「いま」と出会い直すための精神分析講義 工藤顕太

2019.6.11

01「私」が「私」でなくなるとき――ラカンと哲学


 ドキュメンタリー・フィルムを観て、そこに証言されている「現実」に圧倒されてしまうという経験は、誰の身にも覚えがあるものだろう。私ではない誰かが生きた「現実」のなかに自分の一部を連れ去られたような、どこか危ういあの感覚には、たんに「考えさせられた」ということには尽きない何かがある。それは思考や認識よりも、むしろ言葉になる以前の身体感覚やざわざわとした感情の蠢きのほうに近いといえるかもしれない。
 では、思考するということがこうした曖昧な感覚やと危うさときっぱり切り離されてあるのかといえば、決してそうではない。むしろ、ときとして日常の平穏の外に私たちを連れ出してしまう可能性にこそ、じつは思考の核心があるのではないだろうか。そもそも、日々をのんべんだらりとやり過ごしているだけの人が、何かを切実に考えることなど果たしてできるだろうか。
 このことをよく教えてくれるのは、17世紀の哲学者デカルトである。デカルトにとって、哲学的思考とは思考する当人の存在そのものを巻き込んでなされる全人格的な実践であり、行為にほかならなかった。1641年にパリで出版された彼の『省察』は、六夜に及ぶこの実践のドキュメントという形式で編み上げられている。
 この書物の主人公にあたる省察者の「私」が、およそ自明に思われていたあらゆる事柄を問いに付すことで「コギトcogito」(「思考する」という意味のラテン語)を打ち立てたのち、神と精神という主題をめぐって思索を繰り広げる。あとであらためて述べるが、デカルトは思考の本質を、なによりも物事を「疑う」という実践に見いだしている。「私」が知っていることや「私」が見ているものすべてが問いに付され、不確かなものとみなされてもなお、思考する「私」、今まさにあれやこれやを疑っているこの「私」だけは確かなものである。少なくとも、考える=疑うという行為の最中だけは、「私」は確かに存在する。このようにして確立される主体の存在根拠のことを、デカルトは「コギト」と呼んだのだった。
 この記録のなかでまず着目したいのは、主人公の「私」自身が変化してゆくその様である。この連載を始めるにあたって、先取り的に結論めいた言い方をするならば、それに身を投じる者を変化させてしまうような行為としての思考――それこそが哲学である。だとすれば、デカルトがこのドキュメントという形式に託した企ては、読者自身がこの行為に踏み出すこと、つまり『省察』の主人公さながらに変化してゆくことに向けられているはずだ。

