聞き流す、人類学。 奥野克巳、加藤志異。ほか。

2025.1.10

06youtube番組「聞き流す、人類学。」更新と、連載『明るいフィールドワーク』開始!

「聞き流す、人類学。」今回は、人類学と社会学との邂逅がテーマ。

近年、社会学者・宮台真司さんは、社会学はつまらない。人類学が面白いとおっしゃいます。それはなぜか。社会学と人類学、この二つの学問は一体どのように切り結ぶのか。テーマは「外」。
邂逅する宮台社会学×奥野人類学
宮台式人類学① R.D.レインと人間の文明
楽しきサッカー、没人格化が育てた社会学、未開の合理を発見した人類学

さて、上の対談で宮台さんと語り合っている奥野克巳さんは、フィールドワークについてどう考えているのか。「明るいフィールドワーク」で考えます。
第2回は、「教育的なフィールドワーク」。

 

ナルホイヤは〈わからない〉あるいは〈なんともいえんね〉という意味であるが、これはただ諦念をあらわしたことばではない。もっと積極的な彼らなりの生きるためのモラルを表現した言葉である。
(角幡唯介『狩りの思考法』清水弘文堂書房、一二〇頁)

 

1.人々「とともに」するフィールドワーク
 インゴルドの人類学から溢れ出すフィールドワーク論に私は、これまでのフィールドワーク論とは異なる独特の閃きと、感性の迸りのようなものを感じてきています。連載第2回では、『人類学とは何か』(原著二〇一八年、邦訳二〇二〇年、亜紀書房)から、彼がフィールドワークについて語っていることを追ってみましょう。
 人類学者が格別なのは、他の学問では、教育のない、文盲で、それどころか無知であると周辺に追いやられてしまう人たちから積極的に学ぼうとしてきたからだとインゴルドは述べています。そのような他者たち、人類学者が出かけたフィールドにいる人たちの声は、主要なメディアで取り上げられることはほとんどありません。人類学者がいなければ、その人たちの声が聞かれることはまずないだろうと言うのです。確かに、そうかもしれません。
 しかしその反面、人類学者は、当の他者たちを遠ざけてきたのではないかとインゴルドは、ギョッとするようなことを述べています。どういうことでしょうか? 人類学者は、他者のもとに出かけて、他者たちのことを知るために、フィールドワークをしてきたのではなかったのでしょうか?
 インゴルドは、こう言っています。人類学者は、「他者たちが世界について私たちに何を示すことができるのか」を探るのではなく、「他者たちの心から何が引き出されうるのか」を追い求めてきたのだと。言い換えれば、他者が私たちに示してくれるものではなく、他者からいったい何を引き出せるのかを追ってきたのだと言うのです。
 言い回しがやや複雑ですね。
 要は、人類学者は、他者たちを、「何かを教えてもらう人たち」として見るよりも、「情報を提供してくれるインフォーマント(情報提供者)」として見てきた。フィールドにいる人たちを、調査協力者のカテゴリーに組み入れてきたというのです。
その通りです。でも、そのことの何がいったい問題なのでしょうか?
インゴルドによれば、人類学は、インフォーマントをフィールドワークの中にうまく位置づけるための素晴らしい方法を考えついたと言うのです。それは、「参与観察」という手法です。
 参与観察が導入されたのは、人類学者が、調査研究する人たちにあまりに近づきすぎてしまったり、誰かに愛情を抱いてしまったりして、フィールドの状況に深く巻き込まれてしまうことで調査結果が損なわれないためだったとインゴルドは指摘します。現地の社会で人々との相互作用に没入して、「彼ら/彼女ら」と同じように生活を進めていってしまう手前で、人類学者は、自分はその場に観察しに来ているのだと振り返り、自らの本分を確認するのです。
 そのことによってでしか、客観性が担保される術はありません。それが、観察を「主」とし、参与を「従」とする参与観察の正体だったのです。
 でも、とインゴルドは考えます。フィールドに出かけた人類学者が、フィールドの暮らしに深く入り込むことは、きわめて大事なことではないのかと。
 観察するのは人類学者に限ったことではありませんが、人類学者はフィールドではふつう、他者を一方的に対象化することはありません。実際には、他者がしたり、言ったりすることをじっくり見、聞くのです。
 フィールドに入り込んで、人々のやっていることを見て、人々にじっくりと耳を傾ける。そういうことをしているのであれば、人類学者は必ずしも、フィールドに住む人たちを対象として、人々に「ついての(of)」研究だけをしているのではないことになります。
 むしろ、人々「とともに(with)」研究するというのがふさわしいのではないでしょうか? 人々「とともに」研究する姿勢こそが、参与と観察がバランスよく配分された参与観察であり、その姿勢こそが、参与観察という手法の基礎に置かれるべきなのだと、インゴルドは主張します。

