みんな長さんが好きなのよ 土井章史

2016.12.20

『これが好きなのよ 長新太マンガ集』刊行記念 土井章史さんトークショー

 

 このたび、亜紀書房より『これが好きなのよ 長新太マンガ集』が刊行されました。ここでは、刊行を記念して幡ヶ谷のパールブックショップ&ギャラリーで開催された土井章史さんのトークショーの内容を加筆修正して公開いたします。絵本作家として知られる長さんの「マンガ家」としての側面に迫ります(あき地編集部)。

 

当日のトークショー会場の様子

 

土井章史さん

土井 先日『これが好きなのよ 長新太マンガ集』という本をぼくの責任編集で作りました。今回はその刊行記念イベントとして、作品を読みながら長さんについて語ろうと思います。
 いやあ、それにしても、こんな本が出せるなんて自分でもちょっとびっくりでした。長さんって絵本はすごく評価されてるけれど、マンガに関してはあまり評論されているのを見たことがないんですよね。でも、長さんは絵本よりも前に『文春漫画読本』なんかでマンガを描いていた人だし、その後もずっとマンガを描き続けていました。

『これが好きなのよ 長新太マンガ集』(亜紀書房)

 今回の本は、その長さんのマンガの面白いところを一冊にまとめたもので「ベスト・オブ・チョーさんのコミックス!」と謳っています。長さんはマンガをたくさん書いているので、長さんのマンガがすべて収録されているわけではありませんが、そのエッセンスを抽出して、これまで単行本に一度も収録されたことのないものもたくさん選んでみました。それで、今日は長さんのマンガの魅力に迫ってみようと思います。「長さんのマンガの魅力がついに解明できた!」と言いたいところだけど、まぁ実はまだ解明できていません。この魅力を言葉にするのはなかなか難しいんですよ。
 だから、とりあえずまず作品を読んでもらおうと思います。たとえば、こんな作品があります。「トンカチおじさん」という作品です。これは「話の特集」という雑誌に連載していた作品の第6話目です。1話2ページで終わるから、全部読んでみましょう。

 

「トンカチおじさん」第6話

 

 どうですか? すごいでしょ、もうなんて言えばいいのかって感じですよね(笑)。めちゃくちゃ都合よく話が進んでいくんですけど、不思議な身体感覚で描かれていますね。トンカチをぶつけた頭のたんこぶからまたおじさんが出てくるという。それで、「こっちへいけ」とか指示を出される。結局迷い込んでいたのは目の中だったというお話です。最後の台詞でおじさんが「ちょっとしたことね」って言ってますが、一体どういう意味なんでしょうか。
 こういうマンガを描けるのは、やっぱり長さんしかいないんですよね。これは、どこか子どもの持ってる行き当たりばったり感に似ています。ぼくは自分の子供が小さい頃にいろいろ絵本を描かせてみたことがあるんだけど、最後はだいたいこんな風に尻切れトンボになって終わるんです。オチがぜんぜんない。このマンガもオチがぜんぜんありませんね。長さんのマンガの行き当たりばったり感というのは、子どものそれに近いんです。この作品は、それでもまだちゃんとオチているほうなんですけどね。ほかの作品にはもっととんでもなくオチていないものがたくさんあります。
 やっぱり、長さんはオチよりも、そこにいくまでの展開の面白さというものを伝えたいんだという気がしますね。長さんの作品の特徴は、所謂「起承転結」の「結」が欠落してるということなんです。「結が欠落してる」っていうとなんかくだらないダジャレみたいだけど(笑)、本当に結論がまったくないマンガなんですよ。これは一種のアナーキズムですね。それも子どものアナーキズムです。
 やっぱり、大人になるとぼくらは「きちんとオチや結論をつけなくちゃいけない」と思うようになりますよね。だけど、幼稚園児なんかはまだ「展開だけの世界」に生きています。それが、だいたい小学校に入るくらいから「結論の世界」を生きはじめる。それ以降、ぼくたちは「答えを出せ」ってことをずっと言われながら育っていくわけです。うまい答えを出した人がテストで100点をとって、いい学校に入って、就職がきちんとできて、幸せな暮らしができる。そういう価値観の世界にぼくらは生きているけれど、たぶん長さんはそういう価値観に対して「ちょっと、違うんじゃないの」っていうのを言ってきた人なんですよね。
 これはぼくが長さんから直接聞いた言葉なんですけど、長さんは話をしていると「上等な大人は…」っていう言い方をするんです。それでこの「上等な大人」っていうのは、「ちゃんと大人の中に子どもの心を持っている人」のことを指しているんですよね。
 じゃあ、また別の作品を読んでみましょう。

