75歳、油揚がうまい 太田和彦

2022.1.11

01深め、遊び、見直す

 

 

 

1 七五歳の宣言  

 

 七〇歳になったとき、もう人生は引退だ、これからはいろいろこだわらず、淡泊に生きていこうと思った。湯豆腐があればいいと。
 それから五年、七五歳になり、思いがけぬ心境の変化がおきた。
 人生最終地点に至り、歳をとって知ったことは何だろうと考えた。仕事も家庭も、苦労も野望も、それがただ過ぎてきただけの人生だったと思いたくない。そこから何かを学んだはずだ、智恵を身につけたはずだ、幸福とは何かを知ったはずだ。
 であればそれを生かさなければもったいない。一生の貴重な最後を、淡泊に寝ころんで終えていいのかと。もっと深く、濃く、しっかり嚙みしめて最後を過ごそう。七五歳積極宣言だ。年寄りの冷や水、体力超低下、第一ぼけてきた、身の回りのことすらできないじゃないか、おとなしくしていろ。それはもちろん承知。
 しかしいったい何をするんだ。それは「身につけてきたものの検証」だ。
 音楽は浴びるほど聴いた。レコードもCDも棚にあふれている。その中から、これは本当にすばらしいと思うものにじっくり耳を傾けよう。
 映画も山ほど見た。今も年間百本は映画館で見る。自己流鑑識眼はしっかりついて、その目で見る楽しさがある。新作を追う意欲は尽きてきたが、名画は二度、三度、四度見て、さらに深まる。テレビも大型に換え、せっせと録画したDVDの出番だ。
 美術展や演劇も行く。気に入った劇団の公演を追いかけ、そのつきあいは何十年になるのもある。一日がかりの外出になるが、行けばだいたい感動できる。
 旅行も、外国はわずかだが日本中はくまなく歩き、好きな町も定まった。そこに通う。
 今までは基本や教養を重ねる「勉強」だった。しかしもうそれは卒業、定まった好きなものを深めよう。自分という人間を再発見するかもしれない。
 豆腐は食べ物の大発明と思うが、それをさらに昇華した油揚もすごい。個性は強くなり、煮ても、焼いても、包んでも(いなり寿司)味を深くする。しかも日常に根ざして飽きない。稲荷神社にはお供えし、トンビもさらってゆくくらいだ。
 昇華した奥深さとは何だろう。この歳でテーマがみつかった。

 

 

 

 

2 着るものの変化

 

 生き方の方針変更とともに、着るものにも微妙な変化が。
 七〇歳を自覚すると、老年の風格は「顔」、「男の顔は履歴書」として、着るものは極力目立たぬよう、例えば黒セーターに黒ズボン、ともにユニクロにしてきた。顔だけを印象に残してもらいたいと。
 しかしそこに真っ赤なフリースを重ねてみた。派手だ、目立つ、この人これでちょっと気取ったとわかる。そうなるとそれを支えるズボンや靴はよりきちんとしないといけない。歳をとるとわが身が枯れ木に見える茶色系は避け、生命力を感じる緑を上手に使おうとしてきたが、同じフリースを真っ赤にしたら、はっきり気分が変わり、目立つのだから姿勢よく歩かねばと大股に胸を張る。
 原則は全身のベースを黒でまとめ、鮮やかな一色を差し色にすること。それが緑でも赤でも黄でも、ここは遠慮なく強いほうがいい。
 独り相撲はわかっている、でもこれで気分が引き締まるのだからいいじゃないか。柄物は着ないできたが、大柄な赤黒チェックのシャツジャケットを羽織ると気持ちが若くなった。これも遊びっぽくてありだな。
 ジーンズはぜひ穿(は)きたいが、色むらや破れのある着古し型を老人が穿くと浮浪者にしか見えない。よれよれが似合うのは中味がぴかぴか新品の若者だけ。老人はきれいな新品の流行の細身にする。ジーンズといえども色があり主張するから、他は黒だけに限る。老人のジーンズは難しく、まして太っていたらだめだが、つねに洗い立てをうまく着ると、まだジーンズが似合って若く見える。
 高級なブランド衣類は、それを着こなせる人になっていないから避けよう。というか、デザイナーの個性が表われた服は着ない。他人の個性を借りても仕方がない。
 年寄りがやりたがるさまざまな重ね着は、これも拾い着の浮浪者に見える。首になにか巻くこと、キャップなど帽子も老人印になるから避けよ。ループタイは最悪。
 七五歳でできるおしゃれとは何か。清潔、端正を絶対基本として、一点遊ぶ。「若いですね」と言われたいだけではない。服装は気持ちの表われ。自分に「活」を入れること。

 

 

 

 

3 コロナ禍の日常

 

 二年にわたるコロナ禍で日常生活があることに気づいた、とは多くの人が言う通りだ。若い父親と幼な子が手をつないで歩くのを、とてもよく見るようになった。無邪気に腕にぶら下がり、駆け出して振り向き、なにか熱心に話している。お父ちゃんと一緒にいられるのがうれしくてたまらない様子に、他人の私にもこれほど心温まる光景はなく、つい子供に微笑みかけてしまう。
 勤務一辺倒の日々がリモートワークになり、なくなった通勤時間を子供の相手に使える。わが子を父親に預けて夕飯を支度するお母さんも安心。今日も子供と食卓を囲める幸せ。家族の基本が帰ってきた。かつてニューヨーク大停電のあとベビー出産が増えたという話もあった。
 この二年、私もどこにも出かけられない日々が続いた。旅行はもちろん、好きな居酒屋めぐりも店が休業ではできない。七五歳、そろそろ落ちついて、というよりは、動けるうちにあちこち出かけておきたい気持ちが空回りだ。毎年初夏に楽しみな、高校美術部仲間の集まりもできず、コロナが収束したときは、もう体力的に集まれなくなっているのではと焦りがわく。いや亡くなるのもいるかもしれない。
 原稿仕事はもともとひとりのリモートワークで、意識して世間との接触を心がけないと空転する。居酒屋に行けない日々を『家飲み大全』という本にしたが(笑)。
 そんな日々は身の回りの見直しになる。たまりにたまった本や雑誌を古書店に出し、段ボール十箱ほどで一万円になった。私は何でも捨てないほうで、子供のころの絵日記や学習帳、成績表、受験合格通知、奨学金申請書類の控え、熱心に通った映画演劇の資料。寺山修司が立ち上げた劇団天井桟敷の第一回公演「青森県のせむし男」や、唐十郎最初期状況劇場の「腰巻お仙」「由比正雪」などのちらしは今や貴重なのではないか。
 悩ましいのは写真だ。いつかプリントしようと残しておいたネガとベタ焼きが膨大にあるが、デジタルの今はそれができるところがない(この意味、若い人にわかるだろうか)。そのベタから拡大コピーをとりアルバムを何十冊も作ったが、まだ半分残っている。
 これらはすべてわが人生の記録だ。これは処分できない。自分の歴史を消したくない。

 

(第1回・了)

 

本連載は週1回更新でお届けします。
次回:2022年1月18日(月)掲載予定