2.「質的」なデータとは何か
 フィールドで人類学者は、人々「とともに」いて、何かが起きるのを、長い間じっくりと待たなければなりません。このことの意味を探るために、インゴルドの導きに従って、少し視点を変えて考えてみましょう。人々「とともに」いて、出来事が起きるのを待ち望むスローな人類学者のフィールドワークの姿勢が、科学のやり方とどう違うのかを検討してみようと思います。
 科学者はふつう、人工的につくられた場所である実験室で、揃えられている実験道具によって、事物や現象の秘密を暴こうとします。そしてその秘密が「データ」として迎えられるのだと、インゴルドは言います。
 データは、ラテン語の”dare”、つまり「与える」の過去分詞datumに由来します。それが後に、科学用語として、「そこにあって取りに行けばいいもの」を意味する名詞に転じたのです。
 生命が形成されたそもそもの初めには、満ち引きの流れの中にあったものが、その流れからはみ出て沈殿した時に「事実」になります。その沈殿した事実こそがデータの正体です。個別の事実へと事物や現象が固められてしまう時にのみ、それらは数えられるようになる。データはその意味で、本来的に「量的」なものなのです。
 しかし、教科書にはふつう、人類学者が行なう参与観察では「量的」ではなく「質的」なデータが集められると書かれています。データが本来的には数えられるものであるのに対して、数えられないデータである「質的」なデータが集められるべきだとされるのです。インゴルドには、この「質的」なデータという考え方がしっくりこないと言います。
インゴルドによれば、フィールドにおける現象の「質」は、現象を知覚する私たちを含む周囲の環境で、現象それ自体が開かれるやり方の真っただ中にしか存在しないのです。だとすれば、「質」をデータへと変換する瞬間に、その情報の母胎から当の現象が切り離されてしまうのです。
 人類学者がフィールドワークでデータを集めることができるのは、「現地の人たちの言っていること」を「彼らについて何が語られているのか」に、ばっさりと変換してしまうからなのです。人類学者は、データ収集という目的のために、フィールドに乗り込んで参与観察をしてきたのです。
 人類学者は、フィールドワークの中で、現象の「質」をいつの間にかデータに転換してしまう。そのせいで、調査者はフィールドで現地の人たちに対して開かれていっているようでありながら、実は、彼らに背を向けてしまうことになる、そうインゴルドは言います。
 なんだか、キナ臭い話になってきました。

