猫と詩人 佐々木幹郎

2018.11.5

04猫と山について


 暑い夏が続いた。連日三〇度を超え、四〇度にも近づこうとする異常気候のなかで、山へ逃避することにした。群馬県の浅間山麓、キャベツ畑が広がる嬬恋村の一角に、友人たちと一緒に使う山小屋がある。標高一三〇〇メートルの山の斜面に三つの木造の小屋が並んでいて、台所のある旧館(最も古い建物なので、こう呼んでいる)、友人たちと二年がかりで手作りした新館(宿泊用)、そしてわたしの書斎棟がある。
 この四十年あまり、一カ月に一度か二度、週末にはこの山小屋を利用して、村の友人たちや東京から来た友人たちとお酒を飲んだり、男女協同でピザを焼いたりして遊ぶ。ピザを焼くための石窯も、山の斜面に友人たちと一緒に作った。おまけに、大きなクリの木の上に、ツリーハウスも七年がかりで作ったのだ。これはまだ未完成。たぶん、永遠に未完成のままだと思うが、このツリーハウスが、わが山小屋のランドマークになっている。

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 山小屋に滞在するときは、木曜日の夜から月曜日の夕方まで。その間、猫のミーちゃんは東京で留守番をしている。彼女を一緒に連れて行きたい、と思うことはあるが、もともとは野良猫なので、山で行方不明になることを恐れている。キツネやタヌキはつねに山小屋のまわりを歩き、最近はシカやクマの出没が多い。
 わたしのアパートの三階には猫好きの一家が住んでいて、血統書付きの猫が三匹、飼われている。生まれたときから家のなかで育てられていて、外へ出したことはないという。山小屋に行くときは、その一家にミーちゃんの餌を頼んでおく。ミーちゃんはときどき、この三階のベランダで寝ていたりする。
 山小屋にいる間、わたしはミーちゃんのことを忘れているのだが、ふいに彼女の夢を見ることがある。夢のなかでミーちゃんは、たいてい仰向けになって寝ている。わたしは彼女の白いオナカを撫ぜてやる。ミーちゃんはわたしの手を甘噛みする。そんな夢を見る。ふむ、まるで愛人ではないか!
 猫を山に連れて行かないのは、ずいぶん前、大阪に住むわたしの弟一家が、飼い猫のクーちゃんと一緒に山小屋に遊びに来たときの経験から来ている。全身真っ黒な毛並みのクーちゃんは、下半身の病気でつねにオムツをしていた。新館の荷物室に寝かせておいたのだが、あるときその部屋からいなくなった。ドアを閉めておいたのにどこから出たのかと不思議だったのだが、二メートルほどの高さにある小さな排気窓から出ていったらしい。
 ということがわかったのは、人間たちが寝静まった夜、彼女が山奥から戻ってきて、影のようにふわっと窓に飛び上がって部屋に入ったからである。わたしは外で焚き火をしていてその姿を見た。つかまるところが何もないのに、あんなに飛び上がることができるんだと驚いた。

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 クーちゃんを、書斎棟に寝かせたこともある。大きなスピーカーの、低音を響かせるためにくり抜いた丸い穴のなかに入って、彼女はそこを寝床にしていた。そしてここでもいつかいなくなった。山の自然が彼女を呼んでいたのか、山が病弱の猫を獰猛にさせているように思えた。
 三日間ほど山を探し続けたら、あるとき、道の真ん中にクーちゃんのオムツが落ちているのを発見した。山でオムツをしている猫は恥ずかしい、と思って振りほどいたのか。たんにズリ落ちただけなのか。とにかく生きていることだけはわかった。
 それから三日経っても、まだ戻ってこない。ついに弟の嫁さんは、クーちゃんのことをあきらめた。「山で元気に暮らしているのならいいのだけれど。キツネに食べられたのかもしれない」。
 弟一家が帰った日の夜、ひょっとして、と思ってわたしは書斎のドアを開けたまま寝ることにした。月が皓々と照っている。その月の光りが書斎の床に明るく伸びていた。ふと気がつくと、その床に猫の両耳の影が映った。クーちゃんが戻ってきたのである。
 この猫は大阪でわたしの父親が九十二歳で亡くなるまで、オムツをしたまま、父親の介護をしてくれた。朝起きると、父の部屋へ行き、寝息を聞いてから、そっと戻ってくる。大丈夫、まだ生きている、と確かめているかのようだった。認知症が進んだ父が何かを呟くたびに、足元で黙って耳を傾けた。父親は足でクーちゃんの背中をつついたりして遊ぶ。それを受け止める。そんなふうに、介護猫としての役割を立派に果たしてくれたのだった。

 

(第4回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2018年11月20日(火)掲載