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 フランスの精神分析家ジャック・ラカン(1901‐1981年)は、まさにこの懐疑のうちに、臨床の本質を考えるための手がかりを見てとっていた。つまりラカンは、文字通り「度を越した」デカルトの懐疑(=「誇張的懐疑」)を、きわめて真剣に受け取っていたのである。ラカンにとって重要だったのは、ある種の主体はデカルトと同じ懐疑を生きざるを得ない、という事実だった。「ある種の主体」というのは、精神分析の「主体」、すなわち自身の症状を持て余し、その根本原因をみずからの無意識のうちに探るべく、分析家のオフィスを訪ねてくる者のことだ。分析において「患者」のポジションに身を置く者のことをラカンは「分析主体(analysant)」と呼び、その主体的かつ行為遂行的な本性を強調した。それは、「治療者」としての分析家ではなく、彼のもとで分析を受ける者自身の欲望こそが、精神分析の原動力となるからである。
 実際、無意識――「私」の在り方を決定的に方向づけているにもかかわらず、「私」自身にはどうやってもアクセスできない領域――というフロイトの仮説をひとたび受け入れたならば、おのずと自分にかんするいっさいが疑わしくなってくる。自分は本当にこれを望んでいるのか。どこまでが自分自身の考えなのか。自分が現実だと思っているものの多くは、都合よく改変されてできた幻想かもしれない。無意識を認めるということは、要するに、「私」の一番重要な部分については、「私」自身には知ることもコントロールすることもできないのだと認めることである。精神分析とは、この認識を出発点として、主体がみずからを問い直し、変化してゆく実践にほかならない。
 ラカンが分析主体とコギトを同一視するテーゼを示したのは1965年のことだが、すでに1946年の講演「心的因果性について」において、彼はデカルトを「乗り越え不可能」な思想家とみなす発言を残している1 。ちなみに、「象徴界(le symbolique)」の理論(これはラカンの仕事全体を代表する成果のひとつだ)がおおむね完成するのが1958年前後、ラカンが国際精神分析協会から教育分析家(分析家の再生産に携わる分析家)の資格をはく奪されて新たに「フランス精神分析学派(École française de psychanalyse)」2 を立ち上げるのが1964年、そしてその難解さで悪名高い主著『エクリ』の出版が1966年だから、くだんの46年の講演原稿はラカンのキャリアの初期に位置づけられるべきテクストである。要するに、ラカンの分析家としての歩みの少なくとも一部は、はじめから、彼のデカルトへの強いこだわりを抜きにしては考えられないのだ。
 私がこのことを強調するのは、精神分析家が哲学について語ること、哲学を参照しながら精神分析に固有の主題(無意識、欲望、症状、転移、抵抗といった)を論じることが、決して自明でもふつうでもないからである。これは、精神分析の創設者であるフロイトの著作を繙けばすぐあきらかになる。
 無意識(心理の深層部)を対象とする厳密な科学として精神分析を確立することを望んだフロイトは、哲学をひとつの「錯覚」とみなすことを躊躇わなかった。フロイトによれば、哲学は論理的に首尾一貫した世界観を構築することに拘わるあまり、現実離れした思弁に終始してしまう。それに対して精神分析は、臨床実践と理論的な練り上げを両輪とすることで、現実の経験に裏打ちされた実証科学としてみずからを洗練させていかなければならない、というわけである。今日でこそ、その「思想家」としての顔が広く知れ渡っているフロイトだが、彼自身の関心や考えに従うならば、分析家とは日々の臨床のかたわらで精神分析のことを、すなわち「患者」の抱える症状の意味やそれにアプローチする技法のことを考え、語る者であって、様々な哲学者の議論を頻繁に援用するラカンのスタイルは、この点であきらかに異端のそれなのである。
 ところで、哲学に対するフロイトの辛口意見は、哲学を専門としない人の多くが口にしそうなありきたりなものであるにせよ、やはり一片の真理を含んでいる。思うに、伝統的な哲学(日本の大学の哲学科で必修講義のタイトルになっている類の哲学と言い換えてもよい)がほとんど語ってこなかった事柄、あるいは致命的に語り損なってきた事柄というものがいくつか存在する。とりわけ精神分析との関係で目につくのは、「性」という主題だ。よく知られているように、フロイトは神経症者の症状の根に抑圧された(意識の外部に押し退けられ、抑え込まれた)性的経験の記憶があることを発見した。ここでフロイトの症例に立ち入ることはしないが、私たちの個人としての「存在の原因」について考えるうえでも、あるいは私たちの日常を考えるうえでも、性をめぐる問いを丸ごと放棄することは不可能である。
 「私」が存在するということは「私」の生物学上の両親が少なくとも一度は性行為に至ったという事実と分かちがたく結びついている。しかも、自分の親が性的存在であるという現実に対してひとが多かれ少なかれ抱くあの居心地悪さを思えば、この事実はたんなる生物学的所与に留まりはしない。むしろ、それをたんなる生物学的所与として片づけることができないという点に、私たちが我知らず性に与えている、心理的な意味や価値について考え直す手がかりがあるのではないだろうか。
 あるいはまた、「私」がときとしてコントロールが利かなくなるほどに他人を愛したり憎んだりすること、それどころか、ある場合には愛しても憎んでもいない相手にわけもわからずハマってしまうこと、こうした欲望の日常に属する事柄は、やはり「私」が性的存在であるという事実と無関係ではありえない。
 もちろん、これはいわゆる恋愛や家族に限った話ではない。例えば、仕事相手と割り切って付き合おうとしても、ある特徴を備えた同性に対してはほとんど条件反射的な苦手意識を抱いてしまうひとや(それがなぜなのかは本人にも説明できない)、なぜか異性との友人関係を維持できない(と確信し切っている)ひとはどこにでもいる。こうしたありふれた事態の前で少しでも立ち止まってみれば、およそ社会生活が営まれるいたるところで、性をめぐる問いは生じうる。
 ちょっと乱暴な言い方をするならば、多くの人にとって、存在の本質やら正しい認識のための原理やらといったことよりも、性や欲望のほうがよほど切迫した根本問題なのである。だが、性については頑としていっさいを不問に付すことで成り立つ秩序というものが確かに存在する。もしかしたら、哲学も我知らずそのような秩序のなかで長く安住してきたのかもしれない。フロイトやニーチェ以前に、この根本問題を正面から論じた哲学者、それについて本質的な考えを少しでも示すことのできた哲学者が、果たしてどれほどいただろうか。