3.ラポールの二枚舌
 インゴルドは、フィールドで「質的」データを集め、データに変換することが、いったいどういうことなのかを、あるフィールドワーカーの振る舞いを例に挙げて説明しています。動物行動の研究を人間に応用する「ヒューマン・エソロジー」の創設者であるイレネウス・アイブル=アイベスフェルトです。
 アイブル=アイベスフェルトは、こっそりと人々のデータを集めていたようです。彼は九〇度の反射板付きのカメラを設計して、そのカメラを用いて、誰かあるいは他の何かに向き合っていることに気づかれずに、相手のことを撮影したのです。
 インゴルドは、それは、現地の人たちに対するとんでもない「欺き」だと言います。アイブル=アイベスフェルトは、誠実に相手と会話しているふりをしながら、実際には、彼らについての情報を収集する手段として、そのカメラを用いていたのです。なんたる二枚舌なのでしょう!
 このことが、ラポールの名のもとに人類学者がフィールドで行ってきたことに等しいというのが、インゴルドの言いたいことです。なんと、人類学者は実はみなアイブル=アイベスフェルトだと言うのです。なんてことでしょうか!?
 さて、連載の初回で、ラポールについて述べたことを、思い出して下さい。ラポールとは、調査者とインフォーマントで築かれる良好な信頼関係のことでした。調査者からすれば、調査をする上で、打ち解けた間柄でないと、現地の人たちのことを知ることはできないはずです。逆に、調査される側も、気心が知れないよそ者に知っていることを明かそうとは思わないはずです。ラポールとは、参与観察を進める上での人類学者の大切な心がけでした。
 しかしインゴルドは、そのラポールを、やり玉に挙げます。インゴルドによれば、ラポールには、好ましくない二面性があると言います。ラポールをもとにした調査には、一方では現地の人たちと結ぶ「友情」があり、他方ではフィールドワークを終えた後に書き上げる「報告」があるからです(フランス語のrapportには報告=レポートの意味もあります)。
 フィールドの人たちのことを書き上げるという下心に駆動されながら、現地の人たちと有効なラポールを構築するのは、はたして正しいことだったのかと、インゴルドは改めて疑問を呈します。インゴルドは、他者への気遣いの足りなさに対して、決して追及の手を緩めようとはしません。
 インゴルドによれば、分裂気味の、二枚舌的なラポールのもとで集められた「質的」データに基づいて、人類学者が帰国後に書き上げるものが「民族誌(エスノグラフィー)」なのです。そしてそもそも、ラポールを伴う参与観察はこれまで、民族誌を書くという「目的」に至るための「手段」だと考えられてきました。
 しかし、そんな参与観察は間違っているのだとインゴルドは主張します。民族誌を書く手段として、フィールドに住む人たちと仲良くなるだなんて!
 前節で述べたように、インゴルドにとって、参与観察とは、フィールドに住まう人々「とともに」学ぶ方法のことです。それは、フィールドの人たちの暮らしを「書く」ことに関するものではありません。
 人々を騙しながら、他方で、人々のことを生き生きと描くというのは、他者に対する誠実な態度ではありません。インゴルド自身ははっきりとはそうは言っていませんが、そんなことは、やってはいけないのです。
 インゴルドにとって、参与観察とは、生きる方法を見つけるという人類共通の任務に、フィールドに住まう他者たち「とともに」加わることなのです。人類学者は、フィールドで、人々の言語を話せるようになる過程で、人々と寝食をともにし、人々といつも一緒にいることで、人間が「生きている」とはどういうことなのかという、もっとずっと重要なことを探ってきたはずなのです。

4.民族誌ではなく人類学を
 ここまでのところのインゴルドのフィールドワーク論は、いかがだったでしょうか? 「調査者自身が現地の暮らしにとけ込んで、現地の人々との間にラポールを構築して、参与観察を進める必要がある」という、本連載の初回で示した、これまでのフィールドワークの考え方とはずいぶんと違っていると、読者は驚くかもしれません。
 いえいえ、インゴルドは、このレベルにとどまっていません。ここからもう一歩先に果敢に踏み込んでいきます。
 インゴルドは、民族誌と人類学は異なる企てだと主張します(「エピローグ/第19章 人類学はエスノグラフィーではない」ティム・インゴルド『生きていること 動く、知る、記述する』柴田崇/野中哲士/佐古仁志/原島大輔/青山慶/柳澤田実訳、左右社、2021年)。人類学者にとって、参与観察は絶対に、データ収集の方法ではないとも言い切っています。もし参与観察がデータ収集のためのものならば、それは人類学ではなく、民族誌の手法なのです。
 インゴルドの関心は、フィールドワークを学知の核心部に組み入れた人類学にあります。その上で、フィールドで行なう参与観察は、学生が大学(学校)に行って、行なっていることに比較しうると言います。
 えっ、フィールドワークが、いったい学校とどう関係するの? なんだか、突拍子もない気がします。インゴルドの立論を追ってみましょう。
 大学生は、教授の言うことを後の世の人たちに対して説明しようと考えて大学に行っているわけではありません。きわめてあたりまえのことです。そうではなく、大学生は、教授たちによって教育されるために大学に通っているはずです。
 同様のことが、参与観察をつうじて、フィールドで調査者が受ける「教育」についても言えるとインゴルドは言います。人類学者は、後の世に民族誌という資料を残すためにフィールドワークをするのではありません。フィールドにいる人々「とともに」学ぶために参与観察をする。これこそが人類学で一番大切なことだと言うのです。
 インゴルドは、人類学において最も重要な事柄は、民族誌的なものではなく、「教育的」なものなのだと主張します。でも、いったいフィールドで行なっていることが「教育的」であるとはどういうことなのでしょうか?
 そのことを考えるために、探検家・角幡唯介の経験を引っぱり出してみましょう。インゴルドの言う、フィールドワークが「教育的」なものであるというのは、角幡が、グリーンランドのイヌイットの人たちの村に滞在した時によく聞いた「ナルホイヤ」(〈わからない〉〈なんともいえんね〉)という言葉を突き詰めて、それを漂泊者たる狩猟者の世界観を表現した一言だと理解するに至ったことに、端的に示されています(角幡唯介『狩りの思考法』清水弘文堂書房、二〇二一年、一二〇頁)。
 角幡が「明日の天気はどう?」とイヌイットの友人に尋ねた時、よく「ナルホイヤ」という言葉が返ってきたと言います。「わからない」「なんともいえない」と言うわけです。
 それを、「お前は未来のことを訊きたがるが、今、未来のことを聞いても意味がない。そのような質問をするお前はアホではないか。そんなことは聞くな」という裏の意味が込められていると角幡は読み込んでいきます。
 そして、「ナルホイヤ」という言葉は、先の読めない渾沌とした大自然の中に生きるイヌイットの生活態度が表れた言葉というだけでなく、もっと積極的に未来予測の中に生きる世界観を否定している言葉でもあるのだということを、角幡は自力で学び取るのです。彼は調査者ではありませんが、この態度には、フィールドにいる人たち「とともに」世界に関して学ぶという人類学者の取るべき態度が示されています。学ぶことによって、フィールドで教育されるのです。
 参与観察が「教育的」であるとは、このような事態のことに他なりません。インゴルドは、以下のように述べています。