 

「怪人ジャガイモ男」第1話

 

 これは「怪人ジャガイモ男」っていう作品で、北海道を歩いていると怪人ジャガイモ男が現れて北海道全体をポテトチップスにしちゃうという話です。このマンガは連載物ですけど、回を追うごとに県が変っていって、新潟がポテトチップスになり、茨木がポテトチップスになり、ついには東京が……というお話です(笑) 。
 ここに出てくる男の人は「C」ってプリントされた服を着てますけど、これは長新太(Cho Shinta)の「C」だから自分でしょうね。この作品ももう、ナンセンスの極致です。ポテトチップの大地になぜか川があって、そこをサケが泳いでるわけだから。ほんと、こんな不思議なマンガ描く人いないよね。
 この本は、こういう行き当たりばったりの作品ばかりが300ページも続きます。だから最初からちゃんと読もうとか思っちゃだめですよ、読んだって忘れちゃうんだから(笑)。起承転結がないから覚えられないんだよね。このマンガ集は、座右の書にして、日々ちょっとこう、落ち込んだときとかに、パラパラっと開いて、開いたところにあったマンガを読めばいいと思います。ぼくもこれまで何度も読んでますけど、やっぱり忘れちゃいますからね。自分が見た夢ってあんまり覚えていないでしょう。それとおんなじ、一種のシュールレアリスムみたいなものですね。
 でも、落ち込んだときにパラパラとこの作品を読むと、沈んだ気持ちがちょっと晴れるというか、救われるんじゃないかなと思います。あまりにも「なんじゃこりゃ!」って世界なので、その中に入っていくと、日常の世界の落ち込んでいたことなんかは忘れちゃいます。頭の中がパカンと開いて真っ白になります。

 

「ガニマタ博士」第1話

 

 これは「ガニマタ博士」っていう作品ですね。ガニマタの幅をわざわざ「約50センチ」って書いてあるのがいいよね(笑)。ここで出ましたね、「とつぜん」というセリフ(5コマ目「とつぜん発作的に空から巨大なつららがおりてきました」)。だいたい長さんはこの「とつぜん……しました」というので何でも展開させちゃうんですよね。

『キャベツくん』(文研出版)

 あと、この作品にはキャベツくんも出てきますね。長さんの絵本で人気のある『キャベツくん』という作品がありますけど、このマンガからキャベツくんが生まれたんですね。たぶんマンガの方が先だと思います。キャベツくんがラーメンでもなんでもすぐ出してくれるんですが、なぜかネオンがついている(笑)。
 キャベツくんはガニマタ博士のお伴になるんですが、この誰か「お伴を連れていく」というのも長さんの大好きなモチーフです。ぼくが思うに、この「お伴を連れていく」っていう長さんの作風に影響を受けているのは、大竹伸朗さんの『ジャリおじさん』です。ジャリおじさんもお伴を連れてるでしょう。

『ジャリおじさん』(福音館書店)

 実は、この説には根拠があって、大竹伸朗さんが福音館の編集者から「絵本を作りませんか」と依頼された時に、大竹さんは「それなら、まず長さんに会いたいです」って言ったんですよ。ぼくはどういうわけか、長さんと大竹さんが会うことになったその場に、福音館の編集者に呼ばれて同席したことがあります。長さんと大竹さんはなんかボソボソって話してたんですが、そこで大竹さんは「絵本を作ります」って約束したんだよね。それで描いたのが『ジャリおじさん』です。だから、ジャリおじさんがお伴を連れているのは長さんの影響なんじゃないかって、ぼくは思ってるんですけどね。

 

「ガニマタ博士」第14話

 

『ちへいせんのみえるところ』(ビリケン出版)