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 精神分析と哲学とのあいだには、とりわけその「守備範囲」をめぐって、このような深い溝がある。この前提に立ち返ってラカンの仕事を歴史的に位置づけるならば、その独創のひとつは、この溝を跨いで、精神分析の実践をめぐる問いを哲学のうちに、そして哲学者が提起した問いを精神分析のうちに再発見したことにあるといってよい。ラカンの「デカルトへの回帰」3 の意義は、まさにこのような視座のもとでとらえられるべきである。
 さて、うえで述べたように、ラカンは「心的因果性について」のなかで、デカルトの懐疑を臨床の問題としてとらえようとしていた。ここでラカンが注目を促しているのは、第一省察(『省察』の初回にあたる)でデカルトが狂気に言及している点である。デカルトはまず、感覚から受け取られるもの、つまり目に見えるものや手で触れられるものすべてに疑いの目を向けることから始める。ここには、「度を越した」懐疑を徹底的に遂行するという明確な態度決定がある。懐疑はデカルトが真理を問うために選択したひとつの方法論(メソッド)であり、それゆえに「方法的懐疑」とも言い換えられる。問題は、自分の感覚を端から端まで真剣に疑いだせば、おのずと「私は私である」という認識そのものが成り立たなくなり、そこに狂気の可能性が開かれてしまう、ということだ。ラカンが『省察』から引用している箇所をみてみよう。

この両手やこの身体が私のものであるということ、私はこれをどうして否定できるだろうか。もしも私が自分を誰かしら気の触れた者に、つまり黒胆汁〔いわゆる四体液説において、狂気の要因と考えられていた体液のこと〕から出てくる悪性の蒸気によってひどく攪乱され、極貧であるにもかかわらず「自分は王である」とか、裸であるにもかかわらず「紫衣をまとっている」とか、「頭が粘土でできている」とか、「全身が水瓶である」とか「ガラスでできている」とか、そうしたことを終始言い張る者に擬(なぞら)えるのでないとしたら? しかし、このような者たちは正気を失っているのであって、もしも私が彼らの例に倣(なら)ったならば、私も劣らず気の狂った人と思われることだろう。4

 誇張的懐疑は、まさに常軌を逸した方法であるがゆえに、狂人の振る舞いにかぎりなく近づいてゆく。いいかえれば、『省察』の主人公は、みずからの問いの途上で狂人の鏡像となる。ひるがえって、哲学を専門的に学ぶ人々のコミュニティから一歩外に出れば、いまだにデカルトは、「近代的・理性的な人間主体を中心に据える哲学者」の代表格として槍玉に上げられてばかりである。しかも、この手の教科書的な常套句で満足する人たちはそもそもデカルトの著作を読んだことがないというのが相場であるからか、専門家たちはそれをわざわざ訂正して回ることもあまりない。
 かくして、一般的には忘れ去られた感もある〈コギトに至る懐疑の動的プロセスのなかの狂気〉という仮説をめぐるこの一節は、その一方で、戦後フランス思想史の(ある意味では華々しい)ワンシーンの記憶とともに引き合いに出されることがしばしばある。デカルトの狂気への言及は、ミシェル・フーコーが『狂気の歴史』(1961年)のなかでそれを取り上げ、ジャック・デリダが「コギトと狂気の歴史」(1963年)でフーコーの読みに公然と異議を申し立てたことで、その重要性が再認識されたのである。最終的には、フーコーからデリダへの激烈な再批判を経て、この論争は彼らの関係をすっかり冷え込ませることになってしまった。
 いまやデカルト研究の文脈でもしばしば参照されるものとなったこの論争にかんしてはこの連載のなかでいずれ立ち返るが、ここでごく大雑把に二人の立場を要約しておくと、フーコーがコギトを狂気の可能性を排除することで成立するものとみなしたのに対して、デリダは狂気の可能性はむしろコギトの成立条件そのものをなしていると考えた。すなわち、『省察』の主人公がコギトという存在根拠を手に入れるプロセスにおいて、狂気の可能性は排除されているのか。それとも反対に、狂気の可能性を引き受けることこそがコギトを成立させるのか。この点をめぐって、フーコーとデリダの見解は割れたのである。
 ここでこの論争に触れているのは、「思考(コギト)の根幹に内在する狂気」という見立てを打ち出すことでデカルトを「西洋的理性による狂気の社会的な囲い込み」という構図の外へ連れ出そうとするデリダの振る舞いが、コギトの重要性を力説するラカンのデカルトに対する評価を思い起こさせずにはいないからである。実際、1991年に開催された『狂気の歴史』の出版三〇周年を記念するシンポジウムでサンタンヌ病院の壇上に立ったデリダは、このことをみずから示唆している。ここでデリダは、彼にとっては苦い思い出に違いない亡きフーコーとの論争と、ラカンによる「デカルトへの回帰」との同時代性について語ることで、「フーコーにおけるフロイト」という自身の講演テーマにラカンへのささやかなオマージュを織り込んでいるのである5 。このオマージュのなかでデリダはラカンの「心的因果性について」にも言及しているが、ラカンはそこでどう述べているだろうか。

