猫と詩人 佐々木幹郎

2018.10.5

02ノリと妹と


 シロに子どもを産ませたのは誰か。だいたい見当はついているのだが、たぶん、近所で最も目つきと顔つきの悪い野良猫の「オヤブン」である。たまにしかベランダにやってこなかった。オヤブンが来たときだけ、シロは威嚇の鳴き声を出さなかった。
 シロが産んだ子猫は四匹いたが、三毛のミーちゃん以外は、みな雄だった。茶色に黒の縞模様が入ったキジ猫の「アンモ」と「ナイト」、それに全身真っ黒の「ノリ」がいた。「アンモ」と「ナイト」は小さいとき、二匹が抱き合うように寝ているさまを上から見ると、まるでアンモナイトの渦巻き模様のように見えたので、そのように名付けたのである。「ノリ」はわたしが住んでいる東京の大森では、江戸時代に海苔の養殖が盛んだったことにちなんで名付けた。
 この三匹とも、いまはいない。アンモとナイトは大きくなってから最初にいなくなり、雄として最後まで残っていたノリも、ここ二年ほど見かけなくなった。美男子だったので、どこかの家庭に拾われて幸福に暮らしてくれていたらいいのだが。しかし、おそらく死んだのだろう。
 ノリが近所を歩いていると、どこにいるかよくわかった。ミャー、ミャーとだみ声で鳴き続けながら歩く習性があったからだ。ノリはミーちゃんと一番仲良しだった。
 野良猫はなかなか人間に身体を触らせない。ミーちゃんだけが最初に触らせてくれた。その様子を不思議そうに見ていたノリが、ちょっとだけ触らせてくれるようになった。
 この二匹に餌をやると、まず最初にノリが食べ、彼が食べ終わるのをミーちゃんは後ろで待っている。お皿を二つ並べても、遠慮して絶対に一緒に食べない。ノリはガツガツとなんでも食べる。

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 あるとき、ふいにミーちゃんが部屋のなかに入ってくるようになった。何がきっかけだったのだろう。いつまでも出て行かないので、部屋のなかに彼女の居場所として、ダンボール製の円形の猫鍋をしつらえた。「猫鍋」は土鍋のなかに猫が入り込んで丸まって寝る習性を発見したヒトが名付けたものだ。土鍋の代わりに、現在はアルミ製や竹製や布製など、さまざまな鍋型の猫用ベッドが販売されている。猫というのはおかしなヤツで、床に円を描いただけでも、そのなかに入って丸まって寝る習性があるのだ。
 ともかく、わたしはダンボール製の猫鍋を買って、ミーちゃん用のベッドとしたのだが、彼女はそれを見つけるやいなや、いきなり入り込んで丸まり、外へ出て行かなくなった。
 ノリがベランダにやってきて、わたしの部屋のドアが開いていると、室内を覗き込む。ミーちゃんがその気配を察し、部屋の奥の猫鍋から顔を出して、ノリをほうを見る。そのとき、ノリが見せた、世にも不思議そうな顔つきをわたしは忘れない。何をやっているんだ、そんなところで! と言ったようにわたしには思えた。そんなオーラが全身から出ていた。驚いたのだろう。野良猫の兄貴分として、妹が家猫になってしまったことを理解しがたい、その堕落を許しがたいと思ったのか。それとも羨ましいと思ったのか。
 それ以降、ノリの態度が変わった。妹とベランダで会うと、鼻をこすりあわせ、お尻の匂いを嗅ぎ、一通りの挨拶が済むと、ミーちゃんが部屋のなかに入っても、彼は一緒に入らない。部屋の外のベランダで、ミーちゃんのことなど忘れたかのように、中庭を見ながらジッと坐っている。わたしが無理やり部屋に入れても、すぐ外に飛び出る。オレは独立独歩。ニンゲンなんかの世話にはならない。妹とは違う! と言いたいらしいのだ。
 そんなノリが愛おしかった。ノリはいなくなる直前、ちょっとだけベランダに顔を見せたことがある。いまから考えるとそれが、オレのテリトリーを今日から変えるから、という最後の別れの挨拶だったのかもしれない。

 

(第2回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2018年10月20日(土)掲載