 これは「ガニマタ博士」の「さけた空の巻」という話です。これはちょっと『ちへいせんのみえるところ』っていう絵本にも通じるところがありますね。どっかから何かがひょっこり出てくるだけっていう作品です。
 この「どっかから何かを出す」っていう手法は、シュールレアリスムの常套手段でもあるんだけど、出てくるものがいちいちとんでもないね。まず目が出て、次にイカが出てくる。その次はセッケンですよ。しまいには鶴屋南北とかペニシリンまで出てくる。この作品は傑作ですね。
 ちなみに、この本の中に「下半身の外出」っていう作品も収録されているんですが、身体の一部とか人間でないものが「外出する」というのも長さんの好きなモチーフですね。アニミズムというか、世の中のいろいろなものすべてが生きているという感覚です。たとえば、子どもは平気で「コップちゃん」とか言うでしょう。そんな感じなんです。
 さっき「長さんのマンガのオチのないところは子どもの世界だ」って言いましたけど、アニミズムもやっぱり子どもの世界ですね。有機物と無機物、生きているものと死んでいるものっていう区別があんまりない世界です。

 

「下半身の外出」(部分)

 

『ぼくはイスです』(亜紀書房)

 このアニミズムは、長さんにとっては一種の信仰みたいなところがあって、つきつめて考えると下半身も上半身とは別個に生きているんじゃないか、ということになるわけです。長さんには『ぼくはイスです』っていう絵本があるんですが、これも少し前に亜紀書房からぼくの企画で復刊しました。この作品でもイスが平気で外出するんですよね。「みんなぼくのうえにすわるけど、ぼくもなにかにこしかけてみたい」とか言って。下半身も、イスも、何もかも生きている。すごい感受性ですよね。

 

『ぼくはイスです』より

 

 「マンガ童話」という作品ではなんとコロッケが外出します。ある日外で靴を履いたコロッケに会うんですよ。ちょっとこれも読んでみましょう。

 

「マンガ童話」第1話

 

 これも「フシギなコロッケにあったさむい日」とだけあって、まったくオチていませんね(笑)。コロッケからエビフライが飛び出すという発想もすごいですね。谷川俊太郎さんと糸井重里さんが『これが好きなのよ 長新太マンガ集』の帯に推薦文を書いてくれているのですが、その中で谷川さんが「長さんはイノチをくすぐる、セカイをくすぐる」って仰っています。これはすごく言い得て妙というか、セカイをくすぐると、すべてのものがイノチを持っちゃうんです。しかもくすぐられているから、思わず笑い声が出ちゃうっていうのが長さんの世界です。
 でもね、この本を読んでいると実はちょっと眠たくなるんだよね(笑)。それは退屈だってことじゃなくて、あまりにも起承転結がないから、脳の緊張がゆるんで、いつの間にか眠たくなっているということなんですよ。普通に起承転結のお話のあるものは、みんなお話を追おうと思って意識が緊張するから眠くならないんだけど。この眠くなるっていうのは、「作品を読んでいて気持ちがいい」「心地がいい」ってことでもあります。糸井さんも推薦文の中で、「長さんがマンガを描くところを、猫のようにしゃがみこんでずっと見ていたかった」ということを書いてくださっているけれど、長さんのマンガを見ていると、気持ちよくって眠くなってくるんですよ。猫がお昼寝するみたいにね。
 でも、「ぼくは長さんのことがこんなに好きなのに、作品を読んでいて眠くなっていいのか…」って苛まれたこともありますよ(笑)。けどね、実は最近発見した長さんのエッセイの中に、長さん自身が自分の世界のことを「混沌として眠くなるユーモアです」って書いているのを見つけたんです。それで「嬉しい、俺は眠くなってもいいんだ!」って思いました(笑)。だって、300ページもあるこの本をずっと読んでいると、絶対にうとうとしちゃいますよ。

