー……。
 腹にしみわたる酒よ。ぜいたくはできないが、毎晩この時間をもてるありがたさ。オレに「ツキ」はあったか、「愛」に恵まれたか。酒よ、お前だけが……
「いい加減に寝てください」
 金切り声がした。

 

 

 

写真を飾る

 

 このごろはスマホでやたらに写真を撮るが、その場かぎり。パソコンに取り込んでも一覧性に欠けて不便だ。結局撮っただけでたいした価値もないものを山のように残すことになる。写真は撮るよりも整理することが大切だ。昔のように、よいものを一点選んで紙焼きプリントで保存することをすすめる。
 写真の高い価値は後年見直せる記録性にある。小学校の入学式に校門で撮った一枚が五十年後いかに貴重なものになるか。好きだった女性が写っている若き日よ。それをプリントでつねに手元に置く。画面ではなく物としてあることがポイントだ。画面は結局見ない。
 外国旅行などは山のように撮るが、厳選した百枚ほどをプリントに出し、紙製の簡単な透明整理アルバムに編集する。そうしてできた一冊「2015/ウィーン編」は「本」なのでつねに気軽に見られる。パソコンに眠らせてはこういう楽しみはない。
 さらにおすすめは、よい一枚は額スタンドに入れて飾ること。外国映画で、家族の歴史を大切にするように写真を何枚も室内に額飾りするのをよく見る。数年前、父・母・兄の最後の法要で、遠く長野からも親戚が集まったとき、懇意のカメラマンに来てもらい、葬式時の遺影額を膝に、全員のきちんとした写真を撮影した。それを大型プリントして配布する際、額スタンド(安価に売っている)を同封した。狙いはこれを置いてもらい、親族の結束を保つことだった。
 おそらく私のもっとも古い写真は、小学二年生ごろ、冬の田舎の家の前の道でよれよれの学生服、黒足袋に下駄で、紐をまいた独楽を手にうすら笑いしている白黒だ。オレはここから出発したんだ。それを額装して仕事場に置いている。家の居間にある、亡き両親の写真は笑っているのを選んだ。晩酌のとき父にも一杯置くとにっこりしてくれ、隣で母もうれしそうだ。妻は毎日写真にお茶を出してくれている。
 寝室には大昔に私が撮った若い父の写真がある。朝一番に「行ってきます」と見ると「よし、行ってこい」、帰ってくると「ごくろう」という顔をする。たまに飲みすぎて不始末な夜などはバツが悪くて顔を見られない。こうして両親は今も生きて見守ってくれている。そこに写真があるからだ。

 

 

 

歳をとったら

 

 会社を退職してしばらくは社員仲間気質が抜けず、元同僚に連絡をとったりしていたが、一年、二年も過ぎるとそれもなくなり、否応なく一人を実感する。これからはどういう人間をめざせばよいのだろう。それまでは、自分の力を伸ばす、家族を養う、将来に備えるなど生きる目標があった。その将来になってみたら目標がない。
 そうしてわかってきたことがある。社会的地位が高い、低いなどの価値観はとうに消えた。そういうことにこだわる人はつまらん人だ。立身出世をはたした、経済的に成功した。それがどうした。頭がいいとか、リーダーシップがあるとかもどうでもよいことになった。人生の価値観が変わったのだ。
 どういう人が尊敬されるのかもわかってきた。それは「人柄」だ。あの人は温かい、頼りになる、いてくれると安心感がある。何か相談すると奥深い答えをくれる。人生経験で得た知恵や人の情、世間の道理が身についた年長者だ。そこにお堅い道学者だけではない人間的魅力があれば一層よい。あの人との一杯は楽しい、失敗談もあったり、情にほろりとしたり、知恵があるのに飾らない。そんな人こそ新しい目標ではないか。
 簡単なことだ。知恵はともかく心がけだ。自分のことは言わず、相手の話をじっくり聴き、相手の身になって考える。そうすれば答えは見えてくる。これだけでずいぶん信頼を得られる。相談ごとに、ときには小言を言いながら知恵を出す昔の長屋のご隠居だ。要するに「自分を捨て、他人に喜ばれよ」。いい歳をして我利我利亡者はみっともない。
 あと一つ。もう世間に遠慮して小さく生きるのはやめよう。図太くいこうじゃないか。この歳になり成すべきことはもうやった。あとは好きなようにさせてもらおう。第二の人生をカッコよく、女性にもモテたい。爺むさくしてちゃだめだ、若返るかもしれないぞ。
「うちのお爺ちゃん、案外若い人に人気があるのよ」「へえ、どうして」「笑って話を聞いてくれて、ラクなんだって」「へえ」「たまに気前もいいんだって」「へえ」。
 歳をとったら若い人に囲まれていたい。自分の気も若くなる。愚痴や世間の不平不満ばかりの年寄りの集まりなんで御免だ。

 

 

 

涙の授業

 

 デザイン事務所を続けているとき、山形市にある東北芸術工科大学でデザインを教えてくれないかという依頼があった。デザイン教育を勉強したわけではなく躊躇したが、プロとして現場でやっていることを学生に伝えてほしいということで、それならと引き受けた。 
 始めてすぐに後悔した。授業そのものは学生を見て、するべきことはすぐわかったが、毎週二泊三日、三時間かけて山形新幹線で通いはじめると、肝心の自分の本業にたちまち火がつき、いつもいませんねと仕事が来なくなってしまった。しかし学生を預かる立場は簡単に止めるわけにはいかず、覚悟を決めた。
 数年後、検査で大腸ガンがみつかり入院手術となった。時期は秋。学生にもっとも大切な卒業制作が佳境に入るときだ。卒制はゼミ単位で指導し、春に学生はどの教授のゼミに入るかを決める。太田ゼミを志願してくれた十人ほどに、少なくとも一ヶ月は来られないので、その間するべきことを綿密に指示してきた。
 ガンはショックだったが、病気のことは医者にまかすしかないと腹をくくり、家族にはよろしく頼むと入院。幸い軽くすみ、術後二週間もすると学生たちが気になって仕方がない。復帰したらまず何をすべきかを毎日考えた。
 四十日ほど過ぎた復帰の日、決意をこめてゼミ室に入るとすでに学生は全員着席して待っていた。ながく休んで申し訳ないと言うと、一人が後ろ手に隠し持っていた花束を出し「先生、お帰りなさい」と言った。私の目はたちまち涙であふれ、ごまかして本題に入るのに時間がかかった。その日からの、自分ながら入魂の指導は、待っていた学生に吸い取り紙のように吸収され、全員がすばらしい作品を完成、他の先生からも称賛された。
 このことは自分本位で勝手に生きてきた私に大きな反省を強いた。自分を必要として待っている人がいた。それに応えないでどうする。教えられたのは私だった。
 七十代も半ばを過ぎ、何を心がければよいか。それほど役にたたなくても、誰かが自分を必要としてくれたのなら、こんなにうれしいことはない。それには全力で応えたい。それを最後の生き甲斐としよう。

 

 

(第21回・了)

 

 

 

太田さんの連載は今回をもって終了となります。
長らくのご愛読、誠にありがとうございました。

今秋、本連載をまとめた単行本が弊社より発売の予定です。
どうぞお楽しみに。