生きていく上で、かけがえのないこと 吉村萬壱・若松英輔

2017.7.1

46記憶

 

記憶

吉村萬壱


 私は記憶力が弱い。特に、女性に関してはそうだ。まず、記念日が覚えられない。髪型や服装も、殆ど記憶に残らない。これは、その女性に対する好悪に関係なくそうなのだ。だから私はよく女性に怒られる。モテる男は、おしなべて女性の髪型の変化や服装に敏感で、記念日などもきちんと覚えているマメ男である。逆に言うと、女性はそういう男に意外と簡単に騙されるのかもしれない。
 私のような人間とは対照的に、記憶力の優れた女性は少なくない。彼女たちは、大変細かい所まできちんと覚えている。これは脳の構造の違いによるものであろうか。男の浮気がすぐにばれるのは、女性の記憶力を侮った結果であることが少なくないと思う。浮気がばれないために必要なのは記憶力だ、と看破した作家がいたが、なるほどという気がする。
 ある女性作家は、作家に必要な資質として記憶力をあげていたが、それは知識の記憶ということではなく情緒の記憶なのだそうだ。あの時あの場所で、自分は何をどう感じていたのか、それを克明に記憶し、精確に再現できることが小説を書く上で大切なのだという。
 ある哲学者がこんなことを言っていた。記憶というものは、脳の中に蓄えられた過去の出来事の巨大データのようなものではない。思い出す度に常に同じデータが引き出されてくるのではなく、想起する度に現在の自分が解釈し直した新たな「記憶」が創造されるのであると。
 最近知り合いと、ちょっとした言い争いをしてしまった。それは、南京虐殺はあったのかという問題をめぐってだった。私は若い頃に本田勝一の著作を読み、当たり前のように虐殺の存在を信じてきたが、しかしS氏はあれは中国政府の捏造だと言う。もちろん私は南京虐殺をでっち上げだとする説は知っていたが、こんなに身近な人間にそれを力説されるとは思わなかったので少々面食らった。そして話せば話すほど、たかが八十年前の出来事について、現代の我々にはその真実を知り得えないのではないかというやり切れぬ思いに沈んだ。
 真実は一つのはずである。しかしその真実がたった八十年の間に曖昧になり、確かな記録であるはずの写真も捏造や転用だとされ、人々の証言は立場によって百八十度違っている。これは一体どういうことなのか。
 人間の記憶というものは、今この瞬間に起こった出来事についてであっても、人によって異なった解釈が加えられ、処理され、保存される(あ、この人は今勝手な解釈をして捏造記憶を持ったな、と分かる場合も少なくないが、それを訂正するのは至難の業である)。それだけでも、個々人の記憶には随分差が出る。また、ある強烈な個人的経験や思想的転回によって、膨大な記憶の相貌が一挙に組み変わったりすることもあるに違いない。歴史的事実、特に虐殺の記憶などは、加害者と被害者との立場の違いがその差を一層大きくするであろう。沢山の手記も残されているが、一体どれが正しいのか。
 私が付けている百冊以上の日記の記述は、その時点の私が、その日の出来事に対して下した解釈に過ぎないという側面を持つ。客観的事実はお天気ぐらいのもので、どんな記述もよく読むと必ず私的な解釈が加えられ、ある意味歪められている。同じ時空を共有した二人の人間の記憶すら同じでないのは、我々は物事を自分の文脈に沿って記憶するからであろう。
 記憶は一種の物語である。古事記や平家物語のような物語として、我々は自分の記憶を、絶えず自分なりの節回しで、自分に対して歌うように繰り返し物語っているのではなかろうか。それはできるだけ自分にとって心地よいものであって欲しいし、そうでなければ記憶に残らないに違いない(余りの不協和音に満ちた記憶は、恐らく抑圧されてしまうか、捨てられるからである)。
 我々の一生は、延々と記憶の彫琢に費やされているのかも知れない。どんな記憶も、自分でも気付かぬぐらい少しずつ捻じ曲げていけば、大した良心の呵責なしに、やがて自分にとって都合の良いものに作り変えることができるだろう。日記はある程度、そのことに気付かせてくれる。思い出すのに苦しくないように、胸の痛みを感じなくて済むように、言い訳が成り立つように自分がいかに記憶を改ざんしていたかは、日記の記述と照らし合わせることによってある程度確認することができる。しかし日記に書かれた時点で、既にその記述に恣意性が加えられた可能性もまた否定できない。
 死を前にした老人が自分の人生を振り返る時、その記憶(物語)は果たして真実だろうか。私はある老人が自分の犯した過去の過ちを真っ向から否定し、自分は何も悪いことをしていないと昂然と言い放つのを見たことがある。それは明らかに記憶の捏造による自己正当化であった。それは責められて然るべきだと思う反面、極めて人間的な人生の仕舞い方にも思えて複雑な心境になった。私も程度は小さくとも、日々その老人と同じ記憶の改ざんをしているのではないか。死に際しては、もっと大胆に記憶を作り変えてしまうのではないかと思わずにいられなかった。
 人間が自己正当化に費やす時間と労力は膨大なもので、誰でも全力でこれをやっている気がする。日記や小説などはひょっとするとそんなエクスキューズの最たるものかもしれず、そう考えると小説家というものは薄汚れた仕事に思えてくる。しかしそういうちょっと不潔な感じのする仕事というのは、実は私は少しも嫌いではない。