 狂気という現象にかんして、デカルトがそれを『省察』のなかで深く考察することはしなかったとはいえ、真理を発見するべく出発するその最初の一歩から、忘れがたいほど無造作に、彼がこの現象と出会っているという事実、これを示唆的なものとみなそう。6

 ラカンがこの講演でとりわけ強調しているのは、狂気の問いと真理の問いが切り離せないということだ。逆にいえば、ラカンにとって、狂気の可能性を真剣に受け取るのをやめるということは、そのまま、真理を問うことを放棄することに等しい。したがって、デカルトの「誇張的懐疑」は狂気の可能性を経由するということを真剣に受け取る点において、確かにデリダとラカンは同じ方向を向いていたといえる。だとすればラカンは、デリダとフーコーの論争に二〇年近く先立って、真理を問う主体が必然的に経由する試練として狂気の可能性を位置づけるとともに、コギトに、ひいては哲学的思考そのものに、この試練に身をさらす実践のひとつを見いだしていたことになる。哲学がそのような営みであるかぎりにおいて、精神分析はそこから本質的な教えを引き出してくることができるし、またそうしなければならない。ラカンが「精神分析とは何か」というみずからの問いの道連れに哲学を選んだ背景には、このような考えがあったのではないだろうか。
 この講演の末尾でラカンが語っている言葉は、精神分析家よりはむしろ哲学者のそれのようである。「今日では、古典哲学を「乗り越える」というのが流行だ」と時流に釘を刺したあとで、ラカンはこう述べている。

 ソクラテスも、デカルトも、マルクスも、フロイトも、彼らがある対象のヴェールを取るという情熱をもって自身の探究を行ったそのかぎりで、「乗り越える」ことなどできはしない。この対象とは、すなわち真理である。7

 「新○○論」、「ポスト○○主義」等々、これこそが時代の最先端であると謳うレッテルは、私たちの時代の「哲学」言説のなかにもいやというほど溢れかえっている。そういう意味では、「乗り越え」の流行というのはじつは流行でさえなくて、むしろ言説が流通する場の常態だというべきである。こうした動向に抗うようにして、ラカンは「真理」という伝統的な(それゆえときには時代がかってみえさえする)キーワードを対置している。それだけではない。この「真理」への情熱こそが、哲学者たちの仕事を乗り越え不可能な、つまり絶えず参照し直されるべきものにしているとラカンは言う。
 『省察』の主人公のように、あるいは自由連想を行う分析主体のように、「私」がほかの誰にも肩代わりできないような切迫した問いの渦中にあるとき、問題となっているのは何よりも「私」自身の真理である。そこでは、主体が真理を問うと同時に、真理によって主体が問われるということが肝腎なのだ。自分がいまそうであるような自分であることは少しも当たり前ではない。ではどうして、「私」は現にここにいるような「私」になったのか。何かのきっかけで、あなたがやむにやまれずこのような疑問に突き当たったとき、この疑問を解く手がかりは、何よりもあなた自身の無意識のなかにある。これがフロイトの実践の出発点にある発想であり、精神分析の根幹をなす考え方である。
 ラカンがここに付け加えたのは、無意識の問題とは同時に真理の問題でもあるということだ。いいかえれば、精神分析という営みにとっての無意識は、哲学――デカルトが『省察』で実演してみせたような行為としての哲学――にとっての真理と等しい価値を、つまり問いのモーターとしての価値をもっている。だからこそ、ラカンの考える精神分析は、哲学者たちとの対話のなかで練り上げられなければならかった。次回からは、ラカンが個々の哲学者からどんな主題を受け取り、それをどのように展開したのか、もう少し詳しくみてゆくことにしよう。

 

  1. Jacques Lacan, « Propos sur la causalité psychique », in : Écrits, Seuil, 1966, p. 193.
  2. のちにフランス語で同じ略号(EFP)となる「パリ・フロイト派(École freudienne de Paris)」に改名し、ラカンの死の直前まで活動した分析家組織。これがいわゆる「ラカン派」の出発点である。
  3. Ibid., p. 163.
  4. René Descartes, Meditationes De Prima Philosophia, in:  Œuvres de Descartes, publiées par Adam et Tannery, tome VII, p. 18-19.
  5. Jacques Derrida, « Être juste avec Freud », in : Résistances de la psychanalyse, Galilée, 1996, p. 98.
  6. Jacques Lacan, op. cit., p. 163.
  7. Ibid., p. 193.

 

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