世界とそこに住まうものは、人間と人間以外のものを含め、私たちの教師であり、指導者であり、対話相手なのである。(「エピローグ/第19章 人類学はエスノグラフィーではない」ティム・インゴルド『生きていること 動く、知る、記述する』柴田崇/野中哲士/佐古仁志/原島大輔/青山慶/柳澤田実訳、左右社、五四五頁、二〇二一年)

 この世界のあらゆる存在者から私たちは学ぶのです。彼らは、私たちの教師なのです。
 インゴルドは、人類学が重要なのは、それが、調査者自身の「生」と、調査されている人たちの「生」の両方を変えうる潜在力を持ちうるからだと言います。フィールドという学校に行って、人々「とともに」学ぶことで教育され、人は自己変容させられるのです。
 でも、一点、重要なことがあります。このフィールドワークの「教育的」な潜在力が、調査者が調査される人たちからすすんで学ぼうとする場合にのみ現実のものとなりえるという点です。フィールドワークとは、調査する側とされる側が、人間の「生」をめぐって、一緒になって探っていくことにより、何がしかの気づきを与えてくれる作法なのです。
 これが、インゴルドが考えるフィールドワークの本領です。ラポールを超えて、人類学者がフィールドワークで臨まなければならないというのは、このことだったのです。

 さて、ここまでを簡単に振り返ってみましょう。
 フィールドでのラポールが友情と報告の二面に分裂していることを見抜いたインゴルドは、民族誌を書くために、現地の人々「について」の「質的」データを自国に持ち帰って民族誌を書くことと人類学は同じではないという視座へとたどり着きました。人類学は、生きる方法を見つけるという人類共通の任務に、フィールドに住まう他者たち「とともに」加わることに関するものです。そしてそれは、調査される人たちの生を変えうる潜在力を秘めた「教育的」なものなのです。
 ほんとうのところを知るためにフィールドワークに出かけたマリノフスキの登場から約六〇年後に、連載の初回で述べた、人類学の自己反省の「第一波」が到来しました。その「暗いフィールドワーク」の時代を乗り越えたのが、マリノフスキから約一世紀後に登場したインゴルドでした。彼が新たな「明るいフィールドワーク」の見通しを示したのです。いま、新たなフィールドワークの革命が進行中です。
 本連載では今後、インゴルドのフィールドワーク論の中に入ったり、外に出っていったりしながら、フィールドワークとはいったい何であるのかを探っていきたいと思います。