ブランクーシ≪キス≫

 ここまではこの本のマンガを読みがら解説してきましたけど、最後にちょっと、舞台裏のお話もしましょう。実は長さんってファインアートもすごく好きだったんですよね。この写真はコンスタンティン・ブランクーシっていうフランスで活躍した彫刻家の作品です。
 実はこの額縁は、長さんのアトリエに、30年以上前から亡くなるまでずっと掛かっていたものなんです。ちょうど長さんが仕事をしている机から見て正面の壁に、この額がかかっていました。ブランクーシって作家は、自分で自分の彫刻の写真を撮影して、それも作品にしている人だから、最初は「もしかしたらこれはオリジナルかな?」って思ってびっくりしたけど、近づいてみたら印刷物からとったものでした。長さんが亡くなったあとで、長さんの持っていた洋書のブランクーシの作品集の中に、切り取ってあるページを見つけました。長さんは、作品集の中からこれを切り取って、わざわざ業者にだして額装して飾っていたんですねぇ。それくらいブランクーシが好きだったみたいです。
 ブランクーシの作品は、だいたい一個の四角い長方形の石から切り出して作られているんですけど、ちゃんと人間の形にしていなくて、四角い長方形の石の感じがどこか残っているんですよね。これは「キス」っていうタイトルの作品です。子どもが図工とかで木彫りの彫刻をすると、こういう元の形が残ったまま、目と口と鼻だけ作られている作品になりますよね。ちょっと作りかけなのかな? って感じがするやつです。この作品にもそういうところがありますね。この作品でも目と口がひっついているところは平面だから、なんかすごく笑えるというか、ユーモアのあるアートになっているんですよね。
 たぶん長さんは、この額を毎日ずっと見てて、「自分が目指すところはあそこだ」って思って仕事をしてたんじゃないかなぁ。ぼくは長さんの生前、月に1回は長さんの部屋に通って、長さんといろいろ雑談をしたんだけど、あの作品に関しては話をしたことがないんです。いまになってみれば、話をすればよかったとすごい悔やまれます。ぼくもブランクーシが好きだから「あ、ブランクーシだ」っていうのは気づいていたんですけど、なんとなく聞かないままになっちゃった。
 それで、お宝作品があります。この長さんのファインアート作品を見てトークを終えましょうね。すごく奇麗でかっこいい絵なんですけど、近づいて見てみると描いてあるものがすごい。なんと、この作品のタイトルは「納豆のある風景」という作品なんですよ。

 

≪納豆のある風景≫タブロー版

 

 ちなみに、この作品の原型は、『これが好きなのよ 長新太マンガ集』にも収録されています。「チンプン カンプン トンチンカン」というこれも「話の特集」に掲載されていた、イラストエッセイとコママンガを組み合わせた不思議な連載だったんですが、その中に「納豆のある風景」が出てきます。

 

「納豆のある風景」マンガ版

 

 さらりと「紅葉が美しい、といううわさをきいて、北のほうへ出かけた。たしかにナナカマドや、その他の植物が紅葉して、それなりに美しかったが、いちばん印象に残ったのは、納豆がさりげなく、大きくある風景であった」と書いてあるのですが、一体どこにこういう風景があるんだろうね。
 というわけで、そろそろおしまいです。本日は最後まで聞いてくださってありがとうございました。これで長さんのマンガの魅力が少しは解明できたかなぁ。やっぱりぜんぜんわかんないかもしれないですね(笑)。でも、この本を読んでみたら言葉にできないけれど、きっと「わかる」と思います。これはそういう本です。

 

(2016年11月26日 幡ヶ谷パールブックショップ&ギャラリーにて)

定価2800円+税/A5判・上製

『これが好きなのよ 長新太マンガ集』(亜紀書房)

チョーさんのマンガをこれ一冊で! 唯一無二のナンセンス絵本作家・長新太のアナザーワーク、“マンガ家”長新太の魅力を1冊にギュッとつめこみました。ベスト・オブ・チョーさんのコミックス。「話の特集」の連載から単行本未収録作品までを厳選した、ノーミソがとろける珠玉の作品集をどうぞご堪能ください。装丁:祖父江慎+藤井瑶(cozfish)

谷川俊太郎さん、糸井重里さんも絶賛!!

「長さんはイノチをくすぐる、セカイをくすぐる」(谷川俊太郎さん)

「きげんのいい時間を過ごしたいなら。
長新太さんがマンガを描くところに、猫のようにしゃがみこんで、ずっと手元を見ていたかった。その時間は、きっと、ずううっとたのしいんだろうなぁ」(糸井重里さん)

 

定価1300円+税/B5変型判・上製

『ぼくはイスです』(亜紀書房)

長新太の幻の絵本がついに復刊!
イスだって何かにすわってみたい。

【ストーリー】
「みんなぼくの上に腰かけるけど、ぼくも何かにこしかけてみたいな」そう思ったイスは、さっそく、あちこちに腰かけてみます。やがてイスは、どんどんどんどん、お家からはなれて……あら、たいへん!
イスの大冒険の、はじまりはじまり!

谷川俊太郎さんおすすめ!

「ぼくも昔から椅子がじっとしてるのは不自然だと思ってました」