 

 

記憶

若松英輔

 

 会社の同僚には子育て中の母親である女性も複数いて、彼女たちの姿を見ていると、まじめに仕事をしつつ、離れた場所にいる子どもを気遣うという、相反することも無理なく両立しているのが分かる。彼女らはことさらに意識にのぼらせることはないまま、心の深みでいつも子どもの存在を感じている。
 同僚のある女性とこのことをめぐって話しているとき、彼女は自分の息子のことをある色のうごめきとして感じていると語っていた。
 色はこの女性の場合であって、もちろんすべての人がそう感じているわけではないが、ほとんどかたちを帯びない、無形のといってもよいような姿をした記憶が息づいているのを感じることは、たしかにある。
 思い出せないものも記憶として存在する。その存在が意識にのぼることがなくても、ある人のことはいつも考えている。そう言いたくなる、言語的にはまったく矛盾している事象が私たちの生活では日々、起こっている。
 想い出せないことは記憶から消えてしまったのだ、と誰かに言われる。すると、私たちのなかにある衝動に似た、ほとんど本能的な何かが強く、否、と無音の声をあげるのではないだろうか。

たとえ私の頭が(戦争)という言葉を忘れ去る時があっても、私の皮膚は(その日)を、その日からのどす黒い、ぼろぼろの道程を――そしていつ果てるとも知れぬ狂気と死への対決を――記憶し、反芻し、予知しつづける。

 記憶という言葉にふれると、この一節が瞬時に浮かび上がってくる。
 意識に刻まれた記憶は、はかない。それらは時の経過とともに消えゆくのかもしれない。しかし、「皮膚」に刻まれた記憶は違う。それは意識とは別な、さらに深い場所で生き続ける、というのだろう。
 強靭という言葉がふさわしい、ゆるぎのない、そして稀なるちからを宿したこの一節は理性と知性によってのみ綴られたものではない。文章は「血」で記されなくてはならないとニーチェは書いているが、文字通りの意味で血によって紡がれた言葉だといってよい。
 この一節は、伊藤壮という人物が書いた「原爆被害者の現状と"否定"意識」という論考にあるのだが、書いたのは彼ではない。この言葉を伊藤は、ある被爆者の手記のなかに見つけ、自らの論文の冒頭に引用したのである。
 ここで「皮膚」というのは、火傷によって黒くなったからだの一部を指すだけではない。皮膚感覚という表現が、単なる生理的感覚ではなく、それを含みつつ心情的な感覚のはたらきを意味するように、ここでの「皮膚」もまた、一つの身体的器官ではなく、人間の全存在を包含する、たましいの「皮膚」というべきものだと考えるべきなのだろう。
 先の論文は、一九六〇年、戦後十五年という節目の年に雑誌に発表された。それから五十五年以上が経過しようとしている今日、私たちの「皮膚」は、伊藤が感じていたように平和が危機に瀕していることをしっかりと認識し得ているのだろうか。
 知性で認識したことは論破されれば崩れ去ってしまう。しかし、「皮膚」で記憶していることの前では、どんなに巧妙な論理も役に立たない。感覚は過たない。判断が誤るのである、とゲーテは語っているが、彼が感じていたのも「皮膚」感覚のたしかさと知性の脆弱さである。
 現代人は頭を鍛えすぎているのかもしれない。平和をいかに打ち建てるかをめぐって論議ばかりしている。言葉を尽くして考えることが重要なのは言うまでもない。しかし、同時に他者の痛みを、歴史の痛みと「皮膚」によって交わる道を見失ってはならない。そうした深い憐憫を伴うことなく生まれた「平和」はいつも征服の異名に過ぎないことを歴史は教えてくれている。

 

(season2  第21回・了)

本連載は今回が最終回となります。長らくのご愛読ありがとうございます。連載をまとめたお二人の書籍が、それぞれ8月に刊行の予定です。ご期待ください。