猫と詩人 佐々木幹郎

2018.9.20

01姓はツイラク、名はミーちゃん。


 猫が愛しい。しかし、なぜ愛しいのか、なぜ、こんなヤツが可愛いのか、猫を見ながら、猫を撫ぜながら考える。わたしがいま撫ぜている雌の三毛猫は、決して美女ではない。いや、それとはほど遠い顔をしている。三毛と言いながら、茶色と黒色と白色のレイアウトがバランスを欠いていて、顔の中心から左右対象になっていない。歪んでいる。目脂を絶やさないし、ピンク色の鼻のアタマは小さな切り傷だらけだ。毎日、どこかの草むらに首を突っ込んで怪我をしてくるのだ。それが喉を鳴らして、喉の裏も撫ぜてほしいと白い首を伸ばして仰向けになる。ヨシヨシ。わたしは彼女のオナカをさすってやる。それから喉を撫ぜてやる。彼女の言いなりである。
 この猫の名前は二つある。一つは「ツイラク」。二つ目は「ミーちゃん」。ミーちゃんはどこにでもある名前で、甘えるときにはミーミーと鳴いてすりよって来るので、自然と名付けたのだが、小さい頃は鳴くこともなかったので、名前がなかった。同時に生まれた兄妹四匹のなかで、あまりに身体が小さくて、臆病で、動きもにぶかった。いつか死ぬだろうとさえ思った。あるとき、姿が見えなくなったと思ったら、近所のクリーニング屋のお姉さんが、「家で治療してやっていたんです」と言って、子猫を抱えて現れた。
 わたしの住んでいるアパートは崖の上の高台にあって、小さな中庭がある。猫たちは中庭で遊び、ときおりコンクリートブロックの塀に上り、崖下の道路を見下ろしている。気が向くと、いきなり塀から一〇メートルほど下の道路に駆け下りる。子猫は他の猫の真似をして駆け下りようとしたのか、塀の上でバランスを崩したのか、アスファルト道路に墜落して、血まみれになって、うずくまっていたらしい。猫にあるまじき醜態である。たまたま通りかかった猫好きのクリーニング屋のお姉さんが見つけて、自宅で治療してくださったのだった。
 それ以来、この猫を「ツイラク」と呼ぶことにした。「ツイラク」と呼んでも、「ミーちゃん」と呼んでも、大きくなった彼女はミーと言って返事をする。

 

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 姓は「ツイラク」、名は「ミー」ちゃん。「おまえさんは」と、ミーちゃんの喉を撫ぜながら言ってみる。「たぶん、いま一番幸福な野良猫は、おまえさんなんだよ。喉を撫でられている野良猫は、この瞬間、近所のどこにもいないよ。わかってる?」。そんなこと知らん、とミーちゃんは喉をゴロゴロ鳴らす。
 そうなのだ。ツイラク・ミーちゃんは、いまでこそ半分は家猫になっているのだが、もともとはれっきとした野良猫なのである。半分は家猫、というのは、ここ数年、わたしの部屋に自由に出入りして、昼も夜もわたしのベッドで寝るようになっているからだが、わたしが何日も旅行をするときはそのまま外へ追い出しておく。彼女を野良猫に戻すのだ。それでも彼女は怒らない。平気で生きている。
 彼女が生まれたのは二階のベランダの一角に、わたしが作ってやったダンボール・ハウスのなかでだった。十数年前、いま住んでいるアパートに引っ越しをして、しばらく経ったころ、何匹かの野良猫がまるで通路のようにベランダを通り過ぎるようになった。そのたびに餌をやった。やがてそのなかの一匹の雌猫が、一階と二階の間にある屋根の隙間に入り込んで(どういうわけか、猫が通り抜けられる穴があったのだ)、一階の天井裏でお産をしたのである。それがツイラク・ミーちゃんの祖母だった。尻尾が太かった。
 一階に住んでいる大家さんは、美智子皇后陛下と高校時代の同級生で、シャンソン歌手。高校時代は美智子さんを専属のピアニストにして歌っていたらしい。このヒトの話はおいおいするとして、彼女があるとき「天井がうるさいのよ。夜になるとドタドタと走り回る音がするけど、大きなネズミが住んでいるのかしら?」とわたしに聞いてきた。ツイラク・ミーちゃんの祖母が産んだ子猫は六匹いた。うるさいはずである。「子猫たちですよ、まだ眼が見えないんじゃないかな」と言うと、「あらそう、それならいいわ」と大家さんは言った。子猫たちは野良猫のしきたり通り、数年の間に別のテリトリーを求めてそれぞれが住処を変えた。いつのまにか、いなくなったのである。そして最後に、ミーちゃんの母親のシロだけが、ベランダの常連となった。ベランダにダンボール・ハウスを作ったのはその頃だった。彼女はハウスのなかで四匹の子どもを産んだ。シロは全身真っ白なきれいな猫で、尻尾が太かった。子猫四匹のうちの一匹であるツイラク・ミーちゃんは、代々の遺伝で、太い尻尾を持って生まれたのだった。

 

 

(第1回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2018年10月5日